番外編 -ゼス-


 クローレス王国王立植物園管理人、彼の名をゼスと言う。


 珍しい植物を王宮の一角に収集するようになって数十年経つが、現在は彼がそれらのお世話をしている。

 薬草園も手入れの範疇だが、あちらは薬師たちの縄張りなので立ち入るのは結構気を遣う。


 がっしりとした体躯、隆々とした筋肉からちょっとイメージしづらいものの、花や樹々が大好きな心優しき青年だ。

 空色の髪を短く刈り上げ、首元には汗拭きようのタオルを巻きつける職人然とした姿の管理人。


 今日も今日とて植物園に生い茂る草花に声を掛けながら朝の日課、水やりを行っている時のことだ。

 誰かがこっそり植物園に入室してきたことに気づき、ゼスはジョウロを傾ける手を一旦もとの位置に戻す。

 王宮に勤める人間が皆が皆綺麗な花が好きというわけでもないが、悲しいことに価値のある金目の花を狙う輩も中に存在することも事実だ。


 希少な草花はそう簡単に売買できるものではないが、金持ちの好事家が盗品でも良いから蒐集を指示するケースに枚挙に暇はない。

 王宮内でも若干他区画とは外れた比較的警備の薄い植物園に狙いをつける賊でもいるのか、それとも……


「やぁ、ゼス。

 ――急に邪魔してすまない」


 警戒心を表情に乗せるゼスの視界に入って来た青年。

 彼はにっこりと微笑んで片手を挙げた。一目でわかる、王子だ。


 彼の姿にホッと胸を撫でおろすと同時に、今日は土曜日だったかと気づく。

 己の曜日感覚に苦笑した。

 曜日通りの休暇をもらっているわけではないので、ゼスは今が何曜日かというあまり意識した生活を送っていない。

 十日に一度、日付にゼロのつく日がゼスの休日。そこに曜日は一切関係ない。

 そのせいで、王子の訪問にこうして驚くことが多々あった。


「ああ、王子ですか。

 おはようございます、今日も晴れやかで良い朝ですね」


 釣られるように、にっこりとゼスも破顔した。

 彼が植物園を訪れてくれるのは嬉しいものだ。

 

 流石に今日は誰か他の人間を伴っているわけではなく、一人での訪問のようである。まぁ、年に何度も学友たちと植物園見学なんてしないだろう。


「ゼスに頼みがあって来たのだけど、時間はあるかな」


「畏まりました、こちらの花に水をあげてからでもいいでしょうか」


「そうか、では私も手伝おう」


 自国の王子に水やりを手伝わせるとは何事かという正論を吐く自分が脳裏にひょこっと生み出された。

 だが彼は止める暇も無く、水場の方から他のジョウロを取り出して既に水やりを手伝う気満々の様子である。


 それに、彼が植物好きであることはゼスも知っていることだ。

 たまにはそういう気分転換も必要なのだろうと自分に都合よく結論付け、それからしばらく彼と一緒に奥の区画まで一気に水をやり終えた。


 彼のお陰で随分早く終えることが出来た、素人が足を引っ張るどころか大変丁寧な仕事ぶりにゼスも目を瞠る。

 基本的にこの人は器用で、大抵の事は一度教われば身に着けることが出来るのだと自然に思える。呑み込みが早いともいうのか。


 今はただの花壇や植え込みの水やりだが、この調子だと少し教えれば剪定だの花ガラ摘みまで淡々とスマートにこなしてみせるのだろう。


 王子とともに午前の水やりを終えた後、彼に振り返る。

 平日は学園で学生として過ごしている王子も、休みの日となるとこうして王宮に通って実務の勉強をすることになっている。

 二足の草鞋わらじを穿いているのは王子だけではないとはいえ、かなりハードな毎日であることに変わりはない。


 休日という概念の存在しない王子が、今まで体調一つ崩す事無く今まで健康に過ごせていることが凄いとさえ思う。


「ところで王子、私に何の御用でしょう?」


 ゼスに頼みがあると王子は言っていた。

 勿論彼のいう事は頼まれずとも誠心誠意尽くすのが自分の役目ではあるのだが。

 だが今までも用事を頼まれることはあれども、彼に命令されたことは今まで一度もなかった。

 

「ああ、……実は、ジェイクが良く分からない事をカサンドラ嬢に依頼したと聞き及んでね。

 私としても心苦しく、何か出来ることはないかと考えているところなんだ」


「はぁ……ジェイク様、ですか?」


 それは言わずと知れた王子の親友の一人、大将軍ダグラスのご子息様だ。

 彼については自分よりも当然王子の方が詳しく、以前学友を伴って大人数で見学に訪れた時に初めて実物を見た程度の関わりの薄い御仁である。

 騎士団と場所が離れているという事情もあるが、騎士団特有の物々しい雰囲気にはどうにも気後れしてしまう。


 王子が言うには、そのジェイクがひょんなことからカサンドラに対し、精巧な蜘蛛の模型を調達するように依頼をしたらしいのだ。

 果たして何に使うのかカサンドラ自身も判然としていないのだとか。


 蜘蛛? ……何だそれ?

 意味の分からなさ加減に、ぽかんと口を半開きにしてしまった。


「この間会った時に、膝の上に図鑑を乗せて蜘蛛のページをじっと見ていたから何事かと」


 彼は困ったように笑う。

 カサンドラは王子の婚約者、城内での評判は良いとは言えない地方貴族のお嬢様だ。

 彼女と会ったことのあるゼスは、ふっと脳裏に姿を呼び起こす。

 確かにちょっと釣り目で気の強そうな顔の美人さんだという印象は受けたのだけど。実際は礼儀正しく控えめで、中々人柄の良いお嬢さんに思えた。

 人の噂とはあてにならないものだと驚いたのも記憶に新しい。


「まさかカサンドラ様、ご自分でお作りになるつもりなんですか?」


「……そうだとすると、かなり申し訳ない事態だ」


 あんな良家の出のお嬢さんが四苦八苦することでもなかろうが、図鑑まで持ち出して調べ込むとはこれは真剣に自分の手で依頼をこなすつもりなのだろう。

 ゼスの表情も少し引きつってしまった。


「そこで、もしもカサンドラ嬢が上手く制作できないようなら、私も手伝おうかと思っていてね。

 だが何分、私も工作は専門ではない」


「それはそうでしょうね」


 自国の王子に昆虫の玩具を作らせて加工技術を上げさせるような真似を強いるなんて、お偉いさんも無駄なことはしないだろう。


「ゼスは手先も器用だろう?

 私も試しに制作してみようかと思ったのだけど、何から始めていいのかも判然としない。是非アドバイスが欲しいんだ」


「はぁ……

 蜘蛛ですか」


 ゼスは植物園にずっと務めている。

 植物ということは、虫とは切っても切れない縁があるということだ、特に蜘蛛はその類だろう。

 幸い蜘蛛は言う程気味が悪いものとは思っておらず、ゼスにとってはむしろ益虫とも言える存在だ。無論、蜘蛛の巣を張られるのは外観上問題があるので、見つけ次第払いのけはするけれど。

 実物を見た頻度は数知れず、彼が言う通り手先の器用さには自信がある。


「アドバイスは可能ですが、いきなり実物大の蜘蛛を制作するのは敷居が高いのではないでしょうか。

 何でしたら、私が代わりに制作いたしますよ」


「いや、流石に私の気が咎めるから自分でやるよ。

 ジェイクが何に使うかも知れない以上、ゼスを巻き込むようなことがあっては私も困る」


「はは、一体どんなことがあったら私が巻き込まれるって言うんですか? たかが蜘蛛の玩具じゃないですか」


 おかしなことを言うものだとゼスは肩を竦めてオーバーなリアクションで笑った。

 だが王子は真剣に考え込む。


「例えば、ジェイクが悪戯で騎士団の誰かを驚かそうなんて考えている可能性。

 ――もしもその対象が、ダグラス将軍であったとしたら……」


 サァァァ、とゼスの顔から血の気が引いた。

 実際に何に使うか分からないということは、何に使われてもおかしくないということ。

 傍から聞いていればありえないようなことでも、可能性を考えれば背筋が戦慄く。

 特にジェイクとダグラス将軍の不仲は知っている人は知っている話で、特にジェイクの毛嫌いぶりは凄いのだと王子との会話から察せるくらいだった。

 

 子供じみた悪戯だが無いとは言い切れない、もしも将軍が本気で怒った時には下手したらゼスに累が及びかねないと彼は心配しているのだと推測された。


「作った人間が私やカサンドラ嬢だと知れれば怒りの矛先はジェイク一人に向かうかもしれないけれど。

 変な事にゼスを巻き込みたくはない」


 アドバイスくらいならゼスも何かが起こった時に負い目を抱かなくても済むだろう、というのが王子の言い分である。

 まぁ、ゼスだって御三家界隈の厄介事に喜んで首を突っ込みたいわけではない。


「承知いたしました。

 私も工作物でしたら手すさびにいくつか作ったこともございます、お任せください。

 王子、最初はもう少し大きくて作成しやすい虫で練習してみませんか?」


 実物大の蜘蛛はせいぜい二センチかそこらだ。それでも大きいサイズ。

 いきなりそんな小さなフォルムを正確に作れと言っても経験のない人には難しいだろう。

 もう少し誰から見ても特徴が分かりやすく、加工しやすく、練習に作っていて楽しい虫を作ってはどうかと王子に提案したのだ。


「別の虫から練習を始めるのは迂遠な方法ではないかな?

 難しいなら、実物より大きなものを作ってそれを縮小させて作る練習の方が」


「王子。

 練習とは言え――掌サイズの蜘蛛の模型なんか作ってどうするおつもりですか?」


「……。」


 彼は少し想像したらしい。

 作っていて楽しいものではないだろう、何倍ものスケールの虫の模型のことをイメージした後、「ゼスに任せる」という言質を頂戴したのである。




 ※




 とりあえず仕事が残っていると執務室に向かった王子のために、ゼスは城中を走り回って材料を調達した。

 特に衣装係、針子達から要らない端切れや糸、城内の修繕係からは工作に使用する道具類や針金、宮廷絵師からは絵具に使うものを一式借りて来た。

 仲の良い庭師から綿や使えそうなガラクタを譲ってもらい、それらを箱に入れてゼスは王子のいる部屋へと急いだ。



「随分と本格的だね」



 彼は背の低いテーブルの上に並べられた道具や材料を眺めて感心した声をあげる。

 来客が来た時に使用するソファとセットの樫作りのテーブルの上には所狭しと端切れや針金、接着用の工具液などが並んでいる。


「色々掻き集めて来ましたが、まずはこれらの使用感などを手に馴染ませるために――蝶々を作ってみましょうか」


「蝶?」


「はい」


 ゼスは頷いた。

 小さな蜘蛛は、パッと見て蜘蛛だと識別できる精巧なものを作るのは難しいだろう。下手に特徴を掴まず適当に作れば蟻だかなんだかわからない黒い物体が出来る事請け合いだ。

 その点、蝶はフォルムも特徴的。

 羽や触覚さえあれば誰が見ても一発で蝶と認識できる。


「こんな感じで……こちらに王子が羽を貼ってみてください」


 ゼスが針金を使って蝶の羽の形をサッと作る。

 それに自身で切った布やフィルムなどを貼り合わせて本物感を出すように王子に言うと、彼は頭の中に蝶のイメージを浮かべながら彼なりの色使いで蝶の羽を制作していく。


 その間もゼスは針金に色を塗ったり、形を作ったり、紐を使って蝶の胴体を作ったりと制作を楽しんでいた。

 まるで童心に帰ったかのように、互いに向かい合ってソファに座り黙々と蝶の模型を作り続ける姿は――周囲から見れば異様な光景に見えたかもしれない。






「……こんなものかな。ゼス、どうだろうか」


 ようやく一匹目を作り終わった王子は、掌の上に蝶の羽を乗せてこちらにずいっと寄せて来た。

 その羽を抓み上げ……


「王子、この角が不自然ですよ。

 もう少し針金が見えないように加工してください」


 容赦なくそう指摘すると、王子は眉根を寄せて自分が作成したものを再度まじまじと見つめる。

 そして「もう一つ貼ってみる」と新たな材料に鋏を入れながら、大層真剣な表情で作業に戻った。




 更に時間が経過した頃、執務室の扉を叩く音が耳に届く。

 しーんと静まり返った室内には余りにも重たい音だ。



 「アーサー、入るぞ」と全く在室中の王子の返答を待つことなく一方的に扉を開けて入って来た男性の姿。その人影を見てゼスは息が止まるかと思った。


「ああ、シリウスか」


 なんてことのないような声で、でも手許は繊細な動作に気を払いつつ王子はそう呟いた。

 王子の親友の一人だが、この歳に似合わず落ち着き払った無感動な青年、クールと言えば聞こえはいいがとにかくとっつきづらくて話しかけづらいシリウス。

 場所が己の管轄の植物園内ならともかく、王子の執務室に陣取って何やら怪しげなことをしている姿を見られてしまったのだ。

 彼の黒い瞳にギロッと睨まれて悲鳴を押し殺す。


「お前、一体何を遊んでいるんだ! この忙しい時に!」


 当然のように彼は怒った。

 ここは王子の執務室、彼に任せられた諸案件を片付ける神聖な仕事場である。

 そこで大の大人が二人額を突きつけ合うように黙々と俯いて何かを作っている姿など、到底許容できたものではなかったのだろう。


「も、申し訳ありません!」


 瞬時に立ち上がり、ゼスは平身低頭でシリウスに謝罪の言葉を向けていたのだが。


 不審そうな顔で苛立ちを隠さないシリウスが、ずかずかとテーブルに近寄って来る。

 本来ならゼスの方が彼の頭二つ分は背が高く体格もいいのに、こちらが縮こまってしまって大人と子供のような関係に逆転してしまった。


「ああ、今ちょっとした用で作り物をしているんだ。

 シリウス、良かったら君も一緒に作ってみないか?」


 王子は泰然とした様子を崩さず、にっこりといつものスマイルを友人に向ける。



「――はあ?」



 全く動じない王子の様子を目の当たりにし、シリウスも眉間に皺を寄せて不機嫌を隠さない顔で睨みつけて来たのである。

 バシン、とアーサーの執務机の上に書類を叩き置きながら。




 ※




 それから一時間後。




「……くそっ……

 なんだこれは、つい没入しハマってしまう……!」



 シリウスも王子の横に座って、一緒に蝶の玩具を作っていた。

 彼もそこそこ手先が器用で、最初はもたついていたもののすっかり慣れてすいすいと端切れを羽の形に切り取り、綺麗に貼り付け――

 最初は慣れるためにとゼスが予め針金で形を作っていたが、それさえ必要がなくなるくらい綺麗な蝶を作り出している。


 そのテキパキ器用に動く手先とは裏腹に、彼は苛立ちを脳天から噴き出しているようだった。

 ミイラ取りがミイラに、というのは正確ではないがすっかり彼も無心で工作を続け、時間さえ忘れていたように見受けられる。


「流石シリウス、君も大概器用だね」


「やかましい。

 ……全く、こんなことをしている場合ではないというのに」


 

 意外や意外、あの偏屈で嫌味な宰相の息子とは思えない程、シリウスは大変付き合いが良い男性であった。

 最初は激昂していたものの、黙々と作業に入る彼の真剣な姿にゼスは何度目を疑ったことだろう。


 以前も彼に似合わず花冠を上手に作っていたなということを思い出すが、こういう細かい作業に向いているのかも知れない。



「要らないところで時間を食ってしまった。

 アーサー、夕方までにはさっきの資料に目を通しておいてくれ」


 そう言いながら、彼はうんざりとした顔で立ち上がる。

 無駄な時間を過ごしてしまった――と言いたげなその苦々しい顔。

 再びゼスは膝をついて赦しを請おうとしたが、王子はやんわりとその動きを制止した。


「分かっているよ。

 ……これ、折角君が作ったものだ、お土産に持って帰ってはどうかな」


 王子はシリウスの座っていたソファの正面、彼が黙々と作っていた数羽の蝶の模型を手に取る。

 そして全く他意のない、にこやかな表情で彼にそっと差し向けた。


 数拍躊躇った後、彼は大きな吐息を一つ落とす。

 不承不承、と言った様子で先ほどまで自身が熱心に作っていた蝶の玩具を掴み取ったのだ。


 眼鏡の奥の彼の目は、何とも言えない苦々しさに満ちてはいたけれど。

 握りしめたそれを薙ぎ払ったり叩きつけたりしないだけ、制作物に愛着が沸いたのかも知れない。


 ふん、と小さく鼻を鳴らしてシリウスは王子の執務室を出て行った。

 ぶつぶつと小声で文句をいう彼も、実際に作業に没頭してしまった手前表立って抗議はしない方針のようだ。


 本当にあの宰相の子かと空目するくらい、可愛い一面もあったものだとゼスは驚く。



「もう少し練習した後、本番に挑戦してみよう」



 王子は機嫌よくそう呟きながら、再び接着液の入った器に指先を伸ばした。




「あまり根を詰め過ぎませんよう。

 ほどほどにしてくださいね」



 王子は見た目通りの完璧主義者に違いない。

 一つ作ってはそれが納得できないと言わんばかりに、もう一回と模型を積み重ねていく。

 これではいつまで経っても本番にはたどり着けそうもないと、ゼスは苦笑しながら彼の真剣な様子に見入っていたのである。




 やれやれ。





  テーブルの上に舞う色とりどりの蝶々、これを一体王子はどうすることやら。



 まぁ、これだけ丁寧に作った模型なら――

 是非とも植物園に飾らせてもらおう。

 そうだ。

 この気温でも咲く花の傍に置けば、訪れた人は季節外れの虫の存在に驚くに違いない。




 ゼスは華やかに彩られた景色を想像し、一人頬を緩ませてはほくほくと笑顔を作っていた。

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