第229話 裏事情?


「あ、カサンドラ様!

 何だかお久しぶりですね!」


 カサンドラと顔を合わせたリゼは、毎日顔を合わせているにも関わらず嬉々とした表情で声を弾ませた。


 それもそのはず、今二人が話をしているのは剣術講座に参加する女子だけが使える更衣室だからである。

 リゼには心配は要らないと判断してご無沙汰だったが、カサンドラも二学期に入って幾度か参加した。

 だが、最近毎日のように剣術講座を選択している彼女にはこうしてカサンドラと更衣室で会うたびに”久しぶり”という感覚に陥るらしかった。


 その度に彼女の上達ぶりに驚いているカサンドラである。


 もはや彼女を見て初心者だなんて言う人間は誰一人としていないだろう。

 本来なら別のグループに十分紛れ込めるだけの腕を持っているものの、教官のフランツとリゼの意向によって個別の指導を続けているわけだ。

 そもそも他の生徒はこんな風に個別に指導が行われていることさえ知らないだろう。

 リゼが講義、集まりに来ないからと言って訝しまれる状況ではなかった。


 彼女が特別に追加教官から指導を受けていると知っているのはジェシカやジェイク、そしてカサンドラくらいなものか。

 フランツが彼女の成長に頗る期待をかけているのを目の当たりにしているので、学園側から解雇されない限り彼はリゼの指導に当たるのだろう。


「ごきげんよう、リゼさん。今日も宜しくお願い致します」


 カサンドラはすっかり足元に及ばない、剣を触るどころか基礎トレーニングを未だにやらされる剣術講座。

 ここにこうして参加しようと決めたのには勿論訳がある。


 以前ジェイクに運動不足だと指摘を受けた事は根深くカサンドラも気にしているものの、今日はフランツにリゼの様子を聞きたいと思ったのだ。


 何せ、来週は待ちに待った運命の恋愛フラグイベントがやってくる。

 ここでリゼがその実力を遺憾なく発揮し、上位陣に食い込むことがジェイクルートでの必須条件と言える、攻略するなら絶対に避けては通れない。


 ここで逃しても来年チャレンジできるかも知れないが、このヤキモキした状態がまた一年続くのはリゼやカサンドラの精神衛生上宜しくない。

 せめてジェイクには”自覚”してもらわないと困る。

 ――彼にとっては地獄の窯の蓋を開けるに等しく、決して歓迎すべきことではないと分かっていても、その段階を踏まなければ彼はずっと今のままだ。

 不幸とは言い切れないが、幸せではない……はず。


 恋愛は一人だけで解決できる話ではない、相手があってのことだから。

 その俎上に乗せるためには、何が何でもこのイベントを達成して欲しいと半ば祈るような気持ちだ。


 少しでも現状を把握することで心を落ち着けようと、カサンドラは今わの際になって剣術講座を申請し、ここにいる。


 リゼはすっかり剣自体にハマってしまったらしく、フランツから専用の剣までもらったのだと言う。

 コツコツと着実に上達していくその根気や真面目さは流石だ。

 いくら練習すれば誰だって”それなり”まで上手くなると言ったところで、ここまで順調に伸びる存在も珍しいだろう。

 フランツがつい入れ込んでしまう理由もわからなくもない。


「あ、そうだ。カサンドラ様」


 しばらく雑談に興じていたが、時間直前になってリゼが何かに気づいたように顔を顰めた。

 しまったなぁ、という心の声が漏れて来そうだ。


「すみません、私この前ジェイク様と組手の約束をしたって言いましたよね」


「はい、伺いました」


 話の流れから察するに、一騎打ち――とはいかないまでも、互いに剣を合わせて実戦形式で訓練をすることだろうと推測できる。

 カサンドラには現状無縁の話でイメージがわかなかったが、間違った認識ではないだろう。


 素人のカサンドラが目を瞠るくらい上達したリゼ。更に、剣術大会を間近に控えたこの時期。

 実際にジェイクに挑んでもおかしくない頃だろう。

 組手とやらで一緒に訓練することは自然な流れではないか。


 何をそんなに渋面を作る必要があるのかとカサンドラは訝しむ。

 長い金の髪を無造作に一つに括り、動きやすいスタイルに着替えると首元が若干空気に触れて寒さを感じた。


「あの、その話はフランツさんには内緒でお願いできますか?」


「……はい、言うなと仰るのであれば敢えて申し上げることでもございませんが」


 ほーーっ、とリゼは胸を撫でおろす。


「良かったです。

 フランツさん、いくらお願いしてもジェイク様との組手は絶対駄目だの一点張りで! 全然話が通らないんですよ。

 駄目だしされてた頃より、ずっと自信がついたのに、許可が下りなかったんです。

 で、フランツさんには黙って訓練しようって話になったんですよね」


「何故フランツさんは反対されているのでしょう」


 理由がわからず首を横に捻るカサンドラ。


「最初は、私の剣筋が影響を受けるから駄目だって話だったんです。

 基礎も出来ていないのに、いきなり規格外の達人と渡り合えるわけもない。だから納得の話だったんですけど、もう十一月ですよ!?

 いい加減私も自分の型ってモノがありますし、一々他人の剣に影響を受けてガタガタになんかならないはずです!

 そもそも大会ではそんなこと言ってられないわけですし、私だってジェシカさん以外の剣士と組手がしたいです」


「ジェシカさんとは一緒に訓練されているんですね」


「はい、フランツさんからのお勧めで。

 剣筋や戦い方も似ているので勉強になるのは事実ですし」


 今までの相手がたまに顔を出すジェシカだけ、他の生徒と一切剣を合わせたこともないままぶっつけ本番で乗り込むのは確かに勇気がいることだろう。

 だからこそ、内緒の訓練――か。

 敢えて最も腕の立つ生徒との剣戟に慣れておくことで、予選で余裕も生まれるに相違ない。


 ふむふむ、とカサンドラは頷いた。

 フランツも心配性なのだろうな、と苦笑いを浮かべたくなる始末だ。唯一の教え子の女生徒、随分と過保護な指導を行っているではないか。


 でも教官には反対だと言われ許可が出ていないにも関わらず、二人で一緒に訓練する約束が出来ているなど凄い事だ。

 あの日、幸せな気持ちに水を差された――とリゼが言ったのもしょうがない事かも知れない。


「そろそろ時間ですね、行きましょうか」


 更衣室の壁掛け時計をチラと眺め、カサンドラは彼女を促す。

 リゼに起こった出来事は落ち込んだりめげてもしょうがないことの連続だったと思うのだ。


 でも不屈の精神と言うべきか、元々彼女は自分に自信があるのだろう。

 恋愛ごとに対する自信ではなく、自分の能力ちからに対する自信。

 それはコツコツ努力を重ねることだったり、根性論だったりするのかも知れないが。


 主人公だからトントン拍子に苦労知らずなんてありえない話だが、彼女の考え方や生き様はカサンドラも憧れるところがある。

 自分を信じるというのは、言うよりもずっとずっと難しいことだと思うから。




 ※




「今日は宜しくお願い致します」


 剣術の教官であるフランツを前に、カサンドラは頭を下げた。

 既にリゼは普段通りの準備運動ということで、身体を軽く動かした後運動場に向かって走り込みに出てしまった。

 ハッキリ言ってカサンドラにはついていくことなどできない、彼女の足手纏いにしかならないので見送るだけにとどめた。


 それに――出来ればフランツと話をするならリゼがいない方が望ましいので、愛想笑いを浮かべるフランツに言葉を続けることにしたのだ。


「実は折り入ってお聞きしたいことがあるのですが……」


「何でしょう?」


 カサンドラから個別に話があるなんて思ってもいなかったのか、フランツはかなり焦った様子で直立不動の態勢をとる。

 ロンバルドの中では比較的自由で、ジェイクにも軽口を叩けるレベルのオジサンなのだけれど。


 流石に今までろくに話をしたこともない、数度会っただけのようなカサンドラ。

 何故目を着けられたのか? と、ヒヤッとするのも致し方ないことだ。

 リゼに対する言葉使いとは全く違うものであるなど今に始まったことではない。


「来週、剣術大会が開催されますね。

 今生徒会の準備も大詰めと言うところなのですが」


「今年も大掛かりな事になりそうですねぇ。

 まぁジェイクもいますし、それなりに騎士団が目を掛けている生徒もいるそうですから盛況でしょう」


 カサンドラは顔だけ動かして、リゼが駆け去って行った運動場方向に視線を遣る。

 どれほど走るつもりかは分からないが、随分体力がついたものだ。


「彼女――リゼさんも大会にエントリーなさっていますね」


 男子生徒は全員参加する催しで、運動神経のない生徒はそれで苦々しい想いを抱えていることだろう。

 まぁ、前世の世界で言う体育祭のようなものと捉えれば良い。

 勉強だけではなく運動という分野でも目立って活躍する機会を得るために設けられた行事に違いない。

 文武両道の精神はこの世界でも健在だ。


 女子生徒で参加するのはリゼとジェシカだけ。

 ジェシカは最も凄腕のグループに属しているので予選を通過するまでもなく本選に出場することになっている。名簿で確認済だ。


「ええ、本人はそれを目標に今まで頑張って来たわけですからねぇ。

 いまからウキウキで待ち遠しい事でしょう」


「フランツさんの今までの経験上、リゼさんはどのあたりまで勝ち進むことが出来るか予想可能でしょうか?

 まさか本選に出られないなんてことは」


 あれだけモチベーション高く、ここまで修練を重ねて来た。

 本来得手ではない苦手分野に、ジェイクに近づきたいと言う一心で挑み続けていた彼女。

 もしも本人の期待に反して、他の男子生徒たちに後れを取って予選敗退なんてことになったら目も当てられない。


 だがそんなカサンドラの不安を一蹴するように、力強い口調でフランツは言った。


「それはないです、絶対に――ない!

 本選どころか……

 まぁ、良い順位を期待していいでしょう、真価を発揮できればの話ですが」

 

 澄ました顔をしているものの、手に汗握る緊張感を持って話しかけたのだ。

 だがフランツの真剣な表情、そしてニヤリと上げる口角が決してお世辞ではないのだと物語っている。


 その道のプロにこうまで言わしめる程、彼女は上達したのか。

 自分と同じか、それ以下の運動能力しか無かったあのリゼが。


 体力もなく、すぐに息を上げてその場に突っ伏していた彼女が――剣を掲げることも出来ずによろめいて倒れていた姿を思い出せば、この期間でどれほど努力を重ねたのだろうと胸が熱くなる。


「フランツさんに太鼓判を押して頂けるなんて、リゼさんは凄いですね。

 わたくしも彼女の活躍を期待しています」


 良かった、とじんわりと心の中に沁みていく安堵感。

 だがフランツは僅かに眉を顰め、軽く頭を横に振った。


「勿論心配な面もあるにはありますよ?

 アイツは、ジェシカ以外の生徒と剣を交えたことがない。

 それは試合において不利な部分だと思います」


「……何故、他の方達と……いいえ、弱みと分かっている部分を克服なさらなかったのですか?

 リゼさん自身はそれを望んでいるように感じましたが」


 険しい顔つきになり、彼はそれを隠すように分厚い片手で顔半分を覆った。

 苦悶でもあり、苦々しさが滲み渡る。


「仰る通り。

 そろそろ他の生徒と組手をさせてもいいかと思ったのですがね。

 話を聞きつけたジェイクがそれを許さなかった――という意味の分からん事情があって叶わなかったわけで。

 ……まぁ、私の方もあいつに個人的な事情があって組手の許可をしなかったっていう負い目もあってですね。

 本気で怒らせるわけにはいかず、言い分を呑むことに……


 カサンドラ様には全く関係のないこと、愚痴のようになって申し訳ない」


 彼は胸の裡に溜まっていた鬱憤をここぞとばかりに吐き出したかと思うと、自分でも言い過ぎたと思ったのだろう。

 後頭部を掻きながら「気にしないでください」と引き攣った笑みを浮かべる。



 ジェイクが他の生徒との組手を許さなかったというのは初耳だ。

 というかそれは矛盾した行動ではないか?


 これから大会で試合を行うにあたって、実戦形式で他の生徒と剣を打ち合うというのは素人から考えても効率的だと思う。

 その機会を摘み取って、一体何がしたいんだ?


 リゼの邪魔をしたいとしか思えない暴挙にカサンドラも混乱しかけた。


 今のフランツの言い草ではジェイクとリゼの組手を禁止する替わりに、リゼが他の生徒との実践演習をさせないなんて約束事があるようにしか思えない。


 ……ジェイクだってリゼの事を応援しているだろうに。

 その証拠に、フランツには内密に勝手に個人的な訓練をする話を持ちかけたではないか。

 きっと実戦経験の少ない彼女の不安を取り除くためという意味もあるだろうし、勝ち上がって欲しいと応援する気持ちはあるはずだ。


 では何故そんな行動に……


「あ。」


 カサンドラはある可能性に思い至って、思わず掌で口を覆った。


 

 大会にエントリーしている女子生徒はリゼとジェシカだけだ。

 それは裏を返せば、他に剣術の腕を磨いている生徒は皆男子であるということ。




”……俺は駄目なのに、何で他の奴なら良いんだ?”

 

 


 ジェイクなら不満に思って実際に言いそう。

 別に剣の相手くらい気にすることはないだろうとは思うが、リゼが言うには組手――演習というのは最初にした約束事でもあり結構拘っている事柄なのでは?

 フランツにも彼なりの思惑があって、それ・・は何としてでも阻止したい。

 ゆえに、現状が生み出された――という説は、案外間違っていないのでは?


 ジェシカなら良いって、リゼと仲が良いからとかそういう意味合いではなくて単に唯一の女子だからでは?


 果たして意識的なものか無意識的なものかは本人に聞いても分からない微妙な部分かもしれないが、彼の思考を推測するとそういう結論に落ち着いてしまった。

 何とも言えない気持ちになる。



「…………これ以上リゼに近づけるわけにはいかん。

 しょうがない、こればっかりは」



 そう唸るように、フランツは小声で呟く。



 一つだけ言えるのは、今のジェイクにとってリゼは”特別”な存在であるのだろう。

 自覚した時が彼の葛藤の始まりかも知れないが、ここまできたらのらりくらりとは交わせまい。









「……運動場外周、走り込み終わりましたー!」





 大変軽やかで、息切れさえしている様子のないリゼにおののくカサンドラ。


 今の会話など全く無かったことのように、フランツは片手を上げ、それに応えた。

 いつも通り――飄々とした笑顔で。










「俺はもう、…………なんて見たくない」



 


 彼の嘆息交じりの決意は、カサンドラの耳には届かない。

 冷たい風が場に吹き荒び、首を竦めた。


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