第175話 役員会後の


 先週末の誕生日とは打って変わって、カサンドラにとって何もない一週間だった。


 学園内で王子と話す機会が挨拶以外にあったかも記憶にない。

 月曜日の放課後、短時間ながらも一緒に過ごせる時間は貴重なものだったのだと改めて実感する。


 だがやはり日中の教室で王子に話しかけるのは大変ハードルが高かった。

 婚約者として自分の権利を行使することは容易い、だがあたかも海を割るシーンの再現のようにカサンドラが動くことによって女生徒達がサーっと押しのけられる光景は見たくない。

 悪いことをしているわけではないのに、見えない圧を発して王子を独り占めする狭量な人みたいに見える。


 王子が社交的で魅力的過ぎるのが一番の問題だった。


 普通に話をしてにこやかに話を聞いてくれる、王子様の中の王子様が同じ学院にいたらそりゃあそれなりの立場の令嬢なら話しかけたくもなるだろう。

 また令嬢だけに留まらず、他クラス他学年の特待生に始まり商家の子、そして非嫡出の生まれであっても彼は常に平等に接する。

 特別扱いはしないが、拒むことは無い。


 彼は博識で、記憶力も良い。

 話していて勉強になることも多いし――取り囲まれ、『人気者』になるのはしょうがない。


 対称的に、カサンドラはどうにも話しかけづらい印象が付きまとうようだった。

 元の地顔がノーメイクでもキツい顔立ちの、一応美人に当てはまる容姿。

 普段何を考えているのか分からないと思われていたり、女生徒であるのに女子の派閥に一切関与していないせいで若干浮いている。

 それは願ったり叶ったりだが、王子とは真逆だなぁと思う。


 カサンドラは自分の良く知らない他生徒大勢と気を遣いながら会話をするなんて御免だ。

 でも王子はその状況を甘んじて受け入れ、歓迎しているように見える。


 そういう価値観の齟齬が、カサンドラと王子の日常の接触を妨げる。

 誰を押しのけても「王子に用があるの!」と前に出て行ける性格であれば、こんなにヤキモキはしない。

 だがその積極性は、シリウス達のカンに障る”傲慢さ”とバーターだ。


 彼らに悪印象を持たれるのは不都合。

 機嫌をとる必要はないが、目障りだと感じられる行動は控えたいのが本音である。


 用事があれば堂々と胸を張って話に行けるが、残念な事に王子に対して喫緊の用事など思い浮かばない。

 生徒会の話はシリウスを通せば全て事足りるので、そこにシリウスがいるのに王子に話しかけるのは不自然極まりない。

  

 それに――……


 カサンドラが王子に話しかけづらい。

 彼に廊下や教室で挨拶を交わした後、雑談の一つでもと会話を続けようとしても途切れてしまう。

 最初は偶然かと思っていたが、曖昧で茶を濁したような反応しか返ってこない事が多い。


 あまり話しかけてくれるな、という心の声が聞こえる気がするのだ。

 いや、これはカサンドラがあまりにも前のめりで彼の反応を注視しすぎ、気に病んでいるから殊更そう感じるだけかも知れないが。


 誕生日に一日案内してくれた時には、会話が途切れることなど無かった。

 彼自身も楽しそうに話を弾ませてくれたと思う。


 ――無理をしていたのだろうか。

 一日カサンドラの接待をして疲れ切って、今週はずっとすげない態度で接触を避けられているのか……


 ああ、モヤモヤする。





 ※



 今日は金曜日、生徒会役員会が開かれる日だ。

 午後の選択講義を終えた役員達が、定刻に間に合うように生徒会室に集う。

 当然カサンドラも忘れることはない。意図せずサボったらどんなことになるか、想像するだけで慄然とする話だ。


 帰り支度を終えた後、学院西の建屋に向かって回廊をまっすぐ進んでいた。


 生徒会の仕事は決して楽しい事ではなく、行事ごとの雑務雑用を自分達に一手に背負わされるので憂鬱な想いになるものだ。

 だから金曜日は気が乗らない――というわけではない。


 役員会には必ず王子も出席する。

 無駄な話をすることはないが同じ室内に王子がいる、それだけでホッと安堵出来た。


 生徒会内部で任される仕事は面倒なものだ。

 でも王子が穏やかに微笑んで会議の行く末を見守っていてくれるので、カサンドラも張り切り甲斐がある。

 二学期最初の役員会ではボーッとして過ごしシリウスに居残りを命じられる体たらくぶりであったが、今は別だ。

 そのような醜態を王子の前で何度も晒すわけには行かない。


 議事進行を任される上に、会議で話された内容の議事録を作成する必要がある。

 集中力を持って、会議に臨む。


 ただ、予め話す内容は全てシリウスと打ち合わせ済み、そして関わる提案については根回しも大方完了している状態だ。

 奇抜で革新的な提案をなされることはなく、淡々と予定調和的に会議は進んでいく。


 ゆえにカサンドラとしても気が楽だった。

 既に決まり切って、相談することでも無いことを確認し合う。

 それが今季の生徒会。例外としては王子が生誕祭でラルフと合奏したいと言い出したことくらいだろう。 


 今日は主に収穫祭関連の議題を話し合い、各クラスに通達すべきことなどを纏めておく。

 来週は料理人を王都に集め食材の仕入れ先に向かうなど実際に動かねばならない事もある。何せ収穫祭まで二週間を切った。

 そして収穫祭が終わると同時に翌月の剣術大会の催しに取り掛からねばならないので息つく暇もない。

 こちらは現役の騎士団のお偉いさんも来賓するので、ジェイクがメインで動くことになるのだろう。



 トン、と。

 書類を纏め、机の上に叩き揃えると我知らず溜息が漏れた。


「……ふぅ」

 

 本日も滞りなく会議は終わる。

 話し合いというものは事前の折衝が九割だとシリウスが良く言うが、船頭多くして船山に登るという悪循環に陥ったことは一度もない。

 議題に乗せる時には既に叩き台を頭の中に道筋をつけて描き、実行するための根回しに動く。


 役員全体に「案を募る」というのは枝葉末節のどうとでもなる部分だけで、根幹部分は大体シリウスがどうにかしていた。

 学園長とのやりとりを始め外部との折衝も担当する彼の水面での働きぶりなくして、ここまでスムーズに会議は回らない。


 尤も、叩き台や素案を作る時には必ず王子が関わり、逐一相談重ねている。だから独断専横というわけでもないし、王子も事前に自分の意見を入れてもらっているので会議中に発言することは滅多にない。


 何せ、王子が一言”否”の意味を呟けば、決定事項も卓袱台返しになってしまう。

 王子本人が何かしらの要望を言えば、生徒の立場で意見を否定できるわけがなく――本当の意味で王子のワンマンショーになる可能性がある。

 己の声を否定されず、出した案は全て受け入れられ無茶な事でも実行させることができる。そんな生徒会、王子の望むところではないのだろう。


 ストッパーになれるのはシリウスだが、いつもいつも演奏会の時のように待ったをかけられる状況とも限らないので不用意な発言を戒めているそうだ。


 会議中は王子は流れを見届ける者として黙って頷き、内容を承認するのが役目だと本人が言っていた。発言に重みがある人は、”普通”の立ち回りは出来ないのだ。



 終了後、アイリスや他の学級委員たちが早々に役員室を出た後のことだ。

 彼女達はこの圧迫空間にいるのがあまり好きではないらしく、会議が終わったら雑談を重ねることもなく速やかに退出する。

 カサンドラだってこのメンバーの中では全く馴染まない存在なので、出来る事ならあまり一緒にいたくなかった。

 王子単身なら喜んで一緒に何時間でも滞在するけれど、会議が終わった後も当然幼馴染達と楽しそうに話をして帰り支度に移る王子に話しかけるのはとても困難なことだ。


 特にシリウスに目をつけられ、何らかの理由で居残りを命じられては敵わない。


 議事録作成の用意を整え、資料を自宅に持ち帰ろうと会議場に並ぶ長机からカサンドラは立ち上がる。



 滞りなく終わりはしたが――

 収穫祭当日の話で、気になる議題があったのだ。


 収穫祭で王都の市民が身に纏う『赤と橙』色を生徒達も身に着けることを推奨しよう、という話だ。

 王都では特殊な儀式は行わないけれど、豊穣を齎した女神に感謝を込めて”秋の実り”を連想する赤やオレンジ色の服や装飾品を纏って街に出るという習慣があった。

 それは以前教えてもらった通りのことだ。


 カサンドラのいたレンドールでは馴染みがないが、この辺りでは慣例なら王都に建っているこの学院の生徒もそれに倣うべきではないか? と言う発想だ。


 制服で参加するので赤やオレンジの挿し色をするのは結構難易度が高い。

 日頃アクセサリー類を持ち込むのは学則で禁じられているが、この日ばかりは祭典イベントということもあって解除されるはず。

 カサンドラも赤を入れるなら無難にピアスや髪飾りをその色に揃えようかと漠然とイメージしている。

 赤や橙、そして黄色も小麦をイメージする色で歓迎されるらしいが、きっと街の大通りは派手な色合いで一面覆われることだろう。



   目がチカチカしそうな一日だなぁ。



「シリウス、君は当日赤色の飾りでもつけてくるのか?」

 

 興味深そうにそうシリウスに問うたのはラルフだ。

 彼は明るい色も問題なく着こなせる。

 恐らく白い長袖の制服の上にスカーフでも重ねてくるのだろう。

 良く似合いそうだな、と思った。

 男子の制服はブレザー型なので、その下に着るベストの色を収穫祭の色に合わせるという選択肢もあるか。


「お前、赤とかオレンジとか絶望的に似合わないもんな!

 無理しなくてもいいだろ、強制じゃないし」


 はは、とジェイクも同調して笑う。

 言われずとも分かる、髪も瞳も真っ黒。そしてシリウス当人が派手な色を嫌っていて、パーティでもないのに目立つ色を纏うのが想像できない。


 生徒会室の中には、幼馴染四人と、少し離れた場所にカサンドラの五人。

 既に慣れてしまったメンバーで帰宅前の雑談をしているというのんびりとした空間――のはずだった。



「そうだな、今のところは色を付けてくる予定はない。

 だがジェイク。お前は良いな、収穫祭カラーだから――何もせずともめでたい色で」





  収穫祭カラー。




 印象的な言葉に、ラルフと王子が同時に軽く俯き肩を震わせ笑う。

 ジェイクの髪は赤色だが、その瞳の色も鮮やかなオレンジ色だ。

 そして彼の肌は王子やシリウスと違い、肌が黄みがかっているので言われてみれば………

 と、カサンドラも彼の容貌を遠目から眺めて笑いそうになってしまった。


 何もしなくてもおめでたいというシリウスの皮肉めいた言葉は、緊張した後の弛緩した空気の中でやたらと思考に刺さるものだ。


 週の終わりで、きっとメンバーも疲れていたのだ。

 滞りなくとも一時間会議を続ければ神経だって磨り減る。


 だが精神的疲労でささくれ立っているのはシリウスだけではない、当のジェイクもそうだった。



「おい、シリウス」


 その不満を抑えに抑え、ジェイクは持ち上げていた鞄を机に再度荒く放り出す。

 シニカルな笑みを浮かべるシリウスに一歩、二歩と大股で近づいていき目の前に立ちはだかった。

 シリウスは男子生徒でも背が高い部類だが、それでもジェイクの方が縦も横も大きい。

 腰に手を当て、剣呑とした様子で睨みつける彼の仕草にぎょっとした。


 いくらイラっとしたからと言って、彼の腕で殴りかかればシリウスなど壁まで吹っ飛ばされかねない。

 ……いや、自身の持つ色をからかわれたからとそんな事はしないだろうが。


 あの人、自分の”色”が大嫌いだからなぁ。

 悪気はなくとも指摘されればムッとしそうなのに、明らかに嘲りを込められれば怒りもするか。


「なんだ」


 ジェイクの睨みに、彼は言葉を濁らせ口を引き結んだ。



「お前、今度陛下と一緒に直轄地視察に行くだろ?」


「ああ」


「こないだ護衛依頼を受けたけどな、俺も他の事で忙しくなりそうだから別の奴に任せるわ。

 ……キースが暇だろうし」


「待て! どういうことだ!

 私はお前に来るよう依頼したはずだが?

 何故よりによって……」


「依頼は受けたけど、まだ申請書に判ついてないんだよなー、最近忙しくてさぁ。

 要人護衛は代理で管理を押し付けられてるからな、今の責任者は俺。オーケー?」


 フフン、とジェイクは居丈高な態度でシリウスに視線を向ける。

 大上段から偉そうに言われればシリウスも機嫌を悪くしそうなものだが――


「…………。

 はぁ、分かった分かった。

 前言は撤回する、お前の容姿を揶揄するような言い方をしたのは悪かった」


「わかればいいんだよ、二度と言うな!」


「そもそも、お前が最初に突っかかって来たんだろうに」


 不満そうな顔のシリウス。


「嫌いな色を身に着けないっていう選択肢があるだけマシだろうが」


 眉尻を吊り上げて言い返すジェイク。

 


 そんなやりとりを眺めるラルフは、こんな光景が日常茶飯事なのか成り行きを生温い視線で見守っているだけだ。

 仲裁に入る気は一切ないらしい。

 まぁ、意地を張らずあっさり言葉を退けるのは、仲が良い証拠なのかも知れないが。






「カサンドラ嬢」


 未だぎゃあぎゃあと些末な事を言い、言葉の応酬を続ける二人を「どうしようかな」と眺めていると、王子に声を掛けられた。


「お、王子……!? 何か御用でしょうか」


 まさかこの場面で自分に意識を向けられるとは思ってもいなかったので、予想外の出来事に完全にぼんやりとしていた頭を何とか通常起動させる。


「月曜日の件は申し訳なかった」


「いえ、王子が謝罪なさる必要など何一つございません!」


「それが――

 予定を調整した関係で、月曜日は講義後すぐに王城に向かう事になってしまってね。

 カサンドラ嬢と話をする時間が取れなくなってしまったんだ」


 えっ、と息を呑んだ。

 大変申し訳ないという表情の王子に、一体どんな言葉をかけるべきなのだろうか。

 仕方ないと受け入れるしかないのは分かっているけれど……!


 でも折角、僅かの時間でも一緒に話をすることが出来て。

 彼の事を少しずつ知って、距離が縮まってきたのだ。



 一週間に一度の幸福な時間が無くなってしまう……?

 想像すると目の前が真っ暗になりそうで、こんなところで急に涙が流れてしまいそうで。

 慌てて考えない様にし、腹の底に力を込めて耐え忍ぶ。



「――来週から水曜日に変更が可能か、相談したい。

 良いだろうか」


 ハッと顔を上げる。

 彼は少し不安そうな眼差しをこちらに向けているのが分かり、胸がドキッと大きく軋む。


「水曜日……ですか?」


「水曜の放課後なら、少しは時間がとれる……と思う」


 それでも構わないなら、と彼は言葉を続けた。



「予定はありません、代替案を検討して下さって大変嬉しく思います……!」

 


 彼もまたカサンドラと同じように、僅かに話す時間を”楽しい一時”だと思ってくれていたのだろうか。

 いつのまにか習慣化していた放課後の時間を、用事が出来たことをきっかけに”無かったことにしよう”とはしなかった。


 別の曜日を提案してくれるくらいには良く思ってくれていたと。

 そう信じて良いのだろうか。



「最初にこちらの都合で君を付き合わせてしまったんだ。

 その上更に振り回すような事を言って、申し訳ない」




 彼はそう言って小さく微笑み、愁眉を開いたようだった。


「ああ、カサンドラ嬢。

 気に入ってくれてありがとう、良く似合っていて安心したよ」


 彼は自身の腕時計を指差し、僅かに目を細める。

 はにかむような照れた笑顔に不意を突かれ、一呼吸置いた後一気に全身が熱くなる。

 お礼を言いたいのに、舌が上手く回らない。

 絶句し、顔を紅潮させたまま石像のように固まった。


 「では、また週明けに」と手を掲げて王子はシリウス達の傍に戻る。



 さっきまで煩い程言葉を投げつけ合っていた二人だが、どうやら今度は直轄地視察の件で真面目な顔で話を詰めているようで――


 本当に忙しない人たちだなぁ、とカサンドラも肩を竦める。

 ようやく動揺が収まり、動悸も鎮まって来た。



 主人公に対する攻略対象の姿は、どうしても一対一の場面ばかりだ。

 このように皆揃っての日常風景がゲーム内で描かれることはなかったから、とても新鮮だ。




 何気ない毎日の風景をこうやって間近で見れるのは、自分の立場ならではの特権なのだろう。



 ゲームの台詞を読んでいるだけではわからなかった彼らの姿が、意外でもあり楽しくもあった。 




 ただ――

 今は、王子の姿しか目に入らない。




  右の掌で、彼にもらった腕時計の盤面を何度も撫でた。

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