第155話 幹部会


 午前の授業中、シンシアは教室に戻ってくることは無かった。


 カサンドラは窓側の空席をチラチラ視界に入れ、その度にどんよりとした重たい気分に陥るのだ。

 自分が迂闊な事をベルナールに依頼したせいで、巡り巡って結果的にシンシアが傷ついてしまったと後悔ばかりが押し寄せる。


 成程考えてみれば、あの日ベルナールが語っていた『理想の女性像』はシンシアに当てはまるではないか。

 少なくとも貴族でなく控えめで優しく大人しく、家庭的な少女。

 それも庇護欲を抱かせる、目立ちはしないがよく見れば可愛らしい女の子――


 ああ、好みのタイプの女生徒と言われれば否定出来ない。


 しかしいくらなんでも、非常識が過ぎると思う。

 シンシアが耳を塞いで教室を逃げ出したくなる気持ちも分かってしまい、大変カサンドラの胃が痛い。


 公衆の面前で真正面から告白されたとして、それを嬉しいと思えるのは相手が好きな人だった場合のみだ。

 いや、仮に好きな相手でも困る! と顔を真っ青にする控えめな女の子も多いだろう。


 恐らくベルナールの行動はカサンドラを庇おうだとか、このままでは己の立場がヤバいなどという思惑あってのことではなかったはずだ。

 ただの素の状態でシンシアに告白どころか求婚したのだから、本当に彼の思考がカサンドラにはわからない。


 告白を断られてベルナールが傷心になろうが、それよりもシンシアの心のケアが大事ではないか。

 彼女が周囲にからかわれて辛い想いをしないようにフォローする、それがせめてもの罪滅ぼし……!


 だが生憎シンシアは午前の授業はおろか昼食の時間も姿を見せることはなかった。

 ベルナールから逃げおおせるために女子寮に閉じこもっているのか、はたまた捕まって長時間にわたる説得を受けているのか……

 もしも後者の状態なら、レンドールの総領娘としてベルナールをしばらく学園に近づけない状態に拘束するしかないのではないか。


 うちの者が一般市民にご迷惑を……なんて考え、ただの色恋沙汰になんでこうも振り回されないといけないのかと頭が痛い。

 カサンドラは若干遠い目をしながら、世を儚み昼食の席に着いていた。



 天井の高い広々とした食堂、その豪奢なテーブルの上には三つ又の燭台に火が灯されている。

 あの舞踏会リボン引き裂きアクシデントを思い出すので、どうにも居心地が悪いと思う瞬間である。


 半分上の空状態で、食事も砂を噛むような思いで進めるしかないカサンドラは、きっと今他のテーブルではベルナールとシンシアの話が飛び交っているのだろうなと想像するだけで憂鬱だ。

 幸いカサンドラが座る王子やシリウスなどを始めとする高位貴族メンバーの中で、わざわざ朝のドタバタ劇について言及するような下世話な者はいない。


 特にシリウスなどが恋愛沙汰の噂話を嫌うというのは周知の事実で、彼の耳が届く範疇にはシンシアの『シ』の字も出で来ない。

 お陰でカサンドラも針の筵を避けられるが、正確にどのような噂が溢れているのか実態がつかめずモヤモヤする。


 案外、無位の貴族が商家の娘に求婚しただなんてどうでもいい話だからと話題に上らないかもしれない。

 ……だが普通の女生徒は恋愛話が大好きだ。

 一方的に求愛する見慣れない男子、そして驚き逃げ惑う大人しい女生徒――話のタネにならないわけがない。



 ベルナールの評判など今更気にしてもしょうがないが、今後シンシアの縁談などに差し障りがあったら本当にどうしよう。

 他の男子生徒と、実態はどうあれ噂になったお嬢さんの縁談に影響がないとは言い切れない。


 一体自分はどうすべきだったのか――

 そんな風に落ち込んでいるカサンドラに、前方から声が掛けられた。


「なぁ、カサンドラ」


 正面に座り食事を続けるジェイクだ。

 彼もさぞかし朝の事でうんざりしているのだろうなと顔を見るのが怖かった。

 何でしょう、と恐々視線を上げたのだが、存外彼の機嫌が良さそうでそちらの方に驚く。


「この後生徒会室に寄ってもらって良いか?

 緊急で悪いが、役員幹部で承認してもらいたいことがある」


「………?

 本当に緊急ですね?」


 カサンドラは首を傾げた。

 一体どういうことかとラルフやシリウス達の表情を確認するが、特にリアクションもない。

 既に把握済みだと言わんばかりの全く気に留めない状況である。


 明日になれば、二学期最初の生徒会役員会議が開かれる。

 重要な議題ならその時に他の役員らも合わせて採決をとればいいだろうに、幹部だけで承認が必要な事項とは何だろう。


 シンシアの事は気になるが、忽ち学園にいないのではどうすることも出来ない。

 このような噂を躍起になって消すことは不可能だ、今は静観を選ぶとして。


 果たして緊急招集をしてまで早期に決めなければいけない勘案事項とは何ぞや。

 はっきりしない悶々とした心境が折り重なリ、心の中に積み上がっていく一方だ。


 新しい学期が始まったというのに、心機一転と言うにはほど遠い状況にカサンドラは力なく微笑み、頷いた。





 ※




 役員の仕事をこなす中で、週に一回の定期会議では対応できない急な招集が行われることは幾度も経験した。

 だがそれは普通の役員にも声が掛かっている状態が常で、王子を始めいつもの四人組にカサンドラが加わる五人態勢での話し合いは大変珍しい。


「――え?

 ……リゼさんを生徒会の雑用に……?」



 驚きのあまり呆然としたのも無理はない。

 急に呼び出しを受けたと思ったら、シリウスが意味の分からないことを言い出したのだ。


「私も本意ではない」


 仏頂面のシリウスは眼鏡のブリッジを指で押さえ、位置を調節しながら苦々しい口調でそう述べた。


 何故という理由を聞くまでもなく、彼は言葉を続けた。


「ロンバルド家の夫人が、是非リゼ・フォスターをジェイクの家庭教師として雇いたいと。その際の”場所”を生徒会に提供してもらえないかと頼まれてしまってな」


 家庭教師……だと!?


 思わず斜向かいの席に座るジェイクに顔を向ける。

 彼もまた何とも言えない、積極的に嬉しいとも嫌だとも形容しがたい様子で気だるそうに頬杖をついていた。


「家庭教師の雇用契約などは当人同士好きにすればいい。

 だが、生憎ジェイクの周辺環境では満足に職が全うできるとは考え難く、一同級生が家庭教師だなど周囲に知られれば――騒がしくなることは明白だ。

 混乱を避けるため、雇用関係が継続している間は生徒会室を使用して良い事とする」


「はぁ」


 目をまん丸く開いたまま、カサンドラは呆けたように頷く他ない。


 一体どういうことだ?

 リゼがジェイクの家庭教師として雇われたなど聞いていない。


 ……ゲーム上、二学期からアルバイトが解禁になる事は事実。そして選択するアルバイトの職に家庭教師があるのも覚えている。

 一定以上の学力で解放される職場で、日当も良い。

 金銭効率は最も良いアルバイトだが、その相手がロンバルド家――ジェイクだなんて聞いてない。


「私としてもこのような措置は甚だ遺憾だ」


「ロンバルド夫人に直接頼み込まれてはシリウスも首を横に振れないだろうから、しょうがないよ」


 おかしそうにラルフは含み笑う。

 もう既にこの幼馴染の間では合意ができていることだが、一応カサンドラも幹部の一人である。

 全く蚊帳の外と言うわけにもいかず、他の役員に先んじてこうして説明しようという心遣いらしい。


 ……もしも入学当初の頃の関係が継続していれば、カサンドラのことを全く無視して紹介当日になって初めて知る事態だったかも知れない。

 どうせ反対などできはしないだろう、と冷ややかな言葉を浴びせられていた可能性に思い至り、背筋がひんやり冷たくなった。


 スッと片手を上げ、王子が発言する。


「彼女は成績優秀、非常識な振る舞いをする生徒でもない。

 来年度以降の待遇は未定だけれど、忽ち雑用係と言う名目で生徒会室を使わせてあげてもいいのではないかという話になってね。

 ……カサンドラ嬢への相談が遅くなったことは、とても申し訳ないと思っている」


「い、いえ! お気遣い感謝します」


 王子に済まなさそうに言われて、別の方向からの衝撃が走る。

 どうぞ心行くまで幼馴染同士で話し合ってください! と平伏したくなった。


「教えてもらおうにも適した場所がないし、雇うのは無理かもなって話をしたらこれだからな。

 こういう時だけ素早くて困る」


 ジェイクが独りちる。


 ロンバルドの夫人が直接王子やシリウスに「なんとかして欲しい」と依頼してきたのなら、無下には出来まい。

 普通の親御さんとして、成績壊滅が約束されていた息子が一人のクラスメイトによって見れる成績になったというのであれば見過ごす手もないだろう。


「ただ……リゼさんは納得されているのでしょうか。

 もしも彼女の意思を無視して進めるということであれば、賛同いたしかねます」


 万が一でも、リゼが拒絶することはないだろう。

 一応念のため、だ。

 もしもロンバルド夫人の我儘で強権を振りかざしてリゼを使い倒してやろうなんて考えているなら、良心に悖る話だ。

 ジェイクの母親がそんな無体な我儘を通すような人ではないはずだが、そんな状況なら無償奉仕ではなくとも、意に沿わないことをさせられて苦行だろうし。


 心の中では両手離しで歓迎したい話も、そんな反応を示せば不審がられると慎重になるカサンドラ。 


「バイトの話自体はリゼも承諾済だ。

 問題はない」


 でしょうね、とカサンドラは頷いた。


「あいつが嫌だって言うならこんな話は俺だって潰したさ。

 毎週、授業以外の時間に拘束されるとか地獄かよ……」


 実際に勉強を強いられる当人であるジェイクは、決して諸手を挙げて賛成というわけではなかったようだ。

 そりゃあそうだろう、勉強がしたくてたまらない人間ならそもそも家庭教師など必要ない。

 リゼのことは気になっているかもしれないが、それでも彼女に会える楽しみよりも勉強したくない逃避願望の方が勝っている状態と見た。


 夫人からせっつかれ、嫌々リゼにアルバイトの打診したが――当然リゼが断るわけもなく。

 そして退路を塞ぐように夫人は勉強場所の確保までシリウス達に依頼済。


 ……リゼにとってはハッピーかも知れないが、彼にとっては大変複雑な状況なのだと把握した。





   いや。むしろ逆、か?





 夫人の言うことに従い、リゼと一緒に勉強することが苦ではない。


 一緒にいてもいいか、と思える相手だから……

 こうして流れに身を任せ、受け入れているのだとも言える。


 もしも望ましくない相手だったら、いくら夫人の薦めがあったとしても断る理由はいくらでも捻出できる。

 敢えてそれをせず、リゼの承諾を得たというのはこうして厭そうに言う程、本音はそこまで嫌じゃないのではないか。


 「あいつが家庭教師なら、まぁ良いか」と、受け入れるだけの信頼関係があるということに他ならない。


 傍から見ていても、ジェイクは彼女に親しく接していると思うのだ。

 ……きっと、憎からず思っているに違いない。――本人に自覚がなくとも。




 その後は淡々と形式上、どのような形でリゼを生徒会に迎え入れるかという事を話し合う。

 ジェイクが家庭教師以外の余計な仕事を増やすなと、強く主張。

 もはや雑用さえも免除されこの部屋を使用する許可を出す、名目上だけのお手伝いさんになってしまった。

 家庭教師という話のはずが雑用とは言え生徒会に関わる仕事を割り振られたのでは『話が違う』と言われる可能性もある。当然の帰結だ。

 


「では以上の旨、学園長に話をつけてくる。

 ……明日の役員会にリゼ・フォスターを連れてくるように」


 昼休みの多くの時間を費やしようやく話が纏まった。

 疲労の色を滲ませるシリウスは、この場にいる全員の承諾を得たという形で学園長に直談判に行くらしい。

 実務面で煩雑な手続きは彼に全て任せきりだ。


 このような私的なことで動く必要があるなど、快く思うはずがない。

 ……だがシリウスは特に不満のある様子もなさそうだ。むしろ率先して話を進めているような?


 いくらロンバルド夫人の勝手な依頼とは言え突っぱねることなく頷いたのは――

 相手がリゼだからではないかと邪推してしまう。


 理由はどうあれ、彼女が生徒会室に出入りできるようになれば会う機会も増えるだろう。

 そのほぼ全ての時間は家庭教師という時間でも、全く機会がないゼロの状態とは違うのだ。

 明確な恋情ではなくとも、彼のゲーム上の設定ではリゼへの好感度が上がりやすく、特に試験の結果を受けてその評価はうなぎのぼりであることに間違いない。

 彼女の事が気になっているのだろうなぁ。


 そもそもリゼだってこの話を受けるきっかけになったのは、誕生日に熱意の籠ったノートをわざわざ作成してジェイクに渡してあげたという前提があってのことだ。

 要は、愛の力だ。


 ――この世界は恋愛を動力にして動いているのかな?




 話を進めるならば早い方が良いと先に席を立ったシリウス。


 そんな彼を横目で見送り、ジェイクは腕を伸ばして身体を解す。


「さて、どうするかな。

 ……カサンドラ、あいつに今の話を伝えてもらっていいか?」


「わたくしは構いませんが、今日のリゼさんの選択講義は剣術のはずです。

 ジェイク様も同じであれば、直接お話に行かれた方が早いのでは?」


 その方がリゼも嬉しいだろう。

 勿論、カサンドラが説明することは全く構わないし吝かではない話だけど。

 だがジェイクは驚いたように口を半開きにしてこちらを凝視したではないか。


「お前、あいつが何の講座受けるのか、いちいち把握してるのか?」



  ギクッ。



「昨日話題に上がったことを覚えていただけです。

 同じ講義ならば共に参加できるわけですし」


 ふーん、と僅かながら疑惑の眼差しを向けながら、彼も足早に生徒会室を出ていく。


 ジェイクも案外鋭い、そう思うのはこれで幾度目だったか。

 死角からジャブを食らったような感覚に動揺するが、何とか平静を保ってカサンドラも席を立つ。


 この件について殆ど興味関心がないのに付き合わされたラルフは物憂げな様子ではあったものの、午後から始まる講義に向けての準備に向かった。



「……!」


 ラルフが生徒会室を出た後、気づいてしまったのだ。


「昼休憩もすぐに終わるけれど、用事は無かっただろうか」


「全く問題ございません」


 そう、生徒会室の中にはまだ王子が残っている。

 今までの話を呆然と聞いていたカサンドラとは違い、彼は全てを把握した上で微笑みを浮かべながらリゼの生徒会入室許可の話を聞いていたわけだ。

 自分だけ仲間外れにされなかったことを幸運に思うべきか、それとも大事な事を既に決定事項と称して承諾のみ迫られたことを憂うべきか。


 一応、生徒会幹部という立場で仲間には入れてもらっている……のかな。


「ジェイクが定期的に学業に専念する時間をとるということだから、良い話だと思う。

 クラスメイト相手では普段の家庭教師とは違って真剣にならざるを得ないだろうし」


「左様ですね。

 少々驚きましたが、リゼさんは真面目な生徒です。

 責任を以て対応されるかと」


「あまり外聞の良い話ではないけれど、他の生徒と二人で――という状況は、彼らの立場上見咎められれば厄介な事態に陥りやすい。

 ロンバルド夫人からも是非にと言葉をいただいてしまった以上、座視したままこの話が立ち消えるのは都合が悪くてね」


「そうですね、夫人はとても真面目でお優しい方です。

 あの方に真摯に頼まれれば、シリウス様も断ることは難しいでしょう」


「……。

 君はロンバルド夫人と個人的に会ったことが?」



 ギクギクッ! と肩が震えた。

 油断をしていたわけではないのに!


 ああ、期せずして王子と二人きりで話が出来ている状況に浮かれているとしか思えない。

 

「以前ロンバルドの舞踏会に招待されたことがあります。

 その際にお見かけした夫人の印象で、個人的にお話したことはないのですけれど」


「そうだね。内面が滲み出るような、優しい人だと私も思うよ」


 ――ジェイクの家庭の事情のことは、ゲーム内での知識として十分な知識があるつもりだ。

 彼の口から語られる夫人の姿は、本当に出来た一人の大人の女性であった。


 ……常識人だから苦労してしまうという側面もあるのだけど。

 少なくとも、息子想いで一本芯の通った母親であることは相違ない。


 だがそれをこの世界の自分は知らないはずなのだ。

 あたかも相まみえた事があるかのような口ぶりは迂闊だったとしか思えない。


 舞踏会で挨拶をした記憶がある。

 そんな一回程度の通り一遍の社交の挨拶で相手を分かったような態度をとる痛い人間だ、なんて王子に思われていなければいいのだが……


「では私もそろそろ午後の講義に向かうことにするよ。

 そういえば、カサンドラ嬢は午後から何を?」


 普通は相手が何を選んだかなんてわからない。

 ごく親しい友人間で選択を揃えるという話はよく聞くが、全て同じ項目で揃えるような事があれば学園側から苦言を呈されるはずだ。

 あくまでも自主的に学ぶという目的で多くの講座が開かれてるのだから。


「わたくしは政治学を選択しています」


 すると彼はにこやかに微笑む。

 後光さえ射して見せるその柔らかい表情に、カサンドラは呼吸さえ忘れて見入る。 



「奇遇だね、私も同じだ。

 良かったら一緒に行こうか」





 喜んで! と。

 カサンドラは人知れず滂沱する勢いで、前のめりに頷いた。




 モヤモヤを全て吹き飛ばしてくれる王子の笑顔に、心が救われた想いである。  


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