第181話 <リゼ>


「時間をかけて教えて下さってありがとうございました」


 リゼは職員室を辞す前に教師に頭を下げる。


「君は勉強熱心で良いことです、またいつでも聞きに来なさい」


 機嫌が良さそうに、年配の教師は手を挙げて自分を見送る。

 毎日午前中、リゼ達の授業を担当してくれる教師だ。リゼのクラスの担任でもあり、教科は歴史学を専任している。

 学者肌らしく厳めしい、神経質そうな顔立ちのおじいちゃん先生だった。


「失礼します」


 だが個人的に授業で分からないところがあって……

 と相談に行った時、彼は目をキラキラを輝かせて「そうですか、そうですか!」と喜んでリゼの質問を受け付けてくれた。


 教師と生徒達との距離は遠い。


 担任と言っても、毎朝の出欠を確認することくらいしか担任らしいことは無い。

 クラス内で問題が勃発すればその限りではないだろうが、何せ王子の在籍するクラスだ。

 問題が起こった瞬間に教室内ではおさまらず講堂に生徒を集めての全校集会が開かれることだろう。


 クラスの生徒は皆王子やらシリウスやらという存在を頼りにし、教師の出る幕などない。

 そして学園で教鞭を振るうと言っても、熱心に授業を聞く層は決して多いわけではなかった。

 皆学期末の試験の心配はしているが、日々の授業を常に真面目に受ける者は一握り。

 特に貴族の子女は半強制的に学園で勉強させられるため、学習意欲が低い者も目立つ。

 

 自分達の興味で選ぶことが出来る選択講義ならいざ知らず、必修の授業はお役所仕事で淡々とこなすに限る。

 そのような教師たちの共通認識を覆すように、学習に意欲を見せる生徒が職員室を訪ねて来たのだ。


 教師にとって、感動と喜びもひとしおだ。


 リゼもリゼで、週明けにジェイクの家庭教師役を仰せつかっている身の上だ。

 分からない箇所をそのまま放置するなど出来るはずもなく、こうして放課後遅くまで教師を質問攻めにして今に至る。

 既に構内の生徒は皆帰宅した後だろう、廊下に出ても人の気配を感じられなかった。


 人に教えるということは、自分も教えるだけの正しい知識が求められる。

 それをこの二週間、嫌と言う程痛感させられた。


 リゼも疑問がスッキリして幸せ、担任も人に直接”教える”という学者としての欲を満たせて幸せ。

 双方良好な状態で、大変足取りも軽くリゼは学園玄関口に向かう。


 外門から長い並木道を通る生徒達は皆、学舎に入るために天井がアーチ状の玄関をくぐって各教室に向かう。

 普段多くの生徒が行き交う玄関に向かって階段を降りても、この時間は人っ子一人見当たらない――


「なんだ、リゼじゃないか。

 こんな時間まで何やってたんだ?」


 誰もいないはずの廊下から、突如声を掛けられてリゼは口から心臓が飛び出るかというほど驚いた。


「ジェイク様!?」


 彼の声を聴き間違えるはずはないが、あまりにも偶然が過ぎる。

 肩越しに振り返った先を確認するが……

 どう見てもジェイクだった。


「私は職員室にいました。

 授業中解決しなかった疑問を聞きに行っていただけです。

 ジェイク様こそ、遅いですね?」


 チラ、と玄関に掲げられる大きな壁時計を見上げる。

 下校時刻から一時間は悠に経過しているはずだ。がらんどうの校舎がそれを物語っている。


「今日は役員会。

 さっき終わったところだ、人を待たせてるからあいつらより先に出て来ただけ」


 まだ皆生徒会室にいるんじゃないのか、と彼はあまり興味なさそうに嘯いた。


 そうか今日は金曜日だ。

 自分達ぺーぺーの生徒には全く関係のない役員会のことなど意識しているはずもない。


 では少し待ったらカサンドラもこちらに向かってくるのだろうか?

 そんな風に考えながら西側の廊下、生徒会室に続く道を眺めていたら近づいてきたジェイクがごく普通に話しかけてくる。


「今から帰りだろ?

 外門まで一緒に行こうぜ」


「………!?」


 そのままスッと素通りするものと思い込んでいたこちらとしては、想定外の声掛けだ。

 つい先ほどまで脳裏に浮かんでいたカサンドラの姿が意識の遠くに去って、見えなくなる。


 首がもげるのではないかという程、思い切りリゼは頷いた。

 と同時に他に生徒がいないか目を皿のようにして周囲を睨めつける。


 何せ以前、ジェイクに王都の広場から寮まで送ってもらったというだけで――後日水責めの刑に処されかけたのだ。

 同じ方向だからとのこのこジェイクの誘いに頷いて、二人で歩いている姿を目撃でもされたらまたロンバルド派のお嬢さんに殺意を持たれかねない。


 人の顔色や機嫌を窺って行動するのは理念に反することだが、殊、ジェイク関連については慎重に行動しないと現実問題として身の危険がある。


 いくらこちらがジェイクを想うのは自由だ本気で好きだと思っていても、彼女達のような『立場』が絡んだ利害関係の前では全く以て関係ない事、無罪にはならない。


 有罪だと思われれば、また噴水の中に顔を押し付けられかねないのだ。


 まぁ、今は当時よりも体力や腕力がついた。

 今更二人や三人のお嬢さんに押さえ掛かられたところで、抵抗すれば逃げられると思う。

 でも出来るだけトラブルは起こしたくないと思うのは人として当然のことだ。


 肉眼で確認できる範囲には、人の姿は見当たらない。

 よし、と拳を握りしめてジェイクから人一人分の余白を空けて並んで歩くことにした。




「放課後もお仕事なんですか?」


「そうそう、面倒だけど明日は役員会の都合で団に顔出せないから、どうしても来いってさ」


 彼はうんざりとした表情で溜息をついた。

 歪ませた顔であっても、素の造りの出来がいいので全くいびつに見えないのが凄い。

 どんな表情でもカッコいいなぁと思うだけだ。


「役員会……ですか?」


 休みの日まで学外活動があるのか、とリゼは驚いた。

 日中は学園で過ごして放課後は騎士団関係の仕事に向かって、更に休日まで毎週目いっぱいの予定。

 夏休みも休みじゃない、と憮然とした顔だったのもわかる気がした。


「収穫祭のメニューの試食会だと」


 明日、役員が学園に集って料理を食べるそうだ。

 それは羨ましい。


「わぁ、それは楽しみですね」


「俺はもう面倒で仕方がないんだがな」


 この学園のイベントについては事前知識は全くなかったリゼである。

 だが、収穫祭のイベントとして各地方郷土料理による食事会が開かれるというお知らせがあったので二週間後を楽しみにしていたところだ。

 どんな料理が出てくるのかとリタも大変楽しみでノリノリだったのも記憶に新しかった。


「訓練中も、どんな料理が食べたいだののリクエストばっかりでさ。

 決めるのは俺じゃないってのに」


 達人レベルの剣術のグループに所属している彼が普段どんな人たちと剣を交わしているのかはわからない。

 ジェシカは全く問題なく相手をしてもらえるだけの技量があるそうだし、羨ましい話だ。


 もう九月も後半、大会まで二か月もない。

 来週から剣術講座を週に四日に増やそうとカサンドラとも話をしたところである。


「そういや、お前今日はどの講座に顔出してたんだ?

 水木で剣術講座を取ってるのは、フランツから聞いたけど」

 

 週に二回の剣術講座は、思い返せばバランスがとれていたと思う。

 前半に体術を入れているので、体力も無理なく増やすことが出来た。


「来週から週に四日の予定で採ってますけどね。

 ええと、今日は魔法講座に出席していました」


「え、お前魔法の素質があるのか?」


 彼は驚いて目を丸くした。橙色の瞳の中に、リゼの顔が映る。


 外門が段々近づいてくることに焦りを覚える。

 いつもは長すぎる並木道、今だけはもっと距離が伸びてくれればいいのにと難しい注文をつけたくなる。

 ゆっくり歩いても、五分もしない内に外門までたどり着く。そこで彼は待ち人と王城に向かってしまうわけで、自分は一人寂しくリタやリナの待つ寮に戻るのだ。


 僅かな時間だ。

 幸せな時間の体感スピードはただでさえ早いというのに、こんなちょっぴりの時間なんて数秒に感じる。


「素質……というのは分かりませんが、精霊石を借りれば基礎的な炎魔法を使えるようになりました」


「それは早いだろ。

 たった数か月で基礎魔法が使えるなら、末は魔道士って道もあるぞ」


「流石にそれは考えてないです。

 魔法って、突然使えなくなることもあるって教わりました。

 急に使えなくなったらと思うと、潰しの効かない職業はちょっと」


 魔法の実践講座は確かに楽しい。

 だがそれを生涯の職にしようとは思った事もなかった。


「じゃあなんで魔法講座受けてるんだ?」


 素朴な疑問とばかりに、彼は言った。

 大きく目瞬きしながら。


「剣術と同じで、その……興味です!

 この学園にいなければ関わることもなかったことですし、案外面白いので」


 カサンドラに勧められてのことだなんて言えない。

 そこで深く理由を追及されても答えに窮するので、リゼは少しばかり上擦った声でジェイクに言葉を返した。

 リゼも何故カサンドラが自分達に魔法講座を受けるよう勧めているのかは明確な理由を教えてくれたことはない。

 だが、実際に受けてみたら案外するすると技術が身について講師を驚かせることもあった。自分達に魔法の才能が眠っていたなんて知らなかったし、カサンドラの慧眼には今更ながら恐れ入る。彼女自身は魔法の才能がないと言っていたが、本当だろうか。


 ジェイクは魔法講座には出禁なんだよなぁ、とぽつりとつぶやいた。

 出禁って、何をやったのだろうこの人。




 そんなやりとりもあっという間の出来事だ。


 ジェイクとリゼは並木道を抜け、外門に着いてしまう。

 どれだけ一緒に歩いていたいと思っても現実は無情だ。


 名残惜しい気持ちは尽きないが、たった数分でも一緒に下校できたのは運が良かったのだと自分に言い聞かせ、高く仰々しい外門をくぐる――と。




「おや」


「あら?」


 一歩外を出、すぐ傍の右の花壇の植え込み。

 そこに一組の男女が立っていた。


 ……立っていたと言えば聞こえはいいが、要はカップルが二人幸せそうなハッピーオーラを撒き散らしながらイチャイチャしているだけである。

 そんな光景はリゼにとって「うわっ」とドン引きするものでしかない……はずだった。


 だが、カップル双方ともに名前と顔が一致し、一応の面識があるので叫び声を出さないように口を押さえるので精一杯だ。


「悪い、待たせたな」


 恋人と手を離し、正面に向き直る騎士に向かってジェイクは軽く手を上げる。


「いやいや、そう待ってはいないよ。

 どのみち君を連れて帰らないと、キースさんに怒られるのは私だからねぇ」


 明るい口調の”綺麗な容姿”としか表現しようのない甘いマスクで、上背の高い騎士。

 艶やかな銀髪、剣を扱う者らしからぬ痩躯の青年だ。


 以前、リゼも会った事がある。

 カサンドラにラズエナという避暑地に連れて行ってもらった時、国王陛下の元へ送り迎えをしてくれた騎士だ。間違いない。


「君も一緒だったんだね。

 こんにちは、リゼ嬢」


 意味深長な笑みを浮かべつつ、ゆっくりとこちらを振り返る騎士。

 アンディと言う名の美形騎士に真正面からにこやかな笑顔を向けられ、リゼは不覚にもドギマギしてしまう。


「こ、こんにちは……」


 挨拶がやっと。

 だがそんなリゼの緊張など一切感じないいつもの調子で、ジェイクはアンディの肩をぽんっと叩いた。


「玄関口でたまたま会ったんだ。

 行くなら早く行こうぜ、嫌なことは早く済ませたいし」


 眉を顰めているけれど、行かないという選択肢がないのが根が真面目なジェイクらしいと思う。


 憂鬱そうな表情。

 そんなジェイクの提案を苦笑いで頷き、アンディは傍で様子を見守っている恋人――ミランダの手を取った。

 ごく自然な動作で、何の違和感もない。


「はいはい、了解。

 じゃあミランダ、また明日会おうね」


 そう言って騎士アンディは、彼女の手の甲に軽くキスをする。

 騎士、つまり貴族ともなればこんなキザったらしい行動も、日常風景のワンシーンとしか映らない。


「楽しみにしていますわ、ごきげんよう」


 赤銅色の長い髪は以前と変わらず手入れが行き届き、赤い大きなリボンもそのままだ。

 リゼのものよりもずっと大きく、一歩間違えれば幼ささえ抱かせる装飾品。

 しかし彼女のお人形のような可愛らしい容姿は、逆に愛らしさを増幅させているように見えた。


 どこからどう見てもミランダだ。

 今までリゼの生活圏内にほぼほぼ存在しなかった高貴なご令嬢を前に、己の場違い感をひしひしと感じ臓腑がキリッと痛んだ。


 彼らは正真正銘の婚約者、公然のカップルだ。

 そんな二人のやりとりはリゼとしては中々受け入れがたい背筋がぞわっとするやりとりであった。


 つい視線を逸らす。


 カップル同士の別れ際を一切視界に入れないよう視線を逸らしたままのジェイクと見事にバチっと視線が合った。

 

「じゃあリゼ。

 また週明け、宜しくな」 


「了解しました、お勤めお疲れ様です」


 深々と頭を下げ、彼らが遠くへ去って行く足音を両耳で拾った。


 騎士団に所属しているあのアンディという騎士がジェイクを待っていたのは確かな話。そしてアンディは待ち人ジェイクが来るまで、この学園に通っている恋人のミランダと外門傍で愛でも語らっていた。


 羨ましいとか憧れるなどという感覚も失われるというものだ。

 周囲に花を咲かせるレベルの乙女な空間が確かにあったのだが……




   メルヘン世界の住人だ、この人たち。

  



 自分はジェイクに予期せずくっついていたおまけのおまけ、彼らにとっては路傍の石。


 ジェイクも去ったことだし、さっさと寮に帰ろう。

 ミランダの事は今更何も思ってはいないが、ただただ気まずく、居たたまれない空気の中に取り残されたくはない。



「――貴女、お待ちなさい」


 だが、鋭く険しい声が背中にぐっさりと刺さる。

 他に誰もいない場所、間違いなくミランダはリゼに対して呼び留めたのだ。


 彼女はこのまま馬車に乗って自宅に帰るべき貴族のお嬢様で。

 自分は少し離れた寮まで徒歩で帰宅するだけの庶民な特待生で。


 身分差も、学年差も、二人の間に大きな溝として存在しているはず。

 あちらにしてみてもリゼの顔など見たくないのではないか?


 そう疑問に思うのに、明確な意思を持って堂々と呼びかけられれば振り返らずに無視などできない。


「私、ですか?」



「他に誰がいると言うのかしら。

 貴女、まさか本当にジェイク様とここまで一緒でしたの?」


 彼女は胡散臭そうな、納得いかないという表情でジロジロとリゼを穴を穿つように凝視する。

 遠慮なくこちらを値踏みするその視線はあまりにも不躾だったが、下手な事を言って諍いに発展させたくない。


 ……もしかして自分は、最も見られてはいけない人にジェイクと一緒にいる場面を見られてしまったのではないか。


 彼女は今でこそアンディの婚約者ということで収まっているものの、聞けばロンバルドという一つの派閥で今なお一大巨頭として君臨する高位貴族のお嬢様との話。

 不興を買ってしまえば、また『生意気』だと理由で――今度は水責め以外の方法でリゼに直接手に掛けるという可能性も。


 いや、今になってもそんな愚行をするわけがないとは思うが。

 リゼを邪魔だと思えば、排除できるだけの力がある人であることは違いないだろう。


「ジェイク様が先ほど仰った通り、玄関口でたまたま会っただけです」



「……ふぅん、そうなの」



 納得していない、という表情で。

 彼女は腰に手を当て言い放つ。







「まぁ良いわ。

 貴女、私についてきなさいな。




    ――これは命令よ」







   怖いお姉さんに、リゼは再度捕まった。



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