第224話 絶句した
特にカサンドラに関わりがある一日ではないが、今日はラルフの誕生日である。
一学期にあったジェイクの誕生日でもそうだったように、恐らくレンドールの実家から父の名でヴァイル家に贈り物を贈っているはずだ。
そういう社交儀礼に関しては、相手が中央貴族だろうが地方貴族だろうが抜かりなく対応するのが父である。
少なくとも御三家周りのイベントで不興を買うような隙を見せる人ではない。
勿論他の令嬢も同じで、特にヴァイル派だと認識されている家のお嬢さんは親がそれなりに見栄えのする贈り物をヴァイル公爵家に貢いでいるはずである。
だが誕生日は、ラルフ本人への数少ないアピールチャンスである。
例え本人に直接渡すことが出来なくとも、熱烈な文章を認めた手紙を添えたプレゼントを持って登校する姿が散見された。
外野から見ていると面白いもので、ヴァイル派以外のお嬢さんがプレゼント箱を持っていない。
行動が統一化されていて、持っている人は皆ヴァイル派に所属するのだなあ、と一発で視認出来る状態だ。
例え婚約者がいる人だろうが、身分が低い末端貴族のお嬢さんだろうが、とにかくラルフに心づくしの品を渡すのが当たり前と言った様子で持ち込んでいる。
凄い様相だな、と苦笑せざるを得ない。
今は彼らの本家で学園に通うご息女がいないけれども、もしも通っている時代なら逆に男子生徒がプレゼントを抱えて長蛇の列を作っていたのだろうと思われる。
とにもかくにも、社交辞令や礼儀という意味だけではなく個人的な好意を籠めてプレゼントを持ってきている女生徒もさぞや多い事だろう。
財力にものを言わせ、とんでもない高額な贈り物を持ってきたお嬢さんだって多いはずだ。
そんな中、一体リタは彼に何を贈るつもりなのか?
カサンドラもずっと気にはなっていた。
贈りものをどうするかの相談を幾度か受けたけれど、結局何を選んだのかは分からない。
今日、彼女はどうするのだろう。
果たしてちゃんと選べ、持ってこれたのだろうか。
リタは大勢のお嬢様、お姉さま達に気後れを感じ人の目を気にするようなところがある。
皆と足並みをそろえるように、持ってきたプレゼントを抱えて列に並んで納めるのだろうか。それではラルフにその他大勢の貢物と全く気に留めてもらえないかもしれない。
手渡しなどと言うスタンドプレーをするような性格ではない気がするが、リタの行動の一切が読めないカサンドラであった。
※
さて。
リタと一緒に登校し始めていたというのに、どんな魔法が起こったのだろうか――
今、カサンドラの隣には王子が苦笑を浮かべたままそこに立っているのである。
「……行ってしまったね」
リタとジェイクが風のように校舎へと先んじて去っていく様子をポカンと眺めていた。
よくもまあ、ロンバルドのお坊ちゃんに話しかけて掴みかかるような真似をしたものだ、と半ば感心してしまう。
いくら自身にある程度好意的な相手だとしても、中々出来る事ではない。
それほど切羽詰まった相談事がリタに……?
恐らくラルフの誕生日プレゼントについての相談な気がするが、かなり強引だったなぁ、とカサンドラも唖然とするばかりだ。ジェイクに縋らなければいけない程、彼女も追い詰められているのか。
もっとこちらから、強引にでも相談をしてもらえるよう仕向けるべきだったのだろうかと後悔した。
だがジェイクと一緒に去って行った後、時すでに遅しだ。
「はい。
一体何だったのでしょう」
狐につままれたような顔をしていたのは王子もカサンドラも一緒だった。
だがすぐに我に還って、現状を把握する。
ジェイクは『アーサーのことを宜しく』なんて手を振って先を急いだわけだが、それはとりもなおさず――
王子と二人で教室まで登校できる、ということではないだろうか!?
重大事項に気づき、ドキッと心臓が大きく高鳴る。
少し前に王子と二人で下校するというミラクルを体験したのだが、今度は二人で登校できる機会が訪れたわけで。
教室までたった五分もない道のりが、キラキラと光り輝く虹の橋に見えて来た。
だが周囲の生徒達の目もある。
あまりに浮足立っている姿を見られるわけにもいかなかった。
――王子の婚約者という立場であるにも関わらず、一緒に歩いているだけで感動に震え、変な顔している……! なんて噂が流れてしまっては、実は仲が良くないのではないか? と、疑問視されてしまう。
不仲説が流れるのは立場上不味い。
実際、自分と王子は皆が想像するような親密な間柄というわけではない。
だからこそ、それを気取られぬように一角の婚約者らしい立ち居振る舞いを求められているのだ。
ここは動揺を何とか押し隠して行動しなくては。
「それでは王子、教室まで向かいましょう。
ジェイク様も仰っておいででしたが、僅かな道のりとは雖も――わたくし全身全霊を以て王子の盾となる所存です!」
普段王子が彼らと一緒に登校しているのは、仲が良い幼馴染だからという理由だけではない。
シリウスは有能な魔道士だし、ジェイクは言わずもがなの現役騎士だし、ラルフも魔法も剣も人並み以上に扱える人だ。
王子が気兼ねなく行動できるよう、護衛の役目も兼ねて同行している。
もしも彼らがいなければ、こんな僅かな通学路さえも彼は物々しい騎士達に囲まれて登下校しなければいけなくなるだろう。
次期国王様という不自由な立場に置かれているが、中でもとりわけジェイクは王子にとってとてもありがたい存在なのではないか。
言い方は悪いが、凄く便利だ。彼一人で外出時の王子の護衛役を請け負えるというのは、なんだかんだで凄い事だとも思うし。
そんな彼が”アーサーを宜しく”と曲がりなりにもカサンドラに言い置いて任せてくれたのだから、これは気合を入れ直さなくては。
「……そんな機会はないからね?」
彼は苦笑に苦笑を重ねると言うか、今にも肩を竦めそうな声音でそう呟いた。
そして学生鞄を握り直し、カサンドラに微笑みかける。
爽やかな朝の陽射し、秋の清涼な風が合わさって一層彼が眩しく煌めいて見えてしょうがない。
「立ち話をする場所ではないね、さぁ、教室に急ごう」
彼に先を促され、王子と並んで並木道を歩く。
半年以上通い続けた見慣れた景色も、王子が隣にいて一緒に歩いているというだけで特別素晴らしいものに見えてしょうがない。
ひらひらと舞い落ちる紅い落ち葉さえも、邪魔なものではなく風流な光景に感じられるのだから人間の主観とは勝手なものだ。
「そういえば、ジェイクに見せてもらったのだけど。
カサンドラ嬢は随分手先が器用なんだね、驚いたよ」
並んで登校する喜びを人知れず心の中で噛みしめていたカサンドラ。
そんなほわほわとした幸せを割り尽くすかのような破壊力の籠った台詞が横から届く。
ぎょっとした顔で、カサンドラは王子の横顔に視線を向けた。
「え、ええと……
あれはわたくしが制作したものではないのです……!」
あんな精巧な蜘蛛の玩具など自分が造れるはずもない。
義弟渾身の作品を褒めてくれるのは有り難いが、制作者に錯誤があっても困る。
カサンドラは彼の言葉に頭を横に振って否定した。
「ああ、そうなんだね。
ジェイクがあまりにも本物そっくりだと自慢していたから、昨日手許にあるものを見せてもらったのだけど……。
実物と見紛うばかりのクオリティで感心したよ」
「あちらは家の者に作成してもらいました。
わたくしも箱の中を覗くことを躊躇うほどに真に迫った作品だったことは確かです」
「成程、器用な人が身近にいたんだね。
カサンドラ嬢が困っているなら手伝いたいと、見よう見まねで練習をしていたんだけど……その必要は無かったと思ったよ。
――ああ、これは先週、工作の練習用に作成したものなのだけど」
王子はそう言って、制服の上着のポケットに手を入れる。
そして――カサンドラに、”何か”をそっと渡してきたのだ。
話の流れ上、まさか王子も蜘蛛の玩具を作って来たのかと顔が青ざめかけた。
それは畏れ多い事でもあったし、反射的に差し出した掌の上に模型とは言え虫が乗ると想像したら背筋がぞわっとしてしまったからだ。
さりとて彼が笑顔で渡してくれるものを受け取らないなんて。
それも自分が悩んでいた案件を手伝ってくれようとしていた彼の優しさの象徴を払いのけるなど出来ない……!
恐る恐る、掌に乗せられた”練習用”の虫の模型を視界に入れる。
カサンドラの翡翠色の双眸が映すのは毒々しい色の虫の模型……というわけではなかった。
「まぁ、蝶々!」
全く予想外に、カサンドラの掌に乗っていたのは柔らかな黄色でデザインされた本物に良く似た蝶の模型だった。
流石にこの季節に蝶が飛んでいるわけもないので偽物であることは一目瞭然。
しかしアレクが作成したものにクオリティは及ばないとはいえ、これまた器用な出来栄えではないか。
ハッと目を覚ました蝶がひらひらと本当に遠くへ飛んで行ってしまいそう、そんな軽やかさも表現できている。
王子は手先も器用なのかと、改めて彼のポテンシャルの高さに驚かされる。
「いきなり蜘蛛のような小さいものを作るのは難しいと思って、まず練習用に作ってみたのは良いけれど……
失敗作も合わせたら、執務室に何匹も蝶が集まってしまった。
こんなものをもらっても困るかも知れないけれど、良かったら受け取ってくれないだろうか?」
「あ……ありがとうございます……!」
季節外れの黄色い蝶々。
それは服飾の飾りに使うにはあまりにも実物に寄り過ぎたフォルムで違和感があるが、部屋の中に飾る分には丁度良い。
特に生花を活けていある花瓶の傍に置く光景は、イメージすると大層微笑ましいものだった。
何より!
王子がわざわざカサンドラが困っているのではないかと思って、貴重な休みの時間を工作の練習に当ててくれたなんて。
その優しさが、今のカサンドラには嬉しすぎる。
「本当に、同じ虫でも蝶の方がこんなにも綺麗で素敵に思えます。
ジェイク様は何故蜘蛛の玩具などを要したのでしょうね?」
考えても仕方ない事だが、どうせ虫の玩具を作るならあまり皆が良い顔をしないだろう種類の虫を選ばなくても良かっただろうに。
王子が作成してくれたこの蝶々なら、箱の中に何匹並んでいても綺麗だと素直に思えるのに……
すると王子は「ああ……」と苦々しく思いながらも、笑みを浮かべるのだ。
「ジェイクに何に使うつもりか聞いてみたけど、やっぱりリゼ君関係の話だったよ。
彼女が突然、蜘蛛嫌いをどうにかしたいと言い出したらしくて」
「えっ」
思わぬ解答を突きつけられ、カサンドラは絶句した。
「リゼ君の、虫――蜘蛛嫌いの克服用に渡すのだと……ジェイクは言っていたよ……」
王子もつい笑顔を失し、真顔になって淡々とした口調になるくらい彼の思考回路に呆れてしまっているようだ。
ああ、これが遠い目をするって言うんだな、と思った。
そもそも気になる女の子に渡すものじゃないだろう、など王子も内心で言いたいことが色々渦巻いていたに違いない。
その状況が手に取るようにわかる……!
「そ、そうだったのですか……」
昨日は月曜日だし、リゼと二人きりになる機会もあったはず。
意気揚々と蜘蛛の模型を持って、放課後生徒会室に向かったに違いない。
……え? ということは――あの模型、本当にリゼにあげちゃったの?
本気で!?
もはや嫌がらせの領域ではないかと思ったが、ジェイクはジェイクで本心から協力を申し出ているのだろうから始末に負えない。
「君が用意した玩具、彼女に対してかなり効果があったとか。
ジェイク本人は朝から上機嫌だったけれどね……」
確かにさっき、リタに声を掛けて来たジェイクの顔はかなり機嫌が良さそうに見えた。朝から良い事でもあったのか? と不思議に思っていたのだが、なるほど。
王子は更に言葉を続けた。
その苦み成分をその声に多分に含ませながら。
「でも渡されたリゼ君は、決して良い気持ちはしなかっただろうね。克服と言ったって、苦手なものは苦手だろうし……
大変申し訳ないから、同じものを用意して渡す必要はないと念押ししておいたよ。
カサンドラ嬢も、あんな依頼をまた出されても困るだろう?」
あげたのか……
あの、見ているだけでごそごそ蠢きそうなあの模型を、虫嫌いのリゼにあげたのか……
つい、額を覆いたくなる。
リゼの胸中を思うと居たたまれず、何とも言えない気持ちだ。
カサンドラは王子にもらった綺麗な黄色い蝶々の工作品をそっと掌で握りしめながら、名状しがたい感情に支配される。
自分だって、もしもこうして王子に渡されたものが苦手な虫の模型だったと想像したらやりきれない。
リタの事も気になるが、リゼの現在の心境を想像すると何とも複雑な気持ちに襲われる。
緑色の目を細め、カサンドラは王子と共に校舎の中へと入って行った。
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