第166話 誕生日 (2)


 カサンドラは不思議に思う。

 何故国王陛下に好意的に接してもらえているのか、正直に言えばよくわからないからだ。


 夏休みに避暑地のラズエナで国王陛下に呼び出された時は何事かと思ったものだが、概ねカサンドラに対してはポジティブな印象を抱いているように見えた。

 国王陛下の目の前でボロを出していない以上、王子の婚約者としてしっかりと認められていると捉えていい……のかなぁ、と首を捻る。


 御三家嫡男たちに嫌われるのも、国王陛下からダメ出しを受けるのも大変困るので現状はカサンドラの思惑通りに進んでいる。

 だがジェイク達と違って、会話をしたこともないのに一方的に『き』と笑顔で迎え入れられるのも居心地が悪い。


 ただ、国王陛下は元々人当たりの良い性状の人格者だと聞いたことがある。

 案外カサンドラだけではなく誰に対しても似た対応をとっているのかも知れないなと納得した。


 厳めしい面構えというわけでもなく、国民からの人気も高い国王様だ。

 そういう心根もまた、民衆の支持を得ているに違いない。


 それにシリウスも言っていたが、亡き王妃を一途に想い未だに誰も娶ることない頑なさは、やれ第二夫人だ愛妾だ愛人だのと耳障りな噂の蔓延する社交界では貴重なものだ。


 よくよく考えれば、もしもあの後後添えとして誰かを娶ったとして、その後王子が生まれていたら――

 王家としては後継者が増え万が一の保険が出来て万々歳かも知れないけれど。

 王城内でのギスギス案件が増え、王子の心労、プレッシャーももしかしたら今以上だったのではないだろうか。


 何度も新しい妃をという進言を断って今に至るのは、案外――

 王子に対する愛情と言うか、思いやりの形なのかも知れない。


 王統と言う目に見えないものよりも唯一の王子としての王子の立場を守りたかった、とか。


 ただの想像に過ぎないが、そう思えば国王陛下も親子や妻相手でさえ王と臣下として接しなければいけない、孤独な職業だなぁと思う。


 謁見の間と呼ばれる奥行が半端ではなく長い部屋に通され、玉座に座る国王陛下にお辞儀カーテシーで挨拶を一通り。

 初対面ではないけれど、やはり野外で寛ぎ休憩の真っ最中だった解放感のある場所とは違い、周囲に仰々しい従者を数多並ぶ中では少々緊張してしまう。


 玉座の後ろを飾るのは黄金で縁取られた、曇り一つない大きな鏡。

 数段上に座り、煌めく王冠を被って重々しい衣装を纏った国王陛下がカサンドラと王子を見下ろしている。


 先に王子が、そしてカサンドラが続けて王への挨拶を終え、誰の身じろぎさえもないような静寂が広い謁見の部屋内に満たされた。


 おもてを上げることを許された二人は、曲げた背中の角度を示し合わせたかのように同じタイミングでまっすぐに直す。

 己の臍の辺りに手を添え、社交用に磨き上げられた微笑みを浮かべて見せた。

 元々顔立ちがキツいので、口角の上げ具合一つとっても相手に逆にネガティブなイメージを与えかねないのが辛いところだ。

 

 すると王は大きく頷き、口元をほころばせた。

 雰囲気は王子とは似ていないような気がするが、外見は王子を彷彿とさせる美しい顔立ちの国王だ。

 その親し気な表情にはドキッとする、二十年後の王子の姿とも言えるのだろうか。

 美形は歳を重ねても美しいものだと感心する。


「誕生日とはめでたい事よ。

 貴重な一日を使って宮殿内の見学を申し出るなど、また勉強熱心であるなぁ。

 ……ふむ、クローレスの王家から侯爵に贈り物が届いているはず、カサンドラ嬢もまた、直接確認するが良かろう」


かたじけなく存じます」


「それでは陛下、これから私はカサンドラ嬢の案内に移ろうかと。

 陛下におかれましては、種々の施設の見学許可を頂き感謝します」


「恙なく先導を全うするように。

 ……ふむ、そういえば……

 昼食の手筈は既に整えてあるのか、王子」


「はい」


「まさかとは思うが、二人分か」


「そうですが?」


 王子はきょとんとした表情で返答する。

 良かった、二人だけで一緒に食事ができるのかと横で聞いていたカサンドラも胸を撫でおろしたが――


「……折角のカサンドラ嬢の誕生日だというのに、そのような物寂しい席などと!」


 何故か王様が驚愕した様子で顔を険しくするので、大変嫌な予感に襲われてしまった。


「おお、今日は祈念祀の前日よ。

 ならば彼らも一緒に呼び、席を囲めばいいではないか?

 幸いカサンドラ嬢とも同級生、知らぬ仲でもあるまい。

 祝う頭数も多い方が楽しかろう。

 今まで誕生日と言えば数え切れぬ知己らに祝ってもらっていたのだろうにな、何と気の利かぬ」



 思わず国王陛下に向かって変な突っ込みを入れそうになり、カサンドラが口の端を吊り上げたまま動きを制止する。



 え?

 何ですって?



 まさかシリウスだのラルフだの、この城にいるだろう奴らも食事に参加させてカサンドラの誕生日を祝わせろと!?


 勘弁願いたい!

 例え国王陛下の勧めとあろうが、断じて嫌だ。

 こればかりは座視するわけにもいかず、カサンドラは大きく息を吸って困惑気味の王子より一歩前に進み出る。



「陛下、お心遣い大変痛み入ります。

 ですがシリウス様方も、決して遊興のために王宮に滞在しているわけではございません。

 私事わたくしごとのためにお声を掛けるなど大変憚られることです。

 また、学園での昼食でも毎日のように同席致しております。格別にというご配慮、お気持ちだけ頂戴したく存じます……!」


 この上わざわざ彼らと一緒に卓を囲みたいなんて僅かたりとも思わない。

 たまたま所用があって王城にいるのかもしれないが、カサンドラのように物見遊山で王宮案内、という状況とは全く違う。

 特に現在機嫌が悪いと王子に言わしめる状態のシリウスに声をかけるなど、もうそれだけでご飯が不味くなるので勘弁してもらえないだろうか。


 むしろ究極の嫌がらせだ。

 カサンドラに精神的ダメージを与える最も効率の良い手段を国王陛下が悪気なく繰り出してくる……!


「では王子と二人でも問題ないと?」


「はい!」


「心寂しく思うのであれば、いつでも余に声を掛けよ。

 なに、食事の時間位の都合はつくように空けてあるのでな、遠慮は要らぬ」




  えっ、もしかして一緒に食事するつもりだったの?

 



 もう一度「お気持ちだけ頂戴します」と、カサンドラは失いかけた表情を必死に動かして返答していた。




 疲れる……。

 国王陛下が何を考えているのか分からず、本当に疲れる……。





 ※



 どうにか国王陛下との目通りも終わり、晴れて自由の身となった。

 だがいきなり精神力をごっそりと削られた気持ちになり、折角傍に王子がいるというのにしばらく気が漫ろになっている。

 表立って反抗できない上の立場の人が突拍子もないことを言い出すと、こんなにもストレスが溜まるものなのか……


「本当に、陛下の言葉にはいつも驚かされるよ」


 謁見の間を出て、広い回廊の分岐を案内してもらいながら歩いていたカサンドラ。

 急に、困ったような顔で頬を掻き自分の様子を伺うように見下ろしてくる王子の声にハッと肩を跳ね上げる。


「こちらこそ、陛下のお心遣いを……

 申し訳ございません」


「私自身、一度くらいは自分の誕生日にゆっくり過ごしたいという想いがあってね。

 勝手にカサンドラ嬢もそうなのではないかと、誰にも声を掛けないことにしたのだけど。……やはり心寂しいものだろうか」


「いえ! もう誕生会がどうのという歳でもないですし!

 大勢に祝っていただいて嬉しい時代もありましたが、王子の仰る通りこのように落ち着いて過ごせる誕生日はとても新鮮で得難い機会です。

 わたくしの無理を聞いて下さり、感謝の言葉もありません」


 あまりにも慌てたあまり、言葉が空回ってしまった。

 カサンドラは王子と二人で過ごせる時間があって凄く嬉しいというのに、陛下が余計な進言をしたせいで、カサンドラが現状に不満を持っているだなんて王子に思われてしまったら大変困る。


 だが、お互いにそこを否定し合ったところで何も生まれないことは分かっている。

 こちらが気を遣っているわけではないと伝わっていればいいのだがと内心生きた心地はしなかったのだけど。



「ああ、もう少しで水の前庭……だね。この庭園の先にアドナの泉水という大きく高い噴水が設置されているんだ。

 夏の暑い日には、ここで涼んでいる者も多い」


 王宮の建物から南の方に出て歩いていると、前方に綺麗に咲き乱れる花畑が広がる。

 それらの花は数個造られた丸い池を囲うようにして咲き誇っていた。湖の上には真緑の蓮の葉が浮かび、清涼感を感じさせる。

 澄んだ池の中に小さな魚影が浮かんでは沈んでいくのが見えた。


 前庭と王子が呼んだ花畑、その中で最も大きな池の上に橋が架かっており、王子に促されて二人分程の幅の橋を数メートル渡る。

 その先に広がる景色、アドナの泉水。


 茶色い石畳を敷き詰めたフロアを刳り貫くように巨大な泉が水を張っている。

 その中央には女神ヴァーディア像が慈愛の表情を讃えながら両腕を交差しているのだが、その女神像は三段の噴水の更に天辺に座していた。

 噴水を覆うように神鳥のオブジェが等間隔に並び、更に何もないただの水しかない場所から定期的に水柱が天に向かって噴き上がる。



 水が噴きあがると、微かに虹が掛かって見える幻想的な光景にカサンドラは思わず手を叩いた。


「まぁ、とっても素敵な庭園ですね……!」


 泉水の周囲には何も無い。だが、緑が植え付けられた広大な敷地内で荘厳な雰囲気を以て水を纏うヴァーディア像には目を惹きつけられる。


「私も幼い頃はここで遊んでいたからね、良い思い出しかない場所だ」


 彼はそう言って蒼い目を細めた。

 子供というのは、とかく水遊びが好きなものである。

 それは何となくわかるし、いくら駆け回っても際限なく広い敷地内、端の方には隠れる場所に事欠かない樹木が植わっている。

 暑い夏日には、ここで涼を取っていたのだろう。


 幼い頃の王子の姿を想像したが、想像だけでも『可愛い』と思ってしまったのでどうしてこの世界には写真という技術が存在しないのかと一人身悶える。

 せめて肖像画でもあれば、とカサンドラはこれから向かうであろう絵画の部屋に一縷の望みをかける。



 懐かしいな、と。

 彼は独りちた。

 もしかしたら、亡くなった弟王子との思い出の場所なのだろうか。


 そう思うと心が痛むがどうにも彼の瞳には喪失感や寂寥感は感じられない。

 良い思い出しかない、という彼の言葉に縋った形だ。


 ただ純粋に回顧しているのではないかと言う己の勘に賭け、カサンドラは――


「この場所で、どなたと一緒に遊ばれたのですか?」


 彼の心の古傷を抉ることになったらどうしようかと内心気が気ではない。

 でも、いつまでもそれを臆していては彼の過去を何一つ知らないまま過ごしていくような気がして、それもまたシコリが残る。

 ――過去を詮索するような人間は厭らしく映るだろうか。



「ああ、ここで良く彼らと遊んだからね」



 ……どうやら幼馴染、要するにこの世界の主人公にとっての三人の攻略対象のことだ。

 もしも気を悪くされたら、という不安は杞憂に終わる。緊張が解けた。


「王子とあの方々はとても仲が宜しいですものね。

 昔からのお付き合いなのですか?」


「物心ついたころからの付き合いだからね。

 ……彼らは私の『側近』になるようにと、最初から皆に決められていた子供たちだ。

 ロンバルドやヴァイル、エルディムの子供は、代々そうやって王家に仕えてきた。


 ……当時はどんな相手がやってくるのか、紹介がある前の晩は全く眠れなかったくらいだ」



 彼はそう言って可笑しそうに笑んだ。

 顔を上げる王子に一陣の風が吹きかかり、髪が揺さぶられるのを押さえるように彼は側頭部を手で押さえる。

 その風の余波で彼の前髪も一瞬上がったが、前髪がないオールバックも似合うのだと分かって得をした気持ちになった。



「どんな子達でも、お互いそれなりに仲良くやっていかないといけない間柄だからね。

 ……彼らにとっても、私と”合わない”なら……」



 側近となるべく、王家に召し上げられるような形で彼らは初対面を迎えた。

 親戚同士の軽い顔合わせとは次元の違う、それぞれの家の今後を占うような大変緊張感のある場面だっただろう。


 三歳だの四歳だの幼い頃と言えば善悪もまだはっきりしていない頃。

 その後共に過ごすとしても喧嘩ばかりで険悪な雰囲気、ということが顕在化すれば――王子の側近は務まらぬと後継ぎ問題に発展する由々しき事態として親族会議が勃発だ。



「幸運だったと思うよ。

 私はどんな意地悪で気の強いお坊ちゃん達に取り囲まれるのだろうかと、そればかり考えていたからね」 



 その気持ちは何となく推察できる。

 絶対仲良くするように望まれた相手が自分の嫌だと思う奴だったら……

 王子の性格上、「嫌だ」とハッキリ言って拒絶しない気がするので不和を抱えたまま過ごすことになったかも知れないわけで。



「それは、あちらも同じだったのではないかと思いますよ」


 彼らの気持ちを想像することは容易く、クスクスと笑ってしまう。


 今後幼馴染兼側近として仕えろと身を差し出された先の相手が、物凄く傲慢で偉そうな王子だったら――




 後継ぎ辞めます、と三人揃って頭を下げて辞退していた気がしなくもない。

 ジェイクらを見ていたら、嫌な相手を嫌々支えるなど立場の保証があっても辞して誰かに譲りそう。


 今の状況が幸運の巡り合わせという事で、四人とも昔から仲良く過ごしていたらしい。

 多分、個性の方向が全く別方面に秀でていたからだろう。


 乙女ゲームの攻略キャラの都合上、出来るだけ個性や得意分野が被らないようにという前提があってのことだが。

 しかもヒーローである以上、主人公が好きになるような優しくて根は良い人という条件もクリアしなければいけない。

 口が悪かろうが皮肉屋だろうが、それを覆せるだけの魅力がなければヒーローなぞ務まらないのだ。


 それらの前提がこの現実の世界で上手く作用し、軋轢なく上手く回っているのだから良く出来た世界だとカサンドラは苦笑する。

 普通の世界だったら、本当に利己的だったり腹黒だったり小狡い嫌な奴が一人はいて掻き乱しそうなものだ。




 別にラルフ達の事を殊更詳しく知りたいわけではない。

 正直、やっぱり嫉妬も覚える。彼らばっかり幼い頃の王子を知っていて狡い、と。





 でも穏やかな表情でそんな過去を思い出す王子を見ていると。


 あの三人とは敵対したくないし、出来れば一定以上の良い関係でいられれば良いのになぁと考えてしまう。




 翻って自分は――そこまで心を許せる何もかも分かった友人なんていないわけで。




 人間関係を身分の上下でしか把握していなかった自分と、友人という立場で関係性を培ってきた王子との生育環境の差も思い知らされる。


 物心ついた時から明らかに徳が違う。


 本当に良く自分が王子の婚約者に選ばれたものだと、微笑みながらも背中に冷や汗が止まらなかった。



 心を入れ替えるのが間に合ったから、こうして王子と一緒に過ごせているのだと信じたい。

 入れ替わったのではなく思い出したのだが、今となっては些末な問題である。

 

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