第212話 キャロル


 

 ――マディリオン伯爵令嬢と紹介を受けた女性は、カサンドラのことをじっと見つめていた。

 一言も喋らないどころか微動だにしないその姿に、ああ、自分が話しかけなければいけない場面かと思い至る。


 地方の侯爵令嬢と中央の伯爵令嬢、親の爵位は一応カサンドラの方が上だ。

 内実、実権の面においてはマディリオンのような伯爵家に比べられれば難しい立場ではあるのだが。


 所轄領の広さは負けてはいない、レンドールは南部を治める大貴族。

 でも結局、その地方をまとめる大義名分を与えられるのと同時に中枢部に莫大な金品を献上しなければいけないので……

 結局のところ、中央に限りなく近い彼女の実家の方が立場が上なのではないかと思う。


 社交界では身分の差に厳しいけれども、発言力や立ち位置がそれに完全に比例することは中々ないようだ。


「こうしてお目に掛かることができて光栄です、キャロルさん。

 わたくしはカサンドラ・レンドールと申します、見知りおきくださいませ」 


 カサンドラ比の中では、可能な限り友好的な笑顔を浮かべたつもりだ。

 黙っていれば不機嫌に見られがちな地顔であるが、他の人には及ばなくともそれなりにやわらかい笑顔くらいは浮かべられているはずだ。

 美人と言われ得る範疇の顔なのに、生まれ持った顔立ちがこれほど人付き合いの面で足を引っ張るとは。


「………。」


 だが彼女はじーっとカサンドラを正面から見つめていたかと思うと、途端弾かれたように顔を逸らす。

 そして二人の間に立っていたアイリスの背後にスススと移動し、彼女の腕をぎゅっと掴んだのである。



 ……え。私、そんなに怖い、威圧感のある表情だった……?



 少なからぬショックを受けたカサンドラの心情を理解してくれたのか、アイリスは文字通りの困った顔で頬に手を当てこちらに向き直る。


 もじもじと所在なく指先を動かすキャロルの姿は、とても上位貴族の令嬢には見えない頼りない姿であった。

 話しかけた事は殆ど無いはずだし、学園内ではシャルロッテもキャロルもどちらも沈黙を保つレディという印象しかなった。

 あまり騒々しく軽薄というイメージがあっては派閥の”長”として困るだろう。

 下っ端の取り巻き令嬢ならまだしも。

 寡黙気味で目立たず粛々とその場にいるだけで場を収めることができる、それが彼女達に求められる姿というものだ。


 尤も、シャルロッテの場合は実際にあまりペラペラしゃべられてうっかり言葉尻を捉えられてはいけないという兄の判断で無理に大人しくしていたわけなので、内情については様々なのだろう。

 このキャロルの場合は……


「申し訳ありません。

 この娘は、極度の上がり症でして……初対面の方とお話をすることが本当に苦手なのです。

 ですから私もキャロルさんを役員にという話はやんわりと遠ざけてきたのですが」


「は、はじめ、まして……」


 その掠れるような消え入る彼女の声を聴いて思った。

 シンシアよりもずっと酷い上がり症だ、と。これは上がり症というより、対人恐怖症に近い。

 学園ですれ違ってもパッと見るだけだと分からないものだ。

 シャルロッテの時にも思ったが。


「これには事情が……

 いえ、私の責任でもあるのです」


 周囲にあまり人がいない事を確認しつつ、アイリスは出来るだけ隅の方に自分達を誘導する。

 チラチラと視線は感じるものの、このパーティに出席しているのは皆ヴァイル派という結束でまとまっている。

 凡そキャロルの事情も知っているのか、心配そうな顔で成り行きを見守っているようであった。


 息を整え、アイリスは眉尻を少し下げる。


 キャロルは昔は普通の女の子だった。確かに人見知りのある子だったが、大人しい普通の少女。

 アイリスの母方の従妹という存在でもあり、とても懇意にしていたのだとか。 



 ……そんなキャロルを気に入らなかったのが、アイリスの三人の義妹だった。

 彼女達はアイリスがいない時や、目の届かない場所で執拗にキャロルを虐め、苛んだのだという。


 今まで蝶よ花よと大切に育てられていたキャロルだが、尊敬するアイリスの腹違いとはいえ妹――ケンヴィッジ侯爵の娘だからと、受けた虐めにずっと耐えてきた。


 会うたびに高圧的な三人によってたかって虐げられる。

 訪問を避けようとしても母親は姉たる夫人の様子が気になって一緒について来て欲しいと言うし、アイリスと疎遠になりたくないし……

 たまに会うだけでも眩暈を起こし、過呼吸を起こしかねないくらいアイリスの義妹達を恐がるようになった。


 アイリスも立場上苦しいだろうと、少し前まで虐めのことは相談しなかったそうだ。


 まぁ、流石に性格がここまで変われば薄々アイリスだって気づく。


 悔いたところで、元々彼女の手には余る話だ。

 王族からの舞踏会の招待状を本人の目の前で破り捨てる相手に何をどう注意しろというのか。


 学園には彼女の義妹は休学だとかで顔を出していないが、来年になったらアイリス卒業後に堂々とあの三姉妹が学園に来るのだろう。

 

「まぁ、そのようなことが……」


 伯爵家のお嬢さんを苛め抜くとか、相変わらず凄いことをする姉妹だ。

 もしもアイリスが口の悪い女性だったら、”妾腹の分際で!”と激昂していてもおかしくない。

 正妻とお妾さんの子の扱いの差、それを比べられるのを厭がって休学という手段でアイリスから逃げている癖に。

 アイリスが卒業するや否や、意気揚々と乗り込んでくるのか……


 だが当主の父親が甘やかしている以上、苦情の行き先が無い。


 カサンドラも絶句した。


「今年までは私がヴァイル派において、親の身分が最も高い女生徒でした」


 派閥の長――という程積極的な介入は無かったが、実際にアイリスの存在は大きかった。 

 あらゆる生徒から一目置かれる存在として、無用な諍いや派閥ごとの対立をやんわりと抑えて来たわけだ。


「そして来年度から私の妹達が学園に入学してくると、以前お伝えしましたね」


 それはキャロルにとっては地獄のような話だろう。

 自分を陰湿に苛め抜いた相手が牙を研いで学園に入ってくるのだ、憂鬱どころの騒ぎではない。


「……大きな声では申し上げづらいのですが……

 このままでは、均衡が崩れてしまいかねません」


 アイリスが危惧しているのは、卒業後のことらしい。


 現状王子達のお陰か、目立った対立や諍いのない女子派閥たち。

 だが元々仲が良いわけでもなく本来はいがみ合う別陣営だ。

 今は薄氷の上で保たれている仮初の調和、平和だけれど。


 もしかしたら、ヴァイル派が割れるかもしれない。

 妾腹とは言え、父親から猫可愛がりされているケンヴィッジ家のお嬢さんだ。

 その威を嵩に、更にキャロルを与しやすい相手と見て派閥自体をまるっと乗っ取りかねない。


 キャロルの極度の人見知りや気弱な態度を良しとしないヴァイル派の女子もいるだろう。

 少なくともミランダやシャルロッテのように人に命令しなれた人の上に立つ人ではない、と今は支えてくれ庇ってくれる取り巻きに見限られるかも知れない。

 原因を作ったのは三姉妹なのに……。


 そういう層を唆して、ヴァイル派を取り込む可能性は高い。


 それまではアイリスが後ろ盾となり、陰に日向に支えていたキャロルの”立場”を食い荒らしかねない。

 マディリオン伯爵家とケンヴィッジ侯爵家に大きな対立を生むだろう、そしてヴァイル派だけではなく積極的にミランダやシャルロッテに喧嘩を売りかねない正真正銘の爆弾が転がり込んでくるようなものだ。


 彼女達が危機感を募らせるのは当然の話だ。


「私……あの人たちが、学園に来るなら、もう、来たくないです……!」


 わっと泣き出すように顔を覆うキャロルを前に、カサンドラは戸惑う。

 ケンヴィッジの娘達に虐められているから学園に通えませんなんて、伯爵が知ったら激怒ものだ。

 最悪、あと一年穏便に過ごすことが出来れば逃げられると思うのだけど……


「図々しいお願いだとは承知のうえで、カサンドラ様にお願いしたいことがあります」


 アイリスは真剣な表情で、こちらを見据える。

 普段ニコニコと優しい彼女でも怒ることがあるのだなと、ちょっと驚いた。


 彼女も面と向かって糾弾したいと思っているはずだ。

 それに、高位貴族のお嬢様を母に持つアイリスこそが侯爵家を継ぐに相応しい唯一の嫡子だと皆が分かっている。


 だが現状、当主は父親だ。

 道理や理に叶わぬことを、意地でも押し通せる立場でもある。

 ――それこそアイリスを勘当し、ヴァイル派の男性を義妹の婿養子にとって家を継がせるなどというウルトラCをやらかしかねない。

 無茶をしないのは、まだ貴族としての理性や外聞が残っているからだ。彼もまた伝統と血筋を重んじる中央貴族の当主。


 だが下手に侯爵を刺激したら、娘可愛さのあまりどう暴走するのかカサンドラだって恐ろしい。穏便に……! と思うのはアイリスだけではないのだろう。



「私の代わりに、キャロルを守ってくれませんか?」



 いつもは従姉妹同士でもけじめをつけて「さん」付をしていた彼女が呼び捨てるのはやはり珍しい。

 そこには私情が含まれているのだとよくわかる。


「わたくしが? 失礼ながら、わたくしに何かできる事があるのか大変疑問に思います」


 逆にカサンドラがキャロルの肩を持って一々庇う方がバランスが崩れてしまう。

 ミランダやシャルロッテだって、良い想いを抱くはずがないではないか。


 次期王妃がヴァイル派を手なずけにかかったぞ、などと吹聴されてはこちらが四面楚歌になってしまう。

 王妃として立ったところで、頼みの実家は遥か遠い地方、味方もいない王宮で王妃一人が出来ることなどしれている。無下にはされないだろうが、きっと虚しい生活だろう。


 言う程、絶対的な権力者ではない。

 シリウスが言うように、悔しいが現在王妃がいなくても国が回っているのが何よりの証拠だ。


「キャロルさんの境遇は痛ましく、お力添えが出来るなら喜んで尽力いたします。

 ですがキャロルさんをアイリス様のようにお守りするのは困難な話と推察いたしますが……」



「いいえ、違います。

 ……要するに、カサンドラ様にキャロルだけではなくミランダさんとシャルロッテさんとも仲良くしていただきたいのです」



 アイリスの唐突な提案に、一瞬「?」マークが周囲を飛び回った。

 唖然としたまま、上手く二の句が継げない状態のカサンドラ。


 そんなカサンドラの心中など百も承知であろうに、彼女は周囲には聞こえないようそっと囁き声を向けてくる。


「どなたかお一人と懇意にされることは、カサンドラ様のお立場上宜しくない事でしょう。

 ですがカサンドラ様であれば、皆さんと一緒に仲良くなれるのではないでしょうか」


「そんな大それた」


「ビクターさんからお聞きしていますが、シャルロッテさんとも接触があったご様子。

 ミランダさんとも初対面ではないのでしょう?

 全く荒唐無稽なお話でもないと、私はそう思います」



 双方ともにメリットがある――そうにこやかな顔で微笑まれては、否定的な言葉は返し辛い。


 アイリスとしては、キャロルを守るためにはカサンドラが彼女を気にかけているのだという”安心”が欲しい。

 そして来年度入学してくるだろう義妹達も、主要三派閥が纏まって強固な繋がりがあるとすれば――その中にいきなり割って入って掻き回すことも難しいだろう。

 ヴァイル派のお嬢さんだけならともかく、他派閥まで巻き込んで引っ掻き回すのは避けたいはずだ。その状況こそが下手に手出しできないと思わせる、キャロルを守る盾になる。


 地方出身だからこその中央のややこしいしがらみに捕らわれない、いわゆる潤滑油役がいてくれると助かるというのは彼女の言だ。


 だがカサンドラは別に女生徒の上に君臨したいとか、皆を取りまとめて個人間の諍いを仲裁してまわりたいなんて思ったことはなかった。

 彼女達と懇意にするということは、ややこしい人間関係に関わらなければいけないということではないだろうか。

 それを避けたいから、今まであまり他の令嬢と接触を持たないよう心掛けていたというのに。


「キャロルはキャロル、そしてシャルロッテさんはシャルロッテさんで同族を牽引する立場であることは変わらないのです。

 カサンドラ様が干渉される事は何もありませんのよ」


 上に立って指示するとかではなく、ただ中央で三人と親しくしていれば良い。

 三人がそれぞれカサンドラを介して親交を深め、融和的な関係になればギスギスした学園内の雰囲気も多少和らぐだろう。


 そうなれば理想的だが、もしも反感の声が上がったら抑えるのは難しそうな気がする。

 

「私もヴァイルを盟主に仰ぐ側の人間でなければ、個人的にシャルロッテさんやミランダさんとも仲良くできればと思っていました」


 彼女は小さく自嘲気味に笑う。どれだけ人から慕われていても、彼女の立場は雁字搦めで窮屈だと感じていたのだろう。


 どっぷりと一つの派閥に埋められたままでは、それも無理と。

 三つ巴とは中々上手くできていて、大規模な衝突が無かったのは絶妙なパワーバランスのお陰だ。

 だがキャロルの状態でヴァイル側に亀裂が入れば――


 想像出来ないドロドロ空間になってしまう。

 それはカサンドラにとっても他人事ではない。


 今までそれなりに上手く回っていた女子派閥間で、急に次年度になって混乱が生じたとしよう。



 ……こんなときばかり、次期王妃が何とか収めるべきだという声が上がるに決まってる!



 特にシリウスあたりに言われそう!


 厚顔無恥な姉妹に引っ掻き回された後を、どう宥めろと言うのだ。

 キャロルは本人が言う通り、家に引っ込んで登校拒否になるかも知れない。 


 派閥の長が姿を晦ましたのを良いことに、アイリスの義妹がしゃしゃり出てふんぞり返る未来が見える。

 それが気にくわないと、別の名家令嬢を持ち上げて対抗しようとする勢力まで出たら……?


 内部バラバラになったヴァイル派を座して見ているだけの生徒ばかりではあるまいし。領土間で争いを抱え、同士睨み合っているところもあるだろう。

 地方貴族の令嬢の中にはそれまで田舎者と低く見られていて内心苛立っている者もいるはずだ。火種は何処にでも転がっている。



 ……考えれば考える程、ここはアイリスの提案に賭けるしかない状況なのではあるまいかと天秤が傾いた。



「分かりました、アイリス様。

 わたくしにそのような重大な懸念案件をご相談下さったこと、大変嬉しく思います」


 彼女も自ら他派に知られたくない事情をカサンドラに教えてくれたのだ。

 信用してくれていると思って良いし、可能であればその信頼に応えたい。




「ありがとうございます……!

 勿論、私も最良の結果となるよう全力を尽くしましょう」




 まぁ、どんな虐めなのか内容は詳しく知らない。虐め、というワードに顔が青ざめていた彼女の表情は筆舌に尽くしがたいものであった。

 上がり症という名の対人恐怖症に片足を突っ込むまでに追い詰められたのだ。

 一つ年上とは言え、小柄な体で色んなものを背負っているキャロルには同情せざるを得ない。




「キャロルさんは、それでよろしいのですか?」



 ずっとアイリスに庇われるような形でやりとりを聞いていたキャロルは、カサンドラの声に顔を上げた。


 そして――「はい、宜しくお願いします」とホッと安堵して笑ってくれたのだ。





 不安や緊張が解かれ、ホッと綻び出た笑顔はとても可愛らしくて。

 同性なのにドキッとしてしまった。

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