第185話 ひさしぶり



 午後の選択講義は、たまたまリタとリナの二人と一緒になった。

 本当に何も考えずに、適当に選んだ結果――という言い方は不適切だが、事実である。


 ジェイクに指摘を受けたことを未だに引きずっているカサンドラは、毎週月曜日は体術の講座で体力を養おうと決めている。

 普段自室で体力のためのトレーニングなどしたことも考えたこともないカサンドラにとって、学園の講座は非常にありがたいものだとしみじみ思う。


 学習内容の出来不出来は全く問われない、それぞれの専門講座。


 だが意欲がある生徒や興味がある分野を深く知ることが出来るのは素晴らしい試みだと思う。

 それに学期末に試験もないから受ける敷居も低い講座が多く、一度出席して興味関心を惹かれるものか確かめることが容易である。


 自分の伸ばしたい分野をとことんまで突き詰めることも出来るし、足りないところを補うために使用することも出来た。

 これこそまさに育成型恋愛シミュレーションゲームの醍醐味とも言える。


 その醍醐味を学校の中のシステムに落とし込むことで、カサンドラ達他の生徒もその恩恵に与れているのだ。

 ゲームのコマンドでは毎週始めに何を学ぶかの予定を立てるのだが、主人公一人が勝手に組む予定通りに授業が進行するなど本来ありえないことだ。


 仕様に合わせ、こんな大規模な学園内のシステムを構築しているのだから凄いなぁ、と改めて思う。この世界を造った存在の力には恐れ入る。


 以前シリウスと王妃教育とはなんぞやという話になったときに、この学園の仕様を理解し自ら積極的に計画を立てて自らを伸ばしていくことで、理想の王妃に近づけるのではないか?

 などと彼に揶揄されたものだけど。


 あれはからかったわけでもなく、真実そうなのだろう。


 その気になれば、どのようにでも特定分野を成長させることが出来る――主人公達がそうであるように、何にでもなれる、という謳い文句がそのまま自分達にも適用されるのだ。

 勿論、主人公ではないからやればやっただけ即座に成長が反映されるわけではないけれど。


 騎士になりたい生徒、官吏になりたい生徒、気品あふれた淑女として良家の嫁に迎えられたい生徒、名門貴族の当主に相応しい知識と品格を求める生徒。

 目標があるのなら努力次第で可能にしてくれる、というわけだ。


 この学園に対して王国の多大な援助が行われているというが、ここまでの学習環境を用意してくれていることは驚嘆に値する。


 問題点があるとすれば、広大な王国の片端から有力貴族達が集うということで子どもたちが三年もの間王都に滞在しなければならないということだろうか。

 カサンドラの感覚からすれば、もはや海外への長期留学のようなものだ。国に通学を強制されているようなもので、不満に思う層もあるだろう。


 だがこの学園を無事に卒業していない者は爵位継承の際、問題が生じると言われれば通わざるを得ない。 

 地位や名誉のある家の子供たちはこの学園に集まることが決まっているのだ、そりゃあ国も管理はしやすいだろう。卒業まで爵位継承の正当な権利を主張できないので、幼い内から爵位を得て――ということがこの国では難しい。

 

 一々遠くの領地に諜報を派遣して謀反の芽を探し出すまでもなく、大事な世継ぎやお嬢さんを王都内に呼び寄せる事で逆に所領の情勢を事細かく聞き取ることも可能だ。

 前世の知識で言うところの、江戸時代の参勤交代制のようなものだなぁ、と少し思った。規模や年数は全く違うが、中央集権を維持する手法としての考え方は似ているのかもしれない。経済力や統制力を削ぐ、という意味において。



 どのみち、通わざるを得ない場所。

 貴族に生まれ落ちたからには泣いても笑っても三年間、この学園で過ごさなければいけないのだ。

 



 ただしその分環境は最高に整っている。

 漫然と適当に日々を過ごすのは勿体ないなとは確かに思う。





   ここで人脈や知識を貪欲に得た者が、未来の成功者。





 だが若干引っ掛かりは覚える。

 言語化は難しいが、それだけが理由でこの学園があるのではない――

 そんな気がしてならなかった。


 漠然とした不安感に、チリチリと胸を焼かれる。







「カサンドラ様!」


 政治学を開講する講義室に足を踏み入れると、その部屋に在る多くの生徒の視線がこちらに集中する。

 今となっては慣れたものだが、進んで注目を浴びたくないカサンドラにとっては面白くない。


 だが視線の渦を断ち切るように、真ん中の机に並んで座っていたリタが声を上げたのだ。

 彼女は素のままで大きな声なので、カサンドラの入室によって一瞬シンと静まり返った空気を遠慮なく切り裂く。


 リタは屈託なく、無邪気な笑顔とともに手を挙げる。

 カサンドラに視線を向けても話しかける生徒など皆無という状況の中。全く臆することなく、彼女はすぐに席を立って近づいてきた。


「カサンドラ様も一緒なんですね!

 嬉しいです、良かったら一緒に座りませんか!?

 リナも一緒ですっ」


 この明るい笑顔の前で、拒絶などできるはずがない。


 チラと中央の席に目を向けると、さっきまで座っていたリナが立ち上がってぺこりとお辞儀をしているのが見える。

 彼女達の誘いに「結構です」なんて言える人間がいるならお目にかかってみたいものだ。



 シリウスの忠告めいた言葉が脳裏を過ぎらないわけではなかった。


 だが、遠巻きに自分を眺めるあまりよく知らない生徒に自分から交流を持とうと話しかけるほどカサンドラも社交的というわけではない。

 特に自分が話しかけることによって相手にも迷惑になる可能性も考慮すると、話しやすいクラスメイトや知人に応じてしまうのは自然な流れだ。


 それを横着だとか、楽な方に流れていると言われれば納得しがたい。


 現実にキラキラと目を輝かせ、堂々と真正面から話しかけられれば嬉しくないわけがない。

 裏表の感じない彼女達の傍にいると、物凄く心が落ち着く。

 素直さ、真っ直ぐさというのはそれだけで大きな武器だなぁ、と彼女達を見ていると思うのだ。


「帰りにリゼさんとも合流されるのですか?」


 リタとリナという同じ顔立ちの二人が並んでいる姿は見慣れたものだが、やはりそこにリゼがいないことは少々違和感を覚えてしまう。


「今日はリゼも用事がないはずですし、玄関ホールで待ち合わせて一緒に帰る予定です」


 リナの言葉に、リタもうんうんと頷く。

 毎週月曜日はジェイクの家庭教師という事で放課後学園に残っている。

 火曜日の今日はそのように放課後残る用事もないはずで、放課後の活動が基本的に存在しない学園生活では早い下校を推奨されている。

 自然、一緒に帰る友人たちは待ち合わせて帰宅することになっているのだろう。


 玄関先で時計を見つめながら誰かを待っている生徒の姿は珍しいものではなかった。


「……そうなのですか。

 リタさん、リナさん。今日はご用事がありますか?」


 少しだけ声を潜め、隣に座る彼女達に辛うじて聞き留められるような音量で声を出す。


「いえ、私は特に」


 リタが首を横に振ると、リナも「私もです」と首を傾げながら返答してくれた。


「皆さんと一緒にお茶でもいただければと思うのですが、いかがでしょう」


 すると二人は顔を見合わせ、それぞれの個性に即した笑顔でカサンドラに向けて了承してくれた。




 最後に三つ子と一緒に行動を共にしたのはいつのことだっただろうか。

 二学期に入ってからはそれぞれアルバイトを始めたり、日常生活の中で日々に追われて一緒に集う機会もなかったはず。

 生誕祭の前はリタのためにと自分の家と講師を貸してあげることで三人とごく普通に顔を合わせていたはずだ。



 そうか、避暑地で過ごしたあの八月上旬以来だ。


 カサンドラは三つ子よりも王子や攻略対象達と会話をしていた機会が多かったのではないかと、ついつい振り返ってしまう。

 勿論三つ子がそれぞれ別行動をしている時に会い、共にいる機会は何度もあったけれど。


 出来れば彼女達の現状を、本人の視点で語って欲しいものだ。


 好感度が上がっていることは傍目から見てもわかる。

 それが顕著だと思うのは、一学期の頃はまだ自分の好みの性格の主人公が気になるようだった彼らも――今ではすっかり一緒に行動するとしたら別の相手だからだ。


 ジェイクであればリゼ、ラルフであればリタ、シリウスであればリナ。


 好みのタイプとは違って限りなく相性が悪い主人公であるにも関わらず、そちらに視線やアプローチを行うことがぐんと増えた気がする。

 一学期の最中はラルフに遊びに行かないかと何かと声をかけられていたリナだが、そんな苦情も過去のものだと言わんばかりに不干渉になりつつある。


 そのあたりは無慈悲というか、割り切りが早いというのか。


 脈の無い、現状好感度の低い相手に茶々を入れるよりももっと気になる娘が傍にいるのだからそちらに傾注するのもおかしくない。

 いや、そうでないと困る。

 いつまでも心の片隅に好みの主人公が……なんて面影を偲ばされていては三つ子の関係性に悪影響しかないからだ。


 ちゃんと目の前の相手に向き合って欲しいと願うカサンドラにとって、今の状況は歓迎できるものである。

 恐らく、もしも好感度が数値化して目に見える状態であればとっくの昔に追い越して逆転しているのだろう。



 ――最初にジェイクが三つ子と接触した時、リタに興味があるから会ってみたいと言われたことを思い出す。

 きっと今なら、興味があって一緒に出掛けたいと思う相手はリゼだろう。


 この先リタが本腰を入れてジェイクを攻略しますと宣言すれば地獄絵図の様相を呈すだろうが、そのような心配も杞憂。


 三つ子は性格も違えば、好きな男性の好みも全く違うようだった。

 何故相性が悪い相手を好きになるのかと心臓が止まるかと思う衝撃も、今は昔か。


 ……彼女達は着実に、その相性が悪いというハンデを捻じ伏せるように遅々とでも先に進んでいるのだ。

 これは事情を詳しく知らない外野だったとしても、応援したくなる。


 出来ればそのまま恋愛が成就して奇跡か偶然でもいいから愛の力か何かで聖女に覚醒してくれれば言うことは無い。

 その望みは未だに捨てていない、縋っている。


 ゲームとしては、主人公は意中の相手と結ばれたけれども聖女の力に目覚めないままエンディングを迎えた世界。そこに今の自分達は向かっている。


 だがその世界線の延長で、王子が悪魔を召喚してしまった末に主人公が聖なる力で世界を救ったという未来があった”かも”知れない。

 画面に「Fin.」と描かれた先の世界を外側から知る術はないが、カサンドラは内側にいる。

 エンディングの向こう側を、きっと彼女達と一緒に体験することができるはず。


 この世界はこの世界なりの実在可能な一定の摂理を踏襲している。

 おかしいな、と思うゲーム故の設定も可能な限り現実に即するように補足したり若干の追加設定を加えてフォローしてくれている。割と因果関係に忠実だ。


 相性の悪い組み合わせで迎えたエンディングの先も、今までの過程や設定を踏まえて紡ぎだしてくれるはず。



 その世界で、自分は王子を悪魔などに乗っ取らせず救い出すと決めているのだ。




 ※




 講義が終わり、学園内の玄関ホールでリゼがやってくるのを三人で待っていた。

 座学の自分達とは異なり、剣術の選択講座で着替えや後片付けのあるリゼは少々遅れての参上だ。


 背筋をしゃんと伸ばしてしっかりとした足取りで廊下の向こうから歩いてくるリゼに、カサンドラは控えめに片手を振った。

 歩き方一つでも、彼女達の仕草は違う。

 リゼはしっかりとスタスタ足早に歩くが、リタは軽やかにまさに弾むような足取りで廊下を進む。

 リナは殆ど靴音が聞こえない静かで楚々とした歩き方だ。


 離れていても誰の靴音かなど瞭然なのだから凄いと思う。




「え、これからお茶ですか!?」


 カサンドラの提案に、何故かリゼは一歩下がって息を呑みこんだ。

 きっと二人のように喜んでくれるだろう、そう思っていたカサンドラが訝しく思う彼女の反応。


 そんなカサンドラの困惑に気づき、リゼは「ハァ」と重たい重たい溜息を廊下に落とした。





「……まさか、会員制の高級カフェとかじゃありませんよね?」



 リゼは恐々と、あまり耳に馴染まないフレーズでカサンドラを瞠目させた。

 翡翠色の瞳にリゼの引きつった表情が映る。


「会員制?」


 はて、何故リゼがそんな特異な場所を口の端に乗せたのだろう?


「あ、いえ。何でもないです、すみません!」 


 彼女は何故か慌てて、直前の質問を掻き消すように両手をブンブン左右に振った。

 苦虫を噛みつぶしたような表情を一瞬見せたのは、何かあったのだろうか?



 会員制のカフェと言われても、カサンドラはそんな場所を利用したこともない。



 きょとんとした顔でリゼの不審な様子を眺めるだけだった。

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