第210話 王子のお迎え
カサンドラは部屋の中でそわそわと呼び出しを待っていた。
何度も窓際に立ち、外を覗いては真ん中に置いている椅子に腰を浅く掛けてみたり。
落ち着きなく室内をぐるぐる、行ったり来たりと歩き回ったり。
約束の時間には今しばらくの時間があると分かっていても、中々落ち着くことがなく、むしろ時間が迫ると自覚する度に浮足立って気もそぞろだ。
もう幾度目かは忘れたが、部屋の中の姿見で自身の姿を確認する。
王子と話していたとおりの服装で、変更もない。
深緑の落ち着いたフレアドレスはオレンジと黄色の装飾糸で刺繍されたシンプルなドレスだ。
少し開いた胸元を隠すように、蒼い文様の入った白い厚手のケープを羽織っている。
日差しも柔らかく、十月の終わりと言ってもコートを着ていくほどではない。
長袖のベルベッドドレスは気候的にも丁度良かった。
以前魔法の代償に粉砕されたイヤリング。その弁済品として渡された大きなサファイアのイヤリングをつけ、長い髪は一つにまとめアップに結ってもらった。
他に大仰な飾りもなく、裾も動きにくい形ではない。
高めのヒールを穿いて、深呼吸を一つ――
どうしても緊張感が抜けてくれない。
今日はケンヴィッジ侯爵家令嬢のアイリスより秋のガーデンパーティに招待されている日だ。
王子と婚約して以降、舞踏会以外で一緒のパーティに彼と参加するのは初めての事だった。
今までカサンドラを正面から堂々とパーティに招待してくれるクラスメイトはいなかった。
だが同じ生徒会役員の誼ということもあるし、学園のマドンナ的立場のアイリスからのお誘いだ。
それを喜んで呑んだとして、不快に思うような生徒は学園内にはいないだろう。
逆にカサンドラが主催してアイリスを招待する方が顰蹙を買いそうだと思えるくらい、彼女は人気者である。
堂々とした正面からのお誘いに、カサンドラは胸を湧き立たせていた。
「――お嬢様、王子が到着なさいましたよ」
部屋の外からノックと共に知らせを受け、カサンドラは猛然とお出かけ用バッグを手に取って廊下へ飛び出したのである。
休みの日に王子と会えることが嬉しい。
一緒に出掛けられるなんて、素晴らしいイベントだ。
テンションは上がる一方で、同時に何か不手際がないかと不安にもなる。
緊張を覆い隠すように、カサンドラは外門前で馬車を停めて待つ王子の元へ急いだ。
まさか駆け寄るわけにもいかないので早歩きだが、心だけは全力疾走中だ。
馬車から降りて自分を待つ王子が、こちらを視界に入れて微笑みを浮かべる。
「――今日は良い天気だね、カサンドラ嬢。
ご機嫌はいかがかな?」
制服姿ではない姿というだけでもレアなのに。
深い青のロングコートを纏って手を振る彼の姿に目が焼き尽くされるかと思った。
ボタン、そして袖口の刺繍が金色で揃っていてシンプルだからこそ高貴さが際立っていた。黒いズボンも長い脚が真っ直ぐすらっと伸びて均整がとれている。
……本当に絵本や御伽噺に出てくる理想の王子様がそのまま現実に現れた、そんな彼の姿にくらくらと
ただ外見だけが素晴らしいのではないと分かっているから、その滲み出る内面の清らかさと合わさってカサンドラの『好み』という急所を射抜いてくるのだから大変困る。
本音を言えば直視できない心境であるが、露骨に目を逸らすなど失礼なことは無論出来るわけもない。
彼を前に、カサンドラは跪礼する。
「ごきげんよう、王子。
王子御自らご足労いただき大変恐縮です。
今日一日、なにとぞよしなに申し上げます」
自分の格好におかしなところはないか脳内で鏡に映った自分を思い出させる。
使用人達から大丈夫と言ってもらっているものの、やはり心配だ。
化粧も出来るだけ薄くしましょうと言われたが、もう少し厚く塗ってくるべきだったかなど後悔ばかりが先に立つ。
「こちらこそ、どうかよろしく。
君のような綺麗な
……行こうか、アイリス嬢が待っている」
カサンドラにそう声を掛けた王子は、傍の馬車へカサンドラをエスコートしてくれる。
それにしても驚く程立派な馬車だ。
豪奢な箱馬車はレンドール家も所有しているが、やはり王家の使用する公的な馬車は造りからして全く違うものに見受けられる。
二頭牽きの鮮やかな屋根馬車。
その御者の格好も仕立ての良いフロックコートを着こなしていて、品の良いおじさんだ。羽付き帽子が印象的な彼は、カサンドラと視線が合うと帽子をさっと取って深く一礼した。
王家の紋章を掲げる馬車を惚けたような、夢見心地の気分のまま見上げている。
この紋章の刻まれた馬車に乗るということは、王族の一員だという証だ。
王室御用達とはそういうもので、カサンドラはその待遇に今更恐れ戦くが立ち竦んでばかりもいられない。
笑顔が引き攣らないよう表情を整え、馬車に乗り込んだ。
馬車の周囲には、騎士が何人も従っていた。
王子と行動する時に二人きりだなんてありえないのだ。
※
いくら外見上大きくて部屋の広い馬車に見えても、向かい合って座るとかなり距離が近くなる。
互いに向き合い、腰を下ろして移動する最中。
車窓からは見慣れた街中の景色が続いている。
ケンヴィッジ邸まで数十分はかかるはずなので、その時間を二人で何を話して過ごせばいいのかドッと汗が吹き出しかける。
緊張で膝の上に揃えて乗せた指先が冷たく冷えた。
だが王子は着ているものこそパーティ使用の煌びやかなものであるが、中身は彼のままだ。
いつもの笑顔で微笑まれると、不思議と緊張が和らぐ。
彼が学園で遠巻きに見られることなく、上下の別なく話しかけに来る生徒が多いのもわかってしまう。
親しみを感じさせる優しい笑顔に、決して誰かを非難したり悪し様に言うこともない。嫌味や皮肉を使用することもなく話を広く聞いてくれる。
かと言って腰が低く卑屈な人ではない。
一生徒としてならそんな男子生徒も中にはいるかもしれないが、生まれた時から王族として特別に育てられた特権階級の頂点に立とうとする王子なのだ。
言葉では何を言っても心の中では馬鹿にしているのだろうな、と思ってしまって自然な境遇の差。
それにも拘わらず、彼は常に公正な人で自分に厳しく他人に甘い。
野心のあるなしに関わらず、王子と話をしていると得るものが大きいと思う。
天気の話に始まり、王子はケンヴィッジ邸に行くのは久しぶりだと教えてくれた。
幼い頃にラルフと一緒に遊びに行った記憶はあるが、それ以降実際に足を運んだことはないそうだ。
……まぁ、アイリスは早い段階で婚約者が決まっていたし。
何より腹違いの三人の義妹の存在が、王子の足を遠ざけさせていた原因でもあるのだろう。
あの図々しさにかけては王国一だと思う三姉妹は、相手が王子であったとしても遠慮なくしな垂れかかっていたに違いない。
自分の姉の婚約者に対し、客人のカサンドラの前でそうしていたように。
今日は彼女達もいるのかと思うと……
アイリスの胸中を推し量り、苦笑いしか浮かんでこない。
「わたくしは去年一度、生徒会に関わることでご説明いただくために訪れたことがあります。
丁度一年前だったでしょうか」
「そうか、彼女はとても気配りが出来る人だからね。
私も彼女がいてくれて助かっている、シリウスも良く話しているよ」
え、シリウスも?
あの基本的に他人を褒めることのない男が……?
それも他派閥の人間を褒めるだなど、と少々驚いた。
実際、シリウスと言葉を交わす姿は殆ど見たことはないのに、信頼は寄せているのか。
「本当にそう思います、来年以降アイリス様がいらっしゃらないことが今から寂しくて仕方ありません」
王子も苦笑を浮かべ、頷く。
「最上級生たちの卒業パーティを恙なく、盛大に執り行うことでお返しになればいいのだけれどね」
あの優しい先輩のアイリスが学園からいなくなる……
代わりにカサンドラも後輩と呼べる年下の新入生が出来るわけだが、未だに想像もつかない。
馬車が一定の速度で街の通りを駆けていく。
ふかふかで座り心地の良い長椅子に座り、カサンドラは王子との会話を楽しんでいた。
その時だ。
急に馬車が揺れ、直前に前方の御者が叫んだ。
「揺れます! 申し訳ございません、殿下」
そう宣言されたものの、インターバルは殆ど無かった。
馬が嘶きをあげ急旋回して停止――それと同時にガクンと馬車が大きく揺れる。
予期せぬ衝撃に、カサンドラはなすすべもなく前のめりに身体が傾斜した。
そのまま座っていられず、弾き飛ばされるように前方へ……
「……、怪我はしていないだろうか?」
揺れは一瞬のこと。
急に走る方向を変え、馬車は停まっていた。
カサンドラは王子の質問に、言葉を失いただひたすらコクコクと頷く。
全身総毛立った。
「大変失礼いたしました、路上に子供が飛び出してきたもので……
お怪我はございませんか!?」
「ああ、私達は大丈夫だ。
その子に怪我はないな?」
「はい、そのようで」
王家の紋章を掲げた馬車を、子どもと雖も通行を妨げるということは大変な問題に発展する。
無事であっても、この先無事でいられない可能性もあるわけだ。
「……そうか。
留まっていても騒ぎを大きくするだけだな。
先に目的地へ向かって欲しい。
後の事は、随従する者に任せておいてくれ」
「御意に」
身体が凍ってしまったかのように、全く動けない。
……というのも、今現在自分は人の手によって拘束されているからだ。
自分以外の、腕。
強かに顔面を向かいの席に打ち付けるはずのカサンドラを、王子が咄嗟に抱き留めてくれたからだ。
彼の肩口に顔を埋めるような恰好になっているので、とても動けたものではない。
驚愕と動揺、そして羞恥に心の中で全力で叫び声を上げているくらいだ。
あの一瞬で腕を動かして抱え止めてくれた彼の反射神経に感動するべきなのか。
それとも、自分の頬紅の粒が彼の肩の飾りに擦りついてしまったことに畏れかしこまるべきなのか。
――身体の横から支えてくれている彼の腕の力強さに眩暈を起こすべきなのか。
もう諸々と思考が混迷の一途をたどり、全く狼狽する様子もなく冷静に御者に張り上げる彼の声。
耳元近くで聞こえるそれに、ぽーっとするのみだ。
そういえば以前も、見た目の印象とは違って凄くしっかりした固い腕だなと思ったことがある。
あれは生誕祭前、合奏の時だったか……
現状を認識すると、動揺のあまり不本意にも彼を突き飛ばして距離を置いてしまいかねない。
……そりゃあ、シンシアだって急に事に至られれば突き飛ばして逃げもするだろうよ、と変なところで納得する。
ああ、薄化粧で良かった。
こってり塗りたくっていたら、彼の衣装に汚れどころの騒ぎではなかっただろう。
幸い、広い道の上に腕の良い御者。
どこかに衝突するようなことはなく、多少道の真ん中を逸れた程度で濃い車輪痕を残した程度に収まっている。
再び御者が馬に鞭を入れると、再びゆっくりと馬車が方向を戻すように移動を始めた。
パカ、パカ……と平和で呑気とも聞こえる蹄の音に我に還る。
喧騒が遠くに聴こえるが、王子が馬車の後方、左右に従えていた幾人もの騎士達がその子供を恫喝するような音は聴こえなかった。
それにホッとして、カサンドラは漸く声をあげたのだ。
「あ、あの……
助けて頂いてありがとうございます」
「……。
こちらこそすまない、何処かの賊の手かと」
彼はスッと腕の力を抜き、身体への戒めを解く。
弛緩した身体を椅子の背にもたせ、カサンドラは爆走を続ける心臓に振り回されっぱなしだ。
息も絶え絶えであった。
こんな王都の街中でそんな物騒な事件が起こるとも思えない。
だけど偉い人は常に反する勢力から狙われるものだ。唯一の王子に何かあれば、それは王室に大きな影を落とすであろう。
沢山の騎士を従えてぞろぞろと移動しなければいけない理由がちゃんとあるのだと喉を鳴らす。
「でも、良かった」
「王子?」
「腕時計、使ってくれているんだね。
こんな時にまで付けてくれてありがとう」
長い袖に隠れていた腕時計が、服を掴まれ縒れてしまったことで――袖口から姿を見せている。
それは誕生日プレゼントにと彼からもらったもので、改めて面と向かってそう言われると嬉しいし気恥ずかしい。
とても気に入っています、と答えると彼はちょっとだけ照れたように笑い自身も席に戻る。
……何度も思うが、彼の照れた顔は反則だと思う。
さっきまでの凛々しい顔からのギャップが大きくて、インパクトは絶大だった。
馬車は、ケンヴィッジ邸に向けて進み続ける。
カラカラと車輪を回し、轍を残して。
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