第163話 <リタ 1/2>
二学期が始まってからというもの、リタは一学期よりも楽しく学園に通うことが出来ている。
長い夏休み、中々ラルフに会う機会もなかったのだ。
何事もない平穏な学園生活さえも、今のリタには薔薇色のエフェクトが掛かって見える程だ。
浮かれていると言っても良い、
毎日教室に入ればそこにラルフの姿がある、それだけで、神様にありがとうとお礼を言いたくもなるというものだ。
一月以上の夏休みでラルフに会ったのは、三回だったか。
その一回一回がリタにとっては印象深く記憶に残るもの。夏休みだからこその特別な出会いだったのかも知れない、本当に濃い三回だ。
街中で彼に話しかけられた時も驚いたし、お茶会も楽しかったし、劇団での出来事など一生忘れられない一日となるだろう。
結局あの後、劇団で裏方としてバイトをしてみないかとシェリーに勧誘されて――ノリでオーケーしてしまったくらいだ。
ラルフと同級生、つまり王立学園の特待生だという立場を明かすと劇団員たちの眼差しが一気に憧憬に変わったのを思い出す。
尤も学力で入ったわけでもない、ただの三つ子だから珍しかったか幸運か偶然で入学しただけだ。そう真実を告げたら皆ドッと笑ってくれた。
どうやらリタの事を気に入ってくれたらしい裏方のリーダー役のオジサンも「体力に自信があるなら是非!」と背中をバシバシ叩いて歓迎してくれる。
確かにリタは万年金欠病に罹患している。
その上で実際に一日演劇の裏方作業に関わって『楽しかった』という達成感に満たされたのだ、リタが全く迷うことなくアルバイトの話に頷いてしまったのはしょうがない。
劇団としても裏方の手伝いが増えるのは大変助かるものだと語ってくれた。
身元のハッキリした学園の生徒のリタをとりあえず勧誘してみよう、と言うくらいには切羽詰まっている。
トントン拍子と言う他ない状態でリタのバイト先が決定してしまった。
実際に働き始めるのは二学期最初の日曜にしようと話もまとまり、早速先週末公演の手伝いに駆り出されていたわけだ。
二学期の間はこの劇ともう一つ去年まで続けていた劇を再演するそうだ。
残念な事に、シャルローグ劇団のメインスタッフは王都で四か月ほど公演を行った後に王国の地方に巡業に向かうのだそうだ。半年以上、王都に帰ってこない予定だという。
流石に学生の身、巡業に帯同するわけにもいかないので端的に言えば二学期のみの短期バイトである。
それが逆に気軽に請け負う理由にもなった。
体力と腕力には自信がある、それは団員達もその日一日で理解してくれたようでバイト初日も気負うことなく裏方作業に溶け込めていた――はずだ。
少なくともリタは楽しかったし、劇を演じる役者の姿の過酷さに驚いたり、舞台上で光を当てられて輝く彼女達の存在感に圧倒されたりと良い経験が出来た。
――人生と言うのはどんな偶然で縁が結ばれるのか分からないものね。
ようやく杖の扱いに慣れてきたシェリーの言葉に頷いたことも記憶に新しい。
そのように公私ともに充実している状況のリタであるが、当然毎日二十四時間全て幸せな時間というわけではない。
あまり歓迎したくない二時間――午後の選択講義の時は話が別だ。
座学は眠たくなるのを懸命に堪えるので精いっぱいだし、これから向かう社交ダンスも気が向かない事甚だしい。
リタは身体を動かすことは得意のはずだが、どうにも社交ダンスだけはいつまで経っても慣れずに苦手だ。
カサンドラの家で講師に教えてもらう時にはすんなり思うように動けて講師に褒められても、講義の中では失敗ばかりだった。
一学期と言う長い期間を経て、原因が何となく分かってきた。
社交ダンスの講座は、普段全く親交のない見も知らない男子生徒と練習することになるからだ。
貴族の間では挨拶程度のやりとりが、どうにも庶民のリタには馴染まない。
手を繋ぐのは未だに緊張しっぱなしだし、相手の動きを念頭に置きながら身体を動かすのは苦痛でさえあった。
もしも全く互いに接触することない状態で手を浮かせたまま踊れと言われたら完璧な踊りを披露できる自信があるというのに……!
リゼも以前漏らしていたが、貴族社会のパーソナルスペースの広さは何なのだ。
慣れと言う言葉の一つで済ませていいものなのか、と毎週一回は受ける社交ダンスの講座が憂鬱でしょうがなかった。
そんなリタは夏休みを過ごした後、ようやく一つの解決法を編み出したのである。
――別人になり切り、振る舞おう。
劇団のお手伝いをした後、もはや変装と言うレベルでは済まない化粧による顔面大改造を受けたリタ。
長い髪の
その時、深窓のお嬢様っぽい仕草や普段しないような表情などを試してみた事を思い出したのだ。
現在の自分が別人だと思い込む!
ダンスを踊る自分は舞台の上で踊る女優だ。お姫様になりきるのだ……!
その思い込みを以て臨んだ社交ダンスは先週初めて行った試みだが、まさしく大成功だった。
自身を他国のお姫様だと信じ込むことにより、今はお城の舞踏会で見知らぬ貴公子と踊っているのだと羞恥心と違和感を一旦脇に置いて演じ切ることが出来た。
これは素晴らしい発見だった。
「ごきげんよう」なんてキャラではないリタも別人を演じるのだと割り切ることで、堂々とお嬢様っぽい言動が出来た。
自分は某国の王女リリエーヌだいう設定で社交ダンスや礼法作法を乗り切る。
凄まじい力技だった。
リリエーヌはちょっと引っ込み思案な女の子で、大勢の人の前では王女様らしく毅然としようと頑張るが根は可憐な所作で儚げなお姫様。そんな脳内設定を演じている。
今まで数々の恋愛物語を読み込んできた妄想力の高さがこんなところで発揮されることになるとは……。
二学期が始まり最初の社交ダンスの講座、いくら高確率でラルフもいるとはいえ参加したくない気持ちの方が大きい。
だってラルフと踊ることなど一度もなかったし、これからもそれは望めない。
そればかりか、彼が他の女生徒と上手に踊る姿を見せつけられるだけの苦痛の二時間だ。
それに関してはいくらお姫様になりきって踊っていても心が痛いところであったが、どうしようもないことを嘆いていてもしょうがない。
今日は――他国の王子に密かに想いを寄せる王女リリエーヌを演じ、遠くからそっと見守る設定で社交ダンスに臨もう。
普段の能天気でガサツで不器用な自分という先入観をかなぐり捨てて、この間化けさせてもらった『お姫様状態』なのだと己の心の目を騙す。
先週はそれでうまく行ったのだから大丈夫だ。
いつまで経っても素人以下、わたわたと慌てておっかなびっくりの自分とは違う。
自分は亜麻色の髪の王女なのだと半ば自己暗示をかけるように、リタはいつも通り講座を受けるために広いホールに向かう。
相変わらずこの講義のためだけに楽団が揃って音楽を演奏するというのだから、この学園はやっぱり普通じゃない。
少なくとも、リタ達の住んでいた近くの町にある学校とはやっていることも規模も全く違う規格違いの学園なのだ。
ギィ、とホールの扉を押し開く。
ああ、社交ダンスの時間は憂鬱だ。
ラルフの姿を見ることが出来るのは嬉しいことだが、他の見たくもない光景まで目の当たりにすることになる。
このように胸がグサグサ痛むようになってきたのは、いつのことだったか。
最初は彼が紳士淑女の体現と言わんばかりに他の女生徒と踊っている姿を見るだけでも眼福だったというのに。
人間とは本当に欲深いものだなぁ。
その他大勢のファンの一人として、女生徒の波に紛れてきゃあきゃあ騒ぐことさえ憧れていた。
でも会う機会が重なる度、話す機会が増える度。
……そういう『その他大勢』な自分でいることが無性にやるせなくなってきた。
いつかは、彼に想いを告げる日が来るだろう。
少なくとも今ではないが、先んじて玉砕したレミィのように自分も打ちひしがれることになることも勿論覚悟の上だ。
想いはきっと叶わない、でもこうやって自分の苦手な事を学ぶことで、叶う可能性がゼロから僅かでも有意数になるのであればそれに賭けてみるしかないではないか。
今まで投げ出さずにやってこれたのは、カサンドラの助言に従うことで明らかに彼との接触が増え幸せな日々を過ごせているからだ。
とても偶然とは思えない、何かしらの導きを感じる幸運が続いている理由を勝手な事にカサンドラへと集約してしまう。迷信、根拠のないおまじないのような助言だったとしても現実にラルフと仲良くなれているのだから、このまま縋りたい。
自分が頑張ればもっと彼と仲良くなれるのではないかと都合よく励みにして、歩いて行ける。
前に進んでいるという実感が欲しかったから、彼女のアドバイスに縋りついている。
「リタ嬢」
「……ひゃい!?」
いけない、王女様はそんな変な奇声を発することなどない。
だが完全に油断していたリタは、急にラルフに話しかけられて素っ頓狂な声を上げてしまった。
その言い方を聞き咎められ、講師は顔を顰め他学年のお姉さま達がクスクスと笑っている……!
恥ずかしさのあまり、一気にカーッと顔が熱くなる。
だが今は顔を背け俯いている場合でもない、と気づく。
何せ今までお互い存在を認知していただろうが、一度たりとも声を掛けてくる素振りもなかったラルフがごく自然にリタの名を呼んだのだから。
異常事態と言わずなんという。
「ラルフ様、どうかされましたか?」
ドキドキと心拍数が上がるのは、緊張やら憧れやら羞恥やらが綯い交ぜになって心の中が自分でもわけのわからない状態になっているからだ。
「今日は僕と一緒に踊ってくれないだろうか」
その一言でホール内の空気が張り詰めるのを感じる。
背中に冷たい視線が突き刺さるのを感じ、ぶわっと汗が噴き出る。
「ええと、嬉しいですケド、何故私が……?」
言葉さえ失い、片言になりそうだった。
己の人差し指先と人差し指をつんつんと突つき合わせながら、リタは声を上擦べりさせる。
「前回の君の姿を見て驚いてね。
見違えるほど上達した、もし良かったらその秘訣でも教えてもらおうかと」
彼はそう言ってにこやかな笑みを浮かべる。
……何せ一学期丸々、相手の足を攻撃していたような惨憺たる有様だった。
それがラルフ曰く、急に別人のように華麗なステップで二時間過ごしきったのだ。
まさに夏休みビフォーアフター状態に、一体どのような特訓をしたのかと彼なりに興味が湧いたという。
まるで研究対象に向かうかのような口ぶりに、周囲の令嬢達の険しい視線が少し撓む。
個人的な好意が乗っているなら話は違うが、勉強熱心で好奇心ゆえ――という印象で誘いをかけるラルフに対し、強硬な態度で邪魔立てすることを彼女達は断念したようだ。
これが初めてのラルフからの声掛けだから見過ごされたのだろうか?
嫌味や皮肉を聞こえるところで呟かれる事無く、本日のラルフのお相手の地位をゲットできたのである。
まさに半信半疑状態だ。
自分でも何故こんな事態になったのかいまいちよく分かっていない。だが先週のダンスの出来栄えが彼の目に留まる程良かったのだと素直に受け取ることにした。
だがそれはそれで大変心が痛い。
別に特別な訓練をしたわけでも、コツを掴んだわけでもない。
元々踊りは得意だが、ちょっとだけ心構えを変えただけで本来の動きを取り戻せたのだなんて彼にしてみれば騙されたようなものではないか。
上達するための特訓方法など聞かれてもわからないのだが……!
そうこう思っている内にも時間は過ぎる。
いつしか男女の組み合わせも決まり、リタはこの二時間彼と一緒に練習をする時間を得てしまったのだ。
……これは――失敗できない。
急にダンスが上手くなった事を褒めてくれ相手を申し出てくれたのに、ここで動揺して今までのような無様を晒しては幻滅されてしまう。
自分なりに編み出した精神論ではあるが、相手がラルフだとしても通用するのだということを立証せねば。
音楽がゆっくりと流れ始める。
彼はいつも皆に向ける甘いマスク、見惚れるような端整な顔に微笑を讃えて手を指し伸ばしてくるのだ。
自分は王女だ、姫だ、プリンセスだと思い込め。
変身したあの日の自分の姿が『今』も続いている、ここは隣国の舞踏会場。
密かに想いを寄せていた隣国の王子に踊りを誘われ、想いを悟られないように堂々といつも通りスマートな受け答えをして華やかに踊る王女をイメージするのだ。
鍛え抜かれた妄想力、そして別人になるのだという想いの融合技でこの難局を何としても乗り切らねば。
目を閉じて、三つ数えれば自分は花の国の王女リリエーヌだ。
どんどんと想像上の王女に追加される謎設定へ全力で乗っかれ、とリタは目を閉じる。
………自分で思い描いた人間を演じるのだ、それは自分ではない、『リタ・フォスター』ではない別人だ、と。
そうでもないと、自分にお嬢様らしい振る舞いなど無理だ。似合わない。そういう性格じゃないし、培ってきた過去も何もかもそぐわないちぐはぐなものだ。
お嬢様路線を極めようとすれば、本来の自分ではない何かに染まっていくということだ。自分ではなくなってしまう。
でもラルフとこの先も親しくし、”選ばれる”ためにそういう経験や知識、振る舞いが必要だというのなら――
こうやって切り替えるしかない。そうまでしても
自分の性情には合わないことだけど。
お嬢様らしい『気品』などという、本来自分が持ちえない気質が必要になると言うのなら……
今後も彼の傍にいるための”条件”だとカサンドラが真剣な表情でリタに言ってくれるならば。
藁をもすがる想いで手を伸ばしてみせる。
本来の自分を受け入れてもらえないなら、好きになってもしょうがないのではないか?
いや、でも諦められない。
彼との未来など自分には本来あるはずもなく、無理矢理未来に繋げしようとするのなら何処かで無茶をしないといけないはずだ。
黙って立ったまま”ありのままの自分を好きになってくれ”なんて、あまりにも虫が良い話ではないか。
世の中、そんなに甘くない。
今のままではゼロに等しい可能性だが――万が一、億が一ありのままの自分で良いと言ってくれても、きっと周囲は今のままの不出来な
現状、ラルフに思いが通じるという最大限の幸福を得たとしても、リタを待つのは過酷な現実に違いない。
彼の評判を落とし足を引っ張るだけだ。
共に歩く未来など望むべくもない、だからこれは自分に必要な技能。
自分は結構ポジティブで前向きな性格だ。
同じ思いを抱いた友人が玉砕して心を閉ざしてしまう姿を見てなお、でも頑張れば『何とかなる』と信じてる。愛読書に描かれている世界のように。
彼の傍にいても許される自分になりたい。
今は役になりきることでしか、それらしく振る舞えないとしても、だ。
この時ばかりは、妄想で設定した”
そうすればきっと、先週のように上手に社交ダンスも踊り切れるはずだ。
「ラルフ様。
本日はどうかよしなに」
大丈夫、前回は上手く行ったのだ。
今日もきっと大丈夫。
背筋を伸ばし彼の手を取ると、その紅い双眸に自分の顔が映っているのに気づく。
でも今、我に還るわけにはいかない。
想像上の人物になりきるのだと、冴えない自分の外見を見ないふりをして口角を僅かに上げる。
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