第186話 カフェにて
カサンドラが三つ子とともに向かったのは、ゴードン商会――シンシアの実家が経営しているカフェだ。
同級生が関わっているだけに留まらず、落ち着いた雰囲気や食事の質などでカサンドラにとっても足を向けやすい場所であった。
既に見慣れた光景を馬車の窓から見渡しながら彼女達と一緒に揺られている。
舗装された道でも馬車は小刻みに多く揺れ、大声で話しているとふとした衝撃で舌を噛みそうになる。
普段からカサンドラはあまり馬車内で話をあまりしないのだが、彼女達は全く気にせず楽し気に会話を続けていた。
もうすぐ衣替えの季節だけど、長袖のシャツは用意しているんでしょうね? というリゼの質問に、リタは「あっ」と呆けたように口を開けた。
どうやらスッカリ忘れていたようで、危ない危ないと乾いた笑いを上げる。
カサンドラは着替えについては使用人に全て一任している状態なのでそのような初歩的なミスはしないだろうが。
でも、皆が長袖の制服で自分だけ半袖という状況は割と目立つし恥ずかしいので、先に指摘を受けて良かったのではないか。
誰にでもうっかりはあるものだけど、日常の身支度から準備から全て自分でこなさなければいけない寮生活は大変そうだと思った。
……王子達に関しては、召使込みで新しい建屋で暮らしているので除外する。
食事も一般生徒と一緒にとることはない、男子寮、女子寮の他にもう一つの禁寮とでも呼べる第三の区域が出来上がったようなものだ。
カサンドラも常連とは言わないまでも、幾度か顔を出したことのあるカフェだ。
店長もこちらの顔をしっかり覚えてくれているようで、店の扉を開けると従業員一同がお出迎えしてくれた。
「皆さん、素敵な誕生日プレゼントをありがとうございました。
改めてお礼申し上げます」
四人掛けのソファ席に通され、注文を終えた後のほっと一息をつける時間。
カサンドラは三つ子の顔を順繰りに眺めて微笑んだ。
個人個人にはそれぞれ会った時にお礼を言ったものの、あの作品は三人の合作と言って差し支えない。
こうして揃ったところでも礼を言うべきだろうと、自然と口を突いて出た。
「お気に召して頂けて、私達も嬉しく思います。
カサンドラ様のお誕生日が近いとお聞きして、皆で考えたものですから」
リナはにこにこと笑って、手を胸元前で合わせる仕草を見せた。
カサンドラが本を図書館で借りているところは彼女達もよく知っていることだ。
だからこそのプレゼントだが、わざわざ手作りで――しかも探すのに手間取っただろう四葉のクローバーまで探し出してくれたのだ。
必要でさえないただ高価なものを実家に送り付けられるよりも、自分のことを考えてくれた事が嬉しいと思う。
しかも親交がある相手からなのだから猶更だ。
「折角当日に自宅まで足を運んでいただきましたのに、留守をしていたことは今でも申し訳なく思います」
あの誕生日は大変濃い一日であった。
未だに良く覚えているけれども、最後の駄目押しと言わんばかりに三つ子からの贈り物を知ったのだ。
自分一人ばかりあんなに幸せで大変申し訳ない! という気持ちになるのも道理であろう。
だが、そんなカサンドラの謝罪に彼女達は逆にニコニコ笑顔で……
とりわけリタなどはニコニコというより、ニヤニヤと表現した方が正しい表情でカサンドラを意味深に見つめている。
あら? と、カサンドラが少し怯んだ隙を突くようにリタはテーブルに身を乗り出してとんでもないことを言い出した。
「いえいえ! 全く気にしないでください!
あの日、カサンドラ様、王子にお呼ばれしてお城に行ってたんですよね!?」
「そ、そうですが……」
別に隠し立てをすることでもないので、使用人達もカサンドラが何故留守をしているのか伝えることに躊躇いはなかっただろう。
王子の婚約者であるカサンドラが、誕生日と言う特別な日に彼に招待された。それはお屋敷で働く使用人たちにとっても誇らしく思うだろうことは想像に難くない。
いくら血縁関係のないただの雇用関係だとしても、勤めている屋敷の主が王家に親しくしてもらえることは自尊心を擽るものだ。
レンドールに限らず、『ただ当家のために』たる貴族の使用人たちの多くが持つスローガンは伊達ではない。
特に老爺である家令フェルナンドなどは感動にむせび泣いていた事だろう。
だから三つ子が来訪した時に、これ幸いと胸を張って行き先を告げたに違いない。
その光景を想像することは容易かった。
「私、お城でどんなことがあったのかお聞きしたいなーって、ずっと思ってました!」
純粋そのもの、というキラキラ眩しい眼差しを正面から向けられて声を詰まらせた。
「い、いえ。
わたくしの事は、別に……」
笑顔を作る頬が引き攣ってしまったのは仕方ない。
だってここに三つ子と一緒に集合した理由は、彼女達の恋愛模様の進展を聞くことが出来たら……という想いであった。
当然、彼女達は主人公とは言っても
彼女達が毎日どんなことをしているのか、特に休日に起こることなどは直接聞かないと知ることは出来ないのだ。
断じてカサンドラのことを語りたいがためにここに来てもらったのではない。
こちらの気持ちを分かってくれと言えるわけもなく、ただひたすらそれでは趣旨が違うと心の中で首を横に振り続ける。
「確かカサンドラ様のお誕生日の前日、シリウス様は豊穣祈念祀の用意があるということでお城にいらしたとお伺いしています。
もしかしてシリウス様とお会いになられたのではないですか?」
リタの事を制してくれるだろうと期待して、隣に座るリナに助けを求めるように視線を向けた。
だが彼女は控えめな笑顔を浮かべつつも、かなり詳細な事由を思い出してワクワクとした期待に満ちている様子。
完全に予想外のところから飛んできた流れ弾に当たった気分だ。
自分の事を話すなど、相手がアレクであれば話は別だが……
クラスメイト……友人だぞ?
別に自分と王子がどんなやりとりをしていたかだなんて、彼女達の攻略の何の糧にもなりはしないだろうに。
それならいっそ三人で雁首揃えて各々の恋愛進捗状況を報告し合っている方が何倍も有意義だと思うのだけど……!
リゼに関しては、どちらでも構わないという素振りでグラスから水を飲んでいるのが分かる。
だがチラチラとこちらの返答を待っているのが分かり、彼女もまたリタを制止してくれることはないのかと落胆する。
教室で自分を見つけ真っ直ぐで明るい声と表情を向けてくれるリタ。
それと全く同じ熱量と無邪気さで言ってくるものだから、強引に話を打ち切るということは出来やしない。
最初に誕生日に纏わる話題を振ってしまったのは自分だし、と。
カサンドラは諦めの境地で、遠い目をし――
彼女達が満足するまで、王子にとって不都合の無い範囲内において城内を案内してもらったことを話すことにした。
彼女達の反応自体は、とても新鮮なものだ。
普段自分から聞くばかりだったということもあるし、普段王子と何があっただなんて仔細にクラスメイトに話すことなどない。
「わぁ、凄いですね……!」
王子という存在が最初から別次元の存在で在れば、ぼんやりしたイメージしか持てないだろう。
だが同じクラスに在籍して会話もしたことがある三つ子達。
そして王城に招待されたこともあり、外観や内装なども想起することは容易いはずだ。
カサンドラの話一つ一つを興味深く相槌を伴って聞いてくれる。
特にリナが狡い。
彼女は本当に聞き上手で、気持ちよく話が出来るような相槌の打ち方が大変上手だった。
これなら話下手なシリウスでも会話に困らないだろうなと思えるくらい、彼女は相手の話を引き出す事を得手としていた。
王様への謁見の辺りは、説明も他人行儀感があったかも知れない。
出来る限り客観的に、カサンドラ自身の主観が入らない様に説明だけしようと思った。
でも絵画の部屋の話になり、更に昼食の話になって――多段重ねの誕生日ケーキという単語は非常に盛り上がった。
何せ王子も吃驚していたことで、見たこともない大きさのケーキの話なのだ。
それぞれ色んな意味を籠めた驚嘆ぶりで、目を丸くして聞いてくれた。
リナなどはそんな大きなケーキを作るのに、どれだけの小麦粉を使ってどんな窯で焼いたのだろうと頭を抱えて悩んでいた。
――最後の合奏の話になった段には、三人とも運ばれてきたデザートを食べることも忘れるように前のめりで聴いてくれたわけで。
「え、ラルフ様がわざわざ!?」
「王子がご依頼になって下さったからで、わたくしも驚きました」
リタの食いつきぶりに僅かに仰け反る。
「シリウス様、ヴィオラを弾かれるのですね」
「……え、ジェイク様って楽器も演奏できるんですか?
何なんですかあの人」
生誕祭では王子とラルフの合奏を披露することになったが、カサンドラはその前に彼ら生徒会のメンバーと合奏までしていたわけで。
まぁ、ジェイクが楽器を弾いている姿はかなりミスマッチでレアな光景だとは思ったけれども。
総じてとても楽しかった時間の総浚いで、聞きようによっては自慢にしかならないことである。
だが事実だけを淡々と述べたとしても、学園と言う枠を飛び越えたスケールの大きな話だったと思う。
話し始めた時には、合奏の件までは言わなくてもいいかなと、そんな風に考えていたというのに。
彼女達が「次は何があったんですか?」などと蒼い目を輝かせて聞いてくるものだから、ついつい必要のないことまで話してしまう。
シリウスらと遭遇した聖堂の話をした時には、体調不良のことは伏せて彼らが忙しそうにしていた事だけを掻い摘んで話す。
シリウスがローブ姿だと言ったら、一同想像してしまったのか「ずるずる裾の長いローブとか、シリウス様にめっちゃ似合いそう」と呟いたリタの台詞に二人も大きく頷いていた。
うん、実物の彼の姿はとても良く似合っていたよ……
そのような益体もない話を終えると、ようやく皆でデザートを囲む流れになった。
途中で運ばれてきた栗のケーキを小脇にどけるように聞き入ってくれた彼女達も、話に満足したのかケーキの乗ったお皿を誰ともなく己の正面に持って来る。
今まで自分が彼女達の進展を聞くばかりだったから、この機会は非常に珍しいもの。
だがやはり話をすると照れが入るもので、中々客観的に物事を話すのは難しいなぁ、と感じ入る。
リゼなどはそういう客観的な事象と自分の気持ちを割と淡々と赤裸々に語ってくれる方だが、いくら言語化するのが彼女の思考法とは言え凄い事だ。
恋愛話をすると一度腹を括ったら、その通りに正直に話してくれる。
「カサンドラ様、楽しいお話をありがとうございました」
リナに羨望の眼差しを受け、ちょっと恥ずかしいなと紅茶を口につける。
和やかな放課後の一時、では今度はこちらから彼女達の現状を語ってもらおうかと気合を入れ直す。
何せこちらも細かいことまで話をしたけれど、同じくらい細かく聞きたいことはある。
夏休みからこの二学期に入っての二か月近いインターバルに何があったのか大変に興味があった。
特にアルバイトの話はカサンドラも関知していないことで、驚きを禁じ得なかったものだし。
よし、頃合いだから話しかけようと口を開きかけたその時。
誰かがお店の中に入って来た。
ふと視線を遣ってしまったのは、男性が一人だけの来店だったから。
このカフェはカップルや女子同士の集まりを良く見かけるこ洒落た場所だ。
男性一人が悠々と寛いでいる姿は今まで見たことが無かったし、一人コーヒーを嗜む層はまた別の渋めのお店を選ぶケースが多いはずだった。
そもそも男性が一人カフェなど敷居が高いだろうに、と。
つい好奇心で来店した男性を見てしまった。
まさかそれが、自身の知り合いだなんて思いもよらない。
「……ベルナール!?」
紅茶のカップをソーサーに落とすような勢いで戻し、騒々しい音を出して周囲の顰蹙を買う。
だがその視線を恥ずかしく思う余裕もなく、『お一人様カフェ』たる男性には勇気のある行動に出た知人、同郷のベルナールに声をかけてしまったのだ。
「げ、カサンドラ……!?」
彼は見つかってしまった狼狽を隠すように無駄に大声でカサンドラに怒鳴り散らす。
そしてカフェを訪れている客人の非難の視線に窮し、カサンドラの座っているソファ席まで小走りに近寄る。
「なんでこんなところにお前がいるんだよ」
ぼそぼそと抗議してくるのだから呆れてものが言えない。
憮然とした顔のベルナールは、相変わらず彫りの深い顔立ちで特徴的な男性だった。
「クラスメイトとお茶の時間を楽しんでいるだけですが?
ベルナール、貴方こそ何故? ……シンシアさんの姿が見えませんが、お一人ですか?」
「もしかしてフラれちゃったとか?」
「失礼な事言わないのよ、待ち合わせってだけかも知れないでしょ」
リゼはこの件について一切の興味が無いのか、眉を顰め――耳元まで近づいたリタの額をぺしっと掌で叩いた。
――フラれたかも知れない。
一瞬カサンドラの思考にも過ぎった可哀想なフレーズを、リタはこそこそとリゼに耳打ちする。
本人比では小声のつもりだったのかも知れないが、しっかりとベルナールに聞こえていたようだ。
「違う!
俺は下見に来ただけだ」
「下見……? ああ、デートの下見ですか」
カサンドラはつい生温い視線を彼に向けてしまう。
彼が一々デートの下見に足を運ぶ程細やかな男性だったなんて知らなかった。
自分が全く知らない場所で狼狽えなくて済むよう、誘う前にちゃんと事前調査を行うなんて……彼氏の鑑かな?
知られざる幼馴染の一面に驚愕しつつ、納得したカサンドラ。
「今度シンシアを誘おうと思っててさ。
なんでもこのカフェってすげー有名らしいって話だし」
有名、という表現に引っ掛かりを覚えた。
確かに美味しいメニューの並ぶ雰囲気の良いカフェだが、取り立てて周囲に知れ渡っているお店かと問われると首を傾げる。
まぁ、王都に元々住む人にとっては定番で有名なカフェなのかもしれないが……
「……なんでも、カサンドラ。
お前と王子が千組目のカップル入場だとかで盛大に祝われたって話をダチから聞いてな?
縁起が良い店だとかで、結構有名らしいじゃねーか。
シンシアを連れて来たら喜ぶんじゃないかって――女ってそういうゲン担ぎ好きだろ?」
「えっ」
「えっ」
カサンドラとリゼが同時に息を詰まらせる。
絶句した、という表現が正しいだろうか。
見ればリゼは明後日の方向、壁側に視線を背けたまま知らぬ存ぜぬという身振りで――一切カサンドラの方を見ようともしないのだ。
その不自然極まりない挙動から考えるに、今までそうだろうなと思っていたことが確信に変わる。
「リゼさん……貴女、やはり……」
あの日の特別席、カップル席というやりとりはシンシアを抱き込んだ盛大なこっ恥ずかしい茶番だったということだ。
そうとしか考えられないし実際そうだったわけなのだが。
「ナンノコトデショウ。
ワタシ、ナニモワカリマセン」
彼女は頑なに目を合わせないまま、変な片言口調で追及を躱そうとする。
あれはもう三か月以上も前のことで今更なことではあるのだが、彼女の反応から察するに間違いなくリゼ”も”関与していたのだろうことは間違いない。
まさかあの一件でこの店の名が知られるようになったのか? 物凄く恥ずかしい!
王子とカップルで来店しましたというだけならまだしも、千組目の記念カップルだとか……
しかもそれがシンシアというゴードン商会のお嬢さんを巻き込んでの企みから来ることなので一層立つ瀬がない。
「まぁ、先輩。
こちらのお店はゴードン商会……ええと、シンシアさんの親御さんが経営するカフェですよ?」
「え!? マジで!?
うっわ、あぶねー。もう少しで赤っ恥かくとこだったぜ」
意気揚々と自分の彼女に「有名な店に連れて来てやったぜ」なんて嘯いた後に「ここ、私の家のお店です……」なんてやりとりがあったら寒々しい事この上ない。
リナの指摘のおかげで事なきを得たのだろうか。
とりあえず、ベルナールは顔を蒼褪めさせながらもそのままカフェに滞在することに決めたようだ。
一応自分の嫁(予定)の実家が経営する店ということで、興味自体はあるらしい。
看板に一々ゴードン商会の名が出ているわけでもない。
カサンドラも教えてもらうまで知らなかったのだから、ベルナールが知らなかったことは恥ずべきことではないのだろうが。
シンシアの前でかっこつけて、満を持して連れてくる前で良かったねと思う。
その反面もう二度とあんな恥ずかしい茶番は仕込んでくれるな、と。
まだ気まずそうに未だ首を横に向けているリゼに――迸る念を送るカサンドラだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます