第176話 仏頂面な人


 一週間前は自分の誕生日だった。


 今から思い返せば、とても信じられない時間を過ごしたものだと苦笑する他ない。


 王子の婚約者であるということは、あの攻略対象達とも深い縁が出来てしまうという事だと再確認した一日でもある。


 ゆえに、カサンドラがもしも前世の記憶を取り戻さずに漫然と生きていたならば――

 もしかしたら一向にこちらに関心を持ってくれない王子に業を煮やし、側近である彼らに不用意な接触を図っていた可能性は否めないなと思った。

 それが空回って、変な誤解を周囲や王子達当人にも忌避されることになったかも。

 ……一度悪循環に陥ればカサンドラの立場上挽回することは大変困難な話だったろう。


 固定化された第一印象を覆すのは大変な労力を要する。

 ジェイクだってまともに話をする前から、カサンドラの様子を見て為人を判断していたくらいだ。

 実際に会ってもその印象は覆るどころか加速して――


 あの日ちゃんと真正面から全ては誤解だと主張しなければ、今でも彼は自分に対して猜疑心溢れる態度でまともに話をしてくれなかっただろう。

 彼に嫌われるというのは、普段人好きのする明るい好青年だからこそ精神的ダメージが測り知れない。

 

 王子と距離を縮めつつ、攻略対象ともつかず離れずそれなりの関係性のまま推移したい。

 それが今のカサンドラの切実な願いである。



 ……乙女ゲームの主人公だけあって、あの三人はリアルでも魅力的に映るのは確かだ。

 突拍子もなくぶっとんだ性格をしていないのが要因かも知れないが。

 性格付けがあまりにも極端に尖っていれば、リアルで遭遇したら「これはないな」と思う事もあったかも知れない。

 そこまで突出した個性ではなかったことが幸いしている。


 尤も、王子と言う現在の自分の攻略相手が身近にいて脇目を振るというのはまずありえない話だ。

 王子が己の好みの集大成、理想の具現化なる人で良かったと心底思う。


 いくら状況が状況とは言え自分にとって魅力的に映らない相手を強制攻略しろと言われたら悩みに悩んで病み、寝込んでいたかもしれない。

 前世で一番好きだったシリウスにふらふらと癒しを求めていたなんてことも考えられる。

 ……いや、好感度の低いご本人は癒しどころか対極の人ではあるけれども。

 当然冷淡な態度をとられ、ずどんと落ち込んで膝を抱えて蹲っている自分の姿が幻覚として浮かんだ。


 先週の誕生日の成果に慢心せず、これからも王子と親しくなり彼に今後訪れるであろう”危機”から守らなければいけない。

 仲が良い友人たちにさえ話さず、裏切った彼の結末――今の王子に与えられるには酷過ぎる末路ではないか。

 少なくともシリウス達よりも王子に信頼され、傍に置いてもらえるようにならなければ。




 ああ、いけない。

 先週のことを思い出し過ぎて、今日これからの支度がおざなりになるところだった。


 今日はカサンドラの別邸にてお茶会を開く予定だ。

 あまりパーティだの舞踏会だのに顔を出したくないけれど、お茶会くらいならカサンドラも気軽にクラスメイトを招待できる。


 要するに、家で甘いものでも食べながらおしゃべりをしましょうというだけのお誘いだ。

 邸宅の規模としてはもっと人数を招待する事は可能だが、今日声を掛けたのは三人だけ。


 リナとシンシア、そしてデイジーである。



 一学期末にシンシアにドレスの原案を描いてもらったお礼をしなければいけないとずっと考えていた。

 ベルナールに替わりに聞いてきてくれとお願いしたばかりにシンシアが大変な境遇に置かれた事も記憶に新しい。

 幸い、その後シンシアとベルナールが順調にお付き合いをしていると聞いた。結果オーライと言う言葉は好きではないが、この場合はそうとしか言えまい。


 彼女をお茶会に招待してお礼をするつもりだが、カサンドラと二人だけなのもまた彼女には緊張するしつまらないかも知れない。

 なので彼女の友人のクラスメイト、リナとデイジーも一緒に参加してくれないかと提案したのだ。


 有難いことにリナ、デイジー共にカサンドラにとっても友人だ。

 三つ子の内リナだけを招待するのは少々気が引けたが、今日はシンシアへのお礼として設けた場である。

 シンシアは内気な少女で、クラスメイト皆と和気藹々と明るく話すタイプではない。

 物静かで遠慮がちなので、喋る勢いが強かったり貴族のご令嬢! というまさにお嬢様系のクラスメイトでは気を遣って楽しめないのではないか? という判断による。


 シンシアとこうして話が出来るようになったのもリナのおかげ。

 そしてシンシアがデイジーと仲が良いだろうことは、例の市内散策のカフェ事件で良く分かっている。

 シンシアの実家ゴードン商会の経営するカフェで、王子とカサンドラを二人きりの席に隔離するという荒業を見せつけられた。

 店長を巻き込んであの狂言を実行しようと思えば、オーナー側のシンシアの助力が不可欠。つまり二人はそういう話が出来るくらい交友関係があるということだ。


 今日はシンシアに楽しく過ごしてもらいたいと、サロンの内装も可能な限り乙女チックで可愛らしい花柄などで統一させたつもりである。

 カサンドラはファンシー系、可愛い系の部屋など全く似合わない。

 自分のセンスには反するものであるが、ここはホストとして招待客が喜んでくれるようなもてなしをするのが礼儀であろう。


 お土産に少々手に入りづらい染め物の布を用意しているので、珍しい綺麗な布が好きだと言っていたシンシアにぴったりのはず。

 普段加工前の布を自分で選びに行くという機会がなく、用意するのは難儀したがメイド長らと楽しく選べたので良かったと思う。


 シンシア達を出迎える準備は万全だ。

 そろそろ約束の時刻だと、肌身離さず身に着けている腕時計の盤面に視線を遣った。



 彼女達が約束の時刻に遅れるというのは考え難い。

 先に玄関に出て待っていようかとサロンの扉を静かに閉めたカサンドラは、血相を変えてパタパタと走って来るメイドに「お嬢様!」と呼び留められる。


「何ですか?」


 シンシア達が来訪することは屋敷の人間は知っている事。

 一体三人の内、誰が訪れたらそんな驚き戸惑い、カサンドラに救いを求めるような反応になるのだ?

 知らず顔が渋面になる。



「……あの、ご学友の方々がお見えになりました……

 ですが、エルディムのお坊ちゃまもご一緒で……!

 どうかお嬢様にご挨拶いただきたく」



 今度はシリウスがこの屋敷を訪れた、だと?

 とても信じられない状況にカサンドラの目が点になる。

  

 何故シンシア達と一緒に彼がここにやってくる必要があるのだ?


 全く訳が分からず、「???」と周囲に疑問符を飛ばしてしまう。

 だが理由をこのメイドに聞いても埒が明かない、そう判断したカサンドラは急いで外門に向かった。



 ※



 向かっている最中はメイドの見間違いや聞き間違いではないのか、とも思った。

 こんなところにシリウスがいるわけがないではないか。


 しかしカサンドラの淡い期待を打ち砕くように、屋敷の外、街道にその男は立っていた。

 ……どう見てもエルディム家御用達の大きな馬車が外壁沿いに停められている。

 ヒッと肩が僅かに上下する。


「シリウス様、ごきげんよう」


 無表情のまま、腕を組んでその場に立つ美形の青年に恐る恐る声を掛ける。


 彼より少し離れた場所に、リナとシンシアが身を寄せ合うように立っていた。

 特にシンシアなどは、こちらの姿を視界に入れた瞬間見る見るうちに安堵し、胸を撫でおろして喜びを表している。

 相当シリウスのことが怖いようで、びくびくと震えていたのだが……


「家主が来たのであれば問題はないな。

 ……二人を送り届けただけだ、お前に用があるわけではない」


 そう言って彼は冷え冷えとした視線をカサンドラに向け、細い吐息を落とす。

 眼鏡の位置を人差し指で直すいつもの仕草も一緒だ。


 たったそれだけの言葉を残し、さっきまで乗っていたのだろう彼の家の馬車に乗ろうと足を掛けるシリウス。何故この男はいつも説明を省くのか。


「な、何故シリウス様がこの二人を……」


「事情ならば彼女達に聞けばいい。

 ――私は忙しいのでな、雑談に興じる余裕などない」


 取りつく島もないとはこのことか。

 こちらを一瞥し、馬車に乗り込むシリウス。


 指示を受けた御者が鞭を振るい馬を叩くと、カラカラと車輪が回って馬車を牽いた。


 威風堂々とした馬車は、ゆっくりと王城の方向へ発つ。

  


 本当に事情も何も言わずに行ってしまった……

 唖然茫然、とカサンドラは馬車の後部に手を伸ばす格好のまま、しばらくその場に固まったのである。


「え? え?」


「突然申し訳ありません、カサンドラ様」


 シリウスが急に現れ一瞬で去って行った。

 理解不能な現実に頭を押さえていると、リナが深々と頭を下げた。


「私のせいなんです」


「いえ、ち、違います! リナさんのせいではなくて!

 ……運が悪かっただけと言いますか……」


 シンシアは未だに畏まった様子でガチガチに全身を強張らせている。

 とりあえず事情を聞こうと、カサンドラは彼女達をまずサロン内まで案内することにした。


 デイジーが訪ねてきたら、そのまま部屋まで連れてくるようにことづけるのを忘れずに。




「シンシアさんと一緒にカサンドラ様のお家に向かっていたんです。

 そうしたら、全く知らない男の人に声を掛けられて……」


 リナはソファに座ったまま、気まずそうに視線を落とす。

 そんなリナの言葉を補強するように、シンシアも震える声で続けた。


「しかも相手が、二人いて……

 わ、私、どうしていいのか分からなくて」


 ハッと気づく。


 要するに……ナンパか!



 カサンドラは脳裏にまざまざとその光景が思い浮かべることが出来た。

 リナもシンシアも可愛らしい女の子、今日もお茶会に呼ばれたということでいつもよりおめかし状態で一緒に道を歩いていた。

 二人とも寮で過ごしているので、一緒に来るのは想定の範囲内だ。


 だが、大人しめの可愛い女の子が二人。

 暇を持て余した男性に絡まれるという事態はそう珍しいことでも無い。


 男性が苦手のシンシアは泣きそうになったが、リナの腕を握って逃げ出そうと思ったらしい。

 断っても断っても男たちはしつこい。

 用事があると言ってもそんなものは無視して遊びに行こうと大きな声で逃げ道を塞ぐように寄ってくるのだ。


 周囲に助けを求め視線を遣ったが、男たちは乱暴な言葉を使うわけでもなかった。暴力もない。ただ執拗に遊びに行こうと誘うだけ。

 通りすがる人たちの中には心配そうな顔もあったが、彼女達の間に割り込む程の行動力のある人間はいなかった。


 刻一刻とカサンドラとの約束の時間が迫っていて、困り果てていたその時。



『私の連れに何か用か?』



 馬車を停め、彼女達の前に姿を現したのがシリウスだったという。

 あからさまに困っているクラスメイトがいれば看過は出来なかったのか、もしくはそこにいたのがリナだったからか。

 その真意は本人に聞かなければ分からないが、とにかくエルディム家の紋章入りの馬車からあんな美形の迫力ある青年が現れれば、どうなるかはイメージ力が貧困でも予想がつく。


 声を掛けナンパしていた女性の傍に、普通に生活していてはお目にかかるレベルではない容貌を持つ男性が現れただけでもたじろぐものだろう。

 更に加えてエルディム家の馬車から出て来た人間相手だ。彼に凄むような物知らずは王都にはいない。


 蜘蛛の子を散らすように逃げ出す男二人組には目もくれず、シリウスはリナ達に端的に質問をした。




 ――災難だったな。

   行き先はどこだ。




 そして……今に至る、と。


「お城にご用事があったそうですが、わざわざ送って下さったんです。

 お手を煩わせてしまい、本当に心が痛いです……」


 はぁ、とリナは落胆の吐息を。そして未だにカタカタと足を震わせるシンシアは、リナの説明をコクコクコクと何度も首を縦に振って肯定していた。

 知らぬ男性に声を掛けられたことは恐ろしいことだったが、今までまともに目を合わせたこともないシリウスの馬車に同乗させてもらった事実に緊張で精神が擦り切れてしまったかのようだ。

 気持ちはわかる。


 いくら親切心からの助け舟とは言え、恐らく馬車内は仏頂面で無言のシリウスと向かい合っていたのだ。

 用事があっても彼と対面して話すのは未だに気を張るというのに……


 シンシアの内心を思うと可哀想でならなかった。

 まさに蛇に睨まれたカエル状態。

 いや、シリウスがどういうつもりなのかは想像しか出来ないけれど。

 煩わしいだなんて、そんな事は考えもしていないだろう。あの人は言葉と表情が足りないだけだ。


「そのような心配は杞憂でしょう、迷惑だと思われる方なら最初からお声掛けをなさらないはずです。

 お二人を無事に送り届けて下さったのです、わたくしも感謝しなければなりませんね」


 努めて朗らかに返答すると、ようやくシンシアが控えめな笑みを浮かべてくれた。

 折角彼女を招待したというのに、道中の出来事をずっと引きずってもらってはお礼にならない。


 今日は楽しい時間を過ごして欲しいのだ、シリウスのことは……

 運が悪かったのか、それとも良かったのか。

 中々判断が難しいところである。



 仕切り直しに美味しいお菓子でも……



 そんな時、サロンにもう一人の招待客が変わらない明るい笑顔とともにやってきてくれたのだ。



「カサンドラ様!

 本日はお招き下さってありがとうございます!

 リナさんもシンシアさんもごきげんよう、宜しくお願いしますね」



 濃いブラウンの長い髪も艶やかに、青い瞳をキラキラと輝かせるデイジーの声にカサンドラも救われた想いになった。


 シンシアにとっては二人とも今のクラスで気心が知れた友人だ。

 カチンコチンに固まっていた心を解すデイジーの一点の曇りもない笑顔に、三者三様ホッと一息。




 出足から躓いてしまったが、その後はとても楽しい時間を過ごすことが出来た。






 ……シリウスだって感謝されこそすれ、クラスメイトにここまで怖がられるとは不本意に違いない。

 だが愛想笑いの一つもない、ムスッとした顔で言葉が足りない彼も悪いのだ。



 愚痴を言いたくなるシリウスだが――

 一度恋愛モードに入ったら愉快なことになるので、是が非でもリナにはあの仮面を剥いでいただきたいものだ。

 時が来るのが待ち遠しく、かなり期待している。



 リナの窮地に声を掛けて助けるだけの好意はあるのだ。

 きっと二人の関係も順調に進んでいるものと信じたい。



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