第213話 トラップ回避?


 まさかの事態にカサンドラはかなり戸惑ってしまった。

 青天の霹靂とはこのことかも知れない。


 だが話題の中心、キャロルはこの場を提供してもらったことに安心したのだろう。

 随分と笑顔が増えたように思えて、その点だけでカサンドラも人心地つけた。


 一つ年上の先輩なのだが、どう見ても年上としての威厳は感じられなかった。

 アイリスを実の姉のように慕う妹キャラそのものである。


 アイリスに無茶ぶりをされたと最初は感じていたのだが、むしろこの事態を見過ごして黙って学園を去られていたら――

 来年以降必ず爆発する問題が学園内に仕掛けられたままだったに違いない。


 自分の家の事情を出来れば知られたくないだろうに、アイリスはやはり根が真面目な人なのだなと思った。

 彼女に言わせれば、カサンドラを利用してしまったということになるらしいが、どちらにせよ教えてくれない方が大変な事になっていた。

 自分が陣頭指揮を執るわけでもなく、彼女達と普通に仲良くしていれば場が収まるというのなら。

 やってやれないことはないのではないか?

 アイリスも協力を申し出てくれているのだし。


 ……シャルロッテだって、陣営がくっきり分かれている学園の現状を『馬鹿らしい』と切って捨てていた。

 あの時は何という大胆で怖いもの知らずなお嬢さんだと冷や汗ものだったが、今となってみれば彼女の希望に添える話ではないか。

 だからシャルロッテに反目されることはないだろうとここは安易に考えて安心しておく。


 問題はミランダだが……


 現時点で婚約者問題なども起こしておらず、むしろ恋人とラブラブ絶頂期。

 多分心に大きな余裕がある時期だと推測する。


 それに――彼女はカサンドラにリゼの水責めシーンを見咎められたという事実がある。

 もしもこちらの声掛けに嫌な顔をするようだったら、背に腹は替えられなのだからその事を引っ張り出して交渉していく他ないかもしれない。



 ケンヴィッジ家のガーデンパーティは大変盛況で、どちらを向いても社交界に名の知れた大物ばかり。

 ゆえに王子とも面識のある招待客も多く、彼の周囲はいつ見てもひっきりなしに人だかりという事態に。


 まぁそんな事には慣れっこである。

 カサンドラはカサンドラで、アイリスの婚約者であるレオンハルト公子を紹介してもらったり、キャロルはキャロルで「結婚なんて考えられないのに」と愚痴る姿を見せてくれるまでになった。


 引っ込み思案で他人が苦手になってしまったキャロルが、いくら親とは言えラルフに故意に近づいて見初められろと言われ続けるのが苦痛で仕方ないらしい。

 誰でもいい、ラルフに正式なお相手が出来てプレッシャーから解放されたいと、彼女は遠い目をして告白してくれた。


 ケンヴィッジの義姉妹のような人間と付き合いが続いていくのなら、いっそ修道院にでも駆け込んで世界平和でも祈りながら暮らしたいのだとも。本気か冗談か真顔で呟いていた。

 本当にどれだけの心の傷を負っているのかと、カサンドラもつい眉を顰めてしまうような状況だった。


 このガーデンパーティ自体も、妹達が家族旅行をすると聞いて計画したものだったらしく、一切の憂いなく生き生きと皆がパーティを楽しめているのが――逆に三姉妹がいる普段の様子を伺わせる。

 現実に会った人でないと、あの徒党を組んだ姉妹たちの姦しさは理解してくれないだろう。


 何故彼女達が悪役令嬢でなかったのかと思ったが、まぁ実のところアイリス自身がゲームには存在しなかった。表現が多少おかしいが、アイリスはカサンドラにとって”架空の人物”だ。

 そのアイリスの縁続きの人間、性状や為人に縛りや制限はない。


 ……カサンドラが今まで見て、出会ってきたお嬢様はアイリスを始めとして皆良い人ばかりだった。そう、主人公の周りには憎み切れないお邪魔キャラのカサンドラがいただけで、皆良い人ばかりだった。


 現実にこうした性格の良くないお嬢さんがいないと、世界が綺麗すぎて逆に『現実』との整合性が保てないのかもしれないな、と。

 漠然とそんなことを考えていたカサンドラである。


 会う人会う人、善人で悪意のない綺麗な世界なんて御伽噺ファンタジーの中にしかない。

 人がこうして実際に生きて生活して、何百年もの歴史を刻んだ生きている世界。


 人が生きていれば欲望や悪意は衝突し、尽きることは無い。

 彼女達はいわば、それらの昇華先。この世界が生きているという証なのだと無理にでも受け止める他ない。あって欲しくはないが、バランスをとるための必要悪――にしては少々度が過ぎて閉口ものだけど。



 できればこの世界で、主人公である三つ子達に接触や影響がないことを祈るのみだ。

 優しい恋愛世界に生きる彼女達に、それは少々負担が大きい存在だと失礼ながら思ってしまった。




 ※




 パーティがお開きになる頃合い、ようやく王子がカサンドラを迎えに来てくれた。

 主催者であるアイリスに挨拶をするために来たついでなのかも。


 毎週のように顔を合わせている王子とアイリスの二人であるが、こうして制服ではなくパーティ用の衣装に身を包んだまま対面している姿を見るのは新鮮だった。

 王子は言うに及ばず、アイリスもとても品のある麗しい深窓のお嬢様である。

 二人が僅かな時間とは言え、にこやかに談笑する姿は絵画に写して飾っておきたい程目に幸せな光景であった。


 カサンドラだって綺麗なものや美しいものは好きだ。

 嫉妬を覚える以前に、ひたすら上流階級同士の雲上人の様相だなぁ、と。

 傍で見ていて眼福を味わっていた。


「カサンドラ嬢、そろそろお暇したいと思っているけれど。

 君はもう少し滞在を希望するだろうか」


 普段会話をしないヴァイル派のお嬢さん達と、距離を保ちつつも今までより親しく話が出来たのは楽しかった。

 だがどうせこの場にいたって、王子が別の人に取られてしまうだけ。

 それならと王子の傍に齧りついたところで――カサンドラへの好奇心などで不躾な質問が頻発するだけだろう。最初で懲りた。


 自分が主催した側ならともかく、この状況で最後まで残るのも少々気疲れする話だ。


 カサンドラが会場を辞したいのだという表情や雰囲気だと察した王子は、ごく自然な仕草でカサンドラの隣に立つ。


「では、アイリス嬢。また学園で」


「王子にお会いできて、大変嬉しゅうございました」


 アイリスも無理に引き留めることなく、カサンドラにも同様に頭を下げる。

 今日の目的は達成したと言わんばかりの満面の笑顔。


 王子とカサンドラを同時に招待出来た事。

 そしてキャロルの事情を伝え、カサンドラの理解と協力を取り付ける事。


 彼女にとってこのガーデンパーティを企画した目的がそれらだとしたら、パーフェクトな結果だったに違いない。


 次の国王、王妃と親しいところを証明でき、自分の足場固めも出来る。

 その上で諍いの種を最小限に留める算段がとれたとしたら、満点の結果と言って良いだろう。


 だからと言って彼女が計算高いと思えないのは、彼女の性格を十分知っているからだ。

 キャロルの件はさておいて、王子とパートナーなのだと公的な場所でアピールできたことは嬉しかった。


 まさか自分の屋敷でパーティをするから王子も同席して下さいだなんて言える関係でもないし。

 お願いしても嫌な顔をするような人ではないけれど、彼が良い人なのにつけこんで無理を押し通しているようで良心も痛いし。

 そもそもカサンドラは昔からそんなにパーティが好きではないのだ。


 やむを得ない事情があるならともかく、お茶会の企画くらいしか今まで自主的に行ったことはなかった。





 ※





「本日はパーティに同行して頂き、誠にありがとうございました。

 ……王子とご一緒出来て嬉しかったです」



 今日一日が終わったという安堵感ゆえか。

 パーティ会場から抜け、馬車に乗った途端の心理的解放感ゆえか。


 目の前にいる王子に緊張を覚えるより先に、ホッと安心感の方が先に言葉に出てしまった。


「こちらこそ誘ってもらえてよかった。

 学園に入学してからというもの、普段公の場に顔を出す機会も中々なかったからね。

 久しぶりに見た顔も多かった、充実した一日を過ごすことが出来たよ」


「今日も絶え間なくお話の相手を要求されていましたね」


「そうだね、彼らと話をしていると自分の知り得ない他領の様子も知れて勉強になる」


 カサンドラからしたら社交辞令や腹の探り合いの『大人の会話』を楽しめることに驚愕が先走るが。

 王子は純粋な王宮育ちなのだから、偉い大人たちとのやりとりは日常茶飯事で全く苦ではないのだろう。

  

 感心した様子で彼の様子を正面から眺めていた。

 来た時と同じように王家御用達の白馬二頭牽きの箱馬車の中、微かな振動を感じつつも柔らかい長椅子に座っている。

 行きの馬車――と思い出そうとして、一気に顔が赤くなりそうだったので出来るだけ意識を逸らすように頑張った。


 あれはただの事故だ。

 いたたまれず、ぎゅっと腕を片手で掴んだ後視線を横に逸らした。

 行きのアクシデントの影響だろうか、馬車の歩みもやや慎重気味に感じられた。


「ところで、アイリス嬢たちと何やら話し込んでいたようだけど。

 何かあったのかな?」


「え、ええと……特に、王子にお伝えするにあたう話題ではありませんので」

 

 一体あの話を王子にどう説明しろというのか分からず、少ししどろもどろだ。

 日常、カサンドラの会話内容などに言及することのなかった彼が急に尋ねて来たのでつい挙動不審になってしまった。

 普段肩や背を覆い隠している長い髪がアップにまとめられているからだろうか。

 ざわっと首筋が冷えた気がした。


 そんなカサンドラの動揺が顔に出てしまったのだろうか、彼も若干慌てた様子で掌を横に振る。


「勿論君たちの会話に興味を差し挟むつもりはないよ。

 私には門外漢のことだろうし。

 ……だが深刻そうな話に見えて、ずっと気になっていたのは確かだ」


 一般的に、貴族の奥様が旦那の仕事に嘴を挟むことはマナー違反という風潮がある。

 それと同時に女性たちの井戸端会議や社交界の噂話に男性が乗っかるのも良い印象がない。


 少なくとも彼は保守的な価値観を持っているはず。

 だから自分が失礼な事を聞いたと慌ててしまったのも無理はないことだ。


 ……あんなに忙しなく大勢と応対していたのに、こちらの様子を気にかけてくれていたのかと思うとちょっと嬉しい。

 広い会場内の端と端だったから、殆ど視界に入っていないのかと思い込んでいた。



「君達の間で何かトラブルがあったのなら、力になれればと考えているよ」


 彼は全く裏表を感じさせない、きっと本心からそう言っているに違いないという言動を続ける。

 キャロルの話は愛想笑いも出来るような話ではなく、どうしても真面目な顔で頷かざるを得なかった。

 長くなかったとは言え、やはり人が傷ついたという話は心に痛く重たいものだ。


 その一瞬の憂いをちゃんと拾い上げてくれていたのか。

 もしや王子の頭の後ろにはもう一対の目があるのでは? と驚いた。


 ……カサンドラはそっと己の胸元に片手を添える。


「ありがとうございます王子、そのお言葉だけで十分心強く思います」



 ミランダ、シャルロッテ、キャロルと親しくなるということ。

 そして来年度入学してくるアイリスの腹違いの妹達が混乱を生じさせるのではないかという懸念を払しょくすること。


 ――もしも本当に女子間でどうにもならない争いが起こってしまったら、王子はその混乱を収めようと率先して動いてくれるだろう。

 先にミランダ達に「カサンドラと仲良くするように」と圧力を掛けることさえ、彼ならば可能だ。王子が命令するなら誰も逆らえない。


 だがそれをお願いしてしまったら自分の無能さを彼にアピールするだけではないか。

 要らない手間をかける上、女生徒間のいざこざも自分達で解決できないのかと失望されてしまうだろう。

 口に出して言われなくたって、カサンドラは彼に足手纏いだなんて思って欲しくないし。

 頼りにならないなんて思われるわけにはいかない。


 自分が苦しい状況なのを助けてくれと縋る相手に、一体誰が自分の抱える悩みや事情を語ってくれることだろうか。

 よしんば今現在悩みが無かったとしても、今後必ず訪れるであろう悪魔に取り込まれる前段階――事を起こす前の打ち明け先にカサンドラの名を思いつくわけもない。



 気持ちは嬉しいが、”お任せ”することはできない。



 彼の優しさは今のカサンドラにとってはトラップだ。

 喜んでその申し出に飛びつけばあっさり解決してくれる替わりに、信用が底辺に落ちるという。


 その話題から逸らすよう、カサンドラは何とか会話を探し出す。



「そういえば、王子。

 会場に向かった時とは違う方向のようですが、南側を通っては時間が掛かるのではないでしょうか」


 車窓から見える景色はカサンドラが想定していた街並みとは違った。

 こちらの方角は、以前観劇に向かう際に馬車で通った賑やかな大通りに繋がっている。


 カサンドラとすれば、王子と一緒に馬車に乗れる時間が増えるのは有り難い事なのだが。

 まさか来るときに馬車の前にとび出したという少年に何かあって、この目立つ馬車で通りがかることの出来ない事情でも生じてしまったのか?


 など、要らぬことばかり脳裏に過ぎってしまう。



 すると彼は、不思議そうな顔でこちらを見遣り首をかしげる。

 顎元に手を添えて。


「ごめん、先に伝えたつもりでいた私のミスだ。

 ガーデンパーティの時間を考えたら、夕食は別のところで一緒に出来ると思い込んでいたから。

 ……もしかして、この後何か用事が……?」


 だとしたら勝手な指示を出して申し訳ないと顔を曇らせる王子。

 今にも馬を駆る御者に行き先の変更を告げようと腰を浮かす直前の彼を前に、カサンドラはかなり慌てて取り乱す。


「いえ!

 とても嬉しいです! ……こちらこそ、前回の事があったというのに全く気が利かず……!」




 普通に考えたら、まだ夕方。

 観劇の時にもそうであったように、パートナーと外食をすることに何の不都合もない。

 いや、そればかりか折角馬車で送り迎えをしてくれる段取りだった。



 カサンドラが予め彼の分まで夕食を用意させておくべきだったのでは?



 家まで送ってくれるという王子に、感謝の言葉を述べつつ夕食を勧めれば王子を家に招くこともできただろう。

 今日同伴してくれたお礼も出来る。


 そもそも前回ご馳走になったのだからこちらがお返しの席を設けるべきだった…など、色々な後悔が頭を渦巻く。ああああ、と呻いて頭を抱えたい気分だ。



 パーティに参加することに浮かれて地に足が着いていなかった……!

 カサンドラが何も進言しなかったので、王子が気を利かして外食と言う体裁で提案してくれたのか?

 それとも本当に最初からそのつもりだったのかはもう分からない。



「用があるなら無理しなくてもいいからね?」




「無理だなどと! 何を仰るのですか王子、ご一緒出来てとても嬉しいです……!」





 懸命の訴えがどこまで彼に届いたのかは分からないが――以前カサンドラが招待された餐館の前に、乗っていた馬車が静かに止まったのである。




 ――次は、ちゃんと家で食事の支度を頼んでこよう……




 次回があればの話だが。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る