第171話 果報者


 まさかこんなに濃い誕生日になるとは思わなかった。


 今まで父親であるレンドール侯爵主催で行われていたカサンドラの誕生日パーティの事を想い返しても、どの歳よりも在り様が違う。

 学園に入って初めての誕生日で、別邸に大勢を招待しての誕生会を催す気が無かった段階で今までと一緒にはならないと分かっていたけれど。


 まさか王子と一日を過ごせた上に、極めつけと言わんばかりにあの三人とも合流することになるとは。


 四時過ぎにはシリウスもジェイクも渋々と言った様子で部屋を出て行ってしまったけれど、もはや夢幻としか呼べない三十分だった。

 王子やラルフの声掛けがあったとは言え、三十分程度の僅かな時間でも約束通り来てくれたというのは驚くべき事態である。


 最後にラルフから、一曲弾いてもらうことが出来たが――


 今まで耳にした事はあっても、弾くなんてカサンドラには絶対に無理だと思われる奇想曲を王子はリクエストしてのけた。


 弾けるのは人間を辞めたものだけだという所謂超絶技巧曲だ。

 相手がラルフでなければ無茶ぶりもいいところだったろう。


 三人しかいない部屋の中、先ほどまでの弛緩したお遊びの空気を一変させる鋭い眼光の彼に鳥肌が立つ。


 カサンドラだってヴァイオリンを齧ったことがある、だからこそ曲の難度は聞いていれば分かるものだ。

 重音奏法が華麗過ぎて震える。複数の弦を指先で同時に押さえ、同時に鳴らす技法は今では結構一般的な技術だが音の質が違う。

 こんなに弾むピチカートは初めて聞くし、しかも良く見たら利き手ではない左手使用で鳴らすのは高度過ぎると思う。

 左の手でピチカートを伴奏状態に弾ませ、利き手で弓引く姿はビジュアル的に相当威力があった。


 奇想曲という名に恥じない、統一性が欠片もないような譜面であるにも関わらず、全体を通すと綺麗な曲に仕上がっている。


 いくら王子に頼まれて弾いた曲とは言え、人前で演奏するからにはと一切の手を抜かないプロ根性にはカサンドラも居ずまいを正して聞かざるを得ない。

 ここまで弾きこなせたら本当に気持ちが良いだろうな、と思いながら拍手をするカサンドラだった。


 王子と幼馴染達に誕生日に演奏してもらったんです。

 しかもその後一緒に合奏させてもらって、最後にラルフに難曲を弾いてもらって――


 などと誰にも公言できることではない。


 舞踏会の玉突き事故の結果でも、夏休み明けにあの有様だったのだ、ここまで来たら嫉妬で名も知らぬ女生徒に刺されかねない。

 想像したら下手な怪談より怖く、ぶるっと全身が震えた。


 ”好きな偶像アイドルが他の女性へ特別待遇をする”事への嫉妬心は到底侮れるものではない。

 いくら王妃候補と言われようと、いや、だからこそ過剰に彼女らの神経を逆なでする可能性がある。


 不用意に恨みを買うような発言はすまい、と心の中に留めて無言で大きく首肯する。


 まぁ、実際にはラルフも演奏が終われば用は仕舞だと言わんばかりに、全く後ろ髪を引かれる様子もなく部屋を出ていく。

 別に彼はカサンドラを祝いたかったわけではなく、ここで長々と雑談をして時を過ごすような間柄でもない。


 なんというか、こういう時間を王子を介して過ごすことが出来る割には――


 悪役令嬢カサンドラと攻略対象達の間柄は、とても一言では言い表せない奇妙な距離感と言えた。


 カサンドラがそういう役回りで在ることを前提に成り立っている世界だとしたら、本来全く相容れない水と油の関係であることは確かで。


 積極的に仲良くはなれないが、さりとて互いにいがみ合ってもいない。


 あちらはあちらでカサンドラがもしかしたら何か裏で企んでいるのかもという疑惑を捨てきれていないのだなと節々に感じられる。

 ……比較的良く喋るクラスメイト的位置づけとしか言いようがない。



 言葉通り彼らは婚約者の親友だ。それ以上でも以下でもない。

 緊張感の内包する関係性だが、この距離感はそう嫌なものではなかった。




 ※ 





 ああ、一日が終わってしまう。

 ラルフを呼び寄せての演奏自体、王子が考えていた最後の予定だったのだ。

 夢のような時間も過ぎてみればあっという間で、名残惜しさだけが募った。


 


 帰りの馬車まで案内されるその道のりは、案内を受けて城内を歩き回っていた時よりもずっと早く感じられる。



「本日はわたくしに過ぎたご厚遇を頂戴し、感謝の言葉もございません」

 


 楽しい時は一瞬だ。

 時間の流れとは斯くも主観的な感じ方であることだな、と内心で苦笑いを浮かべる。

 今日一日、王子の時間を拘束してしまったことによる罪悪感にチクチク苛まれるが、それ以上に楽しい時間を過ごせたことに喜ぶ自分がいる。


 既にカサンドラが乗って来た馬車は出発の準備は万全で、御者も馬の隣に立ってカサンドラが乗るのを待つばかりだ。

 地平の先ではオレンジ色の黄昏が徐々に青空を浸食し、昼を食らって夜と成り代わる狭間の時間を示していた。


 王子の姿は今日初めて迎えてもらった時から全く乱れもせず、疲れを微塵も感じることがないくらい全く変化が無かった。

 あんなに歩き回ったり案内のために長々と説明をすることもあったというのにタフな人だ。


「お陰様で、城内の施設を詳しく知ることが出来ました」


「まだまだ行っていない場所の方が多いからね、機会があったら案内するよ」


 ありがとうございますと頭を下げるカサンドラだが、そうやって王子から『未来』を示唆するような言葉が出る度に一々過剰に反応してしまう。

 今を生きることでさえ一杯一杯で、来年のことなどまだ考えられない。

 それなのに彼は自然な口調でカサンドラの来年の誕生日の話題を振り、今もいずれかの近い先のことを簡単に口にするのだから。


 それが単なる社交辞令だと自分に言い聞かせても、つい真剣に次の約束を取り付けようかと悩み始める自分の欲深さに呆れる。


「私も今日は楽しかった。

 連れまわし過ぎた事は本当に申し訳ないと思っているけれど、具合が悪いわけではなさそうでホッとしたよ」


「あのようなことがないよう、以後気を付けます」


 体力づくりも大事なのだと王子を見ていると思う。

 病弱でひ弱でか弱い女性には、王族なんて務まらないのだろうなぁと思い知らされた気分だ。


 健康は大事だ、身体を壊さない程度にカサンドラも体術の授業は積極的に受けることにしよう。

 リナやリゼとも久しぶりに屋外活動で共に過ごせる良い機会だ。


「……カサンドラ嬢、これを」


 このまま挨拶をして帰るのか、と意気が消沈していたカサンドラ。

 目の前に、スッと王子の手が差し出されて驚いた。

 その手には細長く平たい箱が掲げられていたものだから、一層困惑だ。


「王子、こちらは」


「何度も言いたくはないけれど、贈り物を選ぶという経験が滅多になくてね。

 色々考えたのだけど、良かったらこれを使って欲しい。

 ……ああ、気に入ってくれたらの話だけど」




  ……え? この上更にプレゼントまで…?



「ですが王子、お品を頂戴することの替わりに、今日王子の一日をお借りしたのでは?」


 嬉しい事は嬉しいのだが、本来の主旨と変わってしまっている。

 この上更に王子に心理的負担をかけていたのかと思うと、畏れ多さの余りに顔が蒼白になりそうだった。


 好きな人に贈り物をしてもらって嬉しくない人などいるだろうか?

 勿論カサンドラだって、飛び上がって喜んで受け取りたいのは山々だ!

 だが理性が邪魔をする……!



「カサンドラ嬢はそう言うだろうと思っていたけれど、何も贈らないのは私としても気がおさまらない。

 折角選んだものだ、受け取って欲しい」


 流石にそうまで言われて固辞出来る程頑なな人間ではなかった。

 それに「約束は約束だから」と王子の厚意を跳ねのけるなんて失礼過ぎる。

 もしも選択肢があったとして正しいものだとはとても思えない。


「度重なるご厚意、有り難く頂戴します」


「こちらこそ、もらってばかりだからね。

 気に入ってもらえるよう願っているよ」



 この細長い箱の中身は一体何だろう。

 王子の前で開けるのはないな、と。カサンドラは慎重な手つきで綺麗にラッピングされたプレゼントを両手に抱いてもう一度深く頭を下げた。


 まさかこんなお土産をもらえるなんて思っていなかった。



 明日一日王子の姿を見ることが出来ないのは寂しい事だが、夏休みと言う長期休暇を乗り越えたのだ。

 また来週、と互いに手を振ってカサンドラはレンドール家の馬車に乗り込む。




 まだバクバクと心臓の音が煩い。


 城門を出てもなお、自分の体が自分のものではないかのようにふわふわしたままだ。

 馬車内という一人きりの空間で、ようやくカサンドラは今日一日の緊張を解こうとするが――


 あまりにも動悸が収まらないのは、長い時間王子と一緒に過ごしたことで王子成分を過剰摂取しすぎたせいかも知れない。


 遠目から見るだけでも癒し効果がある保養の対象なのだ。

 日中ずっと二人で過ごして会話を続けていたのだし、癒しのオーラを蓄積しすぎて効果がオーバーフローしたのでは。


「何を下さったのかしら」


 つい独り言ち、膝の上に乗る箱を眺める。

 ガタンガタンと馬車の車輪の上で揺られ、微かに左右に震える箱を掌で覆いキョロキョロと周囲を伺う。

 そんな無駄なことをしなくても、ここに自分以外の目があるわけがない。

 窓はしっかりと閉じている、この箱を今開けたところで咎める者などいない。


 ごくりと喉を鳴らし、カサンドラは覚束ない指先で赤いリボンを紐解く。

 Happy Birthday の文字が書かれたメッセージカードの下にあるのは、腕時計だ。


 この世界では時計、特に身に着けることの出来る小さな腕時計は高価なものだ。

 学園に通うものには必須の備品であるけれど、やはり貴族の子供たちなので贅を凝らした立派な腕時計を填めている。

 勿論王子も常に時間に追われていることを表すように、きちんと左手首に巻いているが存在感は抜群だ。


 カサンドラの眼前にあるのは大人っぽいシンプルなデザインの女性ものの腕時計。

 全体的に銀色なのに、うっすらと桃色がかって見える。鎖状のベルトの繋ぎに桃色の螺子を使っているからだろう、今まで細い皮ベルトの腕時計だったので非常に新鮮なものだ。

 文字盤もおしゃれでどう見ても高価そうな逸品にしか思えない。


 一度もらったものを返すわけにはいかない。

 一目見て気に入ったのだから、当然これは来週から学園に着けていこうと即座に決定だ。



 ――贈り物をもらうって、こんなに嬉しいものなのか。

 



 カサンドラはその腕時計を手に取って宙に掲げ、緑色の目をキラキラと輝かせる。


 屋敷に辿り着くまで王子からの贈り物を眺め続けていたのである。





 ※





「ただいま戻りました」



 浮かれる自分自身を諫め、カサンドラは王都内レンドール家別邸に帰還する。

 気を抜けばヘニャっとした締まりのない顔になりそうで、意識的に表情を作って玄関を入ったのだが――



「お帰りなさいませ、お嬢様」


「何か変わったことはありましたか?」


「はい、はい。

 お嬢様のご学友の方々がこちらにいらっしゃいまして。

 あの方々もお変わりがなさそうで、大変ようございました」


 使用人が知っているカサンドラの学友はそこそこの数。

 何度か開いたお茶会に、令嬢方を招待したことも何度かあった。


 だがこの年嵩のメイド長が親しげな笑顔で語るということは……


「リゼさん達がいらしたのですか?」


「はい」


「それは申し訳ない事をしました」


 誕生日は王子と一緒に過ごすのだという事に完全に気を取られていた。

 まさか三つ子が自分のために足を運んでくれたとは……

 ジェイクとの話で今日がカサンドラの誕生日であることは彼女達も承知の事、きっと祝ってくれるために来たのだろうに。


 彼女達の厚意を無にしてしまった。

 急に冷たい水を浴びせられたような気になり、しゅんとしょげかえるカサンドラ。


 しかしメイド長のナターシャは貫禄があって安心感を与えてくれる明るい笑顔で「いえいえ」と首を横に振ったのだ。


「あの方達は、ただお嬢様へのプレゼントを届けに来て下さっただけでしたよ。

 お嬢様が不在であることは当然とお考えだったのでは」


「……プレゼント?」


 別に何も贈ってくれずとも、祝ってくれる気持ちだけで十分嬉しかった。

 彼女たちに無駄な出費をさせるなんてとんでもないことだし、カサンドラの誕生日などを考える時間は別のことに当てて欲しいとさえ思っていたのだ。


 贈り物をしてくれる気持ちは嬉しい。


 王子にせよ、三つ子にせよ。

 気を遣わせたくない相手に、逆に手間を取らせてしまったことになる。





 プレゼントは既に部屋に届いているらしいが、一体何を贈ってくれたのだろうか。

 もしも三人の所持金ギリギリで高価なものを贈ってくれていたら、とドキドキしながら――カサンドラはテーブルの上に置かれた包みを手に取る。




 ああ、プレゼントを紐解くのにこんなに緊張が続くなんて思ってもいなかった!



 誕生日と言う特別な日に、個人的な贈り物を受け取る。

 思い起こせば、そんな機会はなかったのではないだろうか。


 届いた品物、目録はあくまでも『レンドール家のお嬢様』というパッケージに対する贈り物。

 元々個人的に親しい女友達もいなかった、そしてベルナールなどがそんな贈り物などするわけもなく。



 ――友人から個人的な贈り物をもらうなんて、今日が初めてだったんだ。



 今までの自分の交友関係の貧しさに愕然とする瞬間。

 衝撃的な事実に眩暈さえ覚えかけたが、気を取り直して紙の包みを開ける。


 三人の寄せ書きのメッセージカードがまず目に入った。

 同じ容姿なのに随分と字が違う、字に性格が出ると言われるのもわかる。

 思わずクスッと微笑んだカサンドラの手の先には、固い布の感触。 


 ブックカバーだ。


 普段図書館で本を借りて読んでいるカサンドラのことを良く見ていたということだ。

 彼女達が選んでくれた贈り物に驚き、手に取って矯めつ眇めつじっくり眺める。


 ブックカバーは布で覆われているが、その布には刺繍で模様が描かれている。

 四葉のクローバーを散りばめた可愛い模様はリナの手によるものだろう。


 そして――ブックカバーの内側には栞を挟むポケットが取り付けられていたが、そこには一枚挟まっている。

 本物の四葉のクローバー、それを押し花にして綺麗に整えてくれている。


 大小二枚の綺麗な形の四葉のクローバーの栞はとても可愛らしいものだ。




 ――『幸運』の四葉のクローバー、か。




 これを公園や原っぱで探したのはリタだろうか。

 厚紙に布を貼って体裁を整えたのはリゼだろうか。

 押し花を作ったのは?

 思いついたのは誰だろうかなど三人の顔をかわるがわる思い浮かべ、知らず笑みが零れる。





 王子からもらった腕時計と、三つ子からもらったブックカバーを机の上に並べて置いた。







 これ以上ないと思っていた最高の誕生日だとお城にいた時もしみじみ感じ入っていたものだ。

 だがまさかここで『最高』のハードルがもっともっと高くなるなんて思わなかった。







 今の自分は、この国一番の果報者なんじゃないだろうか。


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