第187話 その質問は


 結局昨日の放課後は、彼女達の話を殆ど聞くことが出来なかった。


 ――全てベルナールのせいだ、とちょっとだけ恨んでしまう。


 こちらは王子とのやりとりを促されるままに話すことになり、次は彼女達の様子を知りたいと気合を入れ直していたにも関わらず!

 あの同郷の男子生徒が、デートの下見だか何だかは知らないけれどカサンドラ達の傍のカウンターにちゃっかり陣取ってしまった。


 あまり大きな声で話せば内容を聞かれてしまうかも知れない。

 一応学園の生徒で、地方の人間だが準貴族として入学を許された身分のベルナールに、あまりジェイクがどうのラルフがどうの、という話を聞かれるのは困る。

 ぺらぺら余計な事を吹聴する人間ではないかも知れないが、それでも興味を持たれては困るのだ。


 結局その後は目当ての話を聞くことも出来ず、ベルナールがまだ帰らない内に席を立つことにした。

 勢い余って要らないことを無関係な彼に聞き咎められてしまっては面倒だ。それは三つ子も同じ見解だったのかもしれない。

 リタはかなり不満そうに頬を膨らませたが、まさか彼に出て行けとも言えず渋々とその日は解散になった。



 寮まで送ると申し出たのに、そこまで世話にはなれないと街中から徒歩で帰る彼女達に『ご馳走様でした』と頭を下げられれば――

 カサンドラも苦笑いで、三人の後姿を見送る事しか出来なかった。




 ※




 三人の中でも喫緊の用というか、最初の恋愛フラグを立てる”イベント”が待ち受けているリゼのことは特に気にかかっている。

 彼女の場合は今年を逃しても来年というチャンスはあるけれど、折角二人とも現在仲が良い状況だ。

 関係性がもう一歩進展してくれるならそれに越したことは無い。


 ……何より、カサンドラは二年目の剣術大会でフラグを立てた時のやりとりがゲーム内であまり好きではない。


 所謂『当て馬』と呼ばれる存在が見当たらないと思われていたこのゲームの中で、唯一の例外として存在するのがジェイクルートで現れる義弟グリムである。

 恋愛ごとに全く意識をしていなかったジェイクが、二年目のイベントで恋愛フラグを立てようとすると彼が物凄く出張ってくる。

 キャラクタとしては悪くないのだが、悪くないからこそ与えられた役割が不憫でならない。


 最初から恋愛イベントを進めるためだけに存在する異性のライバルキャラ。そういう役回りの人間はいた方が物語は盛りあがったり楽しめるが、カサンドラは元々三角関係が好きではなかった。

 プレイヤーの中には二年目のイベントの方が好きだから敢えて一年目は剣術パラメータを上げずに二年目でダッシュをかける方を好む者もいた気がするが、自分はグリムの可哀想な姿を見たくないので勘弁願いたい。

   

 ……もしかして……自分は薄幸の美少年に弱いのか?


 今更ながら己の気づかなかった性癖に気づくカサンドラは、辿り着いた答えに思わず胸元に手をあてがった。

 動悸を押さえるように、深呼吸。

 そして首を横に振る。


 今は来年のことを考えている場合ではない。

 とりあえず、先週末の土曜日に行った試食会の記録を纏めた書類をシリウスに提出しなければいけないのだ。

 持ち帰りの多い仕事はカサンドラが受け持っており、主にシリウスの指示通りに動いているので難しくて困るということはないのだけれど。


 誤字やミスがあればこの上なく嫌そうな顔をされるので、表記ミスには気を付けているつもりだ。

 シリウス達が味付けや調理の具合に行った指摘を、どのように改善したかと言う報告を受け取ってまとめ、来週の収穫祭本番に備える。

 今年は火曜日の六日だが、滞りなくこの共通イベントが終わることを祈るのみである。


 昼休憩、生徒会室に足を向ける。

 教室のど真ん中で資料を渡すのが一番早いのだが、彼は役員内部での話を他生徒に聞かれることを嫌う。


 情報守秘という基本理念に忠実な人だ。

 多少理不尽な事があっても、ルールだと言われれば守る人。

 ……そしてあまりにも非合理的だと判断すれば躊躇いなくルール自体を変える強権者でもあった。


 シリウスは大体昼休憩は生徒会室に在室していたはずだ。

 持ち帰りたくない仕事を全て終わらせているのだと聞いたことがある。


 普段カサンドラを始め、他の役員が滅多に生徒会室に立ち寄らないのは彼の存在が多大だと言わざるを得ないだろう。

 あの人が難しい顔をして中央の席にデンと座っているだけで妙な圧力を感じてしまう。

 それなら自宅に持ち帰った方が作業が捗る。



「……失礼します」


 カサンドラは生徒会室の扉を手の甲で軽く二度叩く。

 返事は無かったが、どうせシリウスがいるのだろう――そう思って扉を開けた先には意外な人物の姿があった。


「よう、カサンドラ」


 空っぽのシリウスの席の前に立って書類の束数を数えていたのはジェイクだった。

 彼もメンバーの一員だと分かっていても、昼休憩に生徒会室に好んで立ち寄ることのない人だ。


 怪訝そうなカサンドラの視線に気づいたのか、彼は事情を話してくれる。


「シリウスなら今は学園長のトコに行ってるぞ。

 で、俺が暇だろうからって替わりにこいつを運ぶよう頼まれたんだよな」


 仮にシリウスが生徒会室に向かったとしても、到底一人で運ぶのは難儀しそうな資料がどっさりと彼の机の上に並んでいる。

 それらを軽々と一人で運んで来れるのだから相変わらずの力持ちだなぁと若干引き気味に、曖昧な笑顔で頷いた。


「そうなのですね、教えて下さってありがとうございます」


 カサンドラは持ってきた紙面をシリウスの机の上に置いて、さっさと退散しようと思っていた。

 ここに王子がいてくれたら話は違うだろうが、彼の姿もどこにもない。

 長居は無用だと判断したのは当然のことだ。


 だがシリウスの机に近づいた時、ジェイクが事も無げにカサンドラに話しかけてきたのだ。


「丁度良かった、カサンドラ。

 お前、コーヒー淹れてくれないか?」


「……はい?

 わたくしが……?」


 予期せぬ依頼を受け、反射的に剣呑とした表情で彼を見上げる。

 以前のシリウスの時にも思ったが、カサンドラは給仕係でも何でもないのだが。

 自分がお茶汲みかかりを解雇したようなもので、その替わりに役員会の時にはその役割をかって出ていることは確かだ。

 アイリスと二人、楽しく一緒に作業が出来るのでそれは全く苦にならないけれど……


 全く無関係の場所で茶を淹れろと言われると、眉の角度が上がってしまう。


「いや、お前の淹れるコーヒー、普通に美味いからだけど。

 嫌なら別に良いし」


 勢いを削がれ、空気を呑む。


 普段上質な茶やら、熟練の侍女達に給仕をしてもらっている彼にそう本音のように美味しいと言われては……

 元々お茶くみくらいしか前世のスキルが活かせていないとヤキモキしているカサンドラはつい絆されてしまう。


 しょうがないなぁ、と頷いて生徒会室の奥の台に向かう。

 すぐ傍の戸棚からいそいそと器具を用意しつつ、どの豆を使おうかと物色を始めたカサンドラ。


 確実にカサンドラの休憩時間は減るが、まぁ他に減るものもない。これは生徒会の消耗品だ。

 それに、御三家嫡男の中でもジェイクはまだマシというか、他の二人よりは自然体で話せる相手だ。


 走って逃げだすほど嫌な相手でもないし、日頃のお茶くみの手際を認められたようでついノセられてしまった。

 ……案外、褒められることに自分は慣れていないのかもしれない。

 身分以外の、自分の能力、というくくりにおいて。



「あ、そうだ。なぁカサンドラ」


「何でしょう。少々お待ちくださいね」


 サイフォンを用意し、火を点けフラスコの底に当て水を沸かす。

 ゆっくりと泡が立つその様子を眺めつつ、声だけで彼に返答した。



「お前さ、リゼと仲いいよな?」


「……ええ、わたくしはそう思っておりますが」


 いきなりジェイクの方から話を出され、カサンドラは勢い込んで首を真横に向ける。

 彼は自分の席に座っているが、完全に休憩モードなのか足を組んで椅子の背もたれに深く身体をもたせていた。


 ジェイクがリゼの話を振ってくるなど、何と言う進歩なのだろう。

 以前は似たようなシチュエーションで、リタと休日に会いたいなんて話を持ち掛けられたのがウソのようだった。




「あいつ、どんな男がタイプだと思う?」





 動揺のあまり、………ぎゃー、と叫んでその場に突っ伏しそうになった。

 危うくサイフォン器具ごと前に押し倒しそうになって、台の縁に手を添えて必死で踏ん張る。


「な、な、な……」


 なんでジェイクがそんな事を聞いてくる!?

 いや、理由なんてそう多くないと思うのだが、逸る気持ちを抑えようとすればするほど言葉が上手く出てこなかった。


「いや、それがな。

 リゼの剣術の教官がフランツって言うんだけど、まぁ俺の古くからの知人って奴でさ」


 その彼の口ぶりを前に、燃え上がりかけた火がしゅんっと小さくなっていく。


 なんだ……

 ジェイク個人がリゼの異性のタイプが気になるだとか、そういう直接的な話題ではないのか……


 ちょっとがっかり。


「あいつ、リゼの事凄く気に入っててな」


「……ええ、存じております」


 夏休みの日も特別に剣術指導をしてやるなんて、相当気に入っていないとできないことだ。

 カサンドラも入学したての頃、リゼのことが気になって剣術の講座に参加した時に彼と話をしたものだ。

 ロンバルドに与する立場だという事は重々承知している。 


 それでさ、と。

 ジェイクは気が進まないというか、面倒だという気持ちを抑えられない様子で事情を説明してくれた。



 フランツが用事で王宮に向かった際、懇意にしている文官と話をする機会があったそうだ。

 そこで、今年入官し登城を始めたばかりの新米官吏の話になったという。

 女性がてらにバリバリ仕事をこなし、細やかな気遣いも素晴らしく、礼儀正しく有能な新人らしい。


 この時点でどこかで聞いたことのある女性像だな、と嫌な予感がした。


 美人でスタイルもよく、おじいさんが貴族だという血統の良さなどから周囲の独身官吏達から猛烈なアプローチを受けているのだとか。

 だが彼女は『今は仕事を覚えないといけないので』と無慈悲に切り捨て、全く色恋沙汰に興味も示さない。

 優男だろうが武骨な男だろうが、仕事が出来る男性だろうが一律シャットアウト。


 仕事が楽しく、出来るが故のバリキャリ女性として皆が遠巻きに眺めるようになっている状況――


 その文官は、彼女は一生結婚どころか恋愛から縁遠いのではないか!?

 折角元が良く人気があるのに勿体ない、と息巻いた。

 女性は結婚して子供を持ってこそ幸せと言う価値観の根強い彼は、仕事は助かっているが彼女の将来が心配だと嘆いていたそうだ。


 それを受け『俺にも将来そうなりそうな奴を知ってるよ』とフランツが話を合わせたのが事の発端だった。

 若い身空で仕事一筋で真面目で面白みのない一人の人生を送ることは可哀そうだ。


 本人が聞いたら無言で腹にパンチをくらわせそうな勝手なやりとりを経て、今度彼女達に良い男性を紹介し合おうじゃないかという結論で締めくくられた。

 野次馬根性というより、恐らく本気で心配しているのは分かる。


 女性も二十歳を過ぎれば立派な嫁き遅れ候補、浮いた話の一つもなければそのまま……

 もしも気が変わって結婚しようとしても、とうが立っているからという理由で誰かの後妻におさまるしか出来ない事もままあった。


 そうなれば子供を持つのも難しい、と年嵩の文官は余計な世話を焼きたがる。

 フランツはフランツで、実例を間近に危機感を一層募らせ、何とかしなければと一念発起する。



 とんでもない話が着々と進んでいると聞いて、目玉が飛び出るかと思うくらい仰天した。



「もしかしてその新人の女性ってエレナさん……」


「名前までは聞いてないけど、言われてみればそれっぽいな!」


 ぽんっと彼は手を打った。

 以前ラズエナで彼もエレナとは話をしたことがあるので、容易にイメージできたらしい。聞けば聞く程彼女のこととしか思えなかったので愕然とする。


 まさか彼女がそんな状況だなどと……言われてみれば、なるほどと思わなくもない。

 恋愛ごとなど無関心なタイプに見えた。


 それで、男性を紹介するにあたってどんなのが好きなタイプか知らなければいけない、と。

 お鉢が何故かジェイクに廻って来たのだと彼は太い溜息を落として片目を覆った。


「何故ジェイク様が」


 そうは思ったが、フランツは学園の生徒くらいの年代の娘を持つ、もういい年齢のオッサンである。

 しつこく異性のタイプを教え子に聞くと言うのは聴こえが悪い。

 この世界にセクハラという概念はないが、まさしく女生徒が忌み嫌う”変態オッサン”の烙印をおされかねない。


 クラスメイトで仲が良いんだろう、代わりに聞いてくれないか?


 そう言われて仲が良くないとも言い切れないしなぁ、とジェイクは釈然としない想いを抱えつつも機会があったらと頷いた。

 だが実際は本人にそんな話を聞ける関係でもなく、カサンドラなら同性で仲良しだし聞けば答えてくれるのでは?


 そんな軽い気持ちで訊いたのが今、というわけだ。



 何それ……。

 トキメキを返してもらえないかな。


 動揺が過ぎ去った後のカサンドラは思った。


 そしていかに答えようか非常に迷う。


 ここでジェイクがその対象なのだと言えるはずもなく、またそれを匂わせる事も良くない事だと思う。

 返答に難儀する話ではないか、と心の中で呻る。



「ジェイク様は、どんな方だと思われますか?」


 質問に質問で返すやり口は卑怯だが、とりあえず相手の心情を少しでも測りたかった。


「さぁ?

 別に気になる奴もいないって話だし、先方と同じように興味が無い性格なんじゃないかとは思うけど」



 ……動揺を隠しているか、それとも本心なのか。

 中々判断が難しい。


 カサンドラはリゼの恋路を応援している。

 だが、それは橋渡し役をしたいのではない。

 リゼ自ら、彼の心を掴み取って攻略する過程を応援しているのだ。


 ここで自分が思わせぶりな事を言ったり、下手にリゼを意識させるような事を言うのは違う。順調な道筋を狂わせかねない。

 外部的要因が彼女の攻略を阻害する可能性を考え慎重になった。


 『好きな異性のタイプ』なんて、話題が話題だ。迂闊に彼の思考を誘導することは控えたい。

 


「わたくしもリゼさんの内心を伺い知ることは出来ません、ご期待に添えず申し訳ありません」


 すると彼は少しホッとしたような、それでいて何かモヤモヤが残るような。

 目に見えて複雑な表情をし、「そうか」と小さく頷いた。


「ただ、質問からは外れますけれど……

 リゼさんは、誰かを好きになったら脇目も振らない一途な女性だとは思います」




「あー、真面目だもんな。

 万が一浮気とかしたら刺されてもおかしくない感じはする」


「……。」



 何とも評価に困る反応だ。




 恋愛ごとの話でサラッと刃傷沙汰をイメージするってどういうことなの? と。




 カサンドラは彼にコーヒーを差し出しながら、眉を顰めた。

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