第161話 いつもの月曜日


 たちまち、シンシアとベルナールの件がひと段落ついた事は重畳だ。


 休み中もずっとアレクは部屋に籠り、恋文の返事を延々と書き続けているくらいで特に屋敷内での変化もない。


 ――明日は月曜日なのだから自分も王子に手紙を書こうと自室で机に向かったのは良いが、いざ書き始めると言葉が浮かんでこなくて大変困った。

 夏休み、お茶会や観劇の際に手紙を渡した時は王子と会えない休暇中のこと。報告したいことはいくらでも浮かび、スラスラ書けた。

 実際に会うことが出来ない期間ゆえ推敲する時間もいつもよりたくさんあったと言って良いだろう。


 だが既に二学期の第一週が終わってしまった現在。

 王子の姿を毎日のように見ることが出来る上、カサンドラの誕生日について話をしようとイレギュラーなお誘いまでもらってしまった。

 この上手紙で一体何を伝えればいいのか……という根本的な問題に突き当たってしまった。


 しかも、アレクに対して届く幼女と思わしき少女の文章を思い出すと一層筆が重たくなる。

 本来は自分の想いを伝えるもののはずなのに、毎週渡していた手紙はただの近況報告だの質問事項だの。

 極力カサンドラの感情を排した事務的な手紙を渡していただけに過ぎない。


 もしも今学期も手紙を渡し続けるとしても、こんな通り一遍の社交辞令で上っ面だけの手紙など王子に読む時間を浪費させるだけというものでは?


 今は毎週実際に会って話をする約束をとりつけている。

 何故か習慣のように手紙を渡しているものの、面と向かって話す機会が確保されているなら必要ないのでは?


 彼の心を揺さぶれるような手紙を書くことは出来ない。


 うーん、と悩んだ。


 だがこの手紙はカサンドラの近況報告、つまり自分のことを知ってもらうために始めたもののはずだ。

 本来の手紙ラブレターってこんなものだよね! と衝撃を受けたけれど、それを意識しすぎてアプローチの手段を自分から手放すのも勿体ない話だ。


 社交辞令とはいえ、彼は手紙を嬉しいと言ってくれている。

 そして彼自身からも手紙をもらったりして、僅かに双方向のやりとりが出来ている。


 いきなり手紙は止めるなんて方針転換、彼に不信感を抱かれるかも知れない。


 ……。


 誕生日に王子と過ごせることについての喜びを表現するのはセーフ?

 想いを書き連ねたってそこまでズシンと重たくはない……と思う。


 わざわざ祝ってくれるというのだから、逆に大袈裟なほど喜びをアピールするべきではないだろうか。


 観劇が終わった後食事に誘ってもらえて嬉しかったことと、誕生日を覚えていてくれて嬉しかったということを盛り込みつつ文章を練ることにした。

 自分の想いが駄々洩れにならないよう制御することは難しいが、まだ書き直しが出来るだけ手紙はマシだ。

 実際に会う時、余計な事を言ったりしないように気を付けなければ。




 ※




 二学期には大きな行事が二つある。

 主人公達、特に恋愛イベントの一つがジェイクルートに入るための剣術大会と言う生徒主催の催しが一つ。

 なお、剣術大会は男子生徒は全員強制参加と言う一部男子にとって大変過酷な催しでもある。女生徒は希望制、恐らく今年エントリーするのはジェシカとリゼだけなのではないか。

 娯楽の少ない、規則正しい学園生活を過ごす女生徒らにとっては大変楽しい見世物だと言える。


 剣術大会は十一月に開催予定だが、それまでにリゼには何とか上位に食い込めるような能力値を持って臨んで欲しいと思う。



 そしてその前の十月!

 学園で収穫祭が開かれる、こちらは共通イベントの一つだ。


 これは式典ではなく、クローレス王国の各地方の郷土料理などを皆で一緒に楽しもうというお祭りの一種である。

 収穫された作物を皆で分け合い、今年も実りを与えてくれた女神ヴァーディアに感謝を捧げましょうというお題目だが……

 やっていることはただのお食事会だ、と報告書を眺めていると感想が漏れる。


 各地方の美味しい料理を皆で楽しもうと言う平和なお祭りだ。

 大広間に大勢の料理人がずらっと並び、目にも舌にも楽しいひと時を級友たちと過ごすことができる。


 参加する分にはただただ楽しい催しだろうが、企画するのは生徒会である。

 ゲームで遊んでいる時には美味しそうな食事風景のスチル一枚で終わる行事も、カサンドラ達はそれを開催するために駆け回らなければいけない。


 あと一月しか時間がない、ということに焦燥感を感じつつも今週末の役員会での進行をどうするか。


 今後の事をつぶさに考え悶々と時間を過ごしていると、あっという間に放課後だ。


 新学期に入って早々予想外の事が立て続けに起こったが、ようやく行事のことや今後の事を見通して考える心の余裕が出来たと思う。

 というか主にベルナールの突拍子もない行動のせいなので、こうなったらつつがなく交際を続けて結婚式にでも呼んでくれと極端な事を考えているカサンドラであった。

 




「――カサンドラ嬢」


 後ろから呼び止められ、カサンドラは条件反射で立ち止まる。

 まるで自分の名前が、自分にとっての機能停止を命ずるパスワードか何かなのかと思った程、強力な制止力が込められた声。


 初めてではないだろうか、中庭で待つよりも先に声を掛けられたなんて!


 待機場所に向かう廊下の途中で王子から声を掛けられたことなど今まで記憶になく、あまりの衝撃に幻聴かと己の耳を疑ったほどだ。


 だがようやく身体の硬直が解け、ギギギ……とぎごちない動きで、カサンドラは肩越しに振り返ったのだが……

 想像通り、煌めく青年の姿が視界に入り、カッと目を見開き凝視する。


 王子、と声が自然に出てきた。こちらと同じ進行方向でゆっくりと歩いてくる王子に身体ごと振り返り、正面を向いて頭を下げた。


「ごきげんよう、王子。今日は早く講義が終わったのですか?」


 中庭で王子がやってくるのを待つという状況に慣れ過ぎていたカサンドラは、そんなに早く王子の受けていた講義が早く終わったのかと嬉しくも首を傾げることになる。

 すると彼はカサンドラの前で立ち止まり、僅かながら逡巡の素振りを見せた後頷いた。


「……うん、少し早く終わった事もあってね。

 いつもカサンドラ嬢を待たせてばかりだから、今日くらいは早めに着こうと思ったのだけど」


 そう言い、温和な笑顔を見せる王子。彼は中庭まで一緒に行こうと横に並んで歩いてくれた。

 とても嬉しいことには違いないが、心の準備が出来ていない時に急に出くわすとカサンドラも頭が真っ白になりかける。


 ……一生懸命平常を装って澄ました顔で王子を並んで廊下を進んでいるが、頭の中はかなり忙しなかった。

 まさか先に中庭で待っていようと思ってくれるなんて、身に余る好待遇ぶりに眩暈が起きそうだ。

 カサンドラは王子を待つ時間は苦ではない、本を読みながら今日は王子とどんな話をしようかと考える時間は好きだった。


 五分十分くらいしか共にいることは出来なかったが、その限られた時間に全てを籠めるという想いで毎週臨んでいるのだ。

 勇気を出して王子に手紙を出した四月の自分は本当によくやった、と思う。

 僅かな時間しかなくとも、回数を重ねることによって心理的距離も近づいているのかも知れない。


 一学期の頃と比べて、少しは彼と仲良くなれたような手応えを感じる。

 でも彼が隣にいて歩いているという現実には全然慣れないままだ。


 初めて彼の姿を見ただけで一目惚れをしてしまうほど好みの外見である。

 しかも性格だってカサンドラに好ましく、二度とお目にかかることはないだろう奇跡レベルの異性と言える。


 内側も外側も完全に好みに合致する。

 いや、優しいとか美形だとかそのような言葉でカテゴライズされる属性はもはや無意味だ。ただただ王子と言う一人の人間と一緒にいるだけで好意が増していく一方だった。




 噴水の飛沫が散る音が涼し気な中庭、定位置とも言える奥のベンチに二人は腰を下ろす。

 やはりというか残念なことにというか、座るベンチはやはり別々。

 ゆうに二人掛けが出来る木造りのベンチの左右それぞれに、カサンドラと王子は隣り合って座る。


「まさか君がこんなに楽しみにしてくれているとは思わなかったから、驚いたよ」


 何を楽しみに、とは聞くまでもない。

 恐らく朝、生徒会室の彼の机に忍ばせた手紙を読んでくれたのだろう。


 昨日は勢いに任せて、『祝ってもらえるなんて嬉しいです!』という感情がそのまま直截に浮かぶ文章を書いてしまった。

 お行儀の良い挨拶や差し障りのない近況報告などとは少々ノリが違う文面だったことは否定できず、彼が開口一番にそう言ったのも無理はない事かも知れない。


 ……勢いに乗じて書いたものは、一旦冷静になった後とてもとても恥ずかしいものだ。

 朝起きて読み返したらきっと素面に戻って破り捨てかねないと鞄の中に無理矢理突っ込んで渡すことにしたものの。

 いざ「驚いた」と言われると喜び過ぎだったかな? と思う。



 ――今まで何度も誕生日を迎えたけれど、このように待ち遠しく楽しみな誕生日は初めてです。



 喜びの感情を表現するのに選ぶ言葉が難しく、大袈裟だったかとギクリと動揺が走る。

 感情の温度差が激しければ困る、というのはよくある事象だ。

 自分ばかり舞い上がって、相手は社交辞令なのにと困惑――というのは、第三者の目線であってもいたたまれないものがある。


 だが彼は気分を害したわけでもなさそうだ。

 良かった、このくらいの好意的な文面ならセーフなのかと心のメモ帳に書き記しておいた。


「一応、王宮内の案内をする場所などは考えたのだけど……

 どこか他に行きたいところがあるだろうか」


 既に現実的なプランとして、彼はいくつかの施設を書き留めたノートを見せてくれた。

 その一覧の中に王妃様が改装したという薔薇園の文字があることにヒッと肩が戦慄いたが、そこであからさまに「除外してください」なんて言えたものではない。

 確かに見学したい場所ではあるが、心がチクチク痛む。

 何も気にしていないというにっこり笑顔の王子の厚意に甘えるしかないのだろう。


 絵画部屋という文字が目に留まり、それは楽しそうだと思った。

 過去の王様の肖像画や、有名な画家の描いた絵が飾ってある部屋だと聞いて興味もわく。

 

「もしも赦されるのであれば、ですが……

 王子の執務室がどのようなお部屋なのか、一度見せていただくことは可能でしょうか」


 ひんやりと指先が冷たい。

 果たしてこんな我儘が通じるものだろうか、あからさまに嫌な顔をされてしまったら?


「特に面白いものはないけれど、カサンドラ嬢が希望するのなら構わないよ」


「ありがとうございます……!」


「でも、何故?」


 楽しい場所でも美観が期待できる施設でもないだろう。

 だから彼が不思議そうな顔を向けるのは当然のことかも知れない。


「王子はいつも王宮でお忙しくされているとお聞きしました。

 どのような場所でお過ごしなのか雰囲気だけでも知ることが出来ればと」


 自分は何か彼のために出来る事があるわけではない。

 だからと言って、全く王子の行動に関われずイメージも儘ならないこの距離感が口惜しいと思う。

 大それた想いかもしれないが、自分の知らない王子がどんな風に過ごしているのかずっと気になっていた。


「……君は、とても真面目な人だと思うよ」


 王子は言葉を少しばかり濁す。視線を少しだけずらし、しばらく沈黙が続いた。

 たまに訪れる王子との間に落ちる沈黙のとばりを前にすると、やはり緊張する。

 変なことを言って呆れられたか、はたまた都合の悪いことを口走ってしまったのかとか……

 不安になる分には際限がなく、足先の感覚からゆっくり削がれて失っていくような肌寒さを感じるのだ。



「親同士の決め事だからと当然のように過ごしていたけれど……

 カサンドラ嬢は、王妃に立つことを本当に望んでいるのだろうか。

 君が無理をしてこちら側に合わせてくれているような気がしてね。

 ……時折、申し訳なく思う」



「――……!?」




 えええええ!? と、カサンドラの心の中は、それこそ竜巻に巻き上げられてもみくちゃにされている心境そのものだ。

 もしくは底の見えない崖の上から紐なしバンジージャンプを強いられているかのような恐怖に晒されている。


 物凄く今更な話で……

 そもそも王妃に立つ覚悟がなかったらこの婚約話だって成立しなかったはずだ。


 だが、王子は申し訳なく思っていると言った。


 国王陛下に指名された以上、貴族の令嬢に断るだなんて選択肢は無い。

 あらゆる条件の中から、消去法だろうと選ばれた以上はその責務を全うする義務がある。だから本当は嫌だけど強いられている、と王子は考えているのか。

 無理矢理そのような覚悟を背負わされたカサンドラに同情している……?




 これは難しい選択肢だ、とカサンドラは膝に重ねて置いた手が小刻みに震えているのを自覚する。



 王妃になりたいです! と意気揚々と答えるのが正解か?

 だがそんな我欲満載かつ前のめりな返答では、カサンドラこそ王妃という立場を軽んじているのでは? と胡乱な目で見られそうだ。

 所詮、王妃と言う称号に憧れるだけの浅はかな考えの持ち主かと蔑まれたらどうしよう。


 王妃になりたくありません、という答えは無しだ。

 それは最悪の返答だ、もう答えた瞬間にフラグが音を立ててへし折れるだろうレベルの論外の選択肢。


 こんな選択肢を真剣に選ぶ人はいないという、開発者のお遊びとしか思えない選択肢と同等だろう。


 そして第三の選択肢として、この先国王となる王子を支える役目を与えられて嬉しい、という返答が浮かんだ。

 だがそれもまた捉えようによっては誰かに支えてもらわないといけないくらい不完全な状態なのか? と王子が不満に思う可能性も否めない。

 特に王子は、他人から認められるように完璧であろうと努力をしているのだとジェイクも言っていた。

 自分如きが支えになれると考えるなど烏滸がましいと思われたら……


 何だ? 何が正解だ?



「王妃と言う立場を自分が正しく全うできるものか、自信はありません。

 ですが王子と共に立ち、責務を任せて頂けるのであれば大変嬉しく、光栄の極みと精進する覚悟でおります」



 王子と一緒なら、王妃になれようがなれまいがそれは些末な問題だ。

 だが中々、そういう好意全開で言い寄って判断を相手任せにすることも憚られる。


 王子はただ現状のカサンドラをその優しさから気遣ってくれているだけなのだ。

 いや、何なら「カサンドラでは王妃として心もとない」と直接言われているようなものではないか。もしや苦言? と、ぞっとした。


 とりあえず無難オブ無難だが、そのような返答しかカサンドラは用意できなかった。



「そう、か。ありがとう」


  

 彼がどうしてそんな顔をするのか分からない。


 悲しいような?  困ったような?



 だがそんな風に表情を翳らせたのも一瞬のことだ。

 すぐに誕生日の話題に戻り、そこで王子は信じられないことを言い出した。




「前にも提案したかもしれないけれど、土曜日はラルフも時間の都合がつくそうだ。

 彼が一曲弾きに来てくれるそうだから、楽しみにしておいて欲しい」




 えっ、と息を詰まらせる。


 彼が自分の誕生日を祝いたいかと問われると「無いな」と思う。

 きっと嫌々弾かれる、そんな未来が見える……!


 ラルフの演奏技巧はとても素晴らしいと思う、王国随一のセンスだとカサンドラだって認めている。

 だがそこに心が籠っていないのなら!



 ……王子に弾いてもらいたいです……!



 前回も切実に思ったが、王子が大変得意げな表情で、まるで友人自慢をするかのような笑顔を見せるものだから。

 モヤモヤが消し飛び、「まぁ、とても楽しみです!」とカサンドラも手を打って喜んでしまった。






 本当に仲が良いんだな、この幼馴染達……。



 ぽっと出の婚約者が早々割って入ることなど出来ない、そんな強い信頼関係を目の当たりにしたカサンドラだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る