第177話 <リゼ>



 常態であれば静寂に包まれているはずの、ロンバルド邸宅北に広がる静寂の森。

 月に数度騎馬隊の集団訓練で騒がしくなる以外、雑音とは無縁の森の中は現在大変騒々しかった。


「………ほら、しっかり捕まれ!」


 暴れる馬の鞍に乗っている一人の少女の背中を、傍で立っている壮年のオジサンが太い腕で押さえつけている。

 とりあえず馬の背に乗ってみろと促されてそろそろとあぶみに足を掛けた少女は絶叫した。


「落ちる! 落ちる落ちるってば!!」


 手綱を握り、何とか鞍に腰を乗せてはいるものの栗毛色の馬は”ぶるるんぶるるん”と鼻息を荒くして身を捩る。

 リゼを振り落とそうとする動きに、華奢な体ごと地面に叩き落される寸前の恐怖を味わう。



「止まれ!」



 だがそんな暴れる馬を宥めるでもなく、フランツはギロッと一睨みで一喝する。

 まるで恫喝だとリゼも耳を覆いたくなる彼の怒声を受け、馬はその動きを緩めた。

 ゆっくりと息を吐き鞍の位置が上下する。が、振り落とされるほどの揺れは感じない。

 腿の裏側で馬の腹をぎゅっと挟み、リゼはようやく馬上で人心地つくことが出来た。


「リゼ・フォスター。

 お前、どれだけ動物に嫌われてるんだ?」


 ロンバルドで飼育する優秀な馬の中で、最も気性が穏やかだという馬を借りて来たはずだった。

 だがリゼが乗ろうとすると暴れだそうともがくのは何なのか。ここまで動物諸氏に嫌われる由縁などないのだが……


 ついつい憮然とした顔で、リゼはグローブを填めた手で力いっぱい手綱を握りしめる。 


「……こっちが聞きたいくらいです」



 ※



 フランツに提案され、乗馬の指導を受けることになった。

 秋晴れの日曜日、朝からリゼはそわそわしてかなり挙動不審な様だったと思う。


 午前中は明日の家庭教師役としての事前準備に追われていたが、完全に気はそぞろだ。

 フランツとの約束は午後からだったので生殺し状態、机に向かって集中することに苦労した。

 だがロンバルド邸から帰宅した後はきっと準備どころではなく疲れ切っている自分が想像できる。

 先週分の授業内容を確認しながらも時計ばかりをチラチラ気にし、そんな自分に自己嫌悪だ。


 乗馬の指導を受けることが出来る、それだけでもリゼにはありがたい事だ。

 庶民がそんなブルジョワな趣味に気軽に携われることはなく、かといって学園の選択講義も毎週あるわけではない。

 月に一、二度の訓練日は魔法の講義と被っている日ばかり、その上素人オブ素人の自分が急に乗馬訓練に混じって講師たちの手を煩わせたくないという心理的ブレーキも働いていた。

 リゼの内情を汲み、声を掛けてくれたフランツには頭が上がらない。


 その上ジェイクに会えるという事だから、否が応でも緊張感が増す。




 ロンバルド邸内に丁度良い場所があると誘われて向かった先は、敷地の北側。

 夏休みに彼に剣を習っていた時は東区の兵士たちの修練場を借りて行っていた。

 だが、その修練場を更に奥に突っ切って、大きな門から外に出れば鬱蒼と木々の茂る林が広がっていたのである。


 今リゼとフランツがいるのは、茂みを抜けた先の湖畔沿いだ。

 人の気配がなく、いくら小路を通って辿り着いた場所とは言え先導役のフランツがいなければ迷子になりそうだと思った。

 家の敷地内で迷子になるレベルの森を所有しているロンバルドって一体……。


 この家の広大さには慣れたつもりでも、街一つを所有しているのかと言う有様に乾いた笑いが漏れた。


 一頭の綺麗な馬を牽いてリゼを案内するフランツの後を追い、明るく開けた湖畔に辿り着く。

 自然にごろんと転がる大きな岩はスツールのように腰を下ろすことが出来るし、周囲には大ぶりの枝を持つ大木が囲んでいるので陽射しを避けて休むことも出来る。

 湖畔沿いは短い草が茂っており、栗毛色の馬は時折首を地面に向けてもっしゃもっしゃと翠の草をむ。


 口からはみ出す雑草をゆっくりと咀嚼する馬に跨って、リゼは体勢を立て直す。


 ――馬上から周囲を見渡したが、どこにもジェイクの姿が見えないのが残念だった。

 予測していないことで会う機会があれば、期待をして裏切られる機会もある。


 日曜日一緒に乗馬訓練に付き合ってくれると言い出したのはジェイク本人だが、生憎少々遅れて顔を出すことになるそうだ。

 フランツ情報によると、仕事なんかしたくないと散々言いながらも急用だとかで城に出仕中。

 この分だと今日は会えないかもしれないなと思い、折角の気合が台無しになった気がする。


 ……別にジェイクに会うことが今日の目的ではない。

 見ての通りと言うか、今のリゼは乗馬訓練のため長袖長ズボンという可愛さの欠片も存在しない野暮ったい恰好で膝までの長いブーツを履いている。

 普段の制服の方が何倍も女性らしいくらいだ。


 しかも指導役のフランツがいて講義の延長線上。

 デートなどと例えるにも烏滸がましく、言い出したジェイクとてただの付き添い感覚だったはずだ。


 一々期待して動揺していた自分の思考がおめでたかっただけだ。

 普段希望的観測で行動することなど少ない、でもどうにもジェイク絡みのことになるといつもの自分という存在が掻き消えてしまう。


 ここに来れないジェイクの事を考えるより、今はこの訓練に集中しなければ。

 上手く乗りこなせるようになったら、彼が遠乗りに誘ってくれるかも知れないし――とそこまで思い至り、リゼは頭を抱えたくなった。



 今の自分の行動原理の九割以上が彼の存在に起因する。

 


 自分の日常を、人生を。他人に委ね、主体性を手放す。それが恋だ愛だというものなら必要ないと、ずっと思っていた。

 今の自分は思い描いていた学生生活と全く真逆の様相を呈している。


 しょうがない、好きになってしまったものは。

 馬の上から転がり落ちて都合の良い記憶喪失にでも陥らない限り、消せやしないだろう。


 でも記憶を失っても同じことを繰り返すだけだと確信を持ってしまうあたり、心の底からどうしようもない。

 

 雑念を振り払うように、フランツの声と己の全身に神経を集中させる。

 この先の人生、馬に乗れることで不利益を被ることなどないことだ。ここは彼の厚意に全力で覆いかぶさることになるが、なりふり構ってはいられない。


 フランツの睨みのお陰か、それともリゼが馬なる存在に慣れてきたのか。

 彼に馬を牽引してもらいつつも、鞍の上で振り落とされることなく湖畔をぐるっと回れるまでになった。

 まだ馬が予想外に身じろぐとリゼの身体も強張り緊張に支配されるけれども。


 時間が経過するにつれ、小さな湖の澄んだ蒼い水面に映る自分の姿を眺められる程心に余裕が出てきた。

 二時間前では考えられないことだ。

 全てフランツの指導の賜物である。


 自分の親と同じ年代であるにも関わらず、心優しい農民の父と比べて覇気に満ち溢れ堂々とした佇まいのフランツは何もかもが違う。


 どちらかというと気弱で、母の尻に叩かれて農作業に従事する自分の父とは雲泥の差だ。こんな父親だったら、自分はどんな人生だっただろうか。


 ここまで育ててくれた実父には感謝しているが――隣の芝は、青く映るものだと苦笑しながら鐙に掛ける足に力を込めた。




 ぐるっと湖周りを歩き終え、最初に馬を繋いでいた大木まで戻って来れたようだ。

 そろそろ休憩の時間かと、馬の隣で牽引して歩くフランツの姿に視線を移す。


 その拍子に、こちらに向かって手を挙げている『彼』の姿も同時に視界に入って来た。

 完全に油断していたので、ぎゃあ! と心の中で素っ頓狂な声を出す。

 遅れてくるとは言ったものの、今日は会えないかもしれないと自分の中で諦めていた相手がひょっこり現れて戸惑いを隠せない。


「よう、リゼ。調子は良さそうだな」


「なんだなんだ、驚いたぞジェイク。

 帰り際、騎士団の奴らに捕まらなかったのか?

 てっきり今日は来れないものだとばかり」


 どうやら遅れて来ると言ったフランツ自身も、今日はジェイクは来ないだろうと予想していたらしい。

 まぁ、結果はどうあれ本人が顔を出すと言っていたのなら、「絶対来ないと思うけどな!」なんて断言するのは失礼な話だろう。


「ははは、強行突破で帰って来た」


 自棄のように笑い、彼は左腕をぐっと曲げて力こぶを作る格好をして見せた。


「あんまり派手にやらかして親父さんに怒られないといいな」


「今日は非番だって言ってるだろ!

 来週の視察案件の調整が手間取っててさ、それだけの確認のはずがあいつら……俺を使い走りだとでも思ってるんだろうな」


「頼まれごとを全部引き受けるお前が悪い。

 だが来週のことなら……明日以降でも良かったんじゃないか?」


「シリウス絡みだからさっさと片付けときたい。

 月曜に詰められて「未処理」とか言ったら物理的に凍らされそうだし」


 ジェイクとフランツが昔馴染みということが良く分かる。

 互いに遠慮する様子もなく、フランツも気安い呼び方だからジェイクがもっと子供の頃から世話になった相手だと思われた。


 そろりそろりと馬から降り、リゼはジェイクに向かって頭を下げる。


「わざわざ様子を見に来てもらって、すみません」


 すると彼は「気にするな!」と鷹揚に笑う。

 鎧は脱いだ後のようだが、制服とは違う黒を基調とした普段着っぽい姿も新鮮で凄く良いと思った。

 やはり白より、黒が似合う。


「言っただろ、用事でもないと休みが休みにならないんだよ……

 午前中のつもりだけで、随分拘束されたし。

 でもラズエナの時とは大違いだな、馬に乗れてて吃驚した」


「ありがとうございます」


「ところでジェイク、その荷物はなんだ?」


 フランツが指を指すとおり、彼の肩には荷物袋の紐が掛かっている。

 すると彼は、麻袋の口を掴んで機嫌良さそうに口角を上げた。


「そろそろ休憩でもしてるんじゃないかと思ってな。

 甘いもの持って来てやったぞ」


 ごそごそ、と。彼は袋の中に手を入れ箱を取り出す。

 箱はバスケットで、何が入っているのか一目瞭然。



「……わぁ! ドーナツ……!

 掛かってるのチョコですか!? チョコレート!?」


 ほら、と差し出されたバスケットを反射的に受け取り、リゼの蒼い目が熱を孕むものになる。

 手許のバスケットと愉快そうなジェイクの顔を交互に視線を移し、今にも垂涎しそうなくらい喜びに震えた。


 何せ、二時間近くぶっ続けで馬と格闘していた。

 その間水を飲むくらいしか許されず、延々とフランツの張り上げた声に必死で従っていたリゼにとって――

 空腹も合わさり、手渡されたドーナツはどんな豪華なスイーツより値打ちのあるように見え、キラキラと光の粒子を纏ってリゼの視覚にダイレクトアタックしてくる。


「おい、俺は甘いものは苦手だが?」


 ムッとして腕を組むフランツを宥めるよう、


「分かってるって。

 俺らの分はこれだ」


 ジェイクは麻袋から別の包みを取り出す。

 それは何の変哲もないシンプルな細長いパンに見えたが、離れていても香ばしい匂いが漂ってくる。

 焼き立てのパンを持ち込んできたようだ。


「おお、気が利くな、ジェイク。

 本家のパン焼き担当上手いよなぁ、有り難く頂戴するぞ」


 パンを差し出され、渋面のフランツも一気に機嫌を直す。

 包みを握り、近くの岩の上にドカッと腰を下ろしそのまま一気に齧りついた。大変ワイルドな食べ方である。


「質の良い小麦使ってるからだろ。

 ほら、お前も適当なとこに座って食べていいぞ」


 二人とも甘いものが嫌い。

 ということは、このバスケットに在る五つのドーナツは全て自分のものという事に……!


「え、本当に食べても良いんですか!?」


 バスケットを持つ手が歓喜に震える。

 流石に全部は食べられないが、残ったものは寮に持ち帰って二人にも分けてあげよう。


「甘いもの食わせてやるって言っただろ。それ、美味いらしいぞ」


 俺は食べたことないから知らないけどな、とジェイクは軽く舌を出す。


 周囲を見渡し、二人から少し離れた場所に座る。

 背の短い草が茂った地面に直に座って、チョコレートが惜しげもなく掛けられたドーナツを一つ頬張った。


「美味しいです……!」


 この時間に食べるように用意させていたのだとしたら、彼の気遣いに感謝しかない。

 甘いものというくくりは大雑把だが、ただの菓子では身体を動かし小腹が空いた状態ではすぐに物足りなくなってしまっただろう。

 ボリュームがあって、なおかつ甘いお菓子でもあるドーナツという選択肢は今の状況にぴったり過ぎる。


 無心でドーナツを頬張り、一つペロリと平らげてしまった。


 二人の視線を感じ、ふと顔を上げる。

 と、こちらの食べっぷりを一部始終見られていたようで、カーッと顔が赤くなった。


 美味しいものに目がないリタではあるまいし、そんなにまじまじと見られると大変恥ずかしい。

 二つ目に伸びた手を引っ込めると、フランツが腹を抱えて笑った。


「遠慮するな、食え食え。

 いやぁ、やっぱり子供はこれくらいの食いっぷりじゃないとなぁ。

 うちのはどうも食が細くてな、嫁に似たからしょうがないが」


 リゼの歳で子ども扱いという事実に愕然とする。

 だがリゼとて相手の事は言えない。何せついさっき、彼が父親だったら、もう少し自分の人生は違っていたのかなぁ、なんて。

 実の父が聞いたら滂沱しそうな親不孝なことをチラとでも考えてしまったのだ。


 「こんなお兄さんがいたらいいなぁ」という延長線上の妄想に過ぎない事だと思う。




 秋の柔らかな日差しの下、穏やかに流れる時間。 

 ジェイクと一緒にいるから緊張するけれど、元々リゼは彼のその立場らしからぬ振る舞いにスコンと落ちてしまったという自覚がある。

 そしてリゼとジェイクの間に気軽に話しかけられる剣の師匠が和気藹々と歓談を盛り上げてくれていた。


 だから気負っていた心が徐々に解きほぐされ、自分でも気づかない内に笑顔でドーナツをんでいる。

 平和で、とても居心地がいい。


 心地よい疲労感と、馬に乗って小さな湖を一周できたという達成感、空腹を満たしてくれる甘いドーナツ。

 思う存分、誰に遠慮することもなくジェイクと話が出来る状況は幸福としか言いようがない。



「……おい、リゼ・フォスター」


 こちらの顔を見、苦笑を浮かべるフランツに声を掛けられた。

 彼は既にパンを食べ終え、満足げに腹を擦っている。


「何ですか?」


「口にチョコついてるぞ」


「えっ」


 しょうがない奴だなぁ、と。

 フランツは上着のポケットから白い布を出す。

 それを湖の水に浸し、きゅっと絞った後リゼに放り投げたのだ。ドーナツを片手に、もう片方の手でその濡れた布をキャッチしたリゼ。


 目をパチパチと瞬かせると、彼は自身の口元を拭うようなジェスチャーを見せた。


 これでぬぐいとってもいいものか、と寸分悩んだ。

 だがわざわざ汚れが落ちやすいように水に浸けてくれたのだ、このまま突き返すことも失礼である。


 それにチョコで口元を汚した顔など、とてもジェイクに見せられたものではない。

 お礼を言い、慌てて口を拭った。

 白い布に茶色の染みが掠れ、うわっと顔を顰めてしまう。


「女の子なんだから気をつけろよ?

 腕っぷしが強くなろうが、肝心なところを疎かにしたらみっともないぞ」


 流石リゼと同い年くらいの娘を持つ人の言葉は重みが違う。

 照れ隠しもあって、リゼは言葉を返してしまった。


「はーい。

 ……本当に保護者みたいですよね。

 私、フランツさんがお父さんだったら良かったのにって思ってしまいました」




 その発言の直後、場の空気が一瞬固まってしまった。

 あれ? と違和感を抱きフランツの顔と、そしてパンを千切って口に放り込んでいたジェイクの静止した姿を確認。


 もしかして、物凄く失礼なことを言ってしまったのかと己の発言に内心で慌てた。

 近い歳のお嬢さんがいるとは言え、こんなどこの馬の骨とも知らないような自分があまりにも親しげで「なんだこいつ」的な不信感を持たれてしまったか。


 調子に乗り過ぎた……!


 あわわわ、と一気に混乱する。



「いやー、俺もお前みたいな義理の娘が出来るなら大歓迎、親としては嬉しいんだけどなぁ。

 流石にちょいと歳が離れている気が」



「……は?」



 真面目な顔で何を言うんだ、フランツは。

 リゼはぽかんと口を開け、噛み合わない会話を必死で反芻した。


「ええと、フランツさんのお子さんって、私くらいの女の子……ですよね?」


「もう一人息子がいるぞ。

 いやいや、ジェシカに言われた時はアホかと思ったが、お前が乗り気なら会ってみるのも有りか?

 性格的に合わなかったら、それで終わる話だし」


 寝耳に水の情報に、半分程残っているドーナツをあわや握りつぶしてしまうところであった。

 



「……え、ちょ、ちょっと待ってください、話が……」



 完全に明後日の方向に爆走しようとしているフランツに何と言えば良いのか。

 そもそも今の時点まで存在さえ知らなかった息子さんに会えと言われる意味が分からない。



「はぁ、……おい、フランツ。リゼが困ってるだろうが、いい加減にしとけ」


 彼は紅い前髪を掌で掻き上げ、心底うんざりした表情でリゼにもう一つの大切な情報を教えてくれた。


「あいつはまだ十歳かそこらの子供だぞ?」


「十一だ! ……ム……。まぁ、それもそうなんだがな。

 いかんいかん、親の都合で子に迷惑をかけないと言ったばかりなのになぁ」


 十歳?

 言われるまでもなく、歳が離れすぎているとしか言いようがない。


 だが貴族の感覚では、その程度の年の差は政略結婚の中では”有り”な部類かもしれない。

 あからさまに拒絶するというのも、会ったこともない少年を自分のせいで貶めることになりそうだ。

 勝手に話題の俎上に乗せられ、こんなド庶民に「ありえないです」と否定されては可哀想だと思う。

 いくらフランツの悪乗りが過ぎたとはいえ。


 うーん、と言葉を探す。


「そういえばお前故郷に恋人とかいるのか?

 正直浮いた話とかなさそーな感じだし、相手がいなくて困ってたらセシルに会ってみるか?

 今はガキだが、五年もすれば見れるようになるだろ」


 駄目だ、生半可な言い逃れでは彼の勢いを削ぐことは出来ない。

 うっかり”お父さんみたい”なんて口走ってしまったばっかりに……!


 もうこんな不用意な事は言わないと心に決めたが、忽ちこの危機を回避しなくては。

 そこにジェイクがいて、話の一部始終を聞いているのだ。



「いえ!

 ……私は今、そういう事は一切考えていません!

 無事に卒業して就職するまで、そんなの考えてる余裕とかないですから!」



 なんでジェイクの前で!


 高らかにこんな宣言をしなければいけないのかと心の中で頭を抱えて地団太を踏む。



「あー、確かに。お前、興味もなさそうだな。

 すまなかったな、変な話をして。

 ……お前の親父になることは出来んが、教官としていくらでも胸を貸してやるからな!」



 彼は一人納得し、腕を組んでうんうんと頷く。


 実の息子に対し、本人の意思を無視して勝手に学園の生徒を紹介しようなんて、とんだ父親もあったもんだ。


 父親だったら良かったのにと思ったことを即座に否定したくなる。

 自分の父があの父で良かったとホッと胸を撫でおろした。



「……。」



 ジェイクはどんな反応をしているのだろう。


 恐々と薄眼を開けて彼の方を見たけれど、こちらの阿保らしいやりとりに呆れているのか――


 全く明後日の方向を眺めながらパンを齧っている。




 ……気まずい。


 天国から一転して地獄に突き落とされたようだ。

 フランツにも悪気は無いので、このやるせなさの行き場がなかった。

 状況が許すなら、両手で顔を覆ってその場にくずおれたい。






    早く、休憩終わらないかな。






 そればかり考え食むドーナツは、全く味がしなかった。




 

 

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