第167話 誕生日 (3)


 庭園を一通り見て楽しんだ後、今度は屋内施設である絵画の間に向かうことになった。

 歴代の国王陛下の肖像画のみならず、高名な絵師によって描かれた美術的価値の高い絵画が数多く飾られた贅沢な部屋なのだと王子は言う。

 絵だけではなく彫刻やら焼き物なども展示されているというのだから、実は宝物庫なのでは? と驚いた。


 だが王家代々受け継がれる宝物は、厳重に警備された地上地下二階分を使い厳重に収められているのだとか。

 年に一度王様が訪れ不備や欠けたものがないかの確認が行われる。

 目録に目を通して確認するだけでも一日が悠に潰れてしまう量だというから、カサンドラには想像もつかなかった。

 各地方ごとに問題が山積しているとはいえ、クローレスは西大陸の覇権をおさめた大国、裕福なものだ。


 王子と話をするのはかなり緊張を強いられる。


 一度口に出してしまった言葉は、取り消すことのできないものだ。

 もしも言ってはいけないことをウッカリ口にしてしまったら――という緊張感が常にカサンドラの胸中に渦巻いていると言っても良い。


 セーブとロードの出来ない会話のやりとりは当たり前のはずなのに、もしもミスったらそこでフラグが折れてしまうのではないかと言うゲーム脳のせいだ。

 たった一度の会話の選択ミスで破局、今後絶対に恋愛関係になれないなど本来あるはずのないこと。


 だが、ここはそういう常識に則った世界ではない。

 主人公達だってもしも選択肢を誤ったり必須イベントを取り逃したりしてしまえば攻略対象と結ばれることはない、そんな過酷な世界でもある。

 ……ゲームとは違って、挽回が可能であれば良いとは思う。

 そうであれば嬉しいなとは思うが、実験など怖くてできない。

 少なくともそういうところだけゲームとは無関係だ、なんて都合の良い世界ではないと思う。

 取り返しのつかないことにおいて、『適当でも大丈夫』なんて無警戒に行動できるほどカサンドラはめでたい人間ではない。



「昨日の役員会のことだけど、収穫祭で役員が動く内容は把握できただろうか。

 私は去年見学に来たから流れは一通り知っているけれど、カサンドラ嬢は初めて参加する行事だろうから」


 身構えているカサンドラとは対照的に、案外王子は自由に話を続ける。

 話題も豊富で、クラス間の人間関係のことはおろか他学年の事情にも精通している。

 幸いな事にカサンドラにも同調できる話題が多く、「話すことがあるのだろうか」という心配は全く必要なさそうだ。


 普段彼は多くの生徒の話を静かに頷きながら聞いていることが多いのだが、そうやって収集した情報を自分なりに整理しアウトプットすることも自然にこなす。

 聞き上手でもあり、会話する相手を飽きさせないだけの話題も提供できるなど対人関係において無敵過ぎる。


 ついつい自分のことばかり話してしまいがちだったり、相手の話を遮って我が我がと主張するような人間も多い中見習わなければいけない部分だと思う。


 収穫祭のイベントについて簡単に意見交換を重ねる傍ら、カサンドラはふと気になって右隣を歩く王子に話しかける。

 

「収穫祭と言えば食事会というお話は聞き及んでおります。

 ところで、王子は好き嫌いがおありですか?

 その、もしも苦手な食材などがあれば……」


「好き嫌い――それは苦手な食材や調理法を指しているということで良いかな。

 今までどうしても食べられないという料理はなかったから、その質問は『ない』と答えるよ」


 再確認するまでもなく、彼は王子様である。ゆえに新鮮で美味しい食材を最高の料理人達が素晴らしい手腕で以て調理する。

 口に入る料理は全て美味しいもので、あらゆる食材を受け入れることが出来ているわけだ。

 それはとても羨ましい、意外と最初に食べた食材の調理法が自分に合わなくて、それ以降食べ物ごと駄目になるというパターンも多いだろうに。


「それは良い事ですね」


 言われてみれば昼食の時間、彼が食事を残したところなど見たことが無い。

 シリウスは濃すぎる味付けが舌に合わないと時折残すことがあったし、ラルフは大量の肉が駄目ということで、思いっきり分厚いステーキなどのメニューの時に残したことがあったと思う。

 ジェイクは逆にデザート系が一切駄目で、最後の最後で物凄い仏頂面で格闘しているという。そんな光景がほぼ毎日である。

 ああ、でも残さないのは偉いのか。果実系も苦手なのにタルトとかケーキとか嫌がらせか、と呻っているが残しはしないな、うん。


 カサンドラも何を隠そう、キノコ系が苦手だ。

 食感はまだギリギリ許容できるが、どうにも噛んだ時に口内に広がるえぐみが許せない。

 煮込めば煮込む程他の食材に灰汁が沁み込むようで苦手だ。


 食事の際に出た時には、嫌いだと気づかれないよう必死に他の食材で隠すようにして呑み込むという令嬢らしからぬ行動に及んでいる。

 ……この間のキノコ丸ごとバター焼きの時には意識が遠くなりかけたが、何とか細かく細かく刻んで事なきを得た。


「カサンドラ嬢はキノコが苦手そうだけど収穫祭は大丈夫だろうか。

 大体、どの料理にもキノコ類が混じっていた覚えがあるけれど」


「………!?」


 二重の意味でカサンドラは息を呑んで立ち尽くす。


「何故……」


「目の前であれだけナイフで刻んでいたら、誰でも気づくと思うよ」


 やはり固定メンバーで席を共にして食事を続けていると、カサンドラが皆の好き嫌いに気づいたように彼らにも知られてしまうという事か。

 王子のように好き嫌いなく何でも許容できるわけではないので、食べ物関連で揶揄するのは絶対やめようと思った。


 まぁ、カサンドラは彼らの食事風景を具に観察していて気づいたわけではない。

 ゲーム内の設定でそうだったな、と思い出して視線を遣ったらこの世界でも反映されていた――という確認をしただけなのだが。


「何とか、我慢します……」


 収穫祭は食事会だから気が楽だと思っていたが、王子の言う通り秋の味覚と言えばキノコじゃないか。

 秋の味覚をこれでもかとばかりに詰め込むだろう数々の食事に、彼らが群れをなして鎮座しているとなれば……

 ガックリと気が滅入る。



 長い回廊の突き当り、たどり着いた部屋の前で王子は立ち止まる。

 あからさまに存在感を誇示する双開きの扉の左右に、見張りの衛兵が二人直立不動で槍を握って立っていた。


「入室したいが、問題ないだろうか」


「はっ、畏まりました!」


 二人は互いに自分側の扉の取っ手を掴み、重々しい扉をゆっくりと開いていく。

 ギギギ、と重厚な扉特有の効果音とともに目の前に広がった室内の様子は、確かに圧巻であった。



 王子に促され、入室する。

 広い絵画の間の天井は高く、二階相当の高さがあると思われた。

 二階に位置するだろう真正面の壁に、規格外の大きさの肖像画が飾られているのがまず目に飛び込んでくる。

 その肖像画を近くで見上げることが出来るようにか、奥には段が設置され広いバルコニーに立つ事も出来る。


 一瞬、肖像画の人物は王子かと空目したが少し顔立ちが違う。

 絵師の癖でもなんでもなく、大きな大きな肖像画に描かれているのは現在の国王陛下であった。

 恐らく戴冠式に初めて王冠を戴いた日の姿を描いているのだろう、とにかく若々しい。

 王子より勇猛そうで自信に溢れた、獅子のような雰囲気が絵画上からでも伝わってくる。


 手には真っ赤なルビーのはめ込まれた杖を握り、毛皮の外套を肩に掛ける若き日の王様。


 ――国王の肖像画は大きい。

 だが、一枚では左右に余白が多く余って見える。高さは丁度いいのに、左右だけやたらと空白の無機質な壁が目立った。

 バランスが悪いのではないかと首を捻ったのだが。


 ……今は陛下の肖像画が一枚中央にドンと掲げられているけれど、もしかして本来二枚並べて飾るものなのでは?

 陛下の隣に、もう一枚同じ大きさの肖像画が掛かっていたのではないだろうか。

 今の肖像画を少し横にずらし、二枚並べるとイメージしたら収まりも良く見栄えもばっちりだろう。


 この絵画の間で来客を出迎えるのは国王陛下ただ一人。

 心がざわめく。


 ただ、こんなにも大きいのに精巧で写実的な絵もあまりお目にかかる機会もない。

 国一番の絵師と認められた王宮画家が長い月日をかけて完成させたのだろう肖像画の迫力に圧倒されつつ、視線を真横にも滑らせた。

 オレンジ色の絨毯の上を歩くと、毛の足が長く靴の先が埋もれて少々歩きづらい。


 壁に、そして支柱に掛けられた多くの絵画を興味深くカサンドラは眺めていった。

 宮殿の遠景を写した絵画も溜息が出る程美しかったし、儀式や祭典の様を描いた宗教画も多く飾られている。


 一枚一枚丹念に見つめながら、部屋の奥へと進んでいくと。



「………これは……!」



 カサンドラは今まで見たくて見たくてしょうがなかった、その一枚を見つけてしまった。


「王子! これは、王子ですか!?」


 つい興奮気味に確認を求めてしまうのはしょうがない。

 何せ、金縁の額内に飾られた人物は、どう見ても王子の幼い頃を描いたとしか思えない絵だったからだ。


「……そうだね、あまりこの辺りのスペースには立ち寄って欲しくなかったよ」


 そう言って彼は恥ずかしさを誤魔化すように、苦笑する。

 右奥の壁際に飾られた多くの絵画は、芸術的な意味を持ったものというよりは、王族の日常風景を描いたほのぼのとした雰囲気に満たされていた。


 十歳か、もう少し幼いだろう年頃の少年の肖像画だ。

 表情は若干固く、真面目なものであったがこれは王子の姿に違いない。何かの式典で盛装を着た姿を正確に描いたもの。

 カサンドラの想像上の彼の過去の姿とぴったり重なる様相に、思わず手を打ち周辺の絵をぐるりを見渡した。


 そこには各年代ごとに乗馬をする王子の姿や、小川の前で釣り糸を垂らして座る王子の姿、その上どこかの庭園で転寝をする姿などがフォーカスされている。

 王宮絵師の素晴らしく精密な記憶を基に再現されて描かれていたのだ。


 一枚くらい譲ってもらえないだろうかと本気で考えてしまうコレクションの数々に、顔も名も知らぬ王宮絵師に称賛の声を届けたくてたまらない。



 そんな中に、一枚だけ。


「…………。」


 口を噤み、動揺が走る絵画を発見してしまった。


 それは王子がメインの会がではあるものの、傍には一人の女性の姿が描かれている。

 この女性ひとが王子の亡くなったお母さんなのだと一目でわかる、絵師の筆越しに伝わってくる優しい表情に心臓に杭を打たれたような気持ちになった。


 女性と王子が向かい合って話をしている場所は、恐らく薔薇園だ。

 背景に色とりどりの薔薇が描かれているし、ご丁寧に絵画の四辺に薔薇の蔦を描いて囲っている。


 亡き王妃が薔薇園改装を指示し、造り直したと王子が言っていたから間違いないだろう。

 他の絵をざっと目で確認しても他の絵画に王妃の姿は出てこない。


 何か所か、正面の肖像画で抱いた違和感のように不自然な余白がある。

 そこにかつて王妃の姿が飾られていたのではないかと思うが……


「陛下が母上の姿を描いたもの――肖像画以外の全ての絵画を自室に持ち込まれてしまったからね。

 この絵だけは、と嘆願して残して頂いた一枚だ」


 そうか、と頷く。

 王妃たる銀髪の女性に会うことは二度と出来ることではないが、絵の中では間違いなく存在し続けている。

 この世界に写真が無い事を幾度も悔やんだが、今ほどそういう技術があればと嘆息をつきたくなる機会もないだろう。


 他人の絵筆を利用して残された母の姿、それもたった一枚しか目の届くところに残されていないのだ。

 写真と言う手法があれば、きっとアルバムの二冊や三冊見返すことも出来ただろうに。


「あら、こちらは……」


 そして視線を更に奥の方に向けると、そこには数人の子供たちの絵が飾ってあった。


「可愛らしいですね」


 ふふ、と目を細めたのはそこにいる幼児姿の少年たちに見覚えと言うか面影が見え隠れしているからだ。


 もはや園児サイズの王子の可愛い事と言ったら、天使か何かかと万物の奇跡と神々に感謝するレベルの破壊力を持っている。

 それに加えて、眼鏡をかけていない笑顔の幼いシリウスの姿。髪が短いラルフの幼い姿も一緒に描かれているからだ。


 当然ジェイクもいるのだろうなぁとその絵画を探したが、おや、と首を捻る。


「この方は……」


 彼がおらず、替わりにその場にいたのは銀と言うよりは灰色の髪の少年だ。

 同じくらいの年頃に見える、可愛い少年ではあるのだが。

 目の色は少々見づらいが、オレンジ色のようだ。


 ……とすればこの子が彼の腹違いの弟、グリムの小さい頃の姿か……

 うーん面差しが似ているような、そうでないような。


「ああ、彼も小さい頃良く遊んでいたのだけどね。

 ――今はもう簡単に会えなくなってしまった」


「そうなのですね」


 危ない、危ない。


 カサンドラは彼の存在など、本来知っているはずもない情報だ。

 ここで話題に深入りして、不審感を抱かれるという墓穴を掘ってしまうなど愚か過ぎる。

 それに彼の話は直接王子には関係のないことで、あるとしたら間違いなくリゼの話になるはずだ。


 他のキャラルートだと存在さえ出てこない人物である。






 絵師、芸術家という人はやはり情感が豊かなのだろう。

 ただ写実的に記憶した光景を描き出すのではなく、その時の雰囲気や表情を絵師目線の心を込めて映し出しているかのようだ。

 

 こちらの視覚にぐっと訴えてくる絵画ばかり。



 ただ、この場所にいるのは何だか切ない。

 そして心がザワザワと落ち着かないのだ。





「そろそろ次の場所に行こうか。

 聖堂に寄ってみよう」


「明日の豊穣祈念祀の準備で使われているのでは?」


「彼らの邪魔は出来ないけれど、離れたところから見学するのは構わないと許可はもらってあるから大丈夫。

 折角西宮まで足を伸ばしたのだから」


 どうやら絵画の間と聖堂自体が距離的に結構近くにあるらしい。

 そうと言われればどんなことをしているのか興味もある、カサンドラは「ありがとうございます」と頭を下げた。



 一つ一つ場所を移る度、王子と一緒にいる時間もカウントダウンのように減っていく。



 案内してもらえて嬉しいのに、同時に物悲しくもあった。 



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