第184話 <リゼ>


 ミランダにいきなり声を掛けられた時は驚いた。


 学校帰りの下校途中に連行される形で、見たこともないような”カフェ”に無理矢理相伴することになったのだ。

 一体彼女が何の目的でリゼに話しかけてきたのか、考えるだけでもピリピリとした空気になってしまう。


 馬車に揺られている時は、このまま山中の奥深くに捨てられたり埋められたりするのではないかと気が気ではなかった。

 今でこそ遠い記憶と化しているが、現実にリゼは彼女の取り巻きによって水責めを食らった事がある。

 プライドが高く人を直接害するなんて野蛮なこと、考えたこともありません――そんな澄ました顔をしたお嬢様が無言のまま数人がかりでリゼの身体を押さえつけた。

 もはやホラーの領域だと思う。


 幸い、その後の出来事等もあってトラウマと呼べるような心の傷には至らなかった。

 だがリゼだって最近ジェイクと随分親しく話せるようになったなぁ、と自覚していたところだ。


 それは運も絡んでいただろうし、カサンドラという同級生のお陰でもあり。


 多数の女生徒が知れば面白くないだろうと客観的に理解している。

 理解しているから、出来るだけ周囲に睨まれないよう立ち回ってきたのだ。

 誕生日プレゼントだって忘れ物か落とし物に偽装しつつ渡す、家庭教師をすることになったことは絶対に知られない様にと細心の注意を払って来たつもりだった。


 それは――リゼなりの保身でもあるし、何よりも貴族のお嬢様という逃れ得ぬ身分、立場。そういう事情でジェイクに言い寄らざるを得ない人間もいるかもしれないと想像してしまったためだ。

 彼女達の意思ではどうにもならず、彼に好かれるような立ち回りを強いられる境遇の女子生徒もいる。

 一度そういうケースを知ってしまった以上、失うものが何もない庶民の自分がクラスメイトの立場を最大限利用してヘラヘラとジェイクに話しかければ「イラッ」とすることは容易くイメージできる。

 無駄にお嬢様達を煽る行動は、自分のためにも相手のためにも慎むべきだ。


 それは他の女生徒に比べて優越している自信から来るのかと言われれば、また違う。


 抱えている事情も立場も違うものだ。

 第一、ジェイクの気安さは恋愛対象に対する者よりも友人に対する扱いで、結局はリゼがバックボーンにややこしいことのない”普通”のクラスメイトだから自然に接してくれているだけだ。

 何も持たない身軽な人間である、というだけで面倒ごとがなく気安く接してもらえることを誇れるほどリゼはおめでたい人間ではない。


 ラズエナの時にももどかしく思ったが、自分が普通過ぎて『哀れ』だから一段トーンを下げて優しく接してもらえることに尻尾を振れる程矜持がないわけじゃない。

 同情されているのだ、と周囲に思われる事が嫌だった……という側面もあり、普段教室で必要以上にジェイクと話をしないよう心掛けている。



 なんだかんだ、先輩のお姉さま方に目をつけられたら面倒なのは事実だし。


 

 その面倒ごとミランダが正面に座すという、拷問空間と化した馬車の狭い室内。

 リゼは身に危険が及ぶのではないかとハラハラしていたが、向かった先がカフェでホッとしたのを覚えている。




 ……正直に言えば、抵抗はあった。

 いくら相手が婚約者持ちで現在進行形でラブラブな恋人がいるミランダとは言え、彼女はロンバルド派の令嬢の中で頭目のような存在だと聞く。

 正真正銘の高貴なお嬢様で、一つの派閥の今後を個人目線ではなく”当家”視線で見渡す人間なのだ。

 彼女からしたら、相も変わらずリゼがちょこまかとジェイクの周辺に出没するのは気に障るのかも知れない。



 だが話をちゃんとしようと思ったのは、



 ――やましい事なんか何もしてないじゃない!



 という開き直りの一心だった。

 正々堂々……というには、周囲の視線を意識してコソコソしているかも知れないけれど。

 悪いことをして近づいたわけではない。

 ただ好きで、どうしたら仲良くなれるかと考えているだけの自分が何故意味なく虐げられ、足蹴にされなければいけないのか。

 そんなの、彼に恋人やら婚約者やらが出来れば諦めるしかないのだし。

 恋愛対象ではないと真正面から言われれば迷惑にならないよう引き下がる。


 徹頭徹尾自分の行動の指針を決めるのは彼である。

 そもそも、惚れた男に真剣に迷惑だと言われれば恥じ入って引き下がるわ。

 そこまで厚顔じゃない。



 だが、何故諦めろだの身の程知らずだなどと他人にやいやい言われなければいけないのか。



 そういう理不尽なことは嫌いだ。

 筋が通らないことは納得できない、貴族達の暗黙のルールなど庶民は知らない。

 明文化したいなら『身分差があれば接触厳禁』とでもプラカードを下げていて欲しい。


 そういうフラストレーションをぶつけるのに、ミランダは非常に言いやすい相手ではあった。

 何せ彼女は既に別に好きな男性がいて、その上でロンバルド派を標榜する令嬢を制御できる権力を持っていたから。

 なおかつ彼女が過去リゼに危害を加えたことはジェイクも知っているわけで。これ以上無体な事はミランダとて保身のため、しないだろうという打算もあった。




 果たして、リゼの選択は正しかったのか誤っていたのか。

 週明けの月曜日になっても、そのジャッジが出来ないままいつも通りの学園生活が繰り返されている。

 少なくとも、ミランダはリゼの行動について不快に思い、どこかしらに圧力を掛ける――という手段は選ばなかったようだ。

 他の女生徒達の反応もいつも通りであることを鑑みるに、彼女はリゼから聞いた一連の話を彼女の胸の裡に留めることにしたのかも。


 家庭教師の件を話した時は流石にヒヤッとした。

 でも「どういうことなのか」と先方から経緯を聞かれ、「全て話す」と宣言した以上話さないわけにはいかなかった。

 同じ学園内での出来事、そしてミランダはジェイク本人とも交流がある。

 いくら生徒会室を借りていると言っても、いつか彼女の耳に入るかも知れない。

 

 その時に痛くもない腹を探られるのは御免だ。

 そもそもこのアルバイトはジェイク――いや、ジェイクの母君の提案であるという。


 周囲に知られたら面倒だということで伏せているだけで、リゼが何か卑怯な手段を使ったわけじゃない。

 それを予め伝えておこう、と話したのだが。


 ミランダは最後の最後まで渋面を崩さず、不信感に満ちた視線を向けて来た。


 信じる信じないは彼女の自由だ。

 早まったか、と。話をしている最中、膝の上に乗せていた拳は汗でしっとりと濡れていた。







 リゼが五体満足で登校出来ているのならミランダも事を大きくするつもりはないのだろう。


 嘘つきだと糾弾されることがなかっただけでも気持ちが軽くなり、午後の選択講座に向かう足取りもそれに伴ってルンルンと軽やかになった、






 ※






 今週から、十一月の剣術大会に向けて週に四回剣術の講座を取ろうという話になっていた。

 集中的に指導を受け、何とか剣術大会で好成績を修めなければならない。


 上位に入賞したからと言って、ジェイクと何かしらの約束をしているわけでもない。

 ただ、当初からカサンドラはこの行事でリゼが健闘できるようにとそればかり気にしてくれていた気がする。

 自分にはわからない彼女の立場でのアドバイスだ。


 が、現状彼女の言う事を素直に聞いているだけでここまでジェイクと親しくなれたのだ。


 不思議に思うことは多々あれど、彼女の助言を無視など出来ない。

 全て自分の力だと己惚れるつもりはリゼにはなかった。


「今日も宜しくお願いします!」


 修練場に辿り着き、こちらの到着を待っていたフランツに頭を下げる。


「これからしばらく、頻繁にお会いすることになると思いますけど」


 週に四日もフランツの指導を受けることが出来るのはありがたいことだが、それと同時に申し訳ないという気持ちもじんわりと広がる。

 わざわざリゼ一人のためだけに、彼はこの学園に招聘されているのだから。


 有難いことに、フランツは腕を汲んで鷹揚に笑うだけで済ませてくれた。


「いやいや、こっちとしちゃあ願ったりなんだがな。

 これから大会に向けて、それなりに立ち回れるようにもっと厳しく行くからな。

 覚悟しておけよ」


 ようやく彼の指示を少し余裕を以てこなすことが出来るようになっていたのに。

 これから更に負荷が増えるのかと思うと、リゼの頬は少し引きつる。


「しっかし、あの嬢ちゃんが剣術大会、ねぇ」


 彼は顎に指を添え、じーーーっとこちらを凝視する。

 ミランダにせよフランツにせよ、遠慮なく人の全身をジロジロ睨めつけるのはどうかと思う。


 だが彼がつい感嘆の声を漏らした理由もわかる。

 一番最初に、剣術の講義だということで彼と会った時。


 絶望だか呆れだか、とにかく自分という存在が歓迎されていないことだけは分かった。

 ちょっと走れば足がもつれる、まともに模造剣を握れず足元に落としかけること数度、身体は固過ぎて準備運動だけで午後の時間の多くを使う。

 すぐに息を上げるし、センスなど欠片もないごく平均的な女子よりも圧倒的に鈍くさい生徒だったのだ。


 普段ロンバルドの兵舎に勤める彼にとって、児戯以下のとんでもない無駄な時間と思われていたことだろう。



『剣を持つのは初めて、ねぇ……。

 お前、何か目的とか持ってるのか?』



  ――二学期の剣術大会で、上位に入れるくらいの腕になりたいです!



 怯んでもしょうがないとばかりに意気込みを語ると、彼は心の底から憂鬱そうに溜息を落とし。

 うすら笑いを浮かべてリゼを眺めていたわけだが……



 それが今では、真面目に大会の事を考えて教えてくれるまでになったのだから時の流れの何と早いことか。

 いや、状況が変わるのが目まぐるしいというべきかも知れない。


 全くの初心者だからと最初から一対一で接してもらえた恩恵は大きかったに違いない。

 リゼの無謀な選択に待ったをかけるのではなく、教官を一つ増やすという手段で応じてくれた学園側の配慮は凄いと思う。


「でもお前、なんで大会に興味があるんだ?」


 手足をぐるぐると回し、身体の筋を解していると頭上からフランツが不思議そうに問いかけて来た。

 若い頃はさぞかしカッコいい青年だったに違いない、その面影を濃く残す剣の達人。

 とても自分の親と同年代とは思えない、覇気に満ちた雰囲気を纏う壮年の男性だ。



「自分の実力を正確に測ることが出来るからです。

 毎日の努力がちゃんと数値化されないと落ち着かないって言いますか」


 それは問われた時に返答する常套句でもあったが、それも今では本心だ。

 ここまで学園生活の多くを捧げ、かなりの労力をそそいでいる剣術と言う一つの分野。

 人の気持ちを数値化することは出来ないが、剣の実力なら”順位”という形で自覚することが出来る。


 成長をちゃんと数で表すことが出来る、それは凄く快感なのだと学園に入って初めて知った。

 入学試験でほぼ満点だろうという点数をもぎ取った時、凄く嬉しかった。

 明確に自分の立ち位置が分かる、努力が間違っていなかったという達成感。


「ははぁ、成程なぁ。

 お前らしいっちゃそうかもしれんな。

 何にでも白黒はっきりつけないと気が済まない負けず嫌い――ってところか」


 彼は呵々と豪快に笑う。

 それだけを聞くと、自分はどれだけ可愛げの欠片もない人間なんだろうと眉を顰めたくなる。

 少なくとも、リゼはリゼのような人間と友人にはなれない。

 恐らく互いに蛇蠍のように嫌い合う、相性最悪の関係性になる事だろう。


 リナやリタという違う性格の姉妹だからこそ上手くいっているのだと改めて思えた。


「そういうのは剣士としての適性があると思うんだけどな」


 すると彼は急に、難しい表情になって片眉を上げる。再度リゼのことを不躾にジロジロと眺めているようだった。


「勿体ないとも思うな。

 ……リゼ、お前――」


 真剣な眼差しで何を言うつもりなのだろう。

 つい身構え、全身を強張らせる。気さくなオジサンだが、一度真顔になって低い声を出されると心の底から怖いと思う。

 人が好いというだけでは、剣を扱う職業なんて全うできるものではないのだと思い知らされる瞬間だ。


 秋の風は涼しく、彼の短く刈った髪の先端を軽やかに擽る。



「俺が言うのもアレだけどさ。

 その性格、マジで婚期逃すから気をつけろよ?」


「はぁ?」


 こちらをからかっているのかと思ったが、何故か彼の顔は至極真面目で――心からリゼの将来を懸念しているような。

 いっそ憐憫の情が混じっていると言えば良いのか、「可哀想なものを見るかのような目」でしみじみと語られるとリゼの時が凍り付く。


「将来結婚する気があるなら、だけどな。

 いやぁ、女騎士やら女官吏って独身が多くてな?

 何でも自分でできる能力があると、ああなっちまうんだろうなぁ」 


 彼のような年代のオジサンの言葉は「変なこと言わないでくださいよ」と笑い飛ばせるような軽さではない。

 とっても、ズシンと重たい響きを内包している。

 実際に彼の周辺にいるのだろう、結婚と縁遠い女性のことを思い出しつつ語られているからだろうか。


「今はまだいいんだろうけどな。

 頼られる方が嬉しいって男の方が多数派だろう?

 気が強くてなんでも一人でやるような癖がつくと、男の方が逃げていくぞ」


「え? いや、その……私は……」


「似合わないこと言って悪かったな。

 だが、そこそこ可愛いわけだし、この歳で生涯独身っぽい雰囲気を出されるとなぁ」


 すまんすまん、と彼は笑う。

  

「ま、そんなのは良い出会い一つで変わるもんだ。

 だが、剣の事以外であんまり意地張ってるとドツボにはまるぞー」





  今現在進行形で恋愛真っ最中の女子が言われる台詞じゃない。

 




 彼の目には一体自分は何だと映っているというのか。

 確かに自分が可愛げのない性格だということくらい自覚している。だが――

 それを捻じ曲げる方法など、知らないし。



 ”出来ない子”だと思われたくない。

 同情されたくない。


 ……負けたくない。





 『頼られる方が嬉しい』という彼の台詞はよくわからない。

 自分が男ではないからピンと来ないのかもしれないが、男性のフランツが言う以上そういう男性の方が多数なのだと思われる。




 この講義が終わったら、生徒会室に向かわないと。

 ジェイクの家庭教師という、一週間で一番楽しみな時間が待っている。




 ……多数派少数派、そんなのは関係ない。

 彼はどっちなのだろう。


 もしも”多数派”だったとしたら……?





「フランツさん……ちょっと私、走り込み行ってきます……」


 まるで幽鬼のようにふらっとした動きで、フランツにそう宣言する。


「は? 走り込みって、おい! リゼ・フォスター!?」






 足が一人でに地面を蹴って走り出す。

 黙ってじっとしていると余計なことを考えてしまいそうで。



 雑念を振り払う意味を込めてフランツの元から逃げ出した。


 急所に矢が突き刺さったままだ。




 ※



 かなり長い間走り続けていたせいだろうか、講義の時間が終わって生徒会室に辿り着いた時には息も絶え絶えだった。

 自分でもかなり無茶をしたと反省しているが、過ぎてしまったことは仕方がない。



「リゼ、お前大丈夫か?」


 どう見ても疲労困憊の様子のリゼに声を掛けるジェイクは、完全に引いていたと思う。なんで週の始めからこんなに全力疾走を続け身体を痛めつける必要があるというのか。


「大丈夫です……!」


 だがリゼは気合で拳を作り、大きく頷く。


「いや、疲れてるならまた来週でもいいんだぞ?」


 それは純粋にリゼの体調を心配しての話なのか、それとも今日はもう勉強せず帰宅したいという彼の本音が漏れたものかは判断できない。

 でも心配そうな顔であることは確かで、ぐっと唇を噛み締めた。



「……このくらい平気です、お気を遣わせてしまって申し訳ありません」



 疲れはしていたけれども、自分のアホな事情で今日の家庭教師役を放棄するなどありえない。意地でもやり遂げて見せる。

 だがジェイクは「本当に大丈夫か?」ともの思わしげな態度を最後まで変えることはなかった。



 ……。


 こういうところが、自分の駄目なところなのだろうなぁ、とフランツの言葉が脳裏を反響して頭を抱えるリゼだった。

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