第235話 瓢箪から駒


 そろそろ夕刻が近づいている。


 トンテンカンテン、と学園内にやかましく響いていた金槌音も鳴りやんだ。が、まだまだ設営完了とは程遠い。


 カサンドラは力仕事を任されているわけではないが、普段貴族の子女ばかりの中で生活をしている。

 騎士団から大勢の助っ人が派遣されてきたり、建設作業をする職人達が大勢集っている場面は初めての経験だ。

 しかもその建設作業に自分達の所属する生徒会が中心となって指示する状況にずっと気を張っていた。

 屈強な男性たちが大勢周囲で働いてる光景の中に自分も入っていることに違和感を覚えてしまうのはある程度仕方のない事だ。

 アイリスはもう三年目ということもあり、気にしていないようだけど。



 図面や完成予想図を見ながら細かいところまで指示していくシリウス。

 武術会当日には音楽隊も呼ばなければいけないので、ラルフは当日の演奏曲について楽士隊と講堂の中に籠って打ち合わせ中。

 ジェイクは騎士団の配置をどうするか、将軍の席の位置から護衛は――など、実際の現場を見ながら細かく死角などのチェックに入る。

 一旦屋上に登って、弓をひいて照準を合わせて狙撃可能かなどカサンドラには理解不能な検証なども行われていたらしい。


 校舎屋上から運動場の一点を狙って弓で射抜くなんてどこの与一だと思ったが、そう言えばジェイクは那須与一なすのよいちだったわ、と思い出した。


 国王陛下の前、あんな小さな獲物を馬上から一撃で射止めて見せた腕前は本物だろう。

 あの夏休みから三か月が経とうとしているのか、と時の流れの早さに気づいて驚く。

 勿論、コマンドを入力すれば無イベントの一週間などものの数秒で終えるゲームの事を考えれば実体験の一週間はとても長い。


 でも時間は巻き戻ることはなく、前へ向かって皆等しく進むもの。

 取り返しのつかない失敗をしないように気をつけながら、学園生活を過ごさなければならないのだ。

 実際に残された時間は……

 あとどのくらいなのだろう。


 王子が黒幕として行動を起こし始めるのは、二年の途中からだ。

 メインシナリオで大きな鬱イベントが入るのだが、その原因を作るのが王子――だからその時には既に王子は今の王子では無くなっているのだ、と考えられる。


 それ以前にも細々と彼は”民”を苦しめるような事をし始める。

 気づかれないように、まるで静かに見えない無味無臭の毒を周囲にじんわりと浸透させていくかのように。彼の”悪意”は留まることを知らない。

 彼によって不幸になった人は数知れず。




 王子がカサンドラの横を通り過ぎると、ふわっと微かに花の香りが漂っていることに気づく。

 ああ、ラベンダーの香りだ。


 ……まだ、飾ってくれているのだろうか。


 胸が痛い、熱い。




 あの夏のお土産を未だに部屋の中に残してくれているような心優しい彼が、果たして素面で孤児院焼き討ちなど出来るだろうか。

 ジェイクの指揮する一部隊を壊滅させるような罠を仕掛けるだろうか。

 ……ラルフの姉を――その手に掛ける事が果たして彼に出来るのだろうか?


 いや、無理だろう。


 テレビの画面を通してでしか彼の事を知る術が無かった前世では、彼のことを知らないのでドン引きしただけだ。笑顔の裏であんなことをしでかしていたのか、と。

 これはとんだサイコパス王子もあったものだ……と戦慄を覚えたが、こうして実際に王子と共に過ごす度に思うのだ。

 彼がそんな事を自らの意思で出来るわけがない。


 彼はこの学園生活のどこかで悪魔に身体を乗っ取られて――その時点で彼は彼でなくなってしまうのだと考えられる。


 仮に今までの王子の言動が全部演技で、話しているのが悪魔の現身うつしみだとしたら、カサンドラは入学前の最初の段階で詰んでいるではないか。


 今までの王子の言動が蘇って、カサンドラを奮い立たせる。


 流石にあんな言動がサラッと出来るような存在が過去この大陸を暗黒に染めた悪魔だなんてありえないだろう、王子の清らかパワーによって逆に浄化してしまいそうだ。


 ……全てがカサンドラの主観、願望。


 そうに違いない、という憶測でモヤモヤする。

 でもそう信じないと、果たして一体自分が何のためにここに前世の記憶を持って存在しているのかわからない。


 王子のために、自分しか出来ない事があるはずだ。


 そう思わないと……


 自分は、事情を知りながらもただ好きな人が悪魔に食らわれ聖剣によって斃される一部始終を眺めることしかできない傍観者としてこの世界に生まれたことになる。

 下手をしたら誰も聖女に覚醒できかったので、悪魔と化した王子に西大陸が蹂躙され尽くしました、もう誰も彼を止められません――なんて最悪の未来が待ち受けているのかも。


 ゲームの始まりから終わりまで続く王子にとって悪夢の全てを、一番の特等席で震えながら観ていなさいなんて、そんな神様は悪趣味過ぎる。


 大丈夫、まだ王子は”王子”のままだ。

 カサンドラとして生まれた自分が一目見て恋に落ち、前世を思い出した後、もう一度改めて好きになった人だから。



 ……きっかけがあるとしたら、何だろう。

 王子が『悪意の種』の苗床となり、意のままに操られる状況に陥る前段階。


 何もなく偶然どこかから飛んでくるわけがないのだから、王子か誰かの意思がないとその段階に至らないはずだ。



 ……やはり、聖アンナ教団に忍び込んで悪魔について詳しい伝承を紐解くべきなのだろうか。

 重々しいローブを纏い、神に祈りを捧げる集団。

 信心深く魔法に長けた者が多い、カサンドラにとって神秘のベールに覆われた実態の知れない聖域である。


 あの場所なら、カサンドラが望む情報が手に入るかもしれない。


 直接的過ぎて危険を孕むが、何も出来ないまま半年が過ぎてしまった。

 きっと次の半年ももうすぐだ。


 時間がない。

 それだけの期間で、王子に本当の意味で心を開いてもらえる存在になる自信がない。



 気ばかりが焦る。

 王子とは以前より仲良くなれている気がするが、果たしてこのままで王子を救うことが出来るのだろうか。

 ここがゲームを基にした世界だから余計に思うのだが、何か重要なイベントを見過ごしてしまったのではないか?


 攻略相手のもとに通い詰めて好感度だけを上げても頭打ち、必要なイベントをこなさないと個別エンディングに辿り着けないのは育成型乙女ゲームに多く見られる現象である。

 王子は攻略対象ではないが元々登場時人物紹介にいた人なので、そのルールが適用される相手なのかも知れない。



「……。」


 

 

 王子が微かなラベンダーの香りを漂わせ、カサンドラの横を通り過ぎていく。


 その僅かな時間にカサンドラの思考が高波に浚われるようにもみくちゃにされた。

 数秒の間に人はここまで考えを巡らせることが出来るのだと初めて知ったかもしれない。


 自分が幸せだと思う度に積み上がっていく”焦り”。

 このままでいいのかという不安。


 着々と進んでいく時間。



 つい、手が動いてしまった。


 カサンドラの横を既に通り過ぎている王子を後ろから追いかける。

 その距離は数歩であったが、焦り――彼の上着の裾を掴んでしまった。


「――……?」


 急に進行方向とは真逆の力で引っ張られ、王子は少しばかり態勢を崩し振り返る。


「カサンドラ嬢?」


 彼は大変困惑した顔でこちらを見ている。その怪訝顔を前に、カサンドラも一気に己の行動が恥ずかしくなり顔を赤く染め上げそうになった。

 いきなり無言で服を掴まれれば誰だって不審に思うだろう。


「も、申し訳ありません、王子。

 あの……」


 先に手が出てしまったので、具体的に彼に何かしようなんて考えてはいなかった。

 ただ、いてもたってもいられず、急に深い闇に捕らわれた気がして。


 ……すぐそこに彼がいるのに、何も出来ない自分が歯がゆかった――というのは言い訳だろうか。

 己の不甲斐なさがこんな突拍子もない意味不明な行動一つで有耶無耶になるわけでもあるまいに。


 スッと彼の裾から指を離し、カサンドラは言葉に窮した。

 王子に対しこんな呼び止め方はないだろう。

 無言で相手の裾を掴むなど、下手をしたら曲者扱いされて問答無用で背負い投げか手刀を食らわされても文句は言えない所業である。

 その証拠に、戸惑う王子はカサンドラを視認する前の一瞬、拳を固めた。


 相手がカサンドラだと知った瞬間、力を解いて弛緩させたが危ない所だったと思う。


「私に何か用事なら、呼びかけてくれれば良い。

 それとも喉の調子が悪いのかな、最近は急に寒くなってきたから……」


 風邪でもひいて具合が悪いのかと、彼は首を傾げながらこちらに身体ごと振り返る。

 相変わらずどの角度から見ても美しい男性であるが、こうして正面に立たれて彼の碧眼に見つめられるとドキドキしてしょうがない。


 何もないのにこんな呼び止め方をしたなんてありえない。

 でもカサンドラが不安に襲われて、つい呼び止めてしまったなんて事実を話すことも出来はしない。


 多くの作業員が忽ち今日は撤収の準備に入っているが、王子はまだ終わりじゃない。

 現状の確認に運動場を端から端へと何往復も移動してメモをとっている状態だ。


 邪魔をしてはいけない。

 でも、無言のまま”何でもないです”なんて失礼極まりない発言は出来ない。



「王子、あの……

 このような事を申し上げるのは甚だ不躾なこととは承知しております。

 差し出がましい申し出ですが、王子。

 もしも、もしも何かお悩み事を抱えていらっしゃるなら――遠慮なさらず、どうかわたくしにお話いただけませんか」


 言いながら、ぶわっと汗が噴き出そうだった。

 全くと言っていい程要領を得ない漠然とした言葉。

 王子の面食らったような驚きの表情に、『やってしまった』という絶望感が渦巻きカサンドラの全身を締め上げる。


 かなり傲慢な言い方にはならなかっただろうか。

 あまり親しくない相手から急にそんな事を言われ、良い想いなどするはずがない。


 悩みがあるなら打ち明けて! なんて、家族か親友にのみ許されるフレーズである。


 現に王子はかなり困った様子だ。

 そして僅かだが表情が硬くなった気がした。


「私に悩みがあるように見えるのかな、カサンドラ嬢」


「……悩み……という表現は適切ではなかったかもしれません。

 学園に入学されてからというもの、王子は生徒会のお仕事に王宮内でのお務めにと休む日もないと伺っております。

 お疲れが溜まっていることと推察いたします、何かわたくしにお力になれることがあればとお声がけ致しました」


 心の中、センシティブなところに触れようとしても彼はまだそれを話してくれることはないのだろう。

 そもそも悩みがあるということ自体、カサンドラの先走った考えに基づく推測である。

 『悪意の種』を植え付ける――もしも王子自身がその存在に惹かれて自ら危険なモノに近づくのだとすれば、何か心に『闇』を抱えているのだろうから。


 それが分かれば。

 教えてもらえれば。


 ……いや、今はまだ王子に深刻な悩みなどないのかも知れない。

 カサンドラの思い込みに過ぎないのか、だとしたら本当にカサンドラは思いあがった不審者だ。


「心配してくれてありがとう、カサンドラ嬢。

 確かに以前より忙しくなったけれど……

 私は今、充実した生活をとても楽しんでいるよ。

 ジェイク達と一緒に学生生活というのは得難い機会だし、何より色んな人と話が出来るのが嬉しいんだ。私の世界は今までとても狭かったからね。

 ――勿論、カサンドラ嬢と会えた事もその一つ。

 毎日刺激があって、忙しさや疲れは心配されるほど感じていないんだ」


 何かを我慢しているのか、それとも本心からそう思っているのか。

 残念ながら今のカサンドラにはそれさえ判断できやしないのだ。


 彼がそう言うのなら本当なのだろう、と。

 すごすご引き下がる他はない。


 執拗に「本当は違うんでしょう?」などと詰問する権利はなく。

 正誤を判断できるほど、カサンドラは彼を知らない。


 彼はカサンドラを『婚約者』として申し分ない接し方をしてくれる。

 優しいし、紳士的な人。

 ……だからこそ、それ以上他人カサンドラを踏み込ませない、見えない厚い壁を感じることも事実だ。


 

「そんなに疲れた顔をしていたかな」


 彼は困り顔のまま、自身の片頬を掌で軽く叩く。

 ぺしぺし、と小気味よく響く肌の音にカサンドラは肩を跳ね上げた。


「いえ! 決してそのような事は……!

 わたくしの思い過ごしと分かり、安心いたしました!」


 小難しい顔をして真剣に考え込む王子を前に、ペコペコと頭を下げる。

 そもそも忙しなく動き回っている彼を捕まえて、何を言っているのだ自分は。


 恥じ入る気持ちが強すぎて、どんな顔をして彼の前に立てばいいのか分からない。

 心の中で一人ドンドンと地面を叩き続けるカサンドラだったけれども。

 


「カサンドラ嬢こそ、慣れない屋外の作業に土日駆り出されているのだからさぞかし疲れているのでは?

 今日は帰ったら早く休むと良い、君なら週末の勉強の遅れくらいすぐに取り戻せるよ」



 王子の澄み切った笑顔、そして優しい言葉に心の底から救われたような気持ちになる。 


「勿体ないお言葉、いたみいります」


「来週の催しさえ乗り切れば、しばらく大きな行事もない。

 ――そうだね、時間が出来たらまた一緒に街の様子を見て回りたいと思っているよ」


 恥ずかしさのあまり消え去りたいと俯いていたカサンドラだったが、いきなり王子に誘われてしまった。

 顔を明るく輝かせ、彼の顔を見上げる。

 その顔色の一瞬の変容たるや、自分でも現金なものだと突っ込みを入れたくなった。


 一緒にお出かけすることが出来るのだろうか、と。

 そんな誘いをしてもらえるのなら、衝動的なことではあったが彼を呼び止めたことが良い方向に転んだのだと救われる。


 いや、何故自分は彼の上着の裾など掴んでしまったのだろう。

 思い返しても自分の衝動性が怖い……!


「シリウスの話では、孤児院の子達がカサンドラ嬢やジェイクに来て欲しいと口々に言っているそうだから。

 心置きなくまた一緒に出掛けることが出来るよう、来週の大会は良いものにしたいものだね」


 キラキラキラ、と邪さの欠片もない微笑みを讃えられ、カサンドラはもう一度深々とお辞儀をした。



「はい、必ず!」

  


 威勢よく頷きつつ、またジェイクも一緒なのかという『いつもの』というワードが木枯らしと一緒に吹き抜けていった。

 しょうがない、彼はこの国で唯一の王位継承権を持つ王子様なのだから。




 自由に街内散策とはいかない、分かり切っている事だけどそれがとても歯がゆかった。 

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