第162話 心配は続くよどこまでも


 週末の生徒会を控え、カサンドラは少々不安に思うことがあり放課後生徒会室に向かうことにした。

 それは二日後に役員会を控えている週中のこと。次回の議題は主に翌月催される『収穫祭』のことで占められている。


 カサンドラが今まで生活していたレンドール地方でも収穫祭という名のお祭りはあったが、学園で行われる内容とは全く違うものだ。

 大地の恵みをもたらす女神ヴァーディアに感謝と祈りを込めてという基本方針は変わらない。


 だがしかし地元の収穫祭は、街ごとに若い娘が代々村街に伝わる舞踊衣装に身を包んで清涼な音楽に合わせ踊りを披露するものと決まっていた。

 どこもそうなのだろうと思っていたが、王都近隣のクローレス中央ではあまり馴染まない風習らしい。


 流石、西大陸全てを治める大国だ。習慣や風俗が地方によって随分趣を異にするものだと驚いたものだ。

 レンドールと似た伝統を続ける村もあるそうだが、概ね収穫祭の開かれ方は地方ごとに様々である。


 王都では収穫祭の日に音楽隊が街を練り歩き、街に住む人は実りの色であるオレンジや赤色の服を着る習慣があるのだと聞いた。貴族たちがそれを実行しているかは知らないが、当日の街の風景は明るく鮮やかなことだろう。

 王都の大広場には青空市場が並びそこに数多の野菜や果物が並ぶのだとも。


 やはり農作物の無事なる収穫は万民の普遍の願いだ。踊りを踊ったり音楽を奏でたり祈りを捧げたりと形は違えど女神への『御礼』は欠かせない。


 かように形態が統一されておらず、王都に馴染みのないカサンドラにとってはこの学園での収穫祭がどのような扱いなのか実態もわからない。

 一年前の資料は目を通したが、やはりもう少し遡って調べるべきかと気が急いてしまった。


 去年の方式であれば、郷土料理を並べて食事会というごくごく平和なものだ。

 そしてゲームの中でも食事をしていた記憶くらいしかないが、案外シナリオに描かれていない部分があるのではないか? と疑心暗鬼状態だ。


 一学期の生誕祭だって、王子が演奏に参加する場面なんて見たこともない。

 まさかの事態に役員も驚いたわけだ。


 基本進行はそのままに、主人公が三つ子だったり悪役令嬢が悪役をしていないという前提条件の歪みがシナリオに影響を及ぼしている可能性もある。

 どうせこうなるに決まっている、とタカをくくっていたら足元をすくわれそうだ。


 ――こんなことも知らないのか? なんて役員会議中に呆れられても困る。


 生徒会室の扉を開き、資料の並ぶ戸棚に目を向ける……と。


「まあ、カサンドラ様!」


 珍しく先客がいて、彼女もまた資料棚に用事があったのかテーブルの上に紐で綴じた何冊もの冊子を広げる。

 その人影は、カサンドラにとってこの生徒会で唯一頼れる女生徒先輩。ケンヴィッジ侯爵令嬢アイリスだった。

 彼女がいなければカサンドラは生徒会役員で紅一点、だがきっと今よりも肩身の狭い想いをしていたことに相違ない。


 アイリスは目を丸くして、そそくさと資料を手で閉じる。

 そして穏やかな微笑みを讃えてカサンドラに好意的な態度を向けてくれた。


 カサンドラもここにいたのが彼女だったことで、ホッと安堵し平静を取り戻す。


「アイリス様、お休みの前はシャルローグ劇団の招待状をお譲り下さり、本当にありがとうございました」


「どうかお顔を上げて下さい。

 私も招待状が無駄にならず良かった事と心から思っておりますもの」


 深々と礼を述べると、彼女は鷹揚な態度のまま頭を横に振る。

 先週の役員会でも顔を合わせたが、あの時は見慣れないリゼの姿に彼女も興味津々の様子で。

 また、終わった後はカサンドラがシリウスに居残りを命じられるという体たらくできちんとお礼を言えていなかったのだ。


 漸く改まってお礼を言えた事で肩の荷が下りた気がした。

 お礼の品自体はケンヴィッジのお屋敷に届けているとは言え、彼女に直接礼を言わなくていい理由にはならない。


「楽しかったですか?」


「はい、とても素晴らしい劇を観ることが出来ました。

 王子も大変興味深そうに観覧されておいででしたよ」


「お二人の時間の一助となれたのであれば嬉しく思います」


 ふふ、と彼女は意味深長な微笑みを讃える。

 彼女からは忠告めいた助言を受けたことがあったが、結局は素直に王子との関係性が強固になることを彼女自身も応援してくれている。

 本人曰く下心を以てカサンドラに親切にしてくれていたらしいが、当の自分はその親切が心から助けになって現在に至るもので。

 逆に彼女の心の清らかさの一端を垣間見たようなものであった。


「今日は何故こちらに?

 私は次期役員選出の手順の確認に来ましたの。

 ……来年度の新入生から学級委員を選ばないといけないのですが、少々気がかりなことがありまして」


 アイリスは僅かに眉を下げ、憂慮の表情に変わる。

 彼女が何を気にしているのか分からなかったが、既に卒業した後の役員のことでも心を配って懸念事項を洗い出そうとする彼女の真面目な姿に感じ入る。

 後の事など知らないと直接言わずとも、面倒ごとをカサンドラ達に丸ごと渡せる立場だろうに。


「前年度までの収穫祭について、改めて記録を遡ろうと思いまして。

 わたくしは今年が学園で初めての収穫祭ですし、進行や段取り、会の様相などの知見に乏しく、週末の話し合いに少々不安が」


「そうでしたの。

 収穫祭はそのように堅苦しく構えず、料理の試食会を楽しむくらいの余裕を以て臨まれると良いと思います。

 カサンドラ様さえお時間が許すのであれば、去年、一昨年の収穫祭について私がご説明いたしますよ」

 

 淑女の鑑と全校生徒、特に令嬢達の尊敬を一身に集める侯爵令嬢。

 儚げな佇まいながらも、一本芯の通った強さを持ったお嬢様であると思う。

 もしも彼女にレオンハルト公子という婚約者がいなければ、王子の婚約者の第一候補はまさしく彼女だったのではあるまいか。

 ヴァイル公爵家の流れを汲む名家の総領姫なのだから誰からも文句も出ようがなかったはずだ。


 願ってもないアイリスの申し出に一も二もなく頷いた。

 報告書はただの文章の羅列で、この世界には写真だの動画だのという映像記憶媒体が無い。

 ゆえに文字から雰囲気をイメージしなければならないところ、アイリスに直接口頭で教えてもらえるのだ。

 それに二年間ずっと役員だった彼女だから今年は手際も一層完璧なものだろう、指示を仰ぐのにこれ以上ない相手と言えた。



 隣のサロンに移動し、二人は紅茶を飲みながら収穫祭という学園の催しについて語り合った。


 今日は男性陣もいないから新しく出回り始めた香りの高いハーブティーにしましょう。甘すぎると不評の菓子受けもいくつか開けましょう、と。

 普段他の役員達に気遣って出来ない女性ならではのセレクトを楽しむことにした。


 紅茶は好きでもハーブティーの匂いが薬湯みたいで嫌だと言われ、甘い菓子など出したところで手をつけない人達ばかり。

 この組み合わせの妙が分からないとは好き嫌いは損ですね、などと彼らがいないからこそ可愛く茶化しながら話を進めることが出来た。



 アイリスの言葉によると、過去は仮装パーティをしたり時には仮面舞踏会を催したりと言う時代もあったのだそうだ。

 収穫祭と言う国を挙げてのお祭りの日にかこつけて、予算を潤沢に使ってどれだけ周囲をあっと言わせる出し物を企画するかを競うようだったとか。


 だが数年前、収穫祭本来の趣旨に立ち戻ろうという当時の生徒会の提言により、規模が縮小。

 収穫祭――即ち食をメインに据えた企画を考えることになった。

 この広いクローレス王国の各地の特徴を学園内で共有するのも見聞の一つという事で、各地の名物・郷土料理を披露するという食の展覧会になったのだという。


 ……良かった、面倒な大規模イベントではなくて……!


 ありがとう過去の生徒会メンバー、と見たこともない過去の役員達に敬礼をしたい思いである。


 地方ごとに獲れる食材も違う、料理の方法にも差異がある、調味料だって北と南では違うこともある。

 普段王都近隣に居を構える貴族の中では、グルメツアーと称して各地に旅行に行く趣味が人気を博していと言って良い。


 だがわざわざ現地に行かなくてもその道の専門家を一気に連れて来て食べ比べが出来るのだから、この学園ならではの特権と言える。

 むしろ仮装パーティなんかよりよっぽど機会的贅沢では。


 毎年依頼している各地方の伝手を利用して料理人や食材なども事前に王都にやってくるので、生徒会が特別に大仰な出し物をする必要はないとのことだ。

 むしろ他の生徒と歓談しながら、地方から集まった貴族達の地元愛アピールなどに耳を傾けることも大事な仕事だという。


 なのである程度は地方習俗に目を通しておいた方が話しやすいと思いますよ、と。

 アイリスはそうアドバイスしてくれた。


 カサンドラは南方のレンドール地方のことなら出身地のことで話を楽しく聞くことが出来るが、他の地域と言われると少々自信が無い。

 この国の広さを思うと少々眩暈がするアドバイスだが、後で貴族名鑑を確認して生徒の出身が多い地方のことを調べておこうと心に決めた。

 これでも王妃候補と内外に知られているのだ、自国のことに疎いままでは話になるまい。

 中央のことだけ精通していればいいというわけにもいかないだろう。



 興味深く話を聞き終わった後は雑談の時間だ。 


 お互いに夏休みはどう過ごしたかなどの話題に移り、彼女は特に印象に残ったこととして長期休暇始まりの王宮舞踏会のことを最初に挙げた。

 カサンドラの姿にも感動したし、とても温かい歓迎雰囲気で舞踏会に参加出来て良かったとアイリスはにっこりと微笑んだのだ。 

 たおやかな美人の好意的な眼差しに胸がときめく。


「アイリス様がレオンハルト公子と一緒に参加できたことは大変喜ばしいですね。

 仲睦まじいご様子もお変わりなく」


 すると彼女は照れが入ってしまったのか、ポッと頬を赤らめ「いえいえ」と手を横に振る。


「カサンドラ様はあのお三方にお声を掛けられていましたもの、私の周囲の騒然とした様を是非ご覧になっていただきたかったです」


 お願いだからその話題でカサンドラの胃を追い詰める刺客は彼女が最後であって欲しい。

 他意のないことは分かっていても、あれは奇跡と偶然の積み重なりの産物なんですよとしか言いようもないもので。


「そういえば、妹様方とはいかがお過ごしでしょうか?

 ながの休暇ということもあり、アイリス様の身に何事もなければと陰ながら案じておりました」


 これは本当の事だ。

 表立ってアイリスが腹違いの妹達にいじめられているだなんてカサンドラが言い出すわけにもいかないけれど。

 ずっと学園に通っていた時間、義妹達と同じお屋敷で過ごすことになるのだから。

 国王陛下の舞踏会招待状を嫉妬にかられ目の前で引き裂くような直情型の女性と一緒に過ごして無事なのか……


 そう不安に思うのは当然のことだ。


「お陰様で、彼女達の振る舞いも以前とは変わってきました」


 舞踏会に出席することにより、レオンハルト公子と正式なパートナーだと多くの上流階級の目に触れた。

 それは姉妹たちにとっては臍を噛むような事態で、一度公に認知されてしまえばあわよくばレオンハルト公子を……という目論みも潰えた事になる。

 そもそも最初からそのような目は欠片も存在しなかったはずだが、彼女達には独特の思考判断回路が存在しているらしい。

 流石にこの段に至り、レオンハルト公子に色目を使い秋波を送るなど父親のケンヴィッジ侯爵も見過ごせない。


 本格的に愛妾の娘達に丁度良い嫁入り先を本腰入れて選定する段階に入り、なんと姉妹たちもそれに頷いたのだそうだ。

 舞踏会で正式なパートナーつきで踊った男性レオンハルトなど、姉のお手付きだもの、と。


 分かるような分からないような理由で早々にアイリスの横槍を諦めたはいいものの……



「ただ、このようなことはカサンドラ様に申し伝えて良いものか判断しかねるのですが……

 私の末の妹がどうやら――

 レンドール侯爵が養子としてお迎えされたアレク様にお会いしたいと、父に幾度いくたびも打診を続けているようなのです」





   えっ ちょっと待って??

  



 申し訳なさそうな顔でアイリスは俯いた。





  侯爵家とは言え地方の貴族だし。格下っぽいのが嫌だけどー。

  王家の外戚ってことになるなら悪くないしー。

  私と釣り合う、丁度良い相手じゃない?

  ま、四歳年下なんて気にしないであげるわ。




 臆面もなくいけしゃあしゃあと、アイリスの腹違いの末妹はとんでもない要望を親に突きつけているらしいのだ。


 勘弁してくれ!


 姉さん女房だというだけでカサンドラは反対しない。

 だがアイリスの義妹、君たちは駄目だ。論外だ。

 スープで顔洗って出直したって門前払いである。


 絶叫するわけにはいかないが、カサンドラの顔はさぞかし引きつっていたことだろう。

 アイリスも済まなさそうに、申し訳なさそうに肩を窄める。


 大事な義弟を、義姉虐めを堂々とやるような妾腹のお嬢さんに渡せるわけがない。


 それだけでも衝撃なのに、アイリスはさらに言葉を続ける。


「彼女は来年、私が卒業した後の学園に新入生として入学してくることでしょう。

 目立って有力な貴族の子女が同じクラスにいればいいのですが、あの子はケンヴィッジ侯爵家という名を翳すことで無理矢理学級委員の立場を獲得しようとするのではないか、と懸念しています。

 学級委員は即ち役員の一人ということですから」


 それだけは避けたいのだという彼女の切実な想いが伝わってくる。


 アイリスは困っていた。

 生徒会の役員は正妻、要するに爵位に対し正統な権利を持つ第一夫人の子女でなければいけない――そんな規約があれば最悪の事態は防げると目を皿のようにして探していたそうだ。

 だが残念ながらそのような記述はどこにもなく、あろうことか過去には平民出身の役員も……


 自分がいなくなった後、自分の家族が家の権力を持ち出して役員達に迷惑をかけては堪らない。

 決して学園内で扱いの良くない”妾腹の娘”とは言え、侯爵が彼女達をとても可愛がっているのは周知の事実。

 役員を決める時にケンヴィッジ家と揉めたくないと推薦を辞退する生徒が続出しては……と、そんなことまで心配しているのだそうだ。


 そんな恣意的な状況が許されるとは思えないが、全くないと言い切るのも難しい。



「来年度の新役員の件は事前に候補者を選定、打診をして承諾を得ます。撤回なさらないよう重々お願いする所存です。

 ……義弟君おとうとぎみの件は……私が必ず父を説得しましょう。

 ですが私の目を掻い潜り彼の方と接触することなどあっては一大事ですので、どうかお心に留め置き下さい」



 彼女にレンドール家の門をくぐらせるなど、言語道断だと言わんばかりのハッキリとした言い方。

 普段柔らかい言葉を使う彼女には珍しい、強い語気だ。



 そうと聞いてはカサンドラも一層慎重にならねば。



 アレクに相応しい女性を一刻も早く父が連れてくることを祈る他ない。







 カサンドラとアイリスは顔を見合わせ、同時に大きく頷いたのである。



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