第214話 <リゼ>
どうしてこんなことになってしまったのだろう、とリゼは頭を抱えて蹲りたい状況に陥っていた。
別に悪いことは何一つしていないというのに!
何て運の悪い日だ。
午前中、フランツが特別に剣術の休日特訓を引き受けてくれたのでいつものように徒歩でロンバルド大邸宅にお邪魔していた。
いや、居住区ではなくてただの兵舎に立ち入っただけなので厳密にはロンバルドは関係ないかも知れないけれど。
いつもと違ったのは、フランツからもらった剣を背中に背負ったまま走って向かったということか。
模造剣とは言え重量はほぼ変わらない、手に持って振ることは慣れたが背負って走るのはかなり苦労した。
フランツの本来の職場である兵舎で指導を受けた後、そこで調理場から余分にもらったという握り飯をご馳走になった。
お腹がぺこぺこ状態なので、ただの塩っ気のある握り飯でもいくらでもお腹の中に入る。
満腹状態のリゼは、動きやすい服装で灰色の長袖に長ズボンという年頃の女子にはいたく不似合いな格好でお腹を摩っていた。
リゼの格好をなんだか不憫に思ったらしいフランツが剣を預かってくれ、『その、なんだ。服でも買いに行ったらどうだ……?』と遠慮がちにアドバイスしてくれたのだ。
父親程の歳のおじさんに服を買えと言われる状況とは何事か。
まぁ、剣を持ち歩かず街を歩けるなら帰りは街中の散策でもして帰ろうかなあ、と。
そう思ったのが全ての発端だったのか。
確かに地味で野暮ったい服装なのは花も恥じらう年代の乙女にどうかと思われてもしょうがないが、リゼは元々服装にこだわりなどない。
身を飾ることに元々興味も薄く実用主義者なので――動きやすいこの訓練着は結構気に入っている。
古書屋にでも寄って帰ろうと大通りに出たリゼは、今、精悍な二名の騎士に睨まれ重々しい態度で詰問を受けている真っ最中だった。
路の端に連行され、真っ白な騎士の衣装に身を包んだ腕っぷしの良さそうな騎士二名。
彼らは今にもリゼを衛兵の詰め所に連行しそうな、そんな険しい表情で前に立っている。
「だから私は何もしてないんですよ。
この子の事、知りません!」
何度目か分からない、否定の声は彼らには全く信用してもらえていないようだ。
元凶となった子供は別の騎士にしっかりと掴まれていて、お互いに逃げようのない状態で同時に尋問されていた。
※
ロンバルド邸からゆっくり歩いて古書屋に向かっていた。
走り込みをするでもなく、街の景色を眺めながらの落ち着いた時間を満喫していただけだ。
大通りに出た瞬間、リゼは前方に子供がいるなー、と視認していた。
勿論人通りの多い場所に子供がいることは何ら珍しいことではない、視界に入っただけだ。
見たところ自分の半分くらいの年齢の少年が前を歩いている。
ごく普通の光景だと、気にも留めていなかった。
ふと、何かの拍子にこちらの姿を振り返って確認した少年は――げっ、と顔を歪めて急にリゼから逃げるように駆けだしてしまったのだ。
見ただけで脱兎のごとく逃げられるような顔をしているつもりはないのだが。
その反応に唖然としたのも束の間の話、その少年は急に大通りを横切ろうとして――
「――危ない!」
彼は物凄く立派な二頭牽きの馬車の前に飛び出してしまったのだ。
リゼの顔を見て脊髄反射で駆けだした結果の前方不注意。
急に横から飛び出してきた少年を、幸い馬の手綱を握る御者がスマートに避けてくれた。
だが相当偉い人が乗っているらしいその馬車には数名の騎士が護衛として随従している真っただ中。
恐怖と驚愕、そして安堵のせいか腰砕けになって地面にへたりこんでしまった少年を、数名の騎士が取り囲む。
高位貴族が乗っていそうな馬車の進路に飛び出るなど、愚かなことを……
リゼは肩を竦め、その様子を眺めていた。野次馬根性などは持ち合わせていないけれど、どうも少年の挙動が気にかかったので足を留めたのは事実だ。
騎士に詰問を受ける少年はべそをかいていた。
そして何故か無関係のリゼを指差し、泣きじゃくってしまったのだ。
その間にも馬車は急ぎの用なのか既に出立した後。
残された騎士の二、三人はとび出した少年の事情を問いただそうとした。いくら子供でも危険な行為は許されない事だし、万が一牽かれては大事故に繋がる。
怪我をするのが自分だけならまだしも、馬車の中に乗っていた貴人が身体を打っただなどということになれば責任を負えるものではないのだから。
この時点では完全にリゼも他人事だった。
巻き込まれたのは、少年の供述という名の指差しのせいだ。
「ちが、俺、俺……
あのひとに! 怒られると、思って! 睨まれたし!」
騎士達の視線は、リゼに向けられた。
「え? 私?」
それまで野次馬がわらわらとリゼの周囲にも集っていたが、事に関わる人物だと認知された瞬間潮が引くようにザァッとリゼの周囲から人が消えた。
皆巻き込まれないよう、機敏な動作でそそくさと去っていくではないか。
全く予期せぬ事態に巻き込まれ、リゼは騎士に事情を問われることになったのである。
リゼが少年を脅かし、追い詰めたせいで彼が馬車の前に飛び出した。
その結果馬車の行く手を阻んだことになるのなら、後ほど少年とともに罰せられるかもしれないと言われてリゼが目を剥いたのは当然だ。
誰も怪我がなかったんだから良いじゃないかというわけにはいかないらしい。
何故ならあの馬車は、王家御用達もので――そう、王様だか王子だかは分からないが王族が移動中のものだったのだという。
やたらと豪奢だと思ったのも納得だが、頷いて感心している場合ではない。
馬車の進行を妨げることは咎めに値する、と。
そう淡々と騎士達に声を掛けられたリゼは何度も無関係だと証言を繰り返し、今に至る。
だって本当に知らないのだ、この少年のことを。
怯えられる理由もないし、初対面なのに顔を見ただけで逃げ出されて尋問を受けるなんて……!
酷い話だ。
だがいくら知らないと言っても、少年は泣きながらリゼを指差して「あの人に怒られる」と繰り返す。
大きな問題は”会ったことがない”ことを立証するなんて不可能だということだ。
まさかの楽しい休日の午後が、衛兵の詰め所に連行されて事情聴取とかそんな馬鹿な話があってたまるか。
本当はもっと強く反論したいし、騎士達にガツンと一市民の抗議を力強く訴えたい。
だが――
リゼは学園卒業後、騎士団内に進路を考えている状態。
ここで騎士と揉めるわけにはいかない、どんな事を吹聴されるか分かったものではないし。
王族の馬車に随従できるということは結構な実力者に違いない、心象を著しく損ねるのは悪手だと危機感が警鐘を鳴らす。
迂闊な言動は身の破滅、かといってどうすれば?
一体全体、この少年はリゼに何の恨みがあって事件に巻き込もうとするのだ。わけがわからない。
ほとほと困り果てているところに、救いの手が現れた。
「何かあったのか?」
流石に大通りもざわめいていて通常通りとは言い難い。
原因たる馬車が去った後も、道の端で目立つ騎士の衣装を着た青年達に詰め寄られる状況は人目を引くに十分なものだったのだろう。
聞き覚えのあり過ぎる声に、その場の皆が一斉に顔を上げる。
『ジェイク様!』
リゼと、そして騎士二人の声が同時に重なる。視線を集中されることには慣れているのか、ジェイクは驚きもしなかったようだが。
騎士達の方が逆に何故自分が彼の事を知っているのかと言わんばかりに目を白黒させ、ジェイクとリゼとを交互に視界に入れていた。
「リゼ? ……それにお前ら、今日アーサーの護衛じゃなかったか?」
今のリゼは騎士団に所属中の騎士二人にあたかも叱られているかのような状況だ。
かなり情けないが、自分一人の力で何事もなく切り抜けられる段階でもなく、どうしようもない。
「実はですね、そちらの少年が止める間もなく、急に馬車の前に飛び出してきまして。
あわや大事故を引き起こすところでしたので、我々としても看過することはできません。経緯を聞き取っているところです」
ジェイクがチラっと少年を一瞥する。
近くで騎士に詰問を受けている少年が、驚きの余りに飛び上がる。
まぁ、大柄な男性が一人増えれば威圧感も増えるか。
「そうか。
怪我はなさそうだし、衝突しなくて良かったな」
「……あの少年が言うには、彼女に脅されて反射的に路上に飛び出してしまったのだとか」
彼女、という指示語に促されるように、ジェイクがリゼの様子を確認する。
「あの子供、お前の知り合いか?」
「いいえ、全く。会ったのは今日が初めてで。
顔を見た瞬間急に逃げ出されて、驚いたのはこっちの方なんですけど」
「ぶつかってきたからとかの理由で、睨んだりしてないよな?」
自分はジェイクの目に一体どういう人間性だと映っているのか。
いくらリゼだって、七、八歳の子供がぶつかって来たくらいで怒鳴り上げるわけがないだろうに。
そこまで短気な人間だと?
「してませんよ! 」
「だよなぁ」
「え、ええと……
ジェイク様のお知合いですか?」
「知り合いっていうか同級生だ。当然アーサーの”学友”って奴だからな」
こんな服も買う金がないのかと言う格好で「王子の知り合いです」なんて申告しても絶対に信じてはもらえなかっただろう。
だがジェイクの言葉は彼らにとっては疑う余地のないものと捉えられるらしい。
流石の縦社会である。
騎士達は顔を見合わせた。
それまでの高圧的な雰囲気、こちらが悪いのだろうとの決めつけがなりをひそめたのは有難いのだが。
鋭い視線が少年一人に向かうのも見ていて気分が良いものではない。
そんな中、ようやくリゼは最大の疑問を少年に直接聞くことが許された。
「どうして私の顔見て逃げたの?
私はあなたの事、全く知らないんだけど」
「だ、だって……」
少年は完全に泣きはらした腫れぼったい目を更に擦って、しゃくりあげる。
漸く彼が教えてくれた理由は、全くリゼに心当たりのないものであった。
夏の終わりごろ、少年は友人たちと別の大通りで待ち合わせて遊んでいたという。
店の壁に立てかけている太い材木の傍で押し合いへし合いの事態になり――何と、その数本の重たい材木が彼ら目掛けて倒れ掛かって来たというのだ。
その際、身を挺して一人の美女が彼らの身を守ってくれた。
とても大きな音がして、完全に彼女の足が材木に潰されてしまっているように見えて怖くなった彼らは、礼も言わずに逃げ出したのだという。
その一部始終を具に間近で見、材木を除け怪我をした女性を助け上げた少女がいた。
それがリゼで、自分に見つかったらきっとその時のことを糾弾されるし何なら親を呼び出されるかもしれないと怖くなった。
二か月も前のことだからと安心できなかったのは、庇ってくれた女性の足が二度と動かなくなってしまったのではないか? と、ずっと罪悪感に駆られていたからだ。
そんな
リゼの顔を見た瞬間弾かれたように逃げ出した結果が、今の状況であるのだとか。
「ほ、本当は謝りに行こうって思ってたんだけど……
皆はほっとけって言うし。
……あの人、足、大丈夫だった?
もしかして、無くなっちゃった……?」
少年は怯える表情のまま、リゼを見上げてくるのだが。
「いや、だからそれ私じゃないし。
……ん?」
今の少年の話に聞き覚えがあるような気がした。
最近では自分達を間違えるような人がいなかったのでスッカリ忘れていたのだけど、よく考えなくてもリゼは三つ子であった。
「それ、私の妹のリタの事ね。
聞き覚えがあるのよ、その話」
リタがその怪我をした女性を診療所に連れて行ってあげて、その縁があって確か今日も劇団のアルバイトに勤しんでいるわけで。合縁奇縁とはよく言ったものだ。
彼女の怪我も癒えたというし、禍根は残っていないように見える。
「……妹? でも、そっくり」
少年は一層口をぽかんと開けて指をさす。
まるでおばけか幽霊を目の当たりにしているかのような顔だ。
「三つ子よ三つ子。顔は一緒だからね。
私が聞いた限りでは、その人の怪我も随分前に治ってるはずだし、妹もそれがきっかけで良いアルバイトが見つかったって話だし。
会ったところでいきなり怒鳴られはしないんじゃない?
謝りたいって言うなら、それを伝えるのは構わないけど?」
「ほ、ほんと? 足、ちゃんとついてる?」
大丈夫と念を押すと、少年はほーーっと息を吐いた。
リゼの顔を見て逃げてしまう程の罪悪感に苛まれていたのか。
確かに自分を助けてくれた人に礼を言うどころか怖くなって逃げたなんて、道理のない話だ。気にかかり続けるのもわかる。
「そういう事情ならリゼは本当に関係ないだろ、別人だ。
誰も怪我しなかったんだしな、それで子供を泣かせるまで詰め寄るとか外聞悪すぎるだろ。
アーサーにはフォロー入れとくから、調書だけは適当に書いて出しておけよ?」
どうやら近くの詰め所に連行されて拘束されるという最悪の事態だけは免れたらしい。
「……そうですね、人違いが理由であれば……ええと、不運が重なったということで宜しいのでしょうか?」
ジェイクが頷くと、それならしょうがないとそれ以上の話しかけは一切行われなかった。
ありがたや……と、心の中で手を合わせておく。
もしもジェイクが声を掛けてくれなかったら、彼らも聴く耳を持たずに少年ではなくリゼを一方的な悪者にしてきたかもしれない。
その時に少年から事情を聴いたとして、リゼも勿論反論するけれど。
頭から素直に言い分を呑んでくれたかどうかは分からない。
下手をしたら本当に三つ子か他の二人を連れて来いなんて面倒なことを言われていたかも。
三つ子と言う回避しようのない偶然が、こんな形で牙を剥くとは。
最近はめっきりそんな機会もなかったので驚いた。
「あの、本当に……あの時、みんなで逃げちゃってごめんなさい……」
リタの話からすると、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったそうだ。
それでも気になって物陰から様子を伺っていたのだろうか。
様子を言葉で聞けばかなり凄惨な状態だったらしいし、”怒られる!”と逃げ出したくなる心境もわからなくもない。
リタにはちゃんと伝えておこう。
※
「はぁ……どっと疲れました」
ジェイクが来てくれなかったらこんな無駄な話にまだ付き合わされていたのかと思うとぞっとする。
「災難だったな、ホントに。
その恰好、これからフランツに会うのか?」
「いいえ、その帰りです。
午後からはゆっくり過ごそうかと」
彼に指摘されて、現在の自分の姿に思い至る。
どこからどう見ても女性らしさがゼロ、普段着と言うにも烏滸がましい上下揃いの灰色の長袖にズボン……!
動きやすいから気に入っていると言っても、流石に好きな人の前で堂々と出来るものではない。
リゼは急に恥ずかしくなって、穴があったら入りたい衝動に駆られる。
フランツ教官、貴方が正しかったです……!
服を買え、と言ってきた彼の言葉が今更後頭部にめり込んだ。
「じゃあ、今日夕方から暇か?」
何かを思い出したように、彼はそうリゼに話しかけてきた。
先ほどまでは自分の前途を考えて胃が痛い状況、あまり周囲を見る余裕が無かったのだけど。
さっきまで自分を責めるような態度だった騎士達と同じく、白を基調とした騎士の紋章入りのロングコートを来た彼の姿の眩しさに目がくらみそうだった。
一瞬嫌な思い出になりかけた衣装さえ、その印象を一瞬で翻す威力がある。
勿論白も良く似合っているが、同じデザインで黒色の服がかっこよかったなぁ、と収穫祭の時の事を思い出してしまう。
「え? はい、用事は何もないです……けど?」
「俺も頼まれごとが終わりそうだし、今日夕飯でも食べに行かないか?」
「……? え?
………ええええ? い、良いんですか?」
というか、何故!?
急な提案にリゼもこれが現実なのか否か、一瞬頬を抓りたくなるのを堪える。
「うちの奴らが迷惑かけたみたいだし、その詫びついでに」
誘われて、それを断るような理由など全くない。
地獄から天国に浮き上がったような感覚に、リゼは内心で手を叩いて喜んだ。
まだ用事が残っているので、終わり次第迎えに来るからと彼は足早に通りの向こうへ去っていく。
日曜日という非番の日にも仕事に追われるのは大変だなぁとしみじみ思うのだが、そのおかげでこんな幸運が舞い込んだのだ。
人生何が起こるか分からないものである。
夕方、この通りの大時計台の傍で待っていればいいという話だが……
――よし。一旦帰って着替えてこよう。
リゼは寸分の遅れもなくそう判断し、足早に寮の自室に向かう。
既製の服を買う余裕もなければ、選ぶ心の余裕もない。
リタもリナもアルバイト中、外出着を借りることはできない。
クローゼットから引っ張り出す洋服に、選択肢さえ存在しなかった。
やはり自分に欠けているのは女子力だと痛感する。
でも今更、どうしようもない。
後悔よりも、この先に待っている楽しいことを考えよう。
リゼの足取りはとても軽かった。
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