第216話 全員集合
カサンドラは、ガーデンパーティが終わった後王子に連れられて
以前観劇を王子と楽しんだあの日、食事に誘ってもらった場所と同じだと王子は言う。
アイリスの実家から南に走る大通りを抜ければ劇場なので、確かに最も近い場所であるのだろう。
いや、この際王子と一緒に過ごせるのであればどこだっていい。
豪華な食事など必要ではない、何なら中央広場の露店で軽食を買ってベンチで食べるだけでも十分すぎる程の幸せを感じられるに違いない。
こんなドレスを着て公園で食事というのは現実的ではないが、心意気はそれくらい充填されていた。
馬車から降り、王子に大きなお屋敷に案内されるカサンドラ。
以前来た時も思ったが、普通の”お屋敷”レベルの食事どころがこの街にいくつもあるというのだから驚きだ。
彼らが普段一般的にイメージされるような外食をしない理由も、さもありなん。
各々が自分の事情に合わせて、最寄りの餐館で休憩したり食事をしたり、共有の施設とは言え使い勝手は良いものだろう。
急な予定にも即座に対応できるのだから凄い。金も手もかかっているなぁという印象だ。
「王子、カサンドラ様。
――お待ち申し上げておりました」
邸の中に入ると、広い玄関に一人のメイドが自分達を出迎えてくれた。
高い天井に吊られたシャンデリアは煌々と光を照らし、発光する『輝石』一つ一つが宝石のように煌めいている。
「……り……リナさん……!?」
深々とお辞儀をして迎え入れてくれた案内のメイド。
静かに微笑み、長い裾のメイドエプロン、頭には白いカチューシャを着ける彼女はどこからどう見てもカサンドラの友人の一人だった。
栗色の柔らかい髪を肩口で揃え、にっこりと邪気のない笑顔で迎え入れてくれるメイドさん。
三つ子の末っ子、リナではないか。
「はい、本日は宜しくお願いいたします。
まだ未熟ゆえ、ご要望に添えるか少々不安ではありますけれど」
そういえばリナはシリウスに雇われメイドとして餐館で働いていると聞いていた。実際にジェイクやラルフ、シリウス当人を勤める館に迎えメイドとして振る舞ったこともあるという。
誰も来ない日もあれば、昼や夕にそれぞれ個人で立ち寄ったり、同僚や知人を連れてやってくることもある。
それも突発的、急に「今から行く」という連絡があるので気が抜けないのだそうだ。
酷い時には何の連絡もなく、急にふらっと立ち寄って食事を運ばないといけないことも。
王子のことだから、ちゃんと前もって連絡はしていたとは思うけれど。
まさか数件ある
リナが徒歩で通える範囲を考えれば、選択肢は思ったより少なくて今日会えなくてもいずれ顔を合わせていたことになったかも知れない。
脳内で自分を納得させる。
「まだお夕食まで時間がございますので、どうか娯楽室でお待ち下さい」
彼女の言葉に応え、カサンドラは王子と共に右奥の部屋へと向かった。
以前はそのまま食事の部屋に案内されたので、少々勝手が違う。
流石にまだ夕方、食事を摂るには早い時間だ。
その間ずっと食堂で待つわけにもいかないか。
娯楽室まであるのですね、とついカサンドラは感嘆の声を上げてしまった。
「娯楽室の他に、仮眠室や器楽室もあるかな。
ああ、仕事を持ち込める部屋もね。一通りのものは備わっていると思うよ」
王子はサラッと答えてくれた。
こんな壮大な造りの屋敷が王都内にまだ他に何件もあるのか……
御三家や王子の懐事情を考えるだけ野暮だな、と納得する他ない。
「お足元にお気を付けください」
可愛らしいメイドさんに扉を開けてもらうと、普段通っている学園の教室よりもずっと広々とした空間が広がっていた。
手前には談話のための高価そうな皮張りのソファが何脚も並んでいるし、中央にはビリヤード台もある。
パッと目に着くだけでチェス台、ダーツの的、ポーカーで遊ぶテーブル。
凡そ青年達が好んで嗜むレクリエーションツールがずらっと並ぶ。
廊下よりも幾分か明度が低いのも演出の内なのだろうか、あまりカサンドラには縁のなかったものばかりで視線が泳ぐ。
チェスくらいなら……
いや、王子相手に果たして自分がどれだけ指せるかなど全く未知の領域だし自信がない。
だがドギマギと戸惑うカサンドラに、更に追い打ちをかける声が重なってきたのだ。
「アーサー?
お前が来るとは聞いていたが……カサンドラが同伴なのか」
訝し気な声で、ソファに座って分厚い本のページを捲っていたシリウスがこちらに向けて話しかけてきたのである。
くいっと眼鏡のブリッジを指先で上げて位置を調節、胡乱な眼差しで――特にカサンドラをジロジロと眺めるシリウス。
「言っていなかったかな、今日はケンヴィッジのガーデンパーティに招待されていたからね。
カサンドラ嬢のパートナーとしてお邪魔してきた、その帰りだよ」
「ああ、そういえばそんな話もあったな」
「シリウスこそ、ここの餐館を利用するのは珍しいね」
シリウスはソファに腰を下ろしたまま、長い足を組み換える。
本を閉じ、脇に置いて――肘掛けに腕を乗せて頬杖をついた。
「……ウェルデ区に所用があってな。
彼女の仕事ぶりを確かめる事も出来る機会だから寄ったまでだ」
雇用主としては、ちゃんと真面目に働いているのかどうか気にかかると言ったところか。
いや、案外それは口実なのかも知れない。
一々下働きのメイドの仕事状態を確かめようと思う程、彼だって暇ではないはずだ。
そんなものは館の責任者に報告させればいいだけの話。
敢えて足を運んだのは――もしかしたらリナに会いに来ただけじゃないかな? と。
喉元まで出かかったけれど、物凄い冷たい視線に睨まれる予感しかしないので口を噤む。
彼の行動の理由は推測しか出来ないが、問題はそれではない。
夕食の時間まで、ここでシリウスと一緒に待たなければいけないのだろうか? と気づいてしまった。
……折角王子と二人きりの時間がもう少し長くとれると喜んでいたのに、まさかシリウスと一緒だなんて全く聞いていない。
いくら親友でも互いの行動を一々事前報告しつつ打ち合わせるなんて休日までやる意味もないから、こんな見事な不運に見舞われてしまったのだろう。
仕方ないこととはいえ、シリウスが涼しい顔でソファに座っている姿にヤキモキする。
シリウスからしたら、カサンドラの方こそ招かれざる客人以外の何者でもないかも知れないが。
さてどうしたものかと表情では微笑みながらも、カサンドラは困惑していた。
そんな時、廊下の奥からチリンチリンと甲高いベルの音が聞こえたのだ。
どうやらそれはリナに向けられた呼び鈴のようで、「お支度が整うまでの一時、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」と丁寧にお辞儀をして身を翻す。
リナのメイド姿は堂に入ったもので、とてもよく似合っていた。
適材適所とは良く言ったものだと感心する。
人当たりもよく、いつも柔らかい微笑みを向けてくれる癒しの存在。
礼儀正しいし、手先も器用で要求されたことを難なくこなすのだろう。可能であれば彼女を自分の屋敷に雇い入れたいくらいだが、流石にそんな申し出は出来ない。
あくまでも彼女とは対等な友人関係でいたいものだ。
「……。」
シリウスは積極的に話を振ってくる人ではない。
彼と一緒の食事は毎日の学園でのお昼でもうお腹がいっぱいである。
騒々しいのは嫌だから別室で食べるなどと気を利かせて言ってくれないかな? と思っていても、当然そんな勝手な想いは彼には届かないようだった。
諦める他ないのか……
「今、リナ君は玄関の方へ向かって行ったね」
「そのようだが、どうした?」
「一体誰を迎えに行ったのかなと少し気になって。
ここに、私もシリウスもいるのに」
言われてみれば、リナは誰かを迎え入れに行くように玄関へと引き返して行った。
ここはただの外食施設じゃない。
王子やシリウス達が共同する施設、つまり彼ら以外が訪ねてくることなどありえない建物で……
「ええー!? なんでリナまでここにいるの!?
リゼと会っただけでもビックリしたのにーー!」
扉の向こうから漏れ聞こえる元気の良い少女の声に、王子もシリウスもカサンドラも同時に顔を上げて怪訝そうな表情を見せたのである。
※
「あははー、まさかカサンドラ様や王子までいらっしゃるなんて吃驚です。
あ、勿論シリウス様もですけど!」
流石にこの状況、苦笑いを浮かべるリナが案内してくれた面子を見て絶句せざるを得なかった。
リタは信じられないと言わんばかりだが、その偶然さえ楽しそうに受け入れているように見えた。
バイトの後、ラルフに連れられて来たというリタ。
街で会って食事に誘われたと言ってジェイクと一緒に姿を現したリゼ。
額を掌で覆い、苦虫をかみつぶしたような顔をしているジェイクと。
そこまではいかずとも、呆れたような顔つきで横を向いて嘆息を落とすラルフと。
彼らの様子から察するに、皆が示し合わせてここに集ったというわけでないのだとすぐにわかる。
……こんな偶然、あるの!?
カサンドラは俄かには信じがたい状況に、言葉を失って立ち尽くす他ない。
流石にこの状況には王子もシリウスも「???」と目を丸くして現状を把握している真っ最中だ。
まさかこんなところで姉妹全員が揃うなんて思っていなかったリゼ達は完全に興奮状態。
そしてカサンドラが声を掛けるまでもなく、「今日はどちらにおでかけだったんですか!?」と詰め寄ってくる勢いに呑まれそうになった。
主に前のめりになっているのはリタだけれど。
以前カサンドラと一緒に選んだ可愛いスカートを穿くリゼも、パーティ帰りということで全身それ仕様のカサンドラを熱い視線で眺めているのが良く分かる。
羽織る上着はデートと言う趣には少々シンプル過ぎる装いであったが、リゼも十分に可愛いと思う。
まさか二人そろって好きな人に食事に誘われるとは、どうしてこれで付き合っていないのか分からない状態ではないかと苦笑が浮かぶ。
いや、友人同士でもご飯くらいは行くだろうけれど。
片方は熱烈に想いを寄せていると外野から見てもわかるくらいなのに、不思議な光景である。
いや、片方だけではないか。
誘いをかけた方もただの友人として誘ったかどうかは怪しいところだ。
「はぁ……
いつも使ってる方はそいつがバイトしてるだろうと思って来てみたらこれか。
何なんだ一体」
ジェイクは完全に当てが外れたと言わんばかりに小さく呟いた。
まぁ、気持ちは分かる。
たまたま街で会ったリゼに食事に行こうと声を掛けたはいいものの、普段使っている学園近くの餐館ではリナが働いていると彼も知っているはずだった。
そこを避け、少々遠い場所を選んで一緒に来たのに、よりにもよってこのメンバーが全員集合していたのでは脱力もしようというものだ。
「今日は事前に、こちらに向かうよう指示がありました。
お忙しいとのお話でしたが……まさか皆様がいらっしゃるとは思いませんでした。
勿論食事の手配は万全です、私も給仕に励みますね」
ニコニコ笑顔のリナは、メイド服。
現在娯楽室に集うメンバーの格好を見れば、非常に様々な形態で統一感の欠片もないことに嫌でも気づく。
カサンドラや王子はガーデンパーティ帰りでそれなりに畏まったフォーマルな装いだ。王子の王子様らしい姿にはいつまで経っても慣れることはなく、ドキッとする。
シリウスも外出の用事の帰りに立ち寄ったということで、かなりカッチリとネクタイを締めて完全に事務方のお仕事服。
ラルフはシャルローグ劇団でピアノ奏者のお務めを果たしていた都合上、黒い燕尾のタキシード姿。
ジェイクはさっきまで騎士団の職務に追われていたのか騎士団固有の白制服のままだ。白いロングコートを翻す姿は制服とは違った趣があるし、王子のものと色合いが違うが二人が視界に入ると息を呑む程様になっている。
そんな男性陣に比べ、リタは完全に普段着だ。バイト帰りだから仕方ないけれど、場違いなほどラフな格好である。
ショートパンツで厚手のジャケットを着込む姿は彼女らしく似合っているが、そもそもそんな恰好の彼女を誘ったラルフも――よっぽど何かのきっかけがあったのかと勘繰りたくもなる。
リゼは完全にデート仕様! という気合が漲っている、その証拠にあのスカートが挙げられる。白地が基調で交差線が赤のアーガイル柄、何度見ても彼女に良く似合っていると思う。すらっとした細い脚を、時折内股にするのは足元がスースーして違和感があるからか、単に寒いからなのか。
そしてリナは黒のメイドワンピースにフリルのあしらわれた白いエプロン、完全完璧にメイドさん姿だ。
一体これがどういった集まりなのか、全く外野の人間が見たら目を疑う光景だと思われる。
それぞれ全く別々に誘い合って集うのだから、これが三つ子の絆かと口元がおかしな方向に引きつりそうになるのを懸命に堪えるカサンドラ。
でも……
本人は良いのかも知れないけれど、気にかかることもあった。
他の皆は一緒に食事をすることになるのに、リナはまだ仕事中だからとその輪の中に入ることもなく忙しなく食事の上げ下げを行わなければいけないのだ。
それが仕事と言われればそれまでだが、休日のこんな日に同級生に給仕されるのは気が咎めてしょうがない。
「リナ・フォスター」
「お呼びでしょうか」
シリウスが吐息とともに、彼女の名を呼んだ。
彼は一度立ち上がって友人らを迎えてはいたものの、完全にバッティング事故状態に驚き戸惑っていたようだ。
が、気にするだけ馬鹿らしいと言わんばかりに再度ソファにどっかりと腰を下ろす。
スプリングが僅かに軋み、皮張りのソファは彼の細身の体を受け止めた。
そんな雇用主の呼びかけに、背筋をピンと伸ばした状態のリナが緊張した面持ちで向き直る。
「今日はもう働かなくていい。
何の因果か、姉妹が揃っている状態でお前だけ勤労に勤しむのも据わりが悪いだろう」
冷たいようでいて、気の利く人だ。
ナイスアシストを飛ばしてきたシリウスの言葉に追従してカサンドラも頷く。
だが当然、真面目なのは彼女も同じだ、お気持ちは嬉しいのですが、と首を横に振った。
「お気遣いありがとうございます。
ですが、私は今日こちらに遊びに来たのではありません」
「ではこれから帰宅まで、休憩時間という事にしておけ。
その分給金は削るよう指示しておく」
「……ですが……」
自分にとって都合の良すぎる提案だからこそ、リナも尻込みして困ったように眉尻を下げる。
そんな心理的抵抗を見せる彼女に、リゼはぽんっと軽く肩を叩く。
「雇い主が言ってるんだから良いんじゃない?
リナだけが
「そうだね、図らずも王宮でのお茶会以来の集まりになったようだ。
私も皆で食事が出来たら嬉しく思うよ」
カサンドラは最初、王子と二人きりでないことにがっかりした。
折角の王子との二人の時間が……と、自分の都合ばかり考えていたのだ。
でも彼女達が今まで積み重ねてきた行動、軌跡を経てこうして好きな人に誘われるまで仲良くなった成果が、一旦ここに結実したようなものではないか。
王子とは帰りの馬車でも同乗出来るのだし、モヤモヤして楽しめない方が勿体ない。
皆それぞれ思うことはあろうが――これも強固な”縁”だ。
リナは固辞する姿勢を改め、恐々と周囲の様子を伺った。
そして笑顔で綺麗なお辞儀を一つ。
「はい、ありがとうございます……!
ご厚意、有り難く頂戴します」
最初にこの面子が揃っていたところでは、凄まじい六角関係もあったものだと慄いたものだ。
だがいつの間にか、好意の矢印が双方向に向かっている気がする。
少なくとも、この半年の彼女達の努力は”
それがカサンドラには自分のことのように嬉しく思えて仕方ない。
王子と目が合う。これでいいだろうか、という確認の視線にも思えた。
場を纏めるためには、彼の一言は絶対に必要だ。
彼はいつだって調和を大切にする、そういうところも優しくて好きだなと思う。
彼との関係も前に進んでいる気がするから、心に余裕があるのかもしれない。
一見してコンセプトも全く不明、何の集まりだかわからない集団でも、楽しい時間を過ごすことができたのである。
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