第174話 『ジェシカ嬢、困惑する』


 二学期に入り、バーレイド子爵家令嬢のジェシカは大層機嫌が悪い日々が続いていた。


 バーレイドは軍閥名家、先祖代々優秀な騎士を世に出す勇猛な一族と知られている。

 国王より与えられた爵位こそ子爵だが、ロンバルド派閥の中では重要な位置づけを占めいくつかの分家を抱えていた。


 ただ、バーレイド直系は男しか生まれない呪いがかけられている――とまことしやかに囁かれるほど、この数世代全て直系が男子の名で埋め尽くされている。

 その分、歴代のどの子息も騎士として非常に優秀だ。ジェシカには三人の兄がいるが例に漏れず武官として王城で忙しく働き将来を嘱託される人材。

 当然ジェイクとも皆仲が良く、まぁ、例えて言うならば兄貴分のような存在か。

 昔からよく兄についてロンバルドの本家には遊びに行っていた記憶がある。


 バーレイドに何世代かぶりに生まれた女の子がジェシカだった。

 本家も分家もお祭り騒ぎで、幼い頃からお姫様扱いで周囲に甘やかされて育ったお嬢様。


 実は十歳前頃、歳も近いロンバルドの後継ぎへ縁談を持ち込まれかけたことがある。

 功を先走った一握りの暴走で、幸い実現することは無かった。


 ――ジェイクは嫌いではないが、好みではない。

 その上、ジェシカは剣を振るうのは好きだが貴族の奥方なぞ眉を顰める程なりたくないものであった。


 貴族のお嬢様に求められる要素を当時軽んじていた。

 言葉遣いも良くなく、所作も大雑把で乱暴、お転婆の代名詞として有名人。



 そんな自分が御三家の後継ぎジェイクの嫁か――無いな!



 地位的には辛うじて婚姻が許されるが、貴族の奥様なんて面倒な事この上ない。

 早々に話を蹴って以降、ジェシカに縁談を持ち込まれること自体がなくなった。


 しばらくは本能の赴くまま、自由な生活を楽しむことが出来たと思う。

 だがバーレイドのお嬢様が自分のことを「アタシ」と言ったり乱暴な言葉遣いなのは恥ずかしい。

 お茶の時間よりも野山を駆けまわってイノシシを仕留める事が好きな令嬢がいて良いのか、たまに自分の人生を考える日もあった。


 周囲はジェシカに対して殊の外甘く、何をしても「良いよ良いよ」と笑顔で甘やかしてくれたがジェシカは愚かな子ではなかった。

 現状、自分は立場に相応しい人間ではないと悟って焦り、動くことにしたのだ。


 王立学院入学前、名家の令嬢の一人として振る舞えるよう突貫工事で付け焼刃だが礼法作法なども習い始めた。

 周囲はそんなしたくもないことをしなくてもいいとジェシカに駄々甘い反応だったが、入学して恥を掻くのは自分である。



 学園に入学してから一年程は、満たされていたと思う。

 今まで好きになった人などいなかったが、騎士団に在籍するアンディという騎士を一目見て恋に落ち、卒業したら絶対に騎士団に入って彼に堂々と会いに行くのだという気概があった。

 そこで満を持して求婚しよう、自分がただの貴族のお嬢様ではなく実力でその隣に立てる人間だと証明して見せるのだ。


 斜陽貴族の彼に、いくら顔が良いとはいえ望んで縁談を持ちかける女性も少なかろう。

 もし相手がいたら結婚していてもおかしくない歳だ、きっと条件の釣り合う相手が見つからず困っているのだと思い込んでいた。




 それが、まさか……!



 つい数か月前、派手に失恋をして落ち込んでいたジェシカは頗る機嫌が悪かった。

 元々険しい切れ長の瞳、女性らしい柔らかさを持つ女生徒ではない彼女が無表情で一人教室に佇んでいる姿は異様に映っていることだろう。


 思い出したように、ドンと机を拳で叩くジェシカを遠巻きに眺めるクラスメイト達。




 だが無理もないと、言い訳をしたくなる。

 夏休みの最中、何処に行ってもアンディとミランダの二人がいちゃいちゃラブラブしている姿を見せつけられてきたのだから!


 王宮舞踏会から始まり、同じロンバルド派閥の貴族同士招待される家も似通っている。

 夜会に行けばアンディとミランダが手を繋いで歩いている、お茶会に出れば二人でケーキの食べさせ合いっこを視界に入れさせられるこっちの身にもなって欲しい。

 折角忘れよう、諦めようと思っていたジェシカの苛立ちがこの夏休み期間でグンと上昇の一途をたどっていく。

 

 そりゃあ、ジェシカの想いを知っていたのはジェイクだけだ。

 だからミランダだって自分に意図的に見せつけているわけじゃない、誰が悪いわけでもない。


 だからこそやり場のない鬱積が募り、何もない休憩時間でさえ眉間に皺が寄ってしまう。



 ジェイクに文句を言ったところで何も変わりはしなかった。

 『あの二人の仲が良いのはいいことだから、邪魔するなよ』と逆に釘を刺される始末だ。そりゃあ彼の立場からしたらそう言うしかないだろうよ。


 全く、世の中とは儘ならないものだ。

 生まれて初めて好きになった相手が、実は”売約済み”だったなんて酷過ぎる。

 だがこの一件を親兄弟に相談する気にもなれない、もう終わったことだ。


 親の力で無理矢理あの二人を引きはがすのか? 

 バーレイド子爵家とウェレス伯爵家の婿取り合戦?


 ……ロンバルド派で諍いを起こして内部亀裂が、なんて事態を望んでいるわけでもない。

 だからモヤモヤが止まらず、こうして教室の片隅で幸せそうにニコニコと微笑むミランダの横顔を眺めるだけだ。



 全く、とんだお嬢様だ。

 すっかり騙された。

 彼女はずっとジェイク狙いなのだと油断しきっていたのだ。

 同じ人を好きだったなんて、全く思いもよらない話、寝耳に水の電撃発表。


 ――自分には彼女のような、心に想いを秘めつつ他の男性にアプローチなんて出来やしない。

 そこまで”家”のために己を押し殺していた彼女が凄いと思うし、強かだなぁとも思う。





 そのような鬱屈を発散するためにも午後の剣術の選択講義はジェシカにとって大切な時間であった。

 ジェイクは異性として好みではないが、彼の剣の腕だけは確かで惚れ惚れする。


 バーレイドの分家筋でも優秀な剣士ライナスを師に持つその実力はジェシカもつい目を瞠ってしまう。

 あまり才能だ天賦の才だという言葉遊びは好きではないが、彼は例外に属すると思う。


 土台はしっかりしているはずなのに、我流の部分が予測不能で全く動きについていけないし何より”力”が違う。

 本気で彼の一撃を受ければ、剣もろとも身体ごと粉々に砕かれる。

 彼の父であるダグラス将軍は更に上を行く鬼神と言うが、今まで手合わせをした中で彼ほど面白い相手はいない。


 いくら達人級の剣の使い手ばかりの選ばれた集団とは言え、ジェシカは女性だ。

 なおかつバーレイドの”お姫様”ということで気後れするのか全力で打ち合ってくれる相手は少なかった。

 それは講座の教官を務めるライナスでさえ同じこと、本気で相手になってくれる者などいない。

 女だからと侮られているのかと腹立たしささえ覚え睨みつけたところで、彼らの臆する心が変わるわけもない。


 だがジェイクだけは関係ないとばかりにこちらを捻じ伏せてくれるものだから、逆に清々しい気持ちになれる。

 怪我をさせたらどうしようという躊躇いもない。

 剣の柄で胸元のブレスト・プレートの上から突かれた時には呼吸が出来なくなってその場に倒れ伏したこともあった。

 夏休み前、それで肋骨に罅が入ってしばらく訓練できなかったなぁ、と思い出す。


 肉体的に痛む胸を抱え、似合わないドレスを着て社交界に顔を出していたから余計に苛立ちが募ったのかもしれない。



「ジェシカ」


 訓練場について早々ジェイクに呼び留められた。

 まだ午後の鐘には早い時間だが、手合わせしてくれるのなら願ったりかなったりだ。

 このモヤモヤと昇華できない想いを一切の遠慮なくぶつけられるのだから、とジェシカはポニーテールに纏める銀の髪を翻して振り返る。


「お前、今日リゼの相手をしてやってくれないか?」


「……はぁ?」


 つい口を尖らせ、ついでに肩も眦もいからせる。

 この上ジェイクまでも自分を苛立ちのどん底に叩き落そうというのか、と口が完全にへの字に曲がった。


「あいつ、上達ぶりを確認したいんだと。

 前に手合わせしたことがあるんだろう? 丁度良いから様子を見てやって欲しい」


「何故私が!?」


 キシャー、と気炎を吐いて彼に突っかかる。


 全く他意もない、素の表情のジェイクが横に立ってこちらを見下ろしていた。

 父親譲りの赤髪に橙色の目、大層目立つカラーリングの彼。


 紅葉の山での隠れん坊は手ごわかった。自分の庭のような山の中を探しても探しても、周囲の落葉と色が一体化して見つけられなかった記憶が蘇る。


 精悍で見目も良い、所謂『格好いい』系統の男性だと思う。

 だがジェシカは、今まで屈強で筋肉隆々な鍛え抜かれた身体を持つ男性など散々見飽きている。

 父親も兄達も、体つきは熊のようだし大きな剣を振り回すに相応しい体格の持ち主ばかり、三度の飯よりトレーニングが大好きというむくつけき男共に囲まれて生きてきた。


 その普段とのギャップか、細身で美しい容姿だけど剣の腕も超一流という物語の中の王子様のようなアンディに一目で惚れてしまったと言っても過言ではあるまい。


「そのようなこと、フランツに全て任せればいいではないですか」


「たまには同年代とっていう気持ちもわかるだろ?」


 そう言われればぐっと言葉を呑んでしまう。

 経験豊富な年嵩の剣士に指導され続けるのは有り難いが、一体自分の現状がどれほどのものかという疑問は誰でも抱く感情だろう。


 だが彼の軽い依頼に「はい承りました」と素直に頷いてやるほど、今の時分は機嫌が良くない。

 自分でも未練がましいと思っている、みっともないと分かっていても中々簡単に割り切れないから。

 慰めろとまでは言わないが、やり場のない鬱積のはけ口くらいにはなって欲しい。


 ――それは昔馴染みの甘えゆえ、か。


「では私ではなく、他の者に声をお掛けになっては?

 フェルグスやケヴィンの方が私よりもよっぽど人に教えるのは慣れていると――」


 別に剣の相手をしてやるのは自分でなくても構わないだろう。

 確かにあの下級生の相手をするのは自分が適任かもしれない、体形が似ているし剣筋も近いものがあった。

 彼女が自分から学ぶことは多いかも知れない、だがジェシカはその生育経歴から分かるように人に何かを教えることが苦手である。

 教えた事など無いと言った方が正しいか。


 明らかに適性外の自分を指名しなくても…… 


「ジェシカ」




  あ、ヤバい。

 


 彼の一言を受け、ジェシカは戸惑い右足を一歩後方に下げた。それは無意識の防衛本能。

 低い声だ、それも憤りが籠っている。


 何だ、何が逆鱗に触れた?

 彼がアンディのことに対してジェシカに若干の後ろめたさを感じているのは明白だが、いつまでもそれを盾にした舐めた態度を取ったのがカンに障ったか。


「二度同じことを言いたくない」


 ジェイクがどれだけ”普通”でいたいと思っていても、土台無理な事だ。

 彼は確実に、濃く将軍の血を引いている。

 一睨みで一個師団を思うように動かせる人間が、そうそういてたまるものか。 


「承知しました。

 私とてジェイク様に盾突こうとしたわけではないのです、そう怒らないで頂きたい」


 行けと言われれば行くしかない。

 苛立ちが積み重なる余り、少々ジェイクへの対応の度が過ぎてしまったか。


「……? 別に怒っていない、というか何で怒らないといけないんだ?」


 彼は心底不思議そうに首を傾げるが、首を傾げたいのはこちらの方だ。

 あんなに重低音の声で凄まれたのは――カサンドラをジェイクが娶る方法はないのかと何度目かの進言をした時以来だ。


 その時もこれ以上は赦されない、という境界線がハッキリと示された。


 滅茶苦茶凄まれて怒られたので中々話を上の方に持って行けなかったのだ。

 結局その後、王宮舞踏会でカサンドラが王子の婚約者と社交界に完全周知されてしまった。

 これを覆すのは相当難しい、ジェシカ一人でどうこうできる規模の話ではなくこちらもモヤモヤが燻ったままだ。


 出来れば王族としてではなく、ロンバルドの影響下で彼女の”人を見る目”を活かして欲しいと未だに思っている。


「じゃあ、頼んだ」


 ……さっきの声は空耳か? 

 それとも彼が怒ったように見えたのは自分の見間違いか?


 釈然としない想いで、背中を向けた手を振るジェイクの後姿を茫洋とした目で眺めていた。



 相変わらず、良く分からないヒトだ。



 




 不承不承だが請け負った仕事はこなさなければいけない。

 あれでもジェイクはロンバルドの次期当主、本気で事を構えることになったらいくらバーレイドでも困る。

 庇護を失くしてしまえば、枝の別れた一族も長くは持つまい。


 気の進まない事だったが、ジェシカは言われた通り下級生のリゼのところへ足を向けた。

 剣術など嗜んだことのない平民のお嬢さんの指導を一対一でまだ続けていると言うが、二学期に入っても個別で指導を受けないといけない程未熟なら――

 実は自分が買いかぶり過ぎていたのだろうか? と疑義を感じるところだ。


 既にリゼの上達ぶりがあの段階で頭打ちを迎えていたとしたら、カサンドラに対する評価自体もジェシカの勘違いという事になる。

 ついでに確かめてみよう。少し前向きな気持ちで、離れた場所の修練場に顔を出す。

 



「あ、ジェシカ先輩!」


「げっ、ジェシカ!」




 特に話しかけることは無くとも、すぐに二人に見つかってしまった。


 リゼは驚いた様子だが、何故か嬉しそうに手を振ってジェシカを歓迎してくれる。

 対照的にフランツは大層イヤそうに顔を顰め、大仰に天を仰いで肩を竦めたのだ。全く以て失礼な男である。



「ジェイク様の指示を受け、貴女のお相手に参りました。

 ――急な話ですが宜しいですね、フランツ」


「別に構わんが。

 なんだなんだ、あいつも律儀な奴だな」


「本当ですか!? 嬉しいです、宜しくお願いします」


 別に何もしていないのに、こうも嬉しそうに接せられる理由が思い至らない。

 このリゼという娘には良い事を言った記憶がない、初対面から彼女に「辞めた方が良い」と忠告を重ね、アンディへの失恋の件で愚痴を聞いてもらい――

 その上無理矢理訓練に押し掛けるようにして手合わせをした。


 来てくれて嬉しいと歓迎されるとは思いもよらず、勢いがそがれて鼻白む。



 本気を出して胸を借りるというわけには行かない、ジェシカにとって格下過ぎる相手。

 だが喜んで迎えてくれるなら、悪い気はしない。


 ここで剣を嗜む女生徒は自分とリゼくらいだ。

 最初は彼女の浮ついた動機にイラッとさせられたが、ここまで諦めることなく根気強く続けば大したものだ。

 自分の忠告は間違っていたのだと認めざるを得ない。




「準備は終えていますね? では――参ります」



 ジェシカは本物を良く模した訓練用の剣を構え、リゼにその切っ先を向け姿勢を正した。


 彼女の腕前を確認した後すぐに戻ればいい。

 ジェイクに報告すれば事足りるだろう、ついでにむしゃくしゃした想いを剣に乗せぶつけてやる。



 そう決意し、剣を構えた。





 ※






 リゼは決して自ら音を上げることは無く、疲労で足元の動きが覚束ない状態でも果敢にこちらに挑みかかってくる。

 それは自分が過去、兄達に必死で食らいつくように剣を掲げて無鉄砲に向かっていた姿を彷彿とさせる光景だ。

 勝てるわけがない相手でも、現状の最善を尽くし、真正面から突っ走る。


 フランツが辞めの号令を発さなければ、気を失って倒れるまで彼女は剣を振りかぶっていたのではないか。

 その蒼い目にギラギラと宿る闘志に当てられ、ジェシカもついつい過剰な力で相対してしまう。

 自分も彼女も、度を越えた負けず嫌いなのだろう。


「で、どうだったよ。リゼの腕の程は」


 喉の渇きを潤すため、一旦水場に向かうリゼを見守りながらフランツは素っ気ない口調で問うてくる。


「貴方がそれを聞くのです? どうもこうもないでしょうに」


 驚いた、というよりも非現実的だとさえ思った。

 剣を習い始めて一、二か月の時でさえ順調すぎる成長を見せていた。決して一足飛びにメキメキと腕っぷしを上げて強くなっているわけではないとフランツは言う。

 一つ一つの課題を着実にこなし、習ったことをそのまま身に着ける堅実で地に足の着いた彼女の太刀筋。


 ――ぞっと背筋を這う得体の知れない感触に身震いする。



 実力の停滞や頭打ちなどとんでもない、彼女はこの環境で最大限、ありえない程の早さで強くなっている。

 今日は彼女に土を着かせることが出来なかった。振り払っても彼女は両足で踏みとどまり、剣を握る手を離さない。


 何が彼女をこうまで駆り立てるのか。



「一対一の対面で貴方が教えるような段階ではないでしょう、いつまで囲い込むつもりなのです」


「本人が指導して欲しいっつってんだからいいんだよ。

 ……ギリギリまで付き合ってやりたい」


 初心者の域はとうに超えた。

 一つ二つの段階を越え、それなりの集団指導を受けることが可能だろう。


「貴方がそこまで執着するのは珍しい、驚きました」


「まぁなぁ、俺もあそこまで真面目な子が欲しかったって感じだな!」


 ははは、と彼は陽気に笑う。

 既に妻子のある中年男性、フランツは貴族の三男坊だがその立場など知った事かと全くの平民と結婚した。

 子供たちもこの学院に通うことなく、しかも剣に全く興味が無くフランツを嘆かせている。


 それはそれで平和な生活だ。家族に囲まれ、幸せなのだろう。

 


「ああ、それで彼女に目を掛けているのですか?」


「ん?」


「息子さんの結婚相手、そろそろ探す頃合いなのでは?」


 フランツの出自はハッキリしている。更に彼が娘の一人に欲しいくらいだと笑って言うからには、そういう意図があるのだろうかと解釈した。

 だが彼は明らかに「何言ってるんだお前」という心の底から呆れた顔でジェシカの額を指で弾いた。


 ちょっと痛い。


「俺の息子は、まだ十一だ! 何考えてるんだ、馬鹿」



 そもそも親の都合で子供を振り回したくないから縁談全部断ってたんだぞ、と彼は青筋を浮かべて怒鳴る。

 


「そうですか」


「息子より、お前の方がどうなってんだ。

 このまま独り身か? ……まぁ、お前はそっちの方が良いと思うがな」


「聞こえません」


 あーあーあー、と耳を塞いで目を逸らす。





 まだ失恋の傷が癒えていない。

 とても未来のことなど考えられたものではなかった。


 親も縁談を持って来る様子もなく、このまま一人で一生を終える可能性もなくはない。

 そしてジェシカが結婚しなくても家は存続するし、政略で結婚するのは望まないので今のままが居心地が良いのは確かだ。




 藪蛇だったとジェシカは唇を噛み締め、修練場を去ることにした。

 自分から言い出したことだが、恋愛だの結婚だの、そんな話題の残り香が漂う場所にいるのは苦痛だ。

 






 何もかもが儘ならず、足踏み状態の自分に焦る。




 ひた、ひた、と。

 背後にリゼの足音が聞こえた気がして、ぎょっと肩越しに振り返った。

 だが誰もいない、無人の小路が続くのみ。




 ……ああ、自分は”彼女”を恐れているのだ。








   ――リゼさんは必ず、貴女が卒業するまでに剣の腕で貴女を凌ぎます。 








 冗談じゃない。 

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