第215話 <リタ>


 シャルローグ劇団の裏方としてアルバイトに雇われているリタ。


 毎週日曜日はバイトに勤しむ一日ということで、朝から晩までの労働に向かった。

 今日に限っては、周囲の人が疑問に思う大きな黒い箱を持っての出勤である。


「まぁ、リタ。それ……一体、何なの?」


 リタがその黒い箱を従業員の控室の端っこに置くと、ちょうど着替えを終えたシェリーが首を傾げて黒い箱を指差した。

 一見するとこの劇団の女優だと思える美人なお姉さんだが、彼女曰く演劇の才能がないとのことで裏方の作業を務める小道具係だ。

 手先がとても器用で、演者からの無茶な要求にもパパっと迅速に対応できる、劇団員たちにとっては無くてはならないスタッフの一人である。


 リタは早帰りの彼女と一緒に帰宅した事が一度だけあったが、まぁ、モテることモテること。

 別れる間際の大通りまで、一体何人の男性に声を掛けられたのかも数えるのが億劫なほどだ。


 動きやすい簡素な服を着て作業をしている姿ばかり見ているが、通勤の時には私服で高嶺の花オーラが満載の美人としか言いようが無かった。

 それでも女優の道をすんなり諦めているのが不思議だ。諦める必要なんかなかったんじゃないか? と思えてならない。


 曰く、『顔が良いだけじゃ食べていけないのよ、この仕事』と。

 舞台の上で稽古を続ける演者たちをチラ見しながら肩を竦められたこともある。

 顔面だけなら誰だってそれなりに整えられるが、役を演じるという行為は持って生まれた才能の一種なんだと彼女は良く語る。


 芸の世界は斯くも厳しいのだと、リタも冷や汗ものだ。

 気軽に夢見ていい職業じゃなかったなんて、子どもの頃の自分は知らなかった。



「あー……

 それ、預かり物なんです。バイトが終わったら返しに行こうかなって」


「そうなの、忘れずに渡して帰りなさいね?

 こんなに大きな荷物があったら、ただでさえ狭い部屋だし困るわ」


 銀色の髪を後頭部でお団子に纏める、真っ白な綺麗な肌のシェリー。

 以前怪我をした足も酷い捻挫だったが、痕に残るようなことが無くて本当に良かった。

 今更ながら、当時のことを思い返すと冷や冷やものだ。


「了解でーす」


 リタは明るく返事をしながら、自分の棚にバッグを置く。

 重作業に耐えうる動きやすいシャツとズボンに着替えつつ、部屋の隅に置かせてもらった黒い箱をチラっと視界に入れた。


 今日はモーリッツ爺さんはやってきてくれるだろうか。

 もしかしたら先週の話通り姿を見せなくなるのではないかとも思えたし、案外リタに勢い余って譲ってしまったことに後悔しているのかも知れないとも。

 これがとても貴重で世界に二つとないヴァイオリンであることはリタも身に染みている。


 なんだか恐ろしくて、部屋の中で一度蓋を開けたのだけどその弓を手に取ることはなかった。

 魔力というものが何たるかは、魔法講座を聞いたって原理が完全に把握されているものではないことくらいしか分からない。

 

 だが、直観的にこのヴァイオリンにはとても高度な魔法が掛けられているのではと未熟な自分にも感じ取れた。


 自分なんかが持っていて良いものではないと思うのだけど。




 ※




 毎週、劇の演目は同じものだ。

 そこに変わり映えはなく、舞台袖に待機していることが多かったので台詞だって頭に刷り込まれてしまっている。演者たちの台詞をぼそぼそと、つい同じように呟く程度には。


 演出の指示、裏でのドタバタ着替え作業、幕を引いての背景替え作業。一つの演目を完成させるためには、多くの手の力が必要だ。

 今まで演劇の勉強なんかしたこともない、ぽっと出のリタ。

 国内で最も有名な劇団に裏作業とは言え関われることは大変幸運なことであった。


 期間が区切られた一時的なお手伝いとは言え、新しい世界に触れることが出来て本当にこのアルバイトは楽しいものだ。

 その途中、聴こえた音楽に――リタは使用済みの小道具を木箱の中に片付ける手を一度止めた。


「あれ? 今日、もしかしてラルフ様が参加されてるんですか?」


 耳に触れる音楽は、いつもと同じ曲のはず。

 だがリタの耳には全く違った曲調に聴こえ、見えるはずがないのについ斜め上方向に視線を向けた。

 演者の台詞の合間、効果音の谷間。


 切なくも物悲しい、ピアノの音が劇場の中に響き渡っているではないか。


 これは楽団員の奏者によるものとは違い、別人だと分かる。


「良く分かったわね。

 そう、今日はラルフ様が訪ねて来てくれたとかで団長もホクホク顔だったわよ」


 面に出る演者、そして責任者のシェリーや大道具のおじさん等と違いただのバイトの一人であるリタは事前の打ち合わせには参加することはない。

 直接シェリーから指示を受けて動くので、劇団全体の事を把握しているわけではない。


「わー、そんな時もあるんですね!」


 初演の時にもラルフが演奏に招待されていたが、時折こうして依頼を受けてやってくることもあるのか。

 だとすればこのバイトが終わりの時期になるまで、あと何回か彼の演奏を聴くことが出来るのかな? と、期待に胸を躍らせる。


「ラルフ様が学園に通われる前はもっと頻繁に演奏に来ていたわ」


 そんな雑談も、迫り来る時間に追われてあっという間に消えてなくなる。

 美しく華やかな表舞台とは異なり、裏方には雑多なモノが溢れ怒声さえ飛び交うことがある血の流れることのない戦場のようだ。

 殺気立ち、秋も深まっているというのに籠った熱気に上せそうになる。


 リタは今日はお役御免となった邪魔な道具を収めた木箱を、一時劇場の裏手に置くように指示を受けた。


 ……ふぅ、と一息ついて上方を見上げる。

 いつも丘の上でこちらを見下ろしていた老人、彼が今日もそこにいることを期待したけれども残念ながら叶わなかった。

 本当に何の未練もなくなって、リタに渡してくれたのだろうか。

 亡くした奥さん、そして今までの音楽人生の全てが詰まった楽器をあんなに簡単に渡せるものなのだろうか?


 釈然とせず、不安が沸き起こる。

 未熟な人間が持っていては、あの楽器の持つ不思議な魔法の力に取り込まれてしまうのではないか。

 それが実際に何であるかは茫洋として知る由もないのだが、いつまでもリタが預かっていることに緊張を感じるのは事実だ。

 きっと値段などつけられない逸品なのだ、失くしでもしたら弁償など出来やしない。


 秋風が汗ばんだ身体を撫でていく。

 背中にへばりついた汗が身体の深奥を冷やし、一度だけぶるっと震わす。



 劇場の外でも、微かに音楽が鳴り響いていて耳を澄ませた。

 あともう少しだけ、この音に触れていたい。




 ※




「――ラルフ様!?」


 演目が終わった後、観客がゆっくりと捌けていく。

 がらんと静まり返った観客席を眺めつつ、舞台の上の後片付けや掃除をする時間だった。


 そんな時、急にラルフがリタに声を掛けて来たので飛び上がる程驚愕した。

 まだ全く片付けが進んでいないのに――と横で一緒に作業をする劇団員に焦って視線を向けると、「早く行きなさいよ!」と逆に怒られてしまった。

 舞台の後始末なんかより彼に応える方が先に決まっているでしょうと、半ば蹴りだされるような格好になった。

 リタは額に汗を掻きながらラルフの前に立つ。


 皆が忙しなく行き来する壇上にいても邪魔だと思い、しょうがなく控室でラルフの用件を聞くことにした。


 この金髪美形の貴公子は、ヴァイル公爵家のご令息。


 シャルローグ劇団最大の後援者と内外に周知されている関係上、彼の存在はスタッフ一同に頼もしさを与えると同時に畏怖の対象にもなり得る。

 ただの片付けの時間を、ピリリと気の抜けない一大セレモニーのような状況に変えるわけにはいかないのだ。下手をしたら本番の舞台よりも、ラルフの視線の方が緊張するんじゃなかろうか。


 狭いところで申し訳ありません、とリタはまず彼に謝った。

 謝罪の言葉を言いつつも、頭の周囲にはわけがわからない疑問符ばかりが行進している。


 ラルフがこの劇団で演奏を行うことは珍しくないのは分かったことだが、何故ただの裏方バイトに過ぎないリタに声を掛けてきたのだろう。

 丁度ここでリタに会えたから声を掛けたのだと言われ、ヒエッと背筋が戦慄いた。


 周囲の視線――いくら同級生と知られていても、気軽に声を掛けてもらうなど厚かましいと思われなかっただろうか。

 いや、話しかけてきたのはラルフの方だけど。

 頭は大混乱、ぐるぐる思考が迷走して今の状況に上手く対応できない。


「仕事中に申し訳ないね、リタ嬢」


「いえ! 私に何か……ええと、もしかして演目中に粗相でもありましたか!?」


 直接観客の前に姿を現すことはないが、何かこちらからではわからない失態を犯してしまったのかと震えあがる。

 だが正面に立つラルフは、苦笑を浮かべて首を横に振った。


 ……それにしても、やむを得ず近くの控室にラルフを通したことを後悔する。

 良く考えればここは荷物置き場であると同時に、女性団員の着替えの部屋としても使用しているのだ。


 幸い、まだ片付けは終わらないだろうし休憩時間まで遠い。

 ここに入ってくるスタッフはいないはずだが、こんな狭苦しい荷物だらけの部屋に何故ラルフを連れてきてしまったのか。


 凄く、似合わない……

 煌めく彼の容色に全く馴染まない背景に、罪悪感が波のように連続して訪れる。

 彼の背景に相応しいのは荘厳な音楽ホールだとか、花の咲き誇る庭園だとか、立派な宮殿だとか。

 こんな狭い雑多な空間に連れてきて何をやっているのだ、自分は。


 でも新参者で一時的なバイトのリタには、彼と二人で話が出来る場所は他に思いつかなかった。

 早めに用件を聞いて、お帰り頂こう。


「本当なら業務が全て終わるのを待つべきなんだろうけどね。

 ……君が真面目で働き者だということは団長達からも良く聞いている。

 今くらい、休憩を兼ねてゆっくりすればいいよ」


 ラルフはそう言って友好的な微笑みを向けてくる。

 女性っぽいとは言いたくないが、綺麗としか表現しようのない顔立ち。

 だが表情や仕草、体格などは性別を違えようもない確かな男の人である。

 そういう要素が噛み合って、中性的な印象を受ける時もあった。

 一つに纏めている長い髪のせいかも知れない。艶めき、キラキラと輝く絹糸のような金髪には憧れる。


 働きぶりを褒めてもらえるのは嬉しい。

 思わず、へらっと笑ってしまった。自分でも締まりのない顔だったと思う。


 不出来を糾弾されるのではなく、人伝でも褒められたら嬉しいものだ。


「ありがとうございます」


 それでね、と。彼はようやく、リタに声をかけた理由を教えてくれた。


「――先日、君がモーリッツのヴァイオリンを譲り受けたと聞いたよ」


「え……? あ、はい」


 ドキッと心臓が跳ねる。

 ラルフの言葉に特に負の感情は見出せないけれど、まるでリタが持っていてはいけないと言い聞かせに来た使者のように思えた。

 

「私もなんでもらっちゃったのか分からないんです!

 返した方がいいのかなって思ってたのに、今日、モーリッツさんどこにもいなくて返せないしで!

 いつもは劇場の裏にいるんですけど、その」


 あわあわ、と目と指先をぐるぐる回しながらリタはしどろもどろに口を動かす。


「経緯はデビットから聞いている。

 そもそも、君から取り上げようなんて思って来たわけじゃないからね」


 ラルフは小さく微笑んだ。

 どうやらモーリッツのお孫さんの一人の名はデビットと言うらしい。どっちがどっちだか、全く想像もつかないけれど。


「まさか、あのヴァイオリンを彼が譲り渡すなんて……驚いたよ」


 彼にとって、初めてのヴァイオリンの講師として一から教えてくれたモーリッツは思い入れのあるヴァイオリニストだ。

 ラルフ自身もモーリッツの弾く曲が大好きで、完全に宮廷楽団から引退した時には悲しんだものだ、と。彼は一瞬だけ目を伏せた。


「彼が引退する時、ヴァイオリンの処遇をどうするかで揉めていてね。

 ……彼も悩んでいたけれど、きっとあのヴァイオリンは彼が亡くなった後も一緒なのだとばかり思っていたよ」


 宮廷楽士団の新しいヴァイオリンのソリストを選出する機会が先日あった。

 声を掛けられたラルフが、同席して皆の演奏を聴いていたらしい。


 それまで異様なほど祖父の魔法のヴァイオリンに拘っていたモーリッツの二人の孫が、一切その話題を出さず。

 逆に何か吹っ切ったような、嘗てない素晴らしい演奏をして評価員を唸らせた。

 未だにどちらを任命するのかお偉いさんたちも頭を悩ませているそうだ。


 その時の話題で、くだんのヴァイオリンがリタの手に渡ったことをラルフは知った。



 モーリッツが死んだ後も一緒に埋葬されるに違いない、それくらい強い執着心に捕らわれていたはずなのに。

 いきなり、見ず知らずの他人のようなリタにヴァイオリンを譲ったということにラルフはとても驚いた。

 リタでも驚いたのだ、今までの経緯を近くで見てもっと知っているだろうラルフが信じられないと思うのも無理はない。



「やっぱり私じゃ、宝の持ち腐れですよね!

 モーリッツさんにその場の勢いでもらったんですけど、どうしたらいいんでしょう」


前の所有者モーリッツが君に譲ると言ったんだ、それこそ煮るなり焼くなり弾くなり、リタ嬢が思うように扱えば良いと僕は思うよ」


 ラルフにまで肯定されたのだから、本当にあのヴァイオリンが自分の手元に?

 え? 本当にいいの?



「今日は君にお願いがあって声をかけたんだ。

 一度でいいから彼のヴァイオリンを、僕にも弾かせてもらえないだろうか」


「も、勿論……!

 それこそ私の方からお願いしたいくらいです!」


 自分の下手っぴな演奏が、それなりに聴けるような曲になったのだ。

 もしもラルフの手で弾いたら、どんな音が響くのだろう。


 ……想像しただけで、ぐわっと血圧が上がりそうだ。

 聞いただけで魂が浄化されて天に召されそうだというイメージが過ぎった。


「モーリッツさんにお返ししようと思って、今、実物持ってます!」

 

 まさにこの部屋の隅に異様な存在感を放つ黒い箱。

 あの中に『魔法のヴァイオリン』が眠っているのだ、息を潜めるようにしてずっと。

 上階から降ってくる劇場の音楽を浴びながら。


「え? 今?」


 まさか現物がこの場にあるとまでは思ってなかったのだろう、ラルフはその紅い瞳を瞠ってリタを凝視する。

 心の準備が出来ていないとでもいうような、そんな顔。


 普段あまり見ることのない彼の別の表情をしげしげを見つめ、不意に嬉しくなった。

 彼と話をするときはいつも緊張するけれど、話しているといつの間にか楽しさの方が勝るのだ。

 多少敬語があやふやでも、変な事を口走っても効き咎めることなく華麗に聞き流してくれる。

 貴族だからとか偉い人だからという事情を取っ払っても、彼自身の余裕や同級生とは思えない大人っぽさをつぶさに感じた。


 ミーハー心でキャーキャー一人騒いでいた頃とは違い、その他大勢ではなく”リタ”としてちゃんと接してくれているのが分かる。



「良かったら聴かせてください、ラルフ様」



 リタは部屋の隅にしっかりと置かれた黒い箱の留め具をパチンと外す。

 金の留め具が外れ、蓋を開けると――中には年季の入った逸品ヴァイオリンが鈍い光沢とともに全身を現した。


 その様子を背後で覗き込んでいたラルフは、まるで子供がお気に入りの玩具を見つけた、そんな風に目を輝かせている。

 近所の幼馴染のテオが、林や森の中で面白そうなものを見つける度に「これ、オレのー!」と掴んで離さなかったあの顔だ。


「本当にいいのかな? 君が譲られたものなのに」


 彼は白く長い指先で、かつての師が愛用していた唯一無二のヴァイオリンを掬いあげる。


「まっっったく問題ありませんから!」


 リタは勢い込んで、彼の遠慮を吹き飛ばす。

 元々自分の手に余る存在。


 むしろラルフの奏でる音がどんな音色なのか、その方が気にな……



 ヴァイオリンを構えた彼が、スッと弓を弦に添えて軽く引いた。

 それと同時に、弦楽器特有の高音が狭い控室をゆっくり包み込む。 







 ――澄んだ音だった。


 技巧的な素晴らしさ云々を語れるだけの蘊蓄をリタは持ち合わせていないのだが、それは些末な事。

 

 ああ、駄目だ。何故か分からないけど、全く何も考えているわけでもないのに自然と涙が零れそうになる。

 自分では制御できない、不思議な感覚だった。


 暑かったら、汗が浮かぶ。

 寒かったら、歯がカチカチと鳴る。


 同じように、彼の演奏を聴いていると泣いてしまいそうになって驚いた。


 全く自分の意思では制御できない部分に、ガンガン遠慮なく楔を打ち付けてくる。 

 彼はただ楽器を演奏しているだけなのに、その音が近すぎるからこんなに感情を揺さぶられるのだろうか?


 理屈や理論の分からない、不可思議な力が働いているとしか思えない。

 ただ弾いているヴァイオリンが違うだけで、ここまで湧き上がる感情に違いがあるというのは不思議な話だ。


 ……本当にヴァイオリンの名手が、その情熱を以て演奏すれば。

 ラルフにとって未調律に等しいその楽器は『魔法のヴァイオリン』の実力を遺憾なく発揮することが出来るのか。



 目を閉じるとふわふわとした感覚に陥って、雲の上に座っているような気持ちだ。





 ラルフがそのヴァイオリンを操っていたのはたった五分もない短い時間だったが、それでも彼はとても嬉しそうだった。



 演奏が止み、ふと視線を感じて扉の方を振り返ると……

 少し、隙間が開いている。

 覗き込む多くの視線、ほぼ全ての劇場に関わる人たちが小さな扉の向こう側で息を潜めて今の演奏に聴き入っていたのではないだろうか。

 狭い廊下に、多くの人間がぎゅうぎゅう詰めに集っている様は異様な光景である。


 しかも、彼らがリタと同じように”感涙”しているのだから。


 ……これが、本物の威力なのか、と。

 そっと箱の中に戻される『魔法のヴァイオリン』が一層自分には分不相応な代物なのではないかと。

 空恐ろしさに包まれ、リタは左胸に手を当てる。



 今までになく、激しい鼓動が掌を打ち付けた。



「……想像を超える逸品のようだね。

 貸してくれてありがとう」


 彼は微笑みながら、パチンと黒い箱の留め具を掛けた。





 ※






「お礼というわけではないけど、もし時間があるならこれから一緒に食事でもどうだろうか」


 予期せぬ誘いの言葉に、放心状態だったリタの意識がハッと現世に立ち戻る。


「え!?」


 ラルフと一緒に食事!?

 それは嬉しい、前回とは違って大勢との打ち上げではなくて二人で……?



「劇場近くに普段利用する餐館レストハウスがあるから、そこに行こう。

 今日は早めに切り上げてくれるとありがたいな」






 彼の唐突で、思いつきに過ぎない食事への誘い。



 ――それがどういう結果に結びつくかなど、喜びの余り小躍りしかけているリタにはわかるはずもなかったのである。






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