第221話 打ち明けてみる


 今日は学園がお休みなので、家でゆっくり過ごせる一日である。

 だが、今日という今日は家で先週からの疲れを癒す――というわけにはいかなかった。


 カサンドラは訪ねてくれた女生徒に向かって微笑みかける。

 濃いブラウンの長い髪、愛らしい顔立ちにぱっちりとした青い瞳のお嬢様へと。


「ごきげんよう、デイジーさん。

 急なお誘いにも拘わらず、快く受け入れて下さってありがとうございます」


 先週、色々と考えた結果デイジーに『話がある』と声を掛けることにした。

 時期尚早ではないかと躊躇いはしたものの、これだけカサンドラの中で話が進んでいる以上彼女に何も言わないというのはとてもモヤモヤしていたからだ。

 そんなつもりはないのに、騙しているような心苦しさを感じる。


「ごきげんよう。

 ――カサンドラ様からのお声掛けとあらば、いつなりと馳せ参じてみせますわ!」


 デイジーは朗らかに言い切って、胸を張った。

 いつもの彼女の姿にホッとする。


 とても学園内で出来る話ではないという事情も相俟って、今日はデイジーだけをカサンドラの家に招待することに決めたのだ。

 誘いの声を掛けたのは週半ばの事だったが、こんな性急なスケジュールなのに嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに手を組んで彼女は喜んで応じてくれた。


 デイジー・ファル・ガルド。

 彼女はカサンドラの故郷、レンドール地方のガルド子爵家のお嬢様であり入学当初から表向きの親交があった唯一の女生徒である。



 ※



 ガーデンパーティでアイリスから相談という名の提案を受けた事は記憶に新しい。

 それ以前にもシャルロッテから”派閥なんか消えてなくなればいい”なんて爆弾発言を投げつけられたり。

 俄かにカサンドラの立場が騒がしくなってきた気配を感じた。


 まして、ジェイクを介してミランダの件をお願いできるというのであれば――

 四人での食事会もその内実現することになる、その期待も高まっていた。


 それ自体は決して悪いことではないが、ジェイクも言っていたようにカサンドラが周囲の事に少しでも関わって動いていくとは驚きの事態と言っても良い。

 今まで派閥の一つも作る気配がなく、取り巻きなど自分には必要ない。

 無用な人間関係の波風を立てないよう、中央貴族の令嬢とはただの顔見知りであるというスタンスを崩すことは無かった。


 だが現在は少々事情が変わっている。

 三派閥に関わらないように学園生活を送るどころか、自分から三人に呼びかけて皆で仲良くしましょうという場を設けようと画策している最中なわけだ。

 いくらキャロルの事情、来年以降の波乱の予測を含めた措置とは言えそれを公に詳らかにできない以上、カサンドラの方針が変わったととられてもおかしくない。


 仲良く話をし、決して対立しているわけではないというデモンストレーション。


 ――だが今までカサンドラとしばしば話をしたり、屋敷に招いていた同学年の地方の貴族令嬢達は良い気持ちはしないのではないか?

 ふと、そう思ってしまったのだ。


 別に自分を中心にした派閥を作って、キャロルたちの間に対等に渡り合えるよう乗り込んでいくつもりはない。

 それだけは避けたいとさえ思っているくらいだ。


 カサンドラが新興勢力とばかりに大きな顔をして割り込むようなことになれば、不穏な緊張感やギスギスした雰囲気の切っ先が”共通の敵を見つけた”とばかりにこちらに向かいかねない。

 あくまでもカサンドラ個人が、シャルロッテ達と友好的な関係だと印象付けたいだけだ。


 和やかな雰囲気で話せる場を提供したい、それだけだ。


 だがそれだけと言っても、今まで何かとカサンドラの意を汲んでこちらを持ち上げたり取り巻きのような振る舞いの一切を避けて来たデイジーにとっては、急に自分が中央に媚び始めたと映ってもおかしくないだろう。


 少なくとも、会食を企画するよりも先にカサンドラの行動の説明をしておいた方が良い。

 残すはミランダの反応次第とは言え、こちらの意志は固まっているのだ。

 出来ればデイジーたちにも理解して欲しいし、手前勝手な言い分だが協力もして欲しい。


 包み隠さず事情を説明するのは無理でも、話は通しておいた方が良い。

 それがカサンドラの出した結論だった。


 彼女達を動揺させたいわけではない。

 勿論地方貴族の令嬢を束ねて王妃派を作るだなどという大それたことはするつもりもないので、事前にそれを伝えておかないと彼女達が暴走して無駄な対立軸を増やそうと行動する懸念もあった。

 ただでさえ、今まで良い扱いを受けることなく鬱積した想いを抱えている生徒も多いだろう。

 想いは分かるがその受け皿になる気は、現時点ではない。


 カサンドラはどこの派閥にも現状属していない。

 だからこそ人間関係のしがらみを持たず、三人に対等に公平に声をかけることが出来るフットワークの軽い立ち位置とアイリスは評している。

 一端いっぱしの派閥の長を気取り味方をぞろぞろと引きつれて学園内を掻き乱すなら、ケンヴィッジ家の姉妹の起こす混乱と何ら変わらないとんだお騒がせの素になってしまう。


 ここは慎重に動くべきだ。


「あら、今日は他にどなたもいらっしゃっていないのですね?」


 彼女は不思議そうに首を傾げた。


 デイジーはただのお茶会だというつもりでやってきたに違いない。

 月に一回程度ではあるが、デイジーを交えた北や西の地方からやってきた令嬢達と一緒に話をする機会がある。それは決まったメンバーではなかったが、都合が良ければデイジーは必ず顔を出してくれた。

 彼女は常に明るく、引っ込み思案とはまるで逆の性格だ。

 場の雰囲気を和ませてくれるので、いてくれると本当に助かる。だからよく声をかけた。


「改めまして、デイジーさんにお話があってお声掛け致しました。

 内々の話になるかと思いますが、ご相談に乗ってくださいませんか?」

  

 自分一人だけがカサンドラに招かれ、差し向かいで談話室で話をしている。

 その状況に彼女は戸惑っていた。


 だがカサンドラが彼女にそう語り掛けると、デイジーは普段大らかで明るい表情から一転。

 真剣な面持ちで姿勢を正し、真正面からカサンドラを見据えてきたのである。


「どのようなお話か存じませんが、何でもお申し付けくださいませ。

 不肖デイジー、カサンドラ様のお役に立てるよう全力を賭します」


 カサンドラの態度をどう受け取ったかは分からないが、彼女がそう言ってくれるのは有り難い話だ。

 最初から立ち位置的にカサンドラの側近であってもおかしくないというのに、こちらが波風を立てたり既存の派閥に刺激を与えたくないという理由も有り。

 また、他人から無駄に注目されたり利用されたりというのも望むところではないので知らず知らずの内に『孤高』などと囁かれるまでになってしまった。


 ここまで他人と積極的に交際しようとしないのなら、孤高どころか孤独であってもおかしくない。

 だがカサンドラの心情を慮って、側近ではなく仲の良い友人として何かと陰ながら力になってくれた同級生である。おかげで孤立はせずに済んでいる。


 困っていれば手を貸してくれるが、腰巾着のように必要以上に干渉して来ない。

 カサンドラが特別扱いをして彼女の学園内での待遇を善くするよう働きかけているわけではないにも関わらず、何かと味方であることを示してくれる。


 ……こうして客観的に考えると、彼女の存在は本当に心強い頼もしい存在と言える。


「今、考えていることがありまして――」


 既に三回目となる『かくかくしかじか』。

 キャロルの事情を表に出さないよう、それっぽい感じで融和策を打ち出すのはあまりにも偽善的で、何様かと顰蹙を買いそうな行動である。

 でも、伝えなければこちらの想いはわかってもらえない。偽善的であっても已む無しだ。


 


「……。

 そうだったのですね……」




 彼女はカサンドラの話に耳を傾け、じっと話を聞いてくれた。


「わたくしが急にシャルロッテさん達と交流を持ったなどというお話が、第三者のお話の中でデイジーさんに伝わることは……わたくしの本意ではありません。

 仮にそのような場が実現したとしても、どうか今まで通りで――

 何事もなかったかのように接していただけないでしょうか。わたくし、立ち位置を大きく変えたいとは思っておりません」



 すると彼女は、キラキラと目を輝かせて身を乗り出してくるではないか。

 若干頬を紅潮させ、高揚している。



「カサンドラ様のお話をお聞きして、とても感動しています……!」



「……はい?」


「私、カサンドラ様が学園内の出来事に、そこまで気をお配りになっていることに全く気づいておりませんでした。

 確かに私達のような所謂地方から来た”よそ者”が学園内での人間関係に積極的に介入するのは困難というのは理解しておりましたが、まさかカサンドラ様が先頭に立って問題を解決されようとなさっているとは」


 嬉しいです、と涙さえ流さんばかりの想いの丈だ。

 そこまでの反応は求めていなかったので、逆に身の置き場のないカサンドラである。


「い、いえ、そこまで大層なお話では」


 デイジーは何度も深く頷いているものの、彼女が想像している程憂いて心配していたわけではない。

 もしもキャロルの件が無ければ、卒業するまで着かず離れず干渉せず、大きな問題なく終わればそれで良いという打算が確かにあったのだ。


 状況的にそうも言っていられず、責任をなすりつけられそうになるのを回避するためにこうして腰を上げざるを得なかった、というだけで。



「カサンドラ様のお立場でしたら、無理矢理あの方たちに”仲良くしろ”と命じる事さえ可能でしょう。

 ですがそれでは禍根を残すことになりかねませんね。

 交流の場を得た結果、自然に友好関係になれるのなら――それに越したことはないと私も思います。

 カサンドラ様を介してということでしたら、きっと上手くいくことでしょう。

 仮にそれが上手くいかなかったとしても、カサンドラ様が現状を憂いて行動に移された、という事実は残ります。

 学園内での派閥問題にカサンドラ様も関心がお有りなのだとやんわり知らしめる良いご機会ではないでしょうか」



 彼女はいつものエネルギッシュで明るい姿とは打って変わって、静かな語り口で滔々とデイジー自身の考えを教えてくれた。

 分かっていた事とは言え、彼女も色々とヤキモキしていたのだろうなと思うと、再び良心がチクチク痛い。


 もしもカサンドラがもう少し野心を持っていれば、彼女達の立場を向上させるために奮闘するような気概があれば……

 でも次期王妃候補というだけで、早々と王家の威光を借りて場にしゃしゃり出て掻き回すということは自分には無理だ。


 特に、シリウスやラルフ達の監視の目もある。

 下手に騒動を起こして王妃として不適格だなんて言い分を与えて、自身の立場が揺らぐことの方が恐ろしかった。

 いまでこそ彼らとそこそこ理想的な距離を保て、アイリスの進言があって。諸々の状況が吉と出たからこうして行動に出ようとしているだけなのだ。


 デイジーからしてみれば、支えがいの無いというか自己保身しかしない人だと思われても仕方のない事だろう。

 彼女のためになることは何一つ出来ていなかったのに、日々の彼女の力添えは有り難く受け取っているのだから。


「デイジーさんにご理解いただけ、わたくしも心強いです」


 それはカサンドラの本心だ。


「お任せください。

 ……私も地方にお住いの令嬢方とはそれなりに親交があると自負しています。

 彼女達にはカサンドラ様の真意をご説明し、何があっても浮足立って無茶な行動に先走らないように気を向けておりますわ」


 こちらから具体的な要望を持ち出さずとも、そう判断してくれるのは助かる。

 カサンドラが中央に尻尾を振り始めた、懐柔された、いやいや牽制している、掌握しようとしている。


 そんな変な噂が流れてカサンドラ側に加勢します、なんて集まられても困ってしまう。

 あくまでも個人的な交友関係のことだから、と予め分かっていてもらうのに彼女程頼りになる相手はいない。


 徒党を組んでしまえばその場で第四勢力の完成だ。

 ……衝突の面積を増やしてどうする。



「宜しくお願い致します。

 ――とは申し上げても、ミランダさんが賛意を示して下さるかは測りかねていますので。

 実現するかどうかは断言できませんが、とても心強く思います」


 机上の空論、ただの夢物語で終わる可能性も高い。

 だが、仮にそうだったとしても……


 彼女に黙って裏でここまで画策していて、いずれ知られてしまったら不信感を抱かれるかもしれない。

 カサンドラの数少ない同郷で、そして友人だと思っているデイジーである。

 出来れば今後も良好な関係でいたいと思う。



「それについては大丈夫かと。

 ふふ、出来るだけ周囲との軋轢を生まないような方法を選ばれるのはカサンドラ様らしいですね。

 王妃としての威信を対外的に示すためなら、あのように懇意にされているのですから王子や――それこそ御三家の方々に直接執り成しをお願いするという方法もありますのに」



 流石に女子生徒の派閥の事で、一々彼らの手を煩わせるわけにもいかない。

 それにそんな虎の威をかった状態のまま学園を卒業したとして、本物の社交界で”王妃”として何も出来ず諍いの仲裁を全て他人にお願いし続けるということになってしまう。

 王妃として不適格だとシリウスが渋面を作り、忠告してくるに足る状況と言えるだろう。


 そもそも彼らの協力を仰ぐなど自分で自分の首を絞めているようなものである。

 自ら絞首刑台に登るわけにはいかない。



「きっちり三派の中央貴族に牛耳られている息苦しい状況が、カサンドラ様の手によって少しは改善の兆しが見えるとすれば……

 他の女子達にとって、今より過ごしやすい環境になると思います」



 そうなればいい、という期待を向けられるのも若干のプレッシャーだが。

 でもカサンドラに何を言っても無駄だと期待されないで諦められるより、何倍もマシなことだと思う。




 彼女はニコニコと微笑み、嬉しそうだ。

 とても面倒なことを頼まれた人間の表情とは思えない。



「ありがとうございます、デイジーさん」




 デイジーと話が出来て、心のつかえが少しとれた気がした。


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