第158話 シンシアとの対面
昨日アレクと話した通り、あまり気が進まないなどと言っている場合ではない。
一人のいたいけな女生徒の今後を憂うのであれば、恋愛など当人同士の問題だなんて耳に善い言葉で遠ざけるのは良心の呵責に耐えられない。
「はぁ………」
学園に隣接する学園寮に馬車を着け、ゆっくりと段を降りていくカサンドラの足取りはかなり重たいものだ。
三つ子の恋を応援しているのとはまた違う。
本来カサンドラは他人のリアルな恋愛事情に首を突っ込むのが苦手である。
相手に望まれて協力という
全く以て心がときめかない、その反対の精神状態であるのは仕方のない事だった。
だが希望的観測や罪悪感だけ抱いて遠巻きにしているわけにもいくまい。
カサンドラは女子寮監に、シンシアと二人きりで話をしたい旨を頼みに行った。
同じクラスの女生徒が欠席で心配であるという事を強い気持ちで説明。
寮監個人もカサンドラに直接声を掛けられては一々事態の追及をすることはなく、寮監達が使用する来客室を貸してもらうことが出来た。
シンシアが誰にも会いたくないと強く拒絶するのであればその限りではないが、一度話をしたいと念を押す。
案外、門前払いを食らうかもしれないな――と緊張の瞬間だ。
仮にも貴族のお嬢さんや有力商家の娘などを預かる寮の警備体制を考えれば、身一つで行って果たして面会が可能なのだろうか。
そんな心配は杞憂に終わった。
長いものには巻かれよという処世術を知っている大人はカサンドラに『特別ですよ』と念を押してシンシアを呼び出してくれることに。
寮生を敷地外に連れ出すわけでもなく、同級生がお話に来たというのを追い返してカサンドラの不興を買うのも面倒だ。そんな大人の打算が感じられる瞬間であった。
※
生徒の保護者、貴族達を迎える機会も多い学園寮にある来客室はかなり立派なものだ。
自分の娘を信頼して預けるに足る施設かと確認に訪れる者も多く、その疑問に答えるようにしっかりとした警備と常に綺麗に整えられた広い建物、男子寮と直接行き来出来ない構造などなど。
思った以上に住み心地が良さそうで、カサンドラもこの寮に引っ越して通うことが出来ないかもう一度考えてみる。
だが現実としてはかなり難しそうだ。身の回りのことは一人でできると豪語したが、夏休みに避暑地で数日過ごした今なら分かる。
多分一週間も経たずに音を上げる、と。
王子達のために増設された専用の棟に使用人をずらり連れて来て過ごすのとは違う。
もはや食べるものさえ他の生徒とは違う、易々と他の生徒と接触出来ない距離感の彼らの寮生活は何なんだ。むしろ寮の敷地内に自分の家を建てて別邸みたいに扱っているだけじゃないか。
そこまで特別待遇されるくらいなら馬車で通う方が気が楽だ。
「カサンドラ様!」
そのような想いで出された紅茶をいただいていると、部屋の扉が静かに開いた。
扉の静かな動きとは全く真逆で、カサンドラの呼び出しに応えてくれたシンシアの声は慌てていたし大きな声だった。
「わざわざ私のために!
ご足労いただき、誠に申し訳ありません!」
その場に平伏する勢いで怒涛のおペコペコ辞儀攻勢を受け、予想外の反応にカサンドラは気圧され仰け反る。
「し、シンシアさん……?」
「まさかカサンドラ様にまでご心配をおかけしたなんて……!
ええと、その、ご、ご覧の通り。
私は、いたって健康です!」
彼女は黒い髪を空中に揺らし続けていたが、ようやく頭の上下運動を止める。
おずおずとこちらの様子を伺っているシンシアに、とりあえず元気そうでよかったですと頬に手を当てて微笑むしか無かった。
「先日も欠席されていたのでとても気になりました。
――不躾にも単刀直入にお聞きしますが、ベルナールが原因ではありませんか?
彼は御存知の通り、レンドールに属する者です。
あの者の行動によってシンシアさんが学園を欠席する状態になってしまったのではと気が気ではなく。
事前の許可なくお伺いしたにも関わらず、お会いしてくださってありがとうございます」
「いえ! いえいえいえ!」
彼女は目をぐるぐると回し、ついでに両手を突きだしてわたわたと動かす。
何とか正面の椅子に座るもののその挙動は大変に騒がしいものであった。
シンシアが落ち着くまで少し様子を見ようと座して待っている内に、ようやくホゥと息の塊を吐く。
申し訳ないです、と彼女は恐縮して肩を窄め縮こまる。
「昨日はええと、確かに欠席したのはベルナールさんのせいと言えばその通りです」
やはり、とカサンドラの全身に緊張が走る。
普段物腰が柔らかくおっとりしていて、誰かを非難するなど考えられない少女がこのように決然と言い切るとは。
よっぽどアレの行いが迷惑千万だったのだろうなぁと、顔の向きを少し横に向けて額を指先で押さえる。
「だって私、昨日はベルナールさんと、何というのでしょうか。
王都散策? ……デート? に……
一緒に、出掛けていましたので」
シンシアは中々言いづらそうに、でも誤魔化すのも難しいとばかりに。
赤面状態ではあるものの言い切った。
カサンドラの頭の周囲に何羽もの鳥がぐるぐる廻る、そんな錯覚さえ覚えた。
このパターンは予測していなかった。
さぞや周囲にからかわれたり、変な噂になっているかもと怯えて寮の中で震えるように過ごしていたとばかり。
「……?」
カサンドラが絶句してしまったせいだろうか。
彼女はつっかえつっかえながらも、現状の報告をしてくれた。
「最初はその、吃驚してしまいました。
私、男性の方とまともにお話したことがなくて、ええと……」
彼女の普段の様子を考えればその通りかもしれない。
返す返すも、ベルナールがゴードン商会に向かうのだったらついでに、という用件を被せた横着な自分が悪かったのだと思う。
きっとそこでマークされてしまったのだ。
シンシアのような『普通に可愛い』女生徒の存在を知り、彼は舞い上がってしまったことだろう。
「ベルナールさんには一度しかお会いしたこともないですし、急なことで驚いて逃げ出してしまいました」
「それは仕方のない事です」
少なくとも何とも思っていない相手に衆目の前で求婚されることに慣れ、簡単にあしらえる女生徒もそうはいない。
嫌なら黙るか、逃げ出すか、という拒絶の意思表示をする他ないだろうとも。
「逃げ出したはいいものの、すぐに捕まってしまって……
それで、ずっと、説得を受けていまして」
ぽつっと呟いた声に、カサンドラは心の中で悲鳴を上げた。
追いかけて出て行った後彼女を拘束していたのか!? と、状況を考えたら最悪を記録する事態にクラッと眩暈を感じる。
「怖い想いをさせて大変申し訳ありません」
ストーカーでもそんな実力行使に出るなんて早々聞かないわ、と頭の中にイメージされたベルナールにがみがみと文句を言いたい気持ちになった。
嫁入り前のお嬢さんに消えないトラウマを植え付けたらどうやって償うつもりなのか。
「……私、ベルナールさんのことを知らないので、良いとも悪いともどうしても返答できなかったんです。
男性の方に強く申し入れられたことなど初めてのことですし、どうすればいいのか悩んで……
それでベルナールさんとも話し合ってみました」
元凶と話し合いとか、彼女の胆力に若干慄く。
自分を混乱させ、窮地に追い詰める相手に「どうしましょう」と相談しようなんて、カサンドラなら中々選べない選択だ。
とりあえず家に逃げ帰って他の信用できる身内に相談と言う名の”言いつけ”をすると思う。
ベルナールはこう言ったそうだ。
一日一緒に過ごしてみて、それで『駄目』だったらシンシアのことはきっぱりと諦める。
ゴードン商会長にも直接謝罪に行くし、自分の勘違いで先走った行動だったと学園側に正式に表明する。
「彼が教室内で求婚などするから、このようなことに……」
「いえ、あれは……
自分の意思をちゃんと宣言しないと、カサンドラ様にも迷惑がかかると思われたそうで……」
ジェイクの詰問を受けていたこともある、しかも見ようによってはカサンドラの方から絡みに行ったともとれる。
あそこで中途半端な問答をしても誤解を生むだけかも知れない。
ベルナールは「貴族なんて」という捻くれた考えの持ち主だが、そんな彼でもジェイクに真っ向から反抗するのはヤバイと第六感が告げていたそうだ。
それに他の誰に誤解されてもシンシアだけには誤解されたくないという心境で――呼び出して告白するだけのはずが、口が滑って求婚になってしまった。
「一日一緒に過ごして、お付き合いするか今回の件はきっぱりと無かったことにするか決めて欲しいと、ベルナールさんが……」
付き合い始め、結果的に結婚まで至るならそれはそれで結果オーライという形におさまる。
そしてシンシアが嫌だと言えば、今後の彼女の縁談に障ってはいけないので以後絶対に迷惑を掛けないし近づかない。
だがそう言われたとして、見ず知らずの他人のような存在と一日過ごしただけで結論が出る類のものではあるまい。
ここはリスクを考慮し、ベルナールの乱暴な交際申し込みをなかったことにするのが無難な判断ではないだろうか。
「――昨日、凄く楽しかったです」
そう言って彼女はふにゃっとした笑顔ではにかんだ。
彼女が
普通のカップルの話にしか聞こえなかった。
初めて授業をサボって誰の視線にも構うことなくまさに正真正銘の一般人として街中を歩いて、食事をして――
という一連の流れが彼女にとっては新しい世界たったのだ。
『駄目だったらシンシアのことはきっぱりと諦める』
そのような条件を口にしてデートにこぎつけた以上、シンシアに嫌われては二度と会うことも出来ない。
背水の陣だったにも拘わらず、ベルナールは大変自然体で振る舞った。
シンシアにはさぞや新鮮に映っただろう。
一歩学園に踏み入れれば煌びやかな貴族の子女が溢れかえり、右を見ても左を見ても『ごきげんよう』の世界だ。
居心地が悪く本当にここにいても良いのかと自信のない彼女にとって、プレッシャーから解放された普通の目から見える世界はとても魅力的に思えたのは仕方ない。
何より、意外な事に彼は優しかったのだとシンシアは言う。
ベルナールは口は悪いが根は良い奴というのはカサンドラとアレクの共通認識であったから、そこまで驚くことではないけれど。意外……うん、意外かな……
好きな女性を目の前にして乱暴な口調を使うような事もなければ、まぁ多少顔の宜しく上背の高い気の良い先輩という印象に帰結するのは何となく分かる。
「最初にお会いした時、怖い人だなって印象だったんですけどね……
急に突拍子もない行動をされる、変わった方だとも……」
だがデートの最中、事あるごとに「可愛い」だの「好きだ」だの言われれば、ついつい感情も絆される。
何より、思ったより気を遣わずにいられたのが楽しかったと彼女は笑う。
「それで、あの、ご報告が遅くなったのですが――
将来の話はひとまず置いて、お付き合いをしてみてから考えるのも良いのかな、と」
「シンシアさんはそれでいいのですか?
あの人の勢いに流されていませんか?」
騙されているわけではない、あの青年は卑怯な考えを持つ人間ではないから。
どちらかと言えば正義感が強すぎるが故の反発、身分によってガチガチに固められた生活のフラストレーションが現状の彼を造ってしまったわけで。
二股だの浮気だの、そういう器用なことができる性格でもない。
彼の恋愛観については興味もなかったが、一回会って惚れ込んだ相手にここまで真面目に応対するなら、そうズレた認識でもあるまい。
だがシンシアの決断は軽率ではないだろうか。
不安でしょうがない。
「衆人環視の前での求婚を一先ず置く、と仰いましても……
この状況で交際するとなれば、周囲は貴女がベルナールの婚約者だと見做してしまうでしょう。
今後どちらが原因だとしても、関係が解消された場合シンシアさんが一方的に不利益を被ることになります」
婚約中だなんて誤解が広まれば新しい出会いも縁談もなくなるだろう。
だが交際しているだけで正式な婚約ではないから――別れたところでベルナールは痛くもかゆくもない。婚約を一方的に破棄したり不義理を働いたならともかく、多少の異性遍歴など男性にとっては些末な問題に過ぎないのだ。
だが女性はそういうわけにはいかない。
”婚約同然の交際相手のいる学園生活を送ったお嬢さん”というレッテルだけが貼られてしまう。
彼女のご家族にも申し訳が立たない。
付き合うのであれば正式に婚約すべきだと思う。
また、一日やそこらで結婚の可否まで判断できないならご縁がなかったと拒絶する他ない。
誤解を解くなら早めにしないと、撤回が遅れるだけシンシアに不利になる。
「急に結婚と言われても困りますし、お相手を知るためにも交際期間は欲しいです。
その結果がどうであれ……ちゃんと受け入れます」
彼女が言うには”打算”らしい。
「例えこのお話をなかったことにしても、この先私の事を好きになってくれる人が他に現れるなんて想像も出来ません」
今はまだ結婚だのなんだのという覚悟はないし、そこまでベルナールを好きになれるか確信もない。
好きだと言われているからその気になって、後ほど関係が破綻することは十分に考えられる。
でもベルナールからの告白をなかったことにしたところで、自分に好きな人が出来るかも、また好きになった相手が自分を好きになってくれるかもわからない。
今までと変わらない日々を卒業まで過ごし、一人で卒業パーティに臨む可能性の方が高い。
ならば、後ほど不利益を被るかもしれないことを覚悟でとことん付き合ってみてもいいかな、と。
案外彼女は強かであり、前向きな少女であった。
「それにベルナールさんと交際を始め、残念な結果に終わったとして……
私の過去の交際歴が理由で結婚を躊躇う男性とは、私も結婚したくないです……
それならもう一生独身でいいです……」
貴族でも何でもない、そもそも貴族に嫁ぐ気もない彼女にとってそこまで過去を穿り返して恨みがましく気にする男性はお断りの対象だそうだ。
この辺りはカサンドラとシンシアとの価値観の差が如実に表れている。
貴族の令嬢にとって過去に異性遍歴があったり婚約した過去があるかないかでは、生きているか死んでいるかくらいの明確な差がある。
よく素性のわからない男性でも急に声をかけられて変な噂が立てば、死活問題。
そんな噂など根元から断つべく親が出てくるのは当たり前の世界だ。
貴族的な考えと彼女は全く違う。
ベルナールは彼女達の価値観に近いから、話や気が合うのも分かる気がした。
こうやって身内の不始末だからとやってくるカサンドラ。
そんな自分がシンシアの縁談を過剰に心配する姿だって、彼女には意味不明なことかも知れない。
カサンドラは関係ないことなのに、と。
「このような経緯を辿ってしまいましたが、貴女がベルナールを憎からず思って下さるならわたくしは嬉しく思います」
「逆に……
私で、良いんでしょうか?」
「……はい?」
一瞬、カサンドラの目が点になりそうだった、
「ご本人は貴族でも何でもない、ただの一領主の後継ぎだから……って仰ってましたが、こんな小さい商会の娘では、その、相手として相応しくないのでは?」
「……。」
ベルナール本人が良いと言っているのだから、相手が誰だろうと委細気にすることは無いだろう。
「この学園に通っていらっしゃるお嬢さんならば、全く不足などありませんよ。
どなたも身元のはっきりされた、王国お墨付きの優秀な生徒ですもの」
結婚まで考えてはいない、まずは様子見の交際だと念を押す割には――
かなり近い将来を見て話をしているような気もする。
突拍子もないことをしでかされ、生理的に無理だと思ったら? まず一日も一緒に過ごせないだろう。
このように好意的な反応など絶対返ってこない、はず。
もしかしたら案外良い縁談に繋がるのかもしれないなと薄ぼんやりと考える。
「シンシアさんがそれで良いとお考えでしたら、わたくしも何も申し上げる言葉が見つかりません。
交際を続けていく中で困りごとがあったらいつでもご相談下さいね。
ベルナールの知己として、円満な交際関係が続くことを願っています」
ああよかった、カサンドラが先走ってゴードン商会に謝罪行脚に行く前で。
まさかまさか。そんな事態になっているとは予想もしていないベルナールの大逆転劇ではないか。
「ベルナールさんの気が済むのならと、一緒に出掛けることになって。
体調不良と偽って欠席してしまい、カサンドラ様にはご心配をおかけしました。
迷いましたが思い切って行動して良かったです」
最初は乗り気ではなかったのか。
ではたった一日で付き合ってみてもいいかな? と思える何かがあったのだろうが……
「ところで、シンシアさんが交際を考えるきっかけなどがあったのでしょうか?」
彼女は今までより一層顔を真っ赤にして、ブンブンブン、と顔を横に振った。
※
「確かお前、服を作るのが好きだって言ってたな」
王都の大通りに並ぶ露店を冷やかしながら深い青色の髪の青年はたまたま目の前にあった織物を手に取る。
様々な色、手触りの布が所狭しと並べられ、少女はもしも彼と一緒でなければ何時間でもここで時間を潰して布の海に溺れていたことだろう。
あれも欲しいこれも欲しいと指先が小刻みに震えるのを懸命に堪える。
はいそうです、と上の空で頷くと、彼は屈託ない笑顔で言ったのだ。
「もし結婚するなら、衣装って自分で作りたいか?
……それなら早めに言えよ、北の方から一番良い
それは物凄く縁遠い言葉のようで
でも何故かストンと心の中に落ち
ああ、私はこの人と結婚するのかな、と直感めいたものを感じた。
勝手な事を言われる嫌悪感よりも、自分の趣味を受け入れてもらえた喜びの方が遥かに
でも、結婚? まだまだ想像もつかない。
大切な事を性急に決めてしまって、後で「失敗した、早まった。相手を間違った」と思われるのは……嫌だな。
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