第159話 ランチ
予想もしていなかった顛末に、カサンドラはシンシアと別れた後もしばらく呆然としていた。
彼女が現在健康であり、精神的にも弱っている様子もない。
そしてベルナールとお付き合いをすると決めたという話を聞いた以上、もはやこれ以上出来ることなど何もない。
カサンドラとアレクが『楽観的過ぎる』と脇に追いやった可能性が実現していたなど、人生というものは分からないものだ。
いくらベルナールがシンシアに入れ込んだところで、相手の方がお断りに違いないと思い込んでいた。
ふぅと小さな吐息を落とした後、カサンドラは女子寮を後にする。
あまりの衝撃に改めてドレスのデザインのお礼の提案をすることさえ失念していたくらいだ。
シンシア曰く気にしないでくれということだが、そういうわけにもいかない。
かなり遅くなってしまったが彼女にとっての良いタイミングで話をしよう。
改めて自分に言い聞かせながら、屋敷に戻ろうと馬車への道を急ぐカサンドラだった。
だが動揺隠せないカサンドラの背後から、良く耳に馴染んだ声が覆いかぶさって来た。ふと歩みを止め、振り返る。
「――カサンドラ様!」
零れるような笑顔で掌を振り、やや小走りに近づいてくる女の子。
走るたびに栗色のふわふわの髪が奔放に揺れ、大きな蒼い瞳が印象的な彼女は三つ子の誰かであると一瞬で察知できる。
だが全く同じ容姿の三人だ、パッと遠くから声を掛ける少女が誰であるか見分けは困難なものだ。
尤も、カサンドラは呼びかける声の調子だけで彼女が誰なのかを言い当てるくらい彼女達と親しい間柄である。
「まぁ、リナさん。
ごきげんよう」
リナは「ごきげんよう!」と。少し手前で息を整えて頭を下げる。
休日という事で私服のリナの装いは制服とは全く違うものだが、萌黄色のワンピースの裾がひらひらと翻って可愛らしい。
同じ色のカチューシャも彼女の優しい雰囲気にぴったりだ。
「シンシアさんに会いにいらしたのですよね?」
彼女は小首を傾げ、どんぴしゃりでカサンドラの本日の行動を当ててくる。
疚しいことをしているつもりは一切ないが、リナに言い当てられて驚いた。
「ええ、そうです。昨日シンシアさんが欠席でしたので、気になってしまって」
「私も教室での出来事にとっても驚いてしまいました。
しかもシンシアさん、昨日お休みでしたし……凄く心配したのですけど」
彼女はチラ、とこちらの感情を伺うような視線を向ける。
どこか奥歯にモノが挟まっているかのような、言い淀んだ口調。だがすぐに意を決したように口を開いた。
「シンシアさんから、昨日お休みの理由をお聞きになりましたか?」
「――はい、先ほどご本人の口から」
「ふふ、吃驚しましたよね!
私も昨日シンシアさんのお部屋を訪ねて、事情を聞いて……」
リナとシンシアが友人であることは良く知っている。
二人とも趣味が似通っているし、何よりカサンドラが舞踏会で着るドレスのことを悩んでいた時に助け舟を出してくれたのがシンシアで。
そのシンシアを紹介してくれたのが、誰あろうリナなのだから。
きっとリナも彼女から詳細を聞いて仰天したに違いない。
あんな風に怖がって絶叫して逃げ出した相手と一日デートをしていたなんて誰が予想するだろうか?
しかもその結果、お付き合いに踏み切るなんて事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。
友人が休んだことに心を痛めていたリナも、きっと今日のカサンドラのように事情を聴いて呆気に取られていたはずだ。
「カサンドラ様も心配されているから、週明けにちゃんと説明した方が良い、と話をしていたのです。
まさかお休み中、わざわざお訪ねになるなんて思いませんでした」
優しいんですね、とキラキラと輝く目で言われては、直視できずに視線を逸らしたくなる。
「いえ、昨日シンシアさんが欠席された理由がベルナールのせいかも知れないと思うと……
枕を高くして眠れませんでしたから」
どちらかというと身内の不始末のお詫びのつもりで来たのだが。
まさか交際宣言をされるなど寝耳に水もいいところである。
「昨日話を聞いて驚きましたけど、シンシアさんがショックで寝込んでいるわけではなくて良かったです。
しかもカサンドラ様が直々に様子を伺いに来て下さるなんて、シンシアさんも嬉しかったと思いますよ」
本当にそうなのだろうか?
全く他意も悪意もない天真爛漫とも言える澄んだ笑顔のリナを前に、カサンドラもこの件を難しく考えるのは止めようと思った。
ベルナールがシンシアを見初めたきっかけは自分だが、この事態はもう手を離れた問題である。
出来ることなら、先ほど言った通り円満に交際が続いていくことを祈るのみ。
何とも言えない困り顔のカサンドラを見て何か勘違いしたのか、リナは肩を跳ねて両手を胸の前で横に振る。
「……あ。
あの、お呼び留めしてしまって申し訳ありません!
ええと、あの旅行以来、カサンドラ様とお話をする機会もあまりなくって。
寮内で姿をお見かけして、嬉しくてつい……」
そわそわ、もじもじ。
リナが眉を下げて心持ち寂しそうな顔をしているのが分かる。
折しも時間はお昼前だ。
「リナさん、これからご予定はありますか?
もしも無いのでしたら、一緒に昼食でもいかがでしょう」
ここで話しかけられたのも縁の一つ。
それにリナの言う通り、夏休み中はラズエナに避暑に行ったっきりだ。あれ以降、揃って話す時間もなかったわけで。
唯一リゼはジェイクとの宿題をしようの会で丸一日一緒だったが、ジェイクも同席していた事情もあって個人的な話は全くしていない。
今学期は彼女達の見せてくれる次週の選択講義を確認して是非をアドバイスするだけだった気がする。
そのアドバイスだって、流石にある程度パターン化されているので毎週同じような選択講義の内容が並んでいて言うことも特にない状態が続ているわけで。
とりあえずこの一年は相手の要求する分野のパラメータを上げることを第一に選んでいる、このまま行けば特に問題はない……と思う。
苦手な分野でも文句も言わずに黙々とこなしている精神力と根性あってのことだ。
めげずに継続する彼女達の精神力は称賛に価すると思う。
「お昼、ですか? 私も?
宜しいのですか!?」
リナの背後に無数の花が咲き乱さるかのような幻覚を見た。
成程、こういう笑顔を花が綻ぶような笑顔と言うのかとカサンドラは大いに納得した後、リナと一緒に街に出かけることにした。
なんだかんだ、友人に声を掛けられるということは嬉しいものであり、休日を一緒に過ごせるなんて贅沢な事だ。
リナへの好感度もゆっくり着実に上がっているに違いないシリウスには申し訳ないことだが、今日はリナと一緒に過ごそうと馬車に乗り込んだ。
もう二学期か。
このあたりから休日デートなども予定に入ってくる時期だなぁ、と漫然と考えながらリナと当たり障りのない話を続ける。
好感度が低ければ、目当ての人物を誘ったところでけんもほろろ状態。
更に断られれば元から低い好感度もさらに下がるというダブルパンチ。
だが苦労してデートにこぎつければ、好感度上昇値は大きい。慎重かつ、時には大胆な行動も必要だ。
それに折角の学園生活でパラメータ上げだけに勤しむのはモチベーション的にどうなのかと不安になる。
この二学期はリゼにとっては絶対失敗できないイベントが待っているが、リナだってシリウスとデートに行っておいて欲しい場所がいくつもある。
さりげなく誘導し、把握するというのは大切な事だ。
何より三つ子と過ごす時間は、カサンドラにとっては癒しタイムそのものだった。
※
一緒に昼食をしようとリナを誘ったカサンドラが御者に命じた場所に、あっという間に辿り着いた。
当然のようにゴードン商会が経営しているいつものカフェである。
お店に入る時に、シンシアのはにかんだ笑顔が脳裏を過ぎった。
ベルナールの唐突な求婚劇にはクラス中が騒然となったわけだが、彼女が傷つかずに済んだのなら一番いい事だ。
週明けに元気に登校する姿を見せてくれれば嬉しいし、後は当人たちの問題。
「夏休みの後半は楽しくお過ごしでしたか?」
既にカサンドラの思考の大部分が、三つ子の恋愛事情の方にシフトしてしまった。
こちらに関しては、全く無関係と言うわけにはいかない。
彼女達に最初に請われたことだし、彼女達は元々前世の自分が”操作”していた人物。決して他人とは言えない、妙な親近感を抱いてしまうのだ。
一度実物の主人公達と会ってみればまさに三者三様の特徴があり、そして感動する程良い子である。
出来る限り、彼女達の力になりたいと素直に思っている。
自分の前世での知識が、せめても役立つというならここしかない。
王子との関係性などはどうひっくり返しても見たことのない初見のイベントしかないが、攻略対象についてはしっかり知識があるわけで。
フラグ、イベント管理がゲームの流れに準拠しているなら、陰に日向に応援したいと望むのは自然なことだった。
相性が良い相手ならともなく、何分好感度が上がりづらい組み合わせなのがカサンドラのハラハラ具合を助長し今に至る。
「はい、毎日宿題に追われていましたが何とかなりました!」
勉強が苦手なリナにとって、あの量の宿題はさぞかし大変なことだったろう。
良く期日に間に合って出せたものだと今なって思う。まぁ、リゼという頼もしい存在が身近にいるのだからあまり心配はしていなかったけれど。
「最後の週、たまたまシリウス様とお会いする機会がありまして。
その時、どうしても解けない問題を教えてもらえたんです。
お陰様でなんとか事なきを得ました……!」
なんてことのないような口ぶりのリナに、フォークを動かす手が停まる。
美味しそうなパンケーキを切り分けようとした不意を突かれ、危うくナイフで食器を傷つけ不快な音を立てるところであった。
「シリウス様とお会いしたのですか?」
「お恥ずかしい話ですが、寮の部屋で勉強していても全く捗らなくて。
中央広場の木陰に宿題を広げて悩んでいたら、たまたまシリウス様がいらして」
あの人が広場内をウロウロするという状況があまり想像できないのだが、リゼと一緒にいる時に散々感じた主人公の運命力というものだろう。
彼女達は物理的にも引かれあう運命に違いない。
そこで彼が解けない問題への助言をくれたのだという。
普段真面目な生徒に対しては案外親切な人間なのだということは承知している。
だがいざリナの口から聞かされると、普段の彼を身近に知っているからこそゾワゾワ這いあがってくるものがあった。
「そういえば、私、シリウス様の勧めで二学期からのアルバイト先が決まったんですよ!」
「……アルバイト?」
リゼの家庭教師に加え、今度はリナも?
経過について逐一カサンドラが関わっているリゼの事は何となく追うことが出来ても、リナの話は聞く機会がある度に驚くばかりである。
彼女は沢山の果実を散りばめたワッフルをナイフで刻みニコニコ笑顔。
大変嬉しそうな表情のリナ。
アルバイト、それもシリウスからの薦めというのは凄いことだ。
そういう事情ならカサンドラに話を聞いて欲しいと思うのも当然のことか。
やはり長期休暇だからと言わずに、もう少し積極的に三つ子と関わりを持てる予定を入れた方が良かったのかなとも思う。
「リゼも家庭教師のアルバイト、リタも劇団でのアルバイトが決まったと言っていましたよ」
「そ、そうなのですか……」
リゼの件は把握しているがリタの事は知らない。
というか何故劇団? 何故そのチョイス? そもそも劇団に縁があるようには思えないのだけど……
「リナさんのお勤め先はどちらですか?」
「はい、ええと……
カサンドラ様がご存知かはわかりませんが、シリウス様達が所有されている
いわゆるメイドさんですね」
今日は何と言う一日なのだろう。
カサンドラだって二学期が始まり、浮かれっぱなしだったわけではない。
そりゃあ来週の誕生日は楽しみだけど、気を引き締めて緊張感を持って臨んでいたつもりだ。
でも状況は目まぐるしく動き、カサンドラの想定を超えていく。
主人公が独自に同時攻略している上にカサンドラも王子との事で決して順風満帆というわけではない。
自分の見えないところでは足踏み状態だろうという勝手な思い込みは良くなかった。
彼女達だって自分のやりたいことや、やるべきことを考えて活動しているのだから。そのたびに、事態はぐいーんと音を立てて動き、カサンドラの知らない内に変化する。
しかしリタが劇団、つまり演劇が好きとは知らなかった。
「わたくしも餐館へ招待を受けたことがあります。
常に稼働する施設ではないと聞いていますが」
………物凄く聞き覚えのある名称に、カサンドラは眩暈を押さえるべく顔の片側を手で覆う。
「主にシリウス様達が休日に立ち寄られる、共有の館だと聞きました。
学園で授業を受けている時は必要のない施設だそうで、休日だけお勤めするのに丁度良いのではと」
リナによると、王都内で使用する餐館は大体決まっているそうで、リナはその忙しい施設でメイドとして働いて欲しいと。
家庭的で礼儀正しい彼女にはぴったりの働き先と言える、ゲーム内でも”メイド”という職はあったがまさかシリウスに勧められるとは。
「一学期は本当にお小遣いが足りなくて、皆苦労したんです。
これからは計画的に使いつつ、いざと言う時のために貯めておかないと、ですね!」
「わたくし達学生の本分は勉強なのですから、どうかご無理のないように」
「勿論です。でも働くのも好きですよ、色んな事を教えてもらえるのが今から楽しみなんです」
早速明日から向かうのだと意気揚々と語るリナの幸せそうな顔を見ていると、羨ましくもある。
必ず顔を合わせることはないだろうが、毎週のようにもしかしたら会えるかも知れないという期待を抱いて過ごすことが出来るのだから。
しかも頑張れば頑張るだけ、雇用主であるシリウスの耳にも入るだろう。
もしかして。
リゼがジェイクの家庭教師をする話でシリウスがあまり反対するそぶりが無かったり、王子やラルフも異議なしという様子だったのは……
既に、リナが餐館でのバイトに雇っていたからという事情があるのでは?
シリウスは丁度良い人選だとばかりに、自分達の共有施設の管理手伝いとしてリナを雇用した。
餐館管理に出資する四人、彼らの総意だったのかは分からないが。
少なくとも三つ子の一人をバイトで雇うという行為を先にやっていたのがシリウスなら――リゼに対し協力的な、ああいう反応にもなるのか。
世の中はそれぞれ繋がっているのだなぁ、と。
カサンドラは乾いた喉を潤すため、そっとグラスの水を口にした。
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