第209話 『フランツ教官、憂鬱の始まり』


 クローレス王国王立学園に、急に教官として着任してくれと言われた時は何事かと思った。


 ロンバルドの兵舎で兵卒を育成し鍛錬するのを現在の生業としている自分が、お行儀のよいほぼ貴族専門学校に何故教師として向かわなければいけないのか。

 かつて言われるがまま三年間通った事のあるいわば母校だが、良い思い出など何もない。


 ローレル家の三男坊としてそれなりに一目置かれていた存在ではあったものの、このお上品な上流階級の園とやらがどうにも性に合わなかった。

 だから選択講義は殆ど剣術やら馬術やら体術やら魔法やら、実戦で使用できるものしか参加した記憶が無い。


 パートナーがいなかったら最後の卒業パーティで可哀想なことになるぞと散々からかわれたが、そんな助言など一切無視。何なら最後の卒業パーティ自体もこっそり抜け出し、後ほど親に大目玉を食らった前科がある程だ。

 真面目とは程遠い性状の持ち主であったが、結局規律だらけの騎士団も合わないだろうと卒業後しばらくフリーの傭兵稼業を楽しんでいた。


 だが名家の三男坊が定職に着かずにふらふらとしていることが本家の連中には耐え難かったらしく、無理矢理どこぞのお嬢さんと結婚させられそうになったことがある。

 あれが恐らく今までの人生で一番の危機だった。


 このままでは長兄次兄にひっ捕らえられて、無理矢理結婚させられる……!

 その場を言いつくろって凌いだところで、縁談の雨霰が降り注ぐことは必至だった。


 貴族との結婚は嫌だという一心のフランツは急遽、当時馴染みの酒場の従業員の中で最も仲の良かった女性従業員に土下座して懇願した。


 『契約結婚してくれ!』と拝み倒して嫁をゲットしたという経緯がある。


 他に男を作ってもいいから、自分フランツを”妻帯者”にして欲しいと。

 何が何でも平民の嫁が必要だった。

 そうすれば厳密な意味で貴族の地位を捨てることも出来るし、自由に生きられる。


 だが思った以上に相性が良かったのか、互いにあまり干渉しない契約結婚生活は結構心地よかった。

 帰宅すれば温かい飯にありつけ、着替えの心配もいらず、召使を雇わなくても家の中は常に綺麗に保たれている。

 ぶらり一人旅と称して長期間留守にしても文句を言われることもない上、面倒にもいちいち色街へ出る必要もない。



 『やっべぇ、超快適じゃね?』と、二十代に差し掛かったフランツは金で結ばれた契約結婚にいたく満足していた。

 毎月決められた額さえ渡せば、後は文字通りの自由だ。

 何と素晴らしい契約婚が出来たのかと自画自賛していた事を思い出す。


 ……まぁ、それが変わったのは子供が出来てしまったからで。

 生まれてみれば娘という存在は驚く程可愛かったし、このままブラブラ日銭を稼ぐ傭兵稼業も良くないよなぁ、と。


 次兄ライナスに相談したら騎士団を薦められたが、いくら嫁子を安定的に養うためと言っても――あんな魔窟へ身を投じる気は無い。

 他に職がないならまだしも、軽い精神的拷問場である。


 現ローレル子爵家当主である長兄が、それならロンバルドの兵舎で教官をやるのはどうかと現在の職を用意してくれた。

 色々と人間関係で面倒なことはあれども、平凡な毎日はそれほど悪くない。


 今ではすっかり情が移ってしまい、家族ごっこも結構悪くないと思っている。

 四十も近くなれば、昔ギラつかせていた”自分を縛り付ける権力への反抗”という青臭い感情も薄らぐものだ。


 周囲には平民との恋愛結婚扱いで知られているが、真実は誰にも言えたものじゃない。


 当時の事を盛大な笑い話として胸に秘めてくれている嫁は、華奢な外見に反して大変豪胆な神経の持ち主であった。

 

 それでも、こんなフランツの性格や生き様が子供たちに良い影響ではなかったのだろう。

 二人の子供は剣には全く無関心で、稽古をつけてやろうと言ってもスススと避けられる。

 何度も誘うと「しつこい!」と真顔で睨みつけられてしまうので、父はとても悲しい。


 結局、人生を振り返る歳になって――自分が今まで培ってきた技術や経験を渡せるまともな後継者を得られないままだと思い知らされることとなった。


 騎士団に入って部下でも持っていれば話は別だが、何十何百何千と罵声を飛ばしながら鍛える一兵卒の個々の名前も覚えちゃいない。


 そもそも才能の突出した見込みのある奴は精鋭兵候補として選別されている。

 磨けば光るような才能の持ち主を一人一人真剣に見定めていく気力はない、見つけてもどうせ『上』にとられる。


 最低限、有事や戦場で使えるへいしの数を揃えるのが今のフランツの役目である。



 

 ――そんな自分が学園の生徒に何を教えられるというのか甚だ疑問であったが、長兄の命令には逆らえない。

 彼の後ろには常にダグラス将軍の影がちらついており、逆らった瞬間に人生が終わってしまうこと確実。

 自分一人なら逃げおおせてみせるが、妻子持ちの身で人生を終わらせるわけにもいかない。彼女達をお尋ね者扱いにさせるなど考えられない話だ。


 不思議なものだ。

 昔は自由を縛る上からの圧力が大嫌いだったのに、家族と言う鎖に自ら繋がれにいっている。

 好きだの愛しているだの恋愛感情は知らないが、何気ない平凡な家庭への思慕は思った以上に根強いものらしい。 

 思い返してみれば、貴族生活の中で「あたたかい家庭環境」とは無縁だった。




  帰る家がある”今”は、案外居心地のいいものだ。


 



 ※

 



「――フランツさん、ご無沙汰しています」


 彼に会ったのは本当に偶然、偶々だ。

 王都繁華街、行きつけの酒場でグラスを煽っていたら毛並みの良い青年騎士がふらっと扉を開けて入って来た。


「アンディか。珍しいな、お前も飲みに来たのか?」


「まさか」


 カウンターに座ったまま、チラと壁時計を横目で確認する。

 夜の九時過ぎだ。


「こんな時間まで仕事かぁ? 相変わらず過密な仕事量だよな」


「いえ、こちらのマスターに以前いただいた依頼の顛末書を届けに来ただけですよ。

 帰るついで、ということで」


 そう言って銀髪の美青年、騎士団所属のアンディは爽やかな笑顔を浮かべて店の奥で恐縮する店主に筒状にした書面を渡す。

 恭しくそれを開き、内容を丹念に確認した後店主はホッと胸をなでおろした。


「無事に解決したようで、本当に助かりました」


「また何か問題が生じた際は声をかけてください」 


 暴力事件でも起こったのか、窃盗事件か、それとも全く別の案件か。

 騎士団側に所属していない自分がその内容を窺い知ることはできないが、解決したのであればそれに越したことはない。興味もない。

 フランツは聞かないフリをし、グラスに入った赤紫の液体を一気に喉に流し込んだ。

 カーッと喉奥がひりつく感覚、程良く身体に染み渡る熱。

 

「おい、アンディ」


「何ですか?」


 もう用は終わったとばかりに酒場を出ようとする彼の肩をぐいっと掴んだ。

 会釈をして通り過ぎようとしたアンディは、その強引な誘いに苦笑いである。


「あの、私明日は早いので。

 出来れば一、二杯で解放してもらえませんか?」


 ロンバルド派閥の中でもすっかり斜陽貴族として認識されていたアンディだが、今ではウェレス伯爵の後ろ盾を得て騎士団内では飛ぶ鳥を落とす勢いで注目を集めていると聞く。

 将来の騎士団幹部候補なのは間違いない。 


「何言ってんだ、そんな若いカラダで!

 俺がお前くらいの歳じゃなぁ」


 何徹しても元気が有り余るくらい、生命力に満ち溢れていたものだ。


 軟弱な事を言うなと、ドンっとカウンターを拳で叩く。

 そそがれたままのコップ内の水が大きく跳ねた。



「ええ……あの、勘弁してもらえませんか……?」



 ウェレスのお嬢様を射止めたラッキーボーイに遠慮などいるものか、と。

 引き気味のアンディを、無理矢理隣に座らせた。





 ※





 一杯か二杯とは言っていたものの、薄暗い店の中で酒を煽るとその雰囲気に呑まれてしまったのか。

 ガヤガヤと煩い喧騒を背中に、アンディはしばらく騎士団での話を聞かせてくれた。


 ほぼ、愚痴である。

 まぁ雁字搦めの組織だということは分かっているし、身分の上下関係の厳しさは半端ない。

 学園で起こり得るようなあからさまな虐めとは一線を画した世界は、本当に面倒だなと思う。

 騎士団に入団すれば将来は安泰、栄誉も手に入れることが出来る。

 だが格下貴族は、相当実力者でなければ将来の安定と同時に大変厳しい環境に置かれるものだ。


 アンディもそんな中、良くもここまで頭角を現すことができたなと驚いてしまう。

 すべてはミランダのためだというが、そういう気持ちがあまりピンとこないフランツには異世界の人間を見ているような不思議な気持ちになった。


 愛だの恋だの、虫唾が走るとまではいかないけれど。

 うすら寒い感覚に襲われ大変むず痒くなる。



「ああ、そういえばフランツさん、今学園で教官されてるんですよね?

 面妖な人事だと騎士団内でも結構な評判ですよ」


「俺だって向いてないとは思ってるさ。

 ……まぁ、生徒も一人だけだから気楽っちゃ気楽だしいいんだけどな」


 最初は絶望した。

 こんな何もできない、運動音痴が服を着て歩いているようなか弱い女の子に剣を教えろなんて――兄の盛大な嫌がらせだとしか思えなかった。

 馬鹿にしているのかと悶々としていた頃が今では懐かしい。


 自分は、決して他者に従順な人間ではなかった。

 そして真面目な人間でも。


 だが剣に関しては幼いころから常に真剣で、ふらふら生きていた自分が唯一ストイックに打ち込める生き甲斐だ。

 だから職については騎士、傭兵、指導員。全て剣に関わることしか選択肢になかったのだ。



 真面目にコツコツ、としか表現できないリゼの姿を思い浮かべる。


 不器用ながらも毎回真剣に励む彼女の姿には感動さえ覚えた。

 もう少し上のレベルの生徒でも、もっと軽い気持ちで習っている者が多いだろうに。

 彼女は指示に素直だったし、何より勤勉だった。


 不平不満も言わず、言われたことを黙々こなすような――近年の若者にしては大変珍しくストイックで根性がある。

 だからフランツは彼女の事を大いに気に入っているのだ。


 週に二回、今は四回の午後の指導の時間がいつしかとても楽しみになっていた。

 彼女が自分をもう要らないというまで、どこまで伸びるのか近いところで見守っていたい。


 学園の講師の収入は本業とは別の臨時収入扱いだ。

 ロンバルドの家からもきっちり兵舎務めの給金をもらっている上で、更に学園側からも支給されるのだから太っ腹である。

 こんなに楽しい想いをしつつも金をもらうのが大変勿体ないというか、金のために学園に来る必要もないのだ。


 金はあって困るものではないが、現状、ほぼフランツの憩いの時間であり単なる趣味と化している。それに金銭が生じることに違和感を抱いたのは最近の話だ。


 リゼがいたから得ることが出来た金なので、還元したいと思っていた。


 その結果の満を持しての剣――贈り物だというのに、毎回会うたび彼女は代金を払う意思があることを煩く口にするのだから堪らない。


 こういうものは素直に受け取っておけばいいのに。


 指導内容には素直に従えるのに、生来の意地っ張りというか強情な性格はいかんともしがたく。そういう部分では手が焼ける。


 可愛げがない――と言うのだろう。

 本当に彼女の将来が心配でならない。

 あれは婚期を逃して一生独り身を貫くタイプだ。





  家族ってのも、割といいもんだけどなぁ。




 この時点ではフランツも気分よく酒の杯を進めていた。



 




「その唯一の生徒のこと、ジェイク君は好きなんだよね?」






「……あ?」



 何だか理解を超える言葉を投げかけられた気がした。

 おかしい、まだそんなに酔っているわけでもないのに幻聴が……


 思わず怪訝な表情で、女性のように見目麗しい顔立ちの青年騎士をガン見した。

 お前は一体何を言っているのかと目で訴える。


「――そんなこと、本人が言ったってのか?」


 言うわけがない。

 彼に限って、絶対そんなことはありえない。


 そう思い込んでいたフランツにとってはまさに青天の霹靂であった。

 全く予想外の死角から、至近距離で矢を射かけられた気分だ。


「いやいや、まさか。

 でも見てたらすぐに……

 って、え? まさかフランツさん、え?」


 知らなかったんですか? と唖然とするアンディの目は完全に点である。


「おい、待て。

 なんだそれ、俺は知らんぞ」



 そうは言いながらも、今までのことを振り返る。

 元々フランツの脳内回路に思春期の恋愛事情など一切インプットされているものではない。

 全く焦点の合わないレンズで彼らを漫然と眺めていただけだ。



 だが言われてみれば……


 相変わらずリゼと組手をしたいという要望が煩い。

 顔を合わせる度に打診されるので物凄く鬱陶しい。

 拒否すれば引っ込むが、でも思い出したように要望を出してくるのだ。


 まぁ、一緒の集団にいるジェシカがリゼのことを大層褒めてかっているので、気になるのだろうなぁ、と。そう思っていたがそれだけじゃないのか?



 ……前にロンバルドの裏の森で彼女と乗馬の訓練をする時は――わざわざ差し入れ持って顔出しに来たな。

 あれ? あいつ、そんなことする奴だったか?



 そもそも家庭教師なんて普通同級生には頼まないだろうとか、一度気が付けばぎょっとし、血の気が引いていく。



「いや……無いだろ」


 図らずも一瞬で素面になった。

 真顔でアンディを見据える。


「無いも何も……。

 よくわからないけど、色々あってあの子のために今度の学期末は上位に入らないといけないとか言ってましたよ?」


 聞くところによると、談話室で近頃勉強している彼の姿がチラチラ目に入るのだとか。

 周囲のお偉いさんは感心な事だと頷いているが、その姿はアンディにとっては異様にしか見えないインパクトだとおかしそうに彼は報告してくれる。




「どう考えても! 相性最悪だろうが!」




 これがテーブル席だったら、この勢いに任せて上のモノと一緒に重たいテーブルをひっくり返していたことだろう。





 リゼのような何でも自分でやりたがり、人に頼ることが苦手で強情な性格の彼女と――

 身内には過保護気味で、頼られる方が好きというごく普通の男子の精神構造を持っている彼と。



 互いの反応の行き着く先を思うと、ついこめかみを押さえて「無い」と首を横に振りたくもなろうものだ。




「ところでアンディ。

 その話はまだ上にあげてないな? ん?」


「それは勿論。

 ……面倒ですからね、あのお嬢さんには会った事があるけれど……

 関わらせない方がいいでしょう。

 本当に正真正銘、”普通”のお嬢さんですし」


 良い子だとは思いますけどね。



 ――良い子だからこそ猶更、と彼は付け足した。



「それじゃあ止めろよ!」



「……ジェイク君が口にしてもいないこと、こっちが躍起になって掻き消そうとする必要はないでしょう。

 第一、藪蛇はご免ですよ」




 まぁ、どうせ彼に普通の恋愛は無理だ。

 ……少なくとも、内外共にそれが出来る状態ではない。



 確かにリゼは良いだ。

 自分の息子の相手にどうかと真面目に想像したくらい、フランツだって気に入っている。


 ジェイクにも女性を見る目はあるようだと居丈高に構えることが出来ないのは、その想いが成就することがあってはならないと骨身にしみているから。




 



 ああ、一気に酔いも醒めた。

 酒が不味くなる。




「はぁぁ……

 めんどくせー、聞かなきゃよかった」


「ははは、今度から酒の相手に私を選ばないことを強くお勧めします」






 フランツには理解できない。


 理解したいとも思わなかった。




 

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