第220話 救いの手は意外にも


 しかし、この案件は少々難問かもしれない。

 カサンドラは憂鬱な想いとともに吐息を落とした。


 王子との会話後、自宅の屋敷に図鑑を持って帰ったは良いものの。

 例の生物の微細な形が分かったところで――

 どうやって作ればいいのだろうという根本的な問題に突き当たっていた。


 勿論、ジェイクよりは手先は器用だと思う。

 彼はきっと針の穴に糸を通そうとしたら一瞬で針を抓み折るような人だと推測される。

 植物園での花冠作成時の様子を見ていれば、細かい作業が殊の外不得手なのだと納得できるものだ。


 彼に必要な小道具だとして、自分では作れないからラルフやカサンドラなどに声を掛けているのは己の不器用さを把握している証拠であろう。


 だがカサンドラだって特段他人より手先が器用なわけではない。

 ごく普通、平均的な作業なら難なくこなせるだろうが『本物さながらのリアルな玩具』という指定をクリア出来る自信がない。

 この世界に生まれ落ちてから今まで、真剣な制作活動などしたことはない。

 刺繍くらいなら嗜んだことはあるけれど、何かの素材を組み合わせての工作となったら話は別だ。


 引き受けざるを得ない状況だったとは言え、本来なら悩まなくてもいいことに思考を取られてしまっている。

 どうしてこんなことに、と頭を抱えたいのは自然の成り行きだった。


「姉上、今度は一体何があったんです?」


 モヤモヤとした胸中、眉根を寄せて夕食を摂っていたカサンドラに声を掛けたのは義弟のアレクであった。

 相変わらず十歳には思えない、将来の美形を約束された顔の造形を持つ美少年。

 だが今、彼はカサンドラをジト目で眺めている。

 胡乱な表情で蒼い目にこちらを映す義弟の呆れ顔を見て、カサンドラも息を詰まらせた。


「……ええと、何もありませんが」


「はぁ、僕にウソをつかないでくださいよ。

 どこからどう見ても悩んでます、って顔をして溜息をつかれれば気になっちゃうじゃないですか」


 真正面からざっくりと言葉で切りかかられ、カサンドラはぐうの音も出ない。

 普段学園内では気を張っていて些細な事で動じないポーカーフェイスを演じる場面もあるが、一度帰宅して荷を下ろせば素直の喜怒哀楽が出せる相手が目の前にいる。


 それがアレクであり、聡い彼にただでさえ気の緩んでいるこちらの内情など手に取るように悟られてしまうのだ。


 今度は一体何なんだ、という言外から漂う圧力にカサンドラはグラスの水を一口飲み下した。


 アレクの綺麗なサラサラストレートの銀髪が燭台の淡い光を反射して煌めく。

 毎日顔を合わせているから慣れたものだが、このレベルの美少年と街ですれ違ったら忘れられないだろうと思われる。


「確かに悩みはあります。

 ですが今回は王子に関わることではないのです」


「へぇ、そうなんですか。

 姉上が王子以外の事で悩むのも珍しいですね!」


 彼は驚いたように、尻上がりの語尾で驚嘆した。

 そこまで他人に興味がないような人間に思われていたのだろうか、と釈然としない気持ちを抱く。


「それが、何の因果か蜘蛛の玩具を作成することになりまして――」


 勿論それだけを言われてもわかるまい。

 今日二度目の『かくかくしかじか』で、アレクの顔を一層困惑させることに成功したカサンドラである。

 だが、そんなものが成功してもちっとも嬉しくない。


 アイリスの希望を叶えるため、来年以降のカサンドラの『安心』を守るため、どうにかして三つの女子派閥の緊張を解いておきたいのだ。

 即座に仲良しになれるとは思えないが、風通しが少しでも良くなって互いに行き来が増えて刺々した雰囲気が少しでも収まればいい。

 自分達がそれぞれ親しいのだと言う空気が広がれば、露骨に反目する層も減っていくだろう。

 真の意味での平和、安息の日々はこちらの望むことである。


 そのために空いた最後の一角を埋めるため、ミランダとの接触は不可欠な事項だ。

 ――ジェイクに快く伝書鳩役を買って出てもらえるのなら、それに越したことはない。


 カサンドラの話に全く動じることもなくアレクは言った。


「まぁ、用途は不明ですが仮にもロンバルドの令息が世を騒がせるのに使ったりはしないでしょう。

 彼の方の内情は全く推測不可能ですが、姉上の事情は把握しました」


「用途はこの際どうでもいいのです、現物を用意すれば事足りるわけですから」


 でも肝心の実物を作成するのに、カサンドラはとても彼が納得してくれるようなリアルな模型を作る自信がない。


 工作という目の前の壁を越えるため、しばらくはこの案件に試行錯誤しなければいけないなと溜息を落とす。


 とりあえず使用人に頼んで、工作に使えそうな材料を探してもらって――道具も貸してもらわないといけないし。

 おおよそ大貴族の令嬢が考えるに相応しくない今後の予定を考えていると。



「僕が作りましょうか?」



 完全に想定外の反応が返って来て、カサンドラはがくっと肩をズラす。


 王子の関わっていることならいざ知らず、こんな事情までアレクを付き合わせるのも姉としてどうか。

 はたから聞いたら、まるで自分が暴君みたいな存在ではないか。


 自分の要求を受け入れてもらうための条件を、自分ではなく弟に達成させるなんて……


「いえ、この件はわたくしの」


 と一旦は固辞しかけたのだが、何故かアレクは大きな青い目をキラキラと輝かせているではないか。

 その期待を込めた澄んだ瞳に、カサンドラも椅子に座ったまま仰け反った。


 そう、アレクの彼の目はまるで少年そのもの。

 まさしく年相応の好奇心溢れる、楽しい遊びを見つけたとでも言わんばかりの表情……!


「え、ええと……

 アレクって、昆虫、好きでした……?」


「特に虫が好きというわけではないのですけど、僕、工作大好きですよ。

 前の家にいた時は木の棒や葉っぱを使ってトンボとか蝶とか作るのが趣味みたいなものでしたし。

 あ、勿論今回は精巧にってことですから材料はちゃんとしたのを用意させますから!

 ……本物そっくりって、どんな素材で作ろうとか考えてワクワクしますね」


 大船に乗ったつもりでお待ちください!

 と彼は珍しく機嫌よく、己の胸をドンと拳で叩いた。


 その姿は頼もしい。

 だが、レンドールの後継ぎの趣味が昆虫制作ってなんだ……?


 父の遠縁の親戚から最も利発そうで、厳しい跡目教育を施せると見込まれた少年。


 結果、レンドール本家の養子に迎えられた男子がアレクである。

 今となっては当時の父の真意は分からないが、カサンドラが王子と婚約をしなかった場合には自分と彼を婚姻させて家を継がせようという思惑もあったのかも知れない。

 忽ち、カサンドラが王家に嫁ぐなら家督の全てはこのアレクの双肩にかかっていることだけは事実だ。是非今後もこの家を盛り立ててもらいたい。生家が没落したら王妃としての立場が揺らぐ。

 

 そんなアレクの過去のことだが、あまり突っ込んで聞いたことはない。

 前世の記憶を思い出すまでは、アレクと言う義弟は『何でも言うことを聞いてくれる家族が一人増えた』という意識しかなかった。

 あくまでもレンドール家の一員として接していて、彼のバックグラウンドには殆ど興味を示さなかったのだ。


 ――そう、だから……

 彼の首筋や身体に大きな傷痕が残っているということさえ、この間まで知らないままだった。

 そこで初めて、もしかしたら生家から虐待まがいの扱いを受けていたのではと察して息を呑んだわけだ。



 『木の棒や葉っぱを使って――』



 曲がりなりにも貴族の出自だというのに、幼い頃の趣味がそんな庶民の子供がするような工作ごとだったなんて。


 これはいよいよ、ここに至るまでの彼の過去は深淵の箱状態だなとナイフとフォークを持つ手が震えた。


 同情や憐憫は彼には不要だろう。

 そして彼自身も、過去をカサンドラに知られたいわけではないことも分かっている。


 今は、彼に工作の心得があるという事実にのみ感謝すればいいのだ。

 深い理由は聞けないが、少なくとも今の彼は自分にとっての救いの御手であることに聊かの変わりもないのだから。



「アレクだって日中は忙しいのでしょう? 毎日家庭教師を招いているではないですか」


 カサンドラは気遣わしげな声をあげ、右の掌を彼に向ける。

 この五つ年下の義弟には何かあれば頼ってしまう。

 こちらの内情を近しい家族だから正確に知っていて、それに甘えてしまうのだ。


 カサンドラが申し訳ないと忸怩たる思いに駆られるのと反比例するように、アレクは浮き浮きしている。

 こんなに年相応に楽しそうな顔をしている彼を見たのは、もしかしたら初めてかも知れない。

 澄ました顔の歳の割に大人びた少年、だがそれも後継ぎと言う立場がそうさせていたのだろう。


「ええ、明日一日使って試しに作ってみますよ。

 えーと、書庫に図鑑があると思うのでそれを参考に出来ますし」


「図鑑なら今日、学園の図書館から借りてきました。

 良かったら使ってください」


「わぁ、姉上……

 やる気満々だったんですね、それなら一緒に作りますか?」


 カサンドラの窮状を手助けしたいという想いより、正当な理由を持ってちまちまとした工作が出来ることを心から楽しんでいるような気がしてならない。

 そこまで言うのなら、一任してしまおうか。

 心にこびりついていた罪悪感も、彼の明るい顔を見ていると薄らいでいくというものだ。



「――是非、貴方にお任せしたいです」



 カサンドラは引きつった笑みで彼に答えた。

 肩に触れる長い金の髪を手の甲で払いのけながら。



 とりあえず、明日学園に登校したらジェイクを捕まえて納期を聞かなければ。

 こちらとしても出来るだけ早く言伝、とりなしをお願いしたいものだが一朝一夕というわけにはいかないかもしれない。

 もしもジェイク側に差し迫った事情があるなら、約束が反故になってしまう可能性も捨てきれないのだ。


 三家のお嬢様が集まっての食事会――実現するなら凄い話だが、今から緊張で身震いしそうだ。



 カサンドラは学園内での”次期王妃”としての立場を確保したいというよりも、大過なく平穏な三年間を過ごしたいだけ。

 今の均衡が来年崩れる可能性が高いというのであれば、是が非でもその禍を防ぎたい。

 その一心で、ミランダへの接触を試みているのである。



 勿論キャロルのことはサポートしてあげたいとは思うけれど。

 一番良いのはキャロルが堂々とヴァイル派の女生徒をまとめる立場として立ち向かうことだ。

 難しいなら、簡単にキャロルに手出しできない状況を作らなければいけないのである。



 その条件がこんな工作物だなんて、全く思いもよらない事だった。




 ※





 だが、それは翌日のこと。




「姉上、こちらでいかがでしょう!」




 勢い込んで、鼻息も荒く胸を張るアレク。

 彼のその意気揚々とした姿にカサンドラは帰宅して早々、玄関ホールから一度退避したくなった。


 昨日の今日で、帰宅したカサンドラに両手に余る大きさの紙箱をアレクはズイッと差し出して来たのである。


「え? アレク、こちらは……」


「いいから、開けてみてください!」


 昨日と変わらずキラキラとした目のアレクに促され、カサンドラは自身の脇に学生鞄を差し挟む。

 そのまま脇を締め、両手で受け取った箱の蓋をパカッと開けた。



「――!?!?」



 余りの事に動揺し、鞄を玄関ホールにドスンと落とす。


 その白い箱の中には、数匹の蜘蛛が……!?


 いや、違う。

 よく見ればそれは動かない、ただの玩具だ。


 そもそも、アレクに手渡された時点で予想が出来た事。だから数匹の蜘蛛が箱の中にいても、カサンドラはビクッと肩を震わせるだけで済んだのだ。

 恐らくアレクが造った模型なのだろうと思っていたにもかかわらず、その完成度の高さに見本に使った本物の蜘蛛かとぎょっとしてしまった。


「中々いい出来だと思いませんか!?

 今日は朝から材料を仕入れに市場に走って、それからずーっと作ってたんです!

 このチクチクした黒い布、本物っぽく見えません!?

 こっちの薄茶の光沢も良い感じで」


 彼は余程制作魂に火が着いたのか、本来は通いの家庭教師に勉強を教えてもらうところ、彼を街まで引きずり回して荷物持ちをさせたらしい。

 普段そんな無茶なことをしないのに、『姉のためですから』というお題目を掲げて随分とエンジョイしていたようだ。


 うん、それは……有難い話だ。

 まさか彼がここまで楽しんで作ってくれるなど想像もしていなかった。



「え、ええ。ありがとうございます、アレク……」



 ジェイク自身は特に期日は無いし、作ったら持ってきて欲しいというリクエストがあっただけだ。

 予想外に早い仕上がりにカサンドラは驚いて目を見張る。


 一見して今にも動き出しそうな小さな蜘蛛の模型に、彼の手先の器用さを思い切り見せつけられた気分だった。


 アレクは観察眼も備わっているのか、特徴を掴んだフォルムを形成。

 彼の言う通り、ただの布ではなく足の長いチクチクした素材の布が黒光りしていて造り物なのに生々しさを感じぞっとした。

 気味が悪いと思う事自体が、完成度の高さを示している。

 

 意外な特技だ、とカサンドラはその箱を苦笑いでパタンと閉めてお礼を言った。






 ※






「えっ、もう出来たのか!?」 




 恐らく一番吃驚したのは、依頼主であるジェイクではあるまいか。


 生徒会の定例会議が始まる直前、彼に手渡すと彼もオレンジ色の目で箱とカサンドラの顔とを交互に確認する。

 昨日納期の確認までしていたものだから、もう少し時間が掛かるのだろうと思っていた矢先に数体の模型が手渡されたのだ。

 予想が外れて吃驚するのも無理はない。


 まぁ、どういうルートだろうが彼が受け取ってくれたのだからそれでいいのだ。


「お、クオリティも凄いな。

 ……お前、こんなに器用だったんだな。

 頼んだ俺が言うのもあれだけど、本当に作れるのか半信半疑だったからさ」


 中身を確認し、ジェイクは思いがけない出来事に会って驚いたかのようにしみじみとそう評してくれた。

 まさかこれが十歳の子供の一日がかりの力作であるなど、想像もつかないに違いない。



 ホホホ、と口元を掌で覆って素知らぬ顔で笑うカサンドラ。




 その不可思議なやりとりを、アイリスは横目で青ざめた顔をして見守っている。

 いきなりジェイクにこんなものを手渡していれば、衝撃を受けてもしょうがないことか。

 だが、一々経緯を説明するのも当人達を目の前にしては難しい。


 とりあえずそれがカサンドラの趣味ではなく、”依頼されていたもの”だと彼女も理解してくれたはずだ。






 ……その後の会議で、隣に座るアイリスとの椅子がいつもより距離が離れていたのは気のせいだったと思いたい。

 

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