第223話 <リタ>


 ――今日はラルフの誕生日である。


 リタはそのことについて先週からずっと頭を悩ませていたのだが……


 昨夜眠る前、やっぱり”そうしよう”と決めたことがあった。

 『これ』は自分が持っていて良いものではないのではないか? と。

 そう思えてしょうがなかったから。


 彼の演奏を目の前で聴いて、猶更思った。





   これは、本来彼が持つべきものではないのか。

   己の手に余る。





 ※




 今日も朝陽が眩しい。

 しかもラルフの誕生日ということで、リゼもリナも気を利かせてくれたのか先に登校してしまった。

 いや、前回ジェイクの誕生日の時にリゼがプレゼントを渡しやすいようにと先に教室に向かったのは誰あろうリタで、自分だった。きっとリゼもそれに倣ったのだろう。

 実際、その立場になって只管ひたすら思う。


 ――相談相手もおらず、超・心細いです。



 自分の行いがこんな風にダイレクトに跳ね返ってくるとは……



 ラルフへ渡したいものはあるのだが、アレを直接学園に持ち込むのも憚られる。

 それにきっと、彼への誕生日プレゼントはどこかの教室を丸ごと使ってそこで一律管理されるものと思われた。

 ジェイクの誕生日、七月がそうであったように。

 彼に直接手渡せば周囲の不興を買うだろうし、ラルフも受け取れないのに、と困るに違いない。


 ……他の女子達と彼への想いが特別だ、だから直接手渡したい、なんて烏滸がましいことは考えていない。

 ただ、あれは……

 あのヴァイオリンは、そんな風にその他大勢の中にひっそりと紛れて一緒くたにされていいものではない。リタは特別ではないが、あのヴァイオリンは『特別』だ。

 かと言って直接渡す手段などないので、リタはずっと悩みに悩んでいた。


 リゼもどうやって渡すか悩みつつも、あっさりとそのハードルをクリアして手渡してのけたのだから流石と言わざるを得ない。

 だがモノが違う。

 一抱えもある目立つ黒箱を誰にも知られずに渡すなど出来るわけがないではないか。


 そんな悩みを抱えながら学園外門をくぐると、すぐ目の前にカサンドラの後姿を発見した。

 相変わらず周囲の視線を浴びる目立つ存在なのだが、彼女に直接話しかける女生徒はいない。

 一見すると他人を寄せ付けないような綺麗すぎる雰囲気のせいだろうか、デイジーでもいれば別だが今日は傍に姿が見えなかった。


「カサンドラ様、おはようございます!」


「ごきげんよう、リタさん」


 彼女はこちらの挨拶に立ち止まって答え、にっこりと微笑んだ。

 朝から煌びやかというか華麗というか、この『ごきげんよう』の挨拶が学園で最も似合う人なのではないかとリタは思っている。


「今日はラルフ様のお誕生日ですね」


 並んで歩き始め、そう言われるとギクッと肩が跳ねあがる。

 一体どうやって彼に直接渡せばいいのか分からない。

 現物も手に持ってふらふら歩き回れる大きさのものではなく、渡すモノのない手ぶら状態と言っていい。


 ラルフにプレゼントを渡すのだ、という意気込みの女生徒の中には大きなプレゼント箱を抱えて登校する姿も散見された。

 自分もそうすればよかったかと焦るが、それではラルフにもヴァイオリンにも失礼に思えて気が進まない。


 カサンドラは特に何を渡すのかなど聞いてこなかったが、言葉の端々に気遣いやエールを入れてくれる。

 彼女の期待に応えるためにも、何とか彼に直接渡してみたい。


 そんな風に悶々とした思いを抱えていると、カサンドラと並んで歩くリタに声を掛けてくる男子生徒がいた。


「よう、リタ。カサンドラも」


 朝から機嫌の良さそうな声とともに、ジェイクが片手を挙げて名を呼んできた。

 それはすごく目立つ行為なのでリタからすればヒッ、と肩を窄めたくなる状況なのだが。

 幸い、隣にカサンドラがいてくれるお陰で周囲の攻撃的な視線からは免れている気がする。


「あ、おはようございます。ジェイク様……」


「二人とも、おはよう」


 大柄なジェイクの後ろにいたので視線を遮られていたが、同行していた生徒も自分達に声を掛けて来た。

 一体誰だろうかと目を凝らすまでもない。


「お、おおお王子!?

 おはようございます……?」



 いきなり朝から燦然と眩いばかりの美男子オーラを前身に浴び、リタはその神々しさに蒸発する寸前だった。

 いつもと変わらぬ優しげな微笑みを讃え、白い歯を覗かせてくるアーサー王子の姿に目を覆いたくなる。


「王子、本日はラルフ様とシリウス様とは同行されていないのですね」


 カサンドラも少し驚いたように声を出す。


 馬車登校組のカサンドラと、男子寮から徒歩で登校の王子達とでは中々タイミングや時間帯が合わないのか、一緒に登下校する姿を見たことは無かった。


 言われてみれば、とリタもきょろきょろと周囲を見渡したが、登校途中の並木道で話しかけてきたのはジェイクと王子だけだ。

 いつも四人一緒に登校しているイメージがあったがそうではないようだ。

 まぁ、自分達三つ子も三人で登校していない時も多々あるが別登校だと”珍しい”と言われることがあるのと同じ状況かもしれない。


「二人は用事があって先に出ているよ」


 王子は爽やかな笑みとともにやんわりとそう答えた。


 何となく、流れで一緒に教室まで行くことになりそうだ。

 話しかけられた以上、ここで手を振って別行動する意味もないだろうし。


 ああ、ここにラルフがいてくれたら……

 と内心でちょっとがっかりしたが、こちらの都合ばかりを押し付けるわけにもいかない。


 彼らの中で結構気さくに誰にでも話しかけてくれるのがジェイクである。

 そもそもジェイクがいなかったら声を掛けられることもなかったのだろうし。

 そう思いつつ、彼の顔を見上げた瞬間。

 


 ――あっ、そうだ。



 落雷をその身に受けた、そんな衝撃を受ける。

 つんのめり慌て、リタはジェイクの腕を勢いに任せてガシッと掴んだ。


「ジェイク様! 折り入ってご相談があるのですが!」


 恐らく今の自分の顔は鬼気迫るものがあったのだろう。

 彼はぎょっと表情を強張らせ「お、おう……?」と良いのだか悪いのだか茫洋とした反応を返した。


「……相談って……ま、別に良いけど。

 じゃあカサンドラ、何かこいつが俺に用があるらしいし、アーサーの事宜しく頼むな」


 リタの奇行に虚を突かれ、ぽかんと様子を見ていた二人。

 そんな二人を並木道の途中に残し、ジェイクは逆にリタを引きずる勢いで――校舎の中へと歩みを速めたのである。


 教室とは別反対の医務室がある方角に向かって歩きつつ、リタは自分がとんでもないことをしたのではないかと気づいておののいた。

 自分から言い出しておいて覚悟が足りないというか、いくらなんでもジェイクを文字通り捕まえて相談に乗ってもらうとかどういう料簡なのだ。


 ……だが、今の自分には彼くらいしか相談に乗ってくれそうな相手がいない。

 今まで十分に手間や世話をかけてきたカサンドラに、これ以上の自分勝手な相談をするのは気が引けたのである。


 医務室と生徒会室を挟む位置、西奥の中庭に辿り着いてようやく腕をパッと離された。

 その体格に見合った握力で捕まれた手首が鈍く痛む。

 きっとシャツの下に赤い痣を作ったに違いない。


 王子とカサンドラをあの場に残して良かったのかと疑問に思わないでもなかったが、別にあの二人は婚約者同士なんだし構わないのか。

 なんの不都合もないどころか、逆にあの場では自分達の方がお邪魔ものだったんだ、と今更気づいた。


 チラ、とジェイクを見遣る。

 もしかしてあの二人に気を利かせたとか?


 いや、このデリカシーという単語を辞書から消し去ったような彼にそんな行動選択肢があるとも思えない。

 ただの偶然の可能性が高いか。


 じろじろと彼を眺め、うーん、と顰め面をしてしまった。


「で、何だ? 俺に相談って」


「急に申し訳ないです!」


 ぺこりと一度頭を下げた。

 掴まれていた手首が、未だにじんじん痛い。

 本気で掴まれたらぽっきり骨ごと折られそうだなぁ、などと見当違いのことを考えつつ彼に向き直った。


 出会った当初は何かと話しかけられる事も多かったし、剣術講座に誘われることも頻繁だったことを思い出す。

 それなのに、いつの間にか向こうから話しかけられることも少なくなってきた。それに気づいてどれくらい経つだろうか。


 夏休み前――

 ああ、王子達を合わせて八人で楽しく過ごした時からだったのではないか。


 それ以後は、ごく普通のクラスメイト扱いで会ったら挨拶を交わすし雑談も出来るけれどあまりリタに干渉しなくなった。

 避けられているわけではないが、きっと彼の視線の先に別の人が存在し始めたからなのだろうとも推測できる。


 現状は丁度良い距離感と言うか、唯一気軽に話しかけられる男子生徒だ。


 流石に他の高位貴族のお坊ちゃん達に、今のような行動を衝動的にでも起こすなど絶対あり得ない。ジェイクだから無理矢理相談しようと思いつけたのだ。


「今日はラルフ様の誕生日ですよね?」


「ああ、そうだな。

 あいつもうんざりしてるだろうが、まぁ年に一度だし」


 彼はそれがどうした? と目で続きを訴えていた。

 学生鞄を片手で持ち肩にかけ、反対の手はズボンのポケットに突っこんだままといういつものスタイルでこちらを見下ろす。


「実は、ラルフ様に渡したいものがあるんです!」


 隠し立てをしようが無駄であることは良く分かっている。

 遠回しに言ってもしょうがない、相談をする以上は嘘をつくわけにはいかなかった。


「プレゼントか。お前あいつと仲良いもんな」


 彼はあっさりと頷く。

 こちらからすれば一大決心というか、好きな男性に誕生日にプレゼントを渡すというのは一大イベントだというのに。


  ――軽っ。 


「渡したいなら、一階の教室で受け付けてるから出してくればいいんじゃね?

 あいつは律儀だから全部目を通すだろ」


 まるで自分は全部目を通してないけど、と言いたげな彼の発言に目が点になる。

 要するに、彼らにとっては贈り物を投げ合うことはごく日常的というか、特別な行為ではないのだろう。

 むしろ日頃世話になっている相手に渡すのは礼儀の一環だという意識がある。

 そこに恋愛感情が乗っているか否かなど度外視して受け取っているわけだ。

 女生徒達が必死に想いを籠めて渡しても、当の本人の意識がこれでは何と報われない……


 貴族の感覚は色々理解しがたいものがあるが、誕生日プレゼントさえもここまで意識に差があるのかと愕然とする。


「い、いえ。あの……

 直接渡すにはどうしたらいいかなって」


「流石に今日は無理だろ。

 そんなに渡したいなら俺が代わりに持って行ってやってもいいけど」


 ほれ、と彼はポケットから手を出し、掌を差し向ける。

 直接渡すことが無理なら、替わりに渡してくれるというのは彼にしては最大限の親切心なのだと思われる。

 

「今は持ってないです。大きなものですし。

 直接渡したいので部屋に置いてるままなんですよ。

 一体どうしたら直接渡せるのでしょうか?」


「大きいって……お前、あいつに何やるつもりなんだ?」


 お金持ちの貴族のお嬢様ならいざ知らず、こんな平民の特待生がどんな大物を渡せるって言うんだ。

 彼がそう思っているだろうことは想像に難くない。


 手を引っ込め、指を顎に挟むように添え胡乱な視線をリタに向けてくる。

 不審感全開の視線で見られることに耐えられず、正直に話をした。


「えーと、ヴァイオリンです。

 どうしても、ラルフ様に直接お渡ししたくて」


 『魔法のヴァイオリン』なんて言いだしても彼にはわかるまい。

 自分とて、他人からもらったものだ。しかしあの魔法がかかったヴァイオリンを上手く扱いきる自信もない。

 己の手に余る代物だ。


 ――あれが思わぬ形でリタの物になっている状態で、好きにしていいというのなら……自分は、ラルフに弾いて欲しい。それが一番の望みだった。


「ヴァイオリン!?」


 ジェイクは素っ頓狂な声を上げ、持っている鞄を地面に投げつけるように落とす。

 そして立ち尽くすリタの両肩を掴んで、がっくんがっくんと前後に揺らした。




「お前、そんな物買う金どうやって工面したんだ!?」

 



 あまりにも真剣な表情で問いただしてくるものだから、リタは全く意味が分からない。

 頭を前後に揺さぶられながら、違います、違います、と何度も否定の言葉を絞り出す。

 確かにラルフにプレゼントしても良いような楽器など、自分が何年もアルバイトしたって買えるものではない。

 一体どこから急に出て来た!? と彼が驚いたのも仕方ないが、顔を蒼褪めさせる勢いで食って掛からなくてもいいだろうに。



「譲り受けたものなんです!

 その、私が使うよりもラルフ様に使っていただきたくて!

 前にラルフ様がそのヴァイオリンで弾かれた時の事が忘れられないって言いますか、私じゃ持ってても扱いきれないなって」


 仮に平時に渡そうとしても、ラルフは「もらう理由がない」と受け取ってくれないかもしれない。

 欲しいものなら何でも手に入るだろう立場の彼が、譲って欲しいなど一言も言わずにリタに返してくれたヴァイオリン。

 ――本心は、手元に置いておきたかったのではないか。


 誕生日、特別な日なら渡す理由になると思う。

 それならば受け取ってくれるかもしれない。



 「本当か?」と、彼は肩から手を離した。

 最初は半信半疑だったものの、リタが目を回して立ち眩みを起こしている姿をしばらく眺め――ようやく納得してくれたようだ。



「そういう事情があるなら直接渡したいって言うのも分かるが……

 んーー……」


 

 彼は腕組みをしてしばらく何事か思案していた。

 閉じていた口を、やおら開いてジェイクはこう言ったのだ。


「放課後、現物持って外門に来れるか?」


 やたらと具体的な指示だ。

 ドクン、と心臓が大きく飛び跳ねる。


 現物――贈り物を持って、学園外門の前で待っていれば良いと?

 ……そこでラルフに会わせてくれるのだろうか、と否が応でも期待が高まる。


「それは……もちろん、大丈夫です!」


 ぐっと両手を握りしめ、リタは大きく頷いた。


「時間は四時過ぎくらいか、まぁ、何とかなるだろ」


「本当ですか!?」


 パァァァ、と一気に表情が明るくなったのは自覚出来た。

 どうしようどうしよう、と悩むだけだった事情に光明が射したのだ。当然、喜びもひとしおである。



 今までデリカシーがないだのしつこいだのうるさいだの、そんな風に思っていた時期があったことを懺悔したくなるくらい良い人なのですが!?

 リゼの趣味が良く分からないと疑問に思っていたが、これは撤回せねばなるまい。



 ジェイクにとってはなんの利点もないただの面倒事なのに、わざわざ動いてくれるつもりなのだとは。

 実は神様だったのではないか、とリタは感動して手を合わせて拝み倒したい気持ちに駆られた。



「ジェイク様、ありがとうございます!」



「……それは別に良いんだが、リタ、お前さ」


 ぽんっ、と厚い掌がリタの肩に再度乗せられる。

 変わらず、彼の表情は硬く真剣そのものだ。




「自分のこと、大切にしろよ?」





 何故彼にそこまで身の上を心配されねばならないのか。

 全く理由が分からず、リタは愛想笑いで追従して頷くだけだ。



 「????」と、額にも背中にも冷や汗が浮かぶ。



 お貴族様が考えていることは自分の想像の範疇を超えるのだろう、と。無理に納得する他無かった。

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