第211話 ガーデンパーティ


 ケンヴィッジ邸に着いた時には、既に多くの馬車が行き交う賑やかな状況であった。


 だが邸前の通りをカサンドラ達が乗っている馬車が過ぎると、他家の馬車は皆隅に寄り静かに待つ。

 これが王家の威光かと、その様子を車窓からカーテンを手で除けてみてしまったカサンドラは背筋を震わせた。





 馬車から降りて案内に従ってパーティ会場に向かう。

 招待状を案内人に渡すと、壮年の執事らしき男性は大層畏まった態度でカサンドラ達を迎え入れてくれた。


 ドキドキと心臓を高鳴らせ、入り口に辿り着くと――

 広大な綺麗なお庭の出入り口が色とりどりの花のアーチが架かっていてとても華やかな光景が目に飛び込んでくる。



「カサンドラ様、ようこそおいでくださいました!」



 秋花のアーチをくぐって中に入ると、真っ先にカサンドラに話しかけてくれたのは今回の招待主たるアイリスであった。

 彼女はすらりとした体のラインが分かるぴったりとしたドレスを纏い、にこやかな微笑みを讃える。相変わらず百合のような淑やかな美女が慈愛に満ちた笑顔を見せてくれるだけでドキッとする。


 足元の裾は広がっているので歩きづらさはなさそうだが、普段より一層大人の女性らしい装いがとても眩しかった。


「本日はお招きに与り光栄の至りです。

 こうしてアイリス様にまみえることが出来、大変嬉しく思います」


 カサンドラが彼女に対して礼をすると、彼女は品の良い微笑みを返してくれる。

 ワンショルダーのドレスで、肩口に大きな花の飾りがついている。大輪の花なのにドレスに合わせた控えめな色で、彼女にとてもよく似合っていた。


「今日は私がカサンドラ嬢の同伴者だ。

 ――宜しくお願いするよ、アイリス嬢」


 どこからどう見ても王子様そのものにしか見えない彼がそう話しかけると、あらあら、と彼女も満面の笑みで頷く。


「王子におかれましては、ご足労を頂戴し身に余る栄誉でございます。

 多忙を極める日々から一時でも離れることが出来ますよう」 


 アイリスは隣に立つ王子に恭しくお辞儀をし、既に招待客の集まりつつある庭園内にそっと自分達を案内してくれた。

 流石に王子が場に入ると、それだけで空気が変わるのが見て取れる。


 ここは学園外の活動の場なので、当然老若男女が入り乱れているわけだ。

 王立学園に学生として通っている生徒なら王子の姿も見慣れた者もいるかも知れないが、まだ入学していない者や全く世代の違う上の年代の貴族にとっては大変珍しい光景と言える。


 いや、王子がカサンドラの同伴パートナーと言う形で参加していることも驚きに重なっているのか。

 舞踏会で婚約者の立場でエスコートされはしたものの、それ以降全く公の場に二人そろって姿を現したことはない。


 だから王子の傍に立っているだけで周囲の人たちの視線が一気に集中してグサグサと全身を貫いていくのだが……


 このような状況が初めてのカサンドラは、完全に足が震えている。

 ガーデンパーティなのだから格式の上ではそこまで仰々しい場ではないはずだ。

 屋外だし、広々とした庭園の景色を楽しみながら社交界のメンバー達と交流を持てる場。

 アイリスならもっと改まって形式ばった夜会でも主宰することはできるだろうに、敢えて自分が参加しやすい催しにしてくれたのだろうかと勝手に感謝の念を送る。


 そんなカサンドラに、隣に佇む王子が小声で名前を呼んだ。

 カサンドラ嬢、と言われて無意識の内に肩が跳ね彼の顔を見上げる。


「歩きづらくて窮屈かもしれないけれど、最初と最後だけだから」


 ――彼は左腕を少しだけカサンドラの方に向け浮かせる。


 一体王子は何を言っているのだろうと首を傾げかけたが、周囲で歓談を続ける夫妻や婚約者、カップル同士が視界に入ると納得する。

 同伴者であることを自然にアピールするために、当然のように女性は男性の腕に片手を添えていたり腕を組んでいたり、と。


 勿論そうでないペアもいるけれど。

 入場してしばらくは例え兄や親と娘という組み合わせでも、傍にいて自然に接触しているのが見て取れた。


 最初はパートナーと連れ立って顔合わせからの挨拶なのは当たり前。

 勝手に一人でふらふらと回遊魚のように会場を回るのはパーティが始まってからの話ではないか。


 一応傍に立っていれば同伴者であることは一目瞭然だろうが、王子の言うとおり最初と最後くらいは婚約者らしい立ち居振る舞いが求められるはずだ。


「……失礼します」


 カサンドラは悲鳴を押し殺しつつ、以前観劇会の帰り道にそうしたように彼の腕に右手の先を置いた。

 こうやって歩いていれば、同伴者として周囲に馴染むだろう。

 一度したことがあるといっても、やはり慣れるものではない。頭の中がグルグルと混乱する、粗相がないよう気を付けなければ。

 まさか方向転換をミスしてぶつかるなどとんでもないことだし、彼の動向には今まで以上に集中しておかなければ。


 もしかしたら今さっき刺すような視線を感じたのは、バラバラに歩いて入場してきかたらだろうか。

 一度腕を添えてゆっくりと速度を合わせて歩くと、自然と彼らの輪に入れたような気になる。


 でもそれに気づいたところで、こちらから言い出せるはずもなかった。

 先に王子に声をかけて促してもらえた事は本当にありがたい事だ。


 このようなヴァイル派の有力者の集まる場所で無駄に恥を掻くところであった。


 見れば、観劇会の時に同じく招待客として席に座っていた人物も多いではないかと今更気づく。

 流石中央三大派閥の一つ、その結束力の高さは地方出身の自分より遥かに意識が高いものである。


 地方は地方で、地域柄バチバチといがみ合っていて仲が悪い領地同士も多い。

 ここまで一枚岩にまとまっているわけではない。




 庭園中央にそびえ立つ真っ白な大盤時計が二時を告げた。


 アイリスがその朗々とした歌うような美しい声で、会場内へ集った招待客へ簡単な謝辞を述べる。

 季節の花、樹、庭園の景色を楽しみながら交流を深めて欲しい。その言葉にあらわれているように、まさに見事なケンヴィッジ邸の庭園である。

 数十名を軽く招待できる広さを有し、莫大な予算を投じて整えられてるであろう風光明媚な心洗われる景色の庭。

 

 カサンドラの実家だってこんなに立派な庭園を保有するのは難しいだろう。




 会場の中、招待客の間を掻き分けるようにして王子は真っ直ぐ歩く。


 「中央にいては落ち着かないしね」と、王子様にあるまじき慎ましやかさで彼はカサンドラと一緒に人が疎らな会場奥へと向かう。

 いや、案外ぼんやりとしていて落ち着かないカサンドラへの配慮だったのかも知れない。

 彼の手を掴む指に微かに力が入ったせいで、緊張しているとバレてしまったのか。


 一応公的な場だ、王子に自分から話しかけるような身の程知らずはそもそもこの場所に招待されることもないだろう。

 だが王子としても同年代ではなく年配の貴族に対しては気を遣う必要もあるようだ。

 あまり視線を集めないように奥に向かう途中、正面に行く手を阻むようにニコニコ微笑む紳士には王子から友好的に話しかける。

 


「フォートレン伯爵、貴方に会うのも久方ぶりな気がするね。

 元気だっただろうか」


「お陰様で、大過なく。

 殿下とお会いするのは夏の舞踏会以来ですな、過日はお招き頂き感謝しております。

 ……そちらのお嬢さんが、あの時殿下がエスコートされていた婚約者ですかな。

 何と美しい、お目に掛かれて光栄に存じます」


「レンドール侯爵が一女、カサンドラと申します。

 どうか見知りおきくださいませ」


 シルクハットの良く似合う壮年の伯爵は鷹揚に笑う。

 だが、こちらを値踏みする視線は隠せない。


「ははは、婚約者殿と仲睦まじいのは良いことでありますなぁ、王子。

 ……急にご婚約の発表となって驚きましたが……

 成程、成程。これほどまでの女性相手であれば、我が娘どもが殿下の目にも止まらなかったのも仕方ありますまい」


 一応言葉の上ではこちらを立ててくれているように聞こえるが、その表情や抑揚はカサンドラにかなりのプレッシャーを与えてくる。

 ここはアイリスの『身内』ばかりが集まる場だからそう滅多なことはないと言われていたのだけど。


 愛想笑いを浮かべるカサンドラの背中にどっと汗が噴く。

 学園の生徒達のように同年代と対峙するのとはまた違う。

 人生経験も豊富で、いっぱしの有力者を気取る大人相手は中々骨が折れることだ。


 王子は王宮でいつも大人たちと接し、指導を受けていると言うけれど胃が痛いことも多いだろうな。


「……まぁ、おじさま。

 カサンドラ様は、今日は私のお客様です。

 おじさま一人に取られてしまっては悲しいですわ?」


 アイリスは貫禄のある伯爵の横に、スッと姿を現す。

 颯爽と長い髪を靡かせて登場した今日の招待主ホストを目の当たりにして、おじさまと呼ばれた彼も苦笑いを浮かべた。


「君は学園でいつでも会えるではないか、アイリス」


 肩を竦めて、シルクハットの伯爵は嘆息をつく。


「いいえ、今日はカサンドラ様に紹介したい方を沢山お呼びしているのですから。

 独り占めは駄目ですわ。

 王子、カサンドラ様をお連れしても宜しいでしょうか?」


 まだ同伴者と一緒にあいさつ回りをしている者も多い。

 だが親兄弟らと連れ立ってきた令嬢は既に勝手知ったる会合の場だと言わんばかりに、白いテーブルの上に置かれたお菓子を美味しそうにいただいている。


 ここはカサンドラにとっては半ばアウェーのようなものだが、ヴァイル派の貴族にとっては頻繁に行われる交流会の一つという位置づけなのだろう。

 だからこそ、王子が姿を見せたので最初ヒリつくような視線を感じたのか。


「ああ、勿論」


 スッと王子が腕を引く。

 それと同時にカサンドラも手を離したが、まだ指先に残っている感触を逃さないよう、何もない宙を掴んでしまった。


「王子とお話をされたい方も大勢いらっしゃいます、どうか今日一日楽しんで下さいませ」


 アイリスは蒼と白の長手袋を填めた手で、そっとカサンドラの手を取った。


「実は、カサンドラ様に是非お会いしていただきたい方をお呼びしておりますの。

 ……王子との時間を邪魔して申し訳ありません」


 後の台詞は小声だ、カサンドラにしか聞こえないよう耳打ちで。


 王子と一緒にいたいのは山々だが……

 チラ、と彼を振り返った時、先ほどの伯爵以外にも年配の男が気さくに「やぁやぁ」と帽子を取りながら王子の近くに陣取る。

 他にも観劇で見かけた若い男女のペアだとか、夫婦揃ってだとか。

 何処に行っても王子は人に囲まれる運命にあるのだ。


 もしも彼と一緒に立っていれば、質問攻めだわ嫌味や皮肉、やっかみに似た言動までもらいそうだわ。想像以上に大変だったかもしれない。

 アイリスとともにいることができれば、そう言った不躾な会話からは遠ざかることが出来るはずだ。


 あの伯爵も、近い将来この屋敷を継ぐアイリスには強く出れない雰囲気を感じた。

 ヴァイル派という一つの組織に置いて、爵位という序列の絶対差が表れている気がする。


 カサンドラに対する地方の侯爵なんか、という態度もアイリスの前では全く違うのだから。

 きっと今後も似たような状態は続くのだろう。

 中央貴族にとって、自分は苦々しい存在でしかないのだろうから。


 

「アイリス様、失礼ですが王子ではなくわたくしに……とは、どなたなのでしょう」 


 今このパーティ会場で最も話す価値のある存在は、言わずもがなの王子である。

 カサンドラの同伴者という位置づけではあるが、将来の王様だ。

 彼に対してアピールしたい人間は数知れず、本人の礼儀正しさや人当たりの良さも相俟って彼は何処に行っても多くに囲まれる。


 そのカサンドラに会わせたい人とやらも、自分などが目当てではなく王子が目当てなのでは?

 カサンドラ単身で会いに行ったとしても喜ばれないのでは、とそんな予想にヒヤッと心が冷えたのが自分でも分かる。


「そういえば、妹様方のお姿が見えませんが」


 アイリスにとってその存在はあまり大っぴらに見せたいものではないと分かっている。

 まさか、こっそりカサンドラに会わせようと……? いや、目的は分からないけれど。


「生憎ですが、あの方たちは今、お父様と一緒に遠出中なのですよ。

 カサンドラ様にくれぐれも宜しくお伝えするよう申し遣っております」


 まさかとは思ったが、彼女達妾腹三姉妹に会うことが無くてホッとした。

 恐らくこの分だと親子水入らずでの楽しい旅行を楽しんでいるのだろう、こうしてアイリスや侯爵夫人がパーティで招く側として準備を進めていたにも関わらず。

 本当に父親としては優しい人かもしれないが、侯爵としてはいかんともしがたい甘い人だなとカサンドラも苦笑を浮かべる他ない。


 ……だがこういう問題はケンヴィッジ家だけのものではない。

 政略結婚の中でも取り分け愛が無い組み合わせの場合、自分が”真実の愛”と信じる相手に出会ってしまったら。

 このようなぎくしゃくした不穏な家庭などいくらでも生じ得るものなのだ。


 それこそ、万が一三つ子達が正式な結婚ではなく愛人的立場で相手の屋敷に入ることになったら――

 このような禍めいた家庭が一つ、また一つと出来上がってしまうわけだ。




 まぁ、そんなことは乙女ゲームのヒーローとしてあるまじき選択なので意地でも正妻にするか無理なら駆け落ちしてでも想いを実現させると思うけれど。

 基本理念は愛に生きるひとたちだし。





 アイリスが「紹介します」と示してくれた女の子には見覚えがあった。

 一つ年上の、学園に通う先輩の一人であることは間違いない。

 挨拶以外交わしたことのない、近寄りがたい上級生だ。




「――マディリオン伯爵令嬢、キャロルさんです」




 亜麻色の髪を腰まで伸ばし、精巧なお人形さんのように愛らしい顔立ちの少女だった。

 大きなガラス玉のような丸い瞳が金色に光り、まるで猫のような印象を与えるお嬢様。




 学園内での立ち位置的には、ミランダやシャルロッテと同じと言っても差し支えが無い。

 アイリスは別格として三大派閥ボスの一角になり得る大物の出現に、カサンドラもぎょっと目を丸くした。

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