第168話 誕生日 (4)


 宮殿の敷地内には、女神ヴァーディアの信仰の総本山とでも呼べる一際大きな聖堂が建立されている。


 この世界全てとまではカサンドラも不見識で断言できないが、少なくとも西大陸においては創造神女神ヴァーディアが信仰の対象とされている。


 ヴァーディア信仰において、聖女アンナ教団が最も信者の多い教団だが、アンナ以前に当然いくつもの大きな教団があった。

 魔道の祖を崇めるサンダース教団だったり、女神ヴァーディアの”別の姿”と言われる聖獣を崇めるユニコーン教団だったり。

 他にも地方や国ごとに信仰の対象が変わっていたけれど。実際に悪魔を打ち倒し大陸に安寧を齎した聖アンナの存在はあまりにも大きく、一躍国教扱いとなったのも無理はない。

 何せ聖女だ。女神の力を使える人間である。

 ヴァーディアの現身うつしみと呼べる人間が降臨したとなれば、そのまま生き神様として信仰の対象になったことは想像に難くない。


 女神ヴァーディアがもし人間の価値観を持っていたら、何で自分を信仰するのにこんなに派閥があるの……?

 と首を傾げるかもしれない。


 一神教のはずなのに、具体的な信仰の対象や教義を異にする。

 神様へのアプローチ方法がそれぞれ違い「うちが正しい」「お前のやり方は間違っている」などと互いに相争うこともあるのだ。


 宗教戦争が起こった時代も存在した。

 だが現状聖アンナ教が国教扱いで君臨している今、逆に宗教上の安定状態を保っているというのが皮肉である。

 信仰も自由過ぎれば対立も起こりやすいとはいえ、元は一神教のこの世界でさえこの有様。他大陸が多神教だったら祀る神が違えば戦争も辞さない国もあるだろうな、とも思った。

 神の存在が魔法やら聖女やらという目に見える形で存在しているのだから、信仰心の篤さは計り知れないものがある。


 ……というのは、勿論ゲームの中では聞いたことが無い情報である。

 そもそも乙女ゲームを楽しむのに、宗教やら教団やら細かい話は枝葉末節、”どうでもいい”。

 直接必要のない講釈を長々と聴かされるくらいなら、もっと個別イベントや甘い台詞の一つでも増やして欲しいと不満に思う。

 世界観の説明を聞くために乙女ゲームをプレイする層狙いなどニッチが過ぎる。


 ただただ、この世界が滞りなく存在するためにそういう風に理屈をつけて再現しているのですね、と感心するばかりだ。

 原作設定の間隙を埋める解釈の一つ、それがこんな大掛かりな事に……



 ともあれ、そのような多くの教団を束ねる女神ヴァーディア教のおひざ元。

 あらんかぎりの権威と財力と技術を惜しみなく使って建てられた聖堂が、今カサンドラの目の前に威容たる存在として出迎えているのである。


 混じりけの無い真っ白な壁で囲まれた聖堂は大変美しく、荘厳たる雰囲気を感じさせる。

 街の教会などとは全く規模の違う造りだ。

 内観は祈りを捧げるための長椅子が並ぶものであるけれども、外部施設として丸い泉に囲まれるように祭壇が設置されている祭祀場が確認できる。

 泉を中心に清廉な空気が張りつめ、ただの形だけの場所でないことが良く分かった。


 祭祀が執り行われる予定地ということで、鎧姿の騎士達の多くが広い聖堂内に散会して打ち合わせなどを行っているようだ。

 団に在籍している騎士全員が集められているのではないか。

 想像以上の人数が聖堂の内外に散らばっていた。


 成程、これだけの人手や手順確認が必要なら、王子の遊びのために数人騎士を貸してくれと軽々しく言えたものではないなと頷いてしまう。


「………」


 ふと泉の方から聞き慣れたジェイクの声が聞こえ、視線を向ける。


 彼は別の壮年騎士とともに一枚の大きな図面を眺め、他の騎士達に一人一人細かい位置取りなどの指示を出していた。

 置物やら神具やらの調整のため、良く透る大きな声が静かな泉の水面を震わせるジェイクは聖堂入り口近くにいるカサンドラの姿など気づきもしていないようだ。

 人の出入りも多く、逐一気にしてもしょうがないという精神かもしれない。


 聖堂前門では衛兵ではなく、騎士の紋章を掲げた数名の騎士が相互いに人の出入りを厳しく見張っている。

 もしも王子と一緒でなければ、カサンドラがここに近づいただけで取り押さえられていたに違いない。


 すれ違う騎士達に会釈をしながら、カサンドラは聖堂内に足を踏み入れたのだ。


 内部にいるのは長い布を肩に掛けた聖職者と思わしき人影ばかりだったが、皆こちらを眺めては「ああ」と無関心そうに視線を逸らされる。

 聖堂の中に入っても良いという許可はあるが、決して快く迎えられているわけではない。


 ただ、もともと聖職者なんて気難しい人ばかりというイメージなので、愛想よく迎えろなんて不毛なことは思いもしない。

 むしろフレンドリーに神の教えをどうたら、といきなり説法される方が困る。




 ――聖堂内の中心位置に立ったカサンドラは、王子がわざわざこの聖堂まで案内してくれた理由を知った。


「……なんて美しいステンドグラスでしょう」 


 呆然と立ち尽くしてしまう程、聖堂正面のステンドグラスの模様は見たことがない程に壮麗だった。

 ステンドグラスと言えば、原色のガラス。それを切り取ってはめ込み、光を通すと色づいて綺麗だという印象しかなかった。

 大きな街の教会に入れば、不均一な大きさのガラスが填まったステンドグラスを眺めることは簡単なことである。


 だが聖堂上部にあるステンドグラスは神々しいの一言だ。


 ――これが「薔薇窓」だと王子が教えてくれた。


 最初は同心円状に描かれた幾何学模様かと目を凝らしたが、真っ直ぐに見据えたステンドグラスは確かに無数の薔薇の花びらを表現しているもののように見える。

 あまりにも精密な文様の細工に絶句した。


 カサンドラが立っている礼拝所中心から聖堂入り口を振り仰いだ先の、大きな”薔薇窓”。

 円形の『光』が、そのステンドグラスを透し綺麗に色づかせる。


 神秘的で、日常の中に落とし込まれることないだろうなと思える光景に背筋がぞわっと震えた。


 こんなステンドグラス、この世に二つと同じものはないのではないか。

 宗教画というものがあるが、これもまた一つの宗教による芸術建築だなぁと、つい手を合わせて拝みたくなった。


 一頻り、掌を上に向けてステンドグラスから降りる光を掬おうとしたり、礼拝所の壁に掛けられたタペストリーの文様に感嘆したり、奥に佇む――全て水晶で造られたヴァーディア像に目を瞠ったり。

 透き通った女神像には花の冠と白いローブが掛けられており、何とも不思議な光景だった。


 常に祈りのポーズで慈愛深く人間を見下ろす女神像。

 だが水晶で出来たこの像は、どんな表情をしているのかも透明過ぎて良くわからない。




 ふわふわとした浮遊感、神秘性に当てられすぎたせいか若干心が高揚している。

 敬虔な信徒とは程遠いカサンドラであっても、聖堂に纏う女神の存在感は格別のもののようだ。

 女神が……実際にこの世界を造った張本人だとすれば、彼女を祀る最大の施設がこれほど強烈な神気を帯びているのも理解できる。

 それくらいの影響力があってこその女神、か。


 内部の探索を終え、泉の方は流石に騎士達の邪魔になるだろうと聖堂外観をぐるりと外から回ってみることにした。

 建物自体が大きく、裏に回るまで随分歩く必要がある。




「………あら? 王子、あちらは何でしょう」


 聖堂の裏手には芝が広がっていた。

 だが一か所、厳重に立ち入らないように柵で囲いがしてある場所を見つけて立ち止まる。


 地面に向かって扉が設置されているように見えるが……?


「ああ、あれは地下室だよ」


 近寄らないようにね、と。

 彼は苦笑を浮かべたまま、カサンドラの好奇心を摘む。


「あの地下に神具がおさめられている。

 聖職者でも偉い人でなければ出入り出来ない厳重な結界つきだ、君や私が触れたら落雷という形で天罰が下るよ」


 ひぇっ、とカサンドラは一歩前に出ようと上げた足を元の位置に引っ込めた。

 魔法の仕掛けなのだろうか、聖職者は魔道に精通している者ばかりだから落雷トラップくらいはお手の物らしい。

 無知な人間が好奇心に駆られて近づこうものなら……


 凄惨な光景がイメージされ、口元を覆った。



「さぁ、行こうか。

 この裏を進めば、神泉を見下ろせる高台がある。

 シリウスかジェイクがこちらに気づくかもしれないね」


 別に彼らに会いたいわけではない。

 だが笑顔で言われては頷く他なく、王子について先を進もうとするが――……




    嫌な気配がした。




「カサンドラ嬢?」



 身体全体が金縛りに遭ったように動かない。

 脂汗が浮かび、胃がキリキリと痛む。捩じ切れそうだ。


 

 ……地下室?



 地下への扉の前を通った瞬間、思考が真っ黒な闇に塗りつぶされた。

 自分が自分ではなくなるような怖気。


 過ごしやすい気候にも拘わらず、全身が冷たい。


  

 嫌だ、『ここ』は嫌だ。

 近寄りたくない、吐き気がする。


 こめかみの辺りがガンガンと石で殴られでもしているかのように暴力的な痛みを訴え……



「大丈夫だろうか? カサンドラ嬢?」


 肩を叩かれ、ようやく目の前の闇が晴れる。


「も、申し訳ありません。

 少々立ち眩みが……」


 そうとしか説明出来ない。

 カサンドラは冷えた額を掌で押さえ、何とか平生通りに振る舞おうとする。

 だがきっと自分の顔は蒼く染まっていたはずだ。

 血の気がザッと引いた直後だから。


「ごめん、どうやら君を長く連れまわし過ぎたようだ。

 聖堂内で少し休んで行こう」


「……お気遣い感謝します」


 別に身体を怪我したわけでも、疲れているわけでもない。

 だが急な体の変化に自分でも戸惑い、一刻も早くこの場所から出たいと頷いてしまったのだ。


 こんなことは初めてだ。

 説明できない、得体の知れない恐怖に身体が動かなくなるなんて。


 動かせるようになった足をそろりそろりと動かし、カサンドラは元来た道を引き返そうと踵を返す。

 折角の王子の厚意を無にしてしまったようで決まりが悪く、申し訳なくて項垂れてしまう。


 そんなカサンドラの右手を、誰かの手が掴んだ。

 誰かも何も、この場には自分と王子しかいないのだ。

 王子以外の手であった方がホラーな状態。


 でも、冷えた指の先が予期せぬ人の温もりに覆われて一瞬訳が分からなかった。


「歩けるだろうか?」


 気が咎めるような表情で、王子がいつの間にかカサンドラの手を掴んでいた。

 そのまま先導されるように軽く身体を引っ張られ、悲鳴を押し殺す。


 危うく「ぎゃあ」だの「ぎゃっ」だの、凡そ令嬢らしくない奇声で王子を驚かせてしまうところである。


 幸い足元は縺れずに彼の後についていける。足が地に張り付いて動けなかったら顔から地面に倒れ込んでいたかもしれない。

 硬直から解放され、彼に引かれて聖堂の壁周りを再び戻ることになる。


 手を引っ張られるまま、彼の横顔をチラっと見上げた。

 彼は真面目な顔で、真剣にカサンドラの体調を心配してくれていることが分かって、疲れていたわけでもないのに本当にどうしたことかと王子への申し訳なさが募る一方だ。


 だが――

 まるで氷に触れた直後のように冷たくなっていた指が、掌が逆に熱を持ったように熱い。

 蒼くなったり赤くなったり、本当に今日は忙しい。


「…………。」


「…………。」



 二人とも黙す。

 無言で歩き続け、ようやく聖堂の入り口近くまで引き返すことが出来た。

 すると予告なく手がスッと離されて、物凄い喪失感に襲われる。


 手を握り合っていたわけではなく、彼に引っ張られていただけだ。

 だから彼がその手を離せば、カサンドラの手は抵抗なくだらんと下に降りるだけ。




「よう、カサンドラ」


 そんな自分に場違いな程明るい口調で声を掛けて来た声の主はジェイクであった。

 彼の傍には黒いローブを纏ったシリウスも立っていたが、彼はこちらを一瞥しただけですぐに逸らす。

 追い返しはしないが歓迎もない、その他聖職者と同じ態度。

 まぁ、それは普段の学園内での彼のスタンスと替わりはしないのだろうが。


 シリウスはこちらに背を向け、王子に話しかけ始めたではないか。

 ……通常運転過ぎる。


「どうだ、楽しめてるか?」


 シリウスとは逆にジェイクは割と友好的だ。

 まぁ、この王宮案内自体が彼の発案である。自分が勧めたことだから、彼なりに気に留めてくれていたのか。


 だとすればかなり有り難いことかも知れないが……!


「ええ、お陰様で」


 釈然とせず、無機質な返答となる。


「ジェイク、カサンドラ嬢の体調が良くないそうだ。

 聖堂内の椅子で休ませてあげて欲しい」


 王子の声に促され、騎士の鎧を纏った赤髪の青年は――じろじろと遠慮なくカサンドラの様子を確認。


「……そうなのか?」


 だがこちらの様子がピンピンしていることを不思議に思ったのだろう、「どこが?」と眉を顰めて腕を組んだ。


「体調は大丈夫です、先ほど一瞬だけ眩暈に襲われただけで」


「眩暈かー。

 ま、休んで行けよ。無理して倒れたら強制送還になるぞ」


 聖堂内まで後数メートルの距離とは言え、折角ここまで王子に手を引いてもらえたというのに……!

 彼らが現れたせいで王子の注意が逸れ、手を離されてしまったのだとしたら大変口惜しい。


 お互い真顔、難しい表情で話を詰めている王子とシリウス。

 彼らの横を通り、今度はジェイクに再び聖堂内へと連れて行ってもらう羽目になる。


 聖堂内にカサンドラ一人で入って座り込む勇気はない。

 渋々ながらジェイクの案内に従って、一番近い長椅子に腰を下ろし足を休ませることにした。



「なんだよ、その顔?」



 付き添いありがとうと言いながらも、完全に刺々しい態度で表情も剣呑としていたかも知れない。

 こちらを見下ろすジェイクが、ぎょっとするのも無理はない。



「いいえ、別に」




 彼らが聖堂前に佇んでいなければ!

 もう少し手を繋げていたかも知れないのに!



 完全に邪魔をされた形になったのだ。

 王宮案内を提案してくれた恩ある相手とは言え、間が悪いにもほどがある。



 モヤモヤ、モヤモヤ。胸がざわつく。



 彼らが悪いわけではない。

 あんなところで立ち眩み、王子の手を煩わせてしまった自分が一番悪いのだ。

 この恨みは逆恨みもいいところだ、と口を横に引き結んで愚痴を堪えた。




 はぁ、と沈鬱な吐息を落として王子の手の感触を名残惜しんでいると。




「お前さ。――もう少し体力つけたらどうなんだ。

 ヘバるの早すぎるだろ、まだ昼前だぞ?」




 ジェイクによる更なるアドバイスを受けて撃沈した。




 無表情のまま「検討します」と頷き、心の中で苦虫を噛み潰す。




 基本、カサンドラと彼ら攻略対象達との『間』は、大変悪いものなのだ。

 絶望的な相性の悪さをまざまざと実感し、カサンドラの笑顔は一層引きつった。


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