第154話 <リゼ>
――とんでもないものを見てしまった。
リゼは今朝ほど目の当たりにした信じられない光景を思い出し、うーん、としかめっ面になってしまう。何とも言い難い。
二学期初めての剣術講義を受けるため、着替用の小部屋で動きやすい長袖とズボン姿になった。
身体を軽く捻り、身体に異常がないか確認している間中今朝の教室内の出来事が脳裏を掠めていく。
まぁ、昼食の時にもシンシアとあの見たこともない男子生徒との話題でもちきりだったのだから仕方ない。
リゼ本人はシンシアというクラスメイトと親しいわけではなかった。
共通の趣味や性格が似ているリナと仲が良いのは知っているけれど、あのカフェを運営しているゴードン商会のお嬢さんという認識だ。
それ以上でも以下でもない同級生。
結婚を前提に付き合ってください!
あの、何かしら吹っ切れた――頭のネジが飛んだような盛大な告白に誰も突っ込むことが出来なかった。
普通の人生を生きてきて、一生に一度あるかないか、いや大抵の人間には受ける機会もないだろう直截な告白シーンに場は騒然となった。
すぐに朝のホームルームが始まったが、ガヤガヤとどよめきが収まらなかったのはしょうがない。
シンシアに事情を聞こうにも、結局あの後教室に戻ってくることは無かった。
憶測だけが飛び交う。
そして事情を知っているだろうカサンドラがあんなに元気がなく、しょんぼり落ち込んでいる姿を見たのも初めてで……
この状況は不本意なものなのだろうと察する、だからなんと声をかけていいのか分からない。
第一、シンシア自身も「嫌だ!」とハッキリ拒絶し逃げ出すような相手から告白を受けたのだ。
あんな公衆の面前で、心構えもなく。
双方の合意など全く得られないような関係で……
見世物になるかのように、突っ走られて。
さぞ迷惑行為だったに違いない。
リゼはその話題に参加することは無かったが、内心で激しくシンシアに同情していた。
慣れ親しんだ、一学期の間中ずっと使用していた女子用の着替え室。
室内には既に着替えの入った籠が一つある。
上級生のジェシカは先んじて練習場の方に向かったようだ。
リゼには決して入ることのできない、その腕を多数に認められる優秀な剣士だけが参加できるグループの様子がどんなものかとても気になる。
着替え室の扉をゆっくり開けて外に出る。陽光の眩しさを受け、掌を顔の前に出し影を作った。
大きな青い目を細めたリゼは嘆息を一つ落とす。
もしも自分が、シンシアのように突拍子もないが真面目に告白されたらどうなるのだろう。
様子から考えるに、好きでも何でもなさそうな相手に。
考えるまでもない。
自分が何とも思っていない相手に思いの丈を向けられたところで、叫んで逃げはしないが「え? 嫌だ。」と真顔で答える自分しか思い浮かばない。
ジェイク以外からそんなことを言われても困る。
そして残念なことに、ジェイクから言われることなどあり得ない。
せめて、近づくくらいは許されたい。
もっと剣の腕が認められれば、ジェイクやジェシカと同じ場所に立てるのだろうか?
こうしてフランツとマンツーマンで剣を学ばせてもらっている状況では、到底彼らの域まで追いつけるような気がしない。
いや、そもそも自分は上達しているのか?
どのくらいの場所に立っている?
「おう、リゼ・フォスター。こっちじゃあ久しぶりだな」
普段使用している若干旧めの鍛錬場に向かうと、既に待機していた壮年教官のフランツが椅子からゆらりと立ち上がる。
気さくに声を掛けてくれるオジサンだが、その実力やロンバルドでの影響力はいかほどなのかということも合わせて底が知れない人であることは確かだ。
当人は貴族でもないし、と。飄々とした一家の主。
「こんにちは、休み中はお世話になりました」
「こっちも呼び立てて悪かったな」
彼と話をしながらも、考えてしまう。
自分はどう間違っても世界がひっくり返っても、望む相手に公衆の面前で告白されるということはありえない。
想像するだけ馬鹿らしく、イメージ力の無駄なので僅かでも考える事もないくらいだ。顔を赤らめるだけ無駄だ、と身も蓋もない。
仕方ない。己の身に置き換えてということさえ憚られるような相手を好きになってしまったのだ、こればかりは自分でもどうしようもない。
想うのは自由だ、傍にいたいと願うのは自由だ。
そう自分に言い訳をしながらこうしてフランツの前に立っている。
庶民の自分には縁遠いことでも、あの名も知らぬ男子生徒や商家のお嬢さんのシンシア、そしてジェイク当人にとっても”結婚”という単語は常に付きまとうものなのだろう。
まだ全然遠い先の未来どころか、現実味のない単語だが彼らには自然と口から出てくるような早くから染みついた単語。
考えれば考える程モヤモヤが募り、焦りに身を焦がされる。
……未来の事は分からない。ただ、己の望みが完全に叶うことがないのも理解している。
それを覚悟の上で、貴重な学園生活を少しでも自分の望む未来を選ぶために頑張って過ごすと決めたのだ。
足踏みしたり、悩んだりなど今更だ。
ええい、時間がもったいない。
「あの、フランツさん」
「なんだ?」
「私、少しは上達しましたか?」
すると彼は少し訝しそうに、しげしげとリゼを上から見下ろす。
急にどうしたと、彼の小さな瞳が問うていた。
「そりゃあ、普通以上には使えるようになってきた。
最初の頃と比べれば見違えるくらいだ」
言った後、俺の指導の賜物だからな、と。何故か彼は嬉しそうに何度も頷く。
いつもいつもフランツに頼りきりで、彼との指導ばかりだからリゼは他を知らない。
過去一度だけ、ジェシカとの実力差を痛感させられた記憶があるだけだ。
だからリゼは自分の腕が客観的にどの程度まで成長したのかはかることができない。
勉強と違って目に見えて言語化、数値化できる要素がないから不安になる。
二学期には剣術大会という大きな催しがある、そこで上位に入らなければいけないとカサンドラはハッキリ言い切った。
あの人が確信をもって言う事なら、何か事情があるのだろう。
今更彼女を疑って疑心暗鬼になることもない。
「人並みに剣が扱えるようになったなら、私、別の生徒がいるグループに行った方がいいんじゃないでしょうか!」
それまで笑顔だったフランツの表情がスッと渋面になる。もしかして身の程知らずだとでも怒っているのか?
だが人並みに扱えるなら、そういうレベルで指導をしてくれるグループに所属した方がいいはずでは?
彼に教えてもらえることは有り難いし頼りになるが、いつまでも皆に敵わない未熟な存在だからと。個人的に指導を受け続けるのはどうなのだろう。
初心者だから、剣を握ったこともないから。
そういう理由で彼が傍についていてくれるとすれば、今の自分には必要ない事では?
それともまだまだ、全然足りないのか?
「それは」
「もうすぐ剣術大会がありますよね!
私、それに出たいんです。……剣を合わせるのが学園の生徒なのだとしたら、相手の実力も何も分からないのに勝てる気がしません」
「……うーん、それはそうかもしれんが……」
自分が大勢の中でどの位置にいるのか不安だ。
だからリゼはフランツに直訴することにした。ジェイクのいる集団に入れろだなんて微塵も思っていないが、趣味や遊び感覚で剣を扱う男子生徒達の集団には入って行けるはず。
少なくともリゼはもう右も左も分からない初心者ではない。
初心者で特別待遇状態では大会を勝ち上がるなど土台無理な話、論外だ。
フランツが返答にあぐねて顔を曇らせて返答を引き延ばしている時のこと。
真面目に今後のことを考えていたリゼだが、それらを一旦棚に上げざるを得ない事態が生じてしまった。
「時間になったってのに、難しい顔揃えて何してるんだ?」
急に耳に飛び込んできたジェイクの声に、リゼはひゃあっと悲鳴を上げそうになるのを堪えて肩を大きく跳ねさせた。
首を傾げて全く別方向から姿を見せた彼の姿は相変わらず精悍で格好良く、つい両目を覆いたくなる。
制服姿より、動きやすい軽装姿の方が絶対に似合っていると力説したい気分だ。
「ジェイク……
お前、またサボりか?」
剣呑とした様相でフランツは口を引き結ぶ。
彼が離れたこの修練場まで訪ねてくれるのは有り難いが、本来の彼の居場所でない事は確かだった。
教官と言う立場上一言注意しないわけにもいかないのだろう。
「いや、リゼに話があったからな。
ここが一番目立たないだろ?」
「そりゃあそうかもしれんが」
ドキッと心臓が大きく鳴る。
ジェイクの橙色の
「大体、お前がリゼ・フォスターにどんな用があるって言うんだ」
「家庭教師の話だ」
彼は天を仰いで大きな吐息を一つ落とす。
まぁ、勉強を強いられることを喜んで受け入れるような人には見えないからその反応も致し方ない事か。
「か……家庭教師って、おま、お前な!
「違います、フランツさん!
……これはアルバイトですから――! 労働契約です!」
一層目を険しくしてジェイクを見据えるフランツの勘違いを正し、リゼは右手を自身の胸元にあてがい真剣な面持ち。
「中々バイト先も見つからない状態だったので、ジェイク様に声を掛けていただいて助かったんです。
学生を雇うような店、そうそう見つからなくて」
「ああ……まぁ、そりゃあそうかもしれんな。
だが家庭教師ねぇ」
「しょうがないだろ、お袋の指示だ」
「奥方がお前の成績の件で殊の外お喜びだったって言うのは聞いたけどな。
ま、無償じゃないならいいんじゃないか?
金の話はしっかりつけとけよ」
フランツは親指と人差し指で丸ぁるい円を作ってニヤリと笑う。
いや、そこまで法外な報酬をもらったら逆に重圧が半端ない。報酬の高さは確実な成果を言外に求められているようなものだ。
「常識の範囲内で! お願いします!
この間チラっと聞いた相場の数倍の提示では、絶対お受けできませんから!」
「お前ホントに欲がないな」
フランツが無表情で指摘するが、お金に執着が全くないわけじゃない。
彼らからすれば家庭教師で発生する金銭などどんな額でも誤差なのだろうが。
「分を越えた対価は身を滅ぼしますからね。
相場っていう概念をもっと大事にしてください」
「――まぁ、その話は要相談ってことでな。
とりあえず、場所を押さえておく必要があるだろ?」
「確かにそうですね」
リゼも頷く他ない。
夏休みの宿題だって、わざわざカサンドラのお屋敷の一室を借りて行ったくらいだ。
いくら労働契約とはいえ、ジェイクと二人で定期的に一緒に過ごせる場所などあるのだろうか。
万が一変な勘違いをされては、噂は瞬く間に広がってしまうだろう。
有償契約だと言っても、彼に勉強を教えたいお姉さまだっていくらでも学園には存在する。
我も我もと押し掛けてくることは明白だ。
面倒な事になってリゼもろともお払い箱になるという可能性、すんなりと替わりの家庭教師要員を見つけて解雇――という事態は避けたいのが本音だ。
折角!
堂々と、ジェイクと二人一緒にいられる時間を得られるというのにその幸福がたった一回二回で潰えるなど悲しみしかない。
「生徒会室を使おうと思ってさ。
お前は明日から、生徒会の雑用係。
――って
……はい?
コノヒトハ イマ ナンテ?
脳内言語が不明瞭になるほど、ぐにゃっと視界も歪んだ。
思わず一歩後ろに下がる。
「あの部屋ならフツーの生徒はまず入って来ないだろ?
ああ、他の幹部の承諾はもらったから問題ない」
雑用係だが、それはただの名目上のものであって、生徒会活動には参加する必要はないと。
お茶くみや書類整理などの仕事も免除。
要するにジェイクの家庭教師が問題なく行える場所に、リゼも行き来できるようにしただけ。
仮にリゼが生徒会室に入るところを見咎められても、雑用お手伝い係ということなら言い訳は立つ。
実際にはジェイクの勉強をみるだけの役目だが、王子に相談した結果それが一番気楽だということに落ち着いた、と。
……何という事だ。
自分はただ、ジェイクの家庭教師として雇われただけなのに……
「ただし、誓約書には一筆もらうぞ」
彼はそう言って指を立てた。
生徒会室の奥、サロンへの入室は禁止。
室内に誰もいない場合の入室も禁止。
生徒会内部の資料閲覧の禁止などなど。
完全にお客様以外の何物でもない。
リゼの額にペタっと貼られた商品名の紙には『生徒会雑用係』と書いてあるけれど、一枚ぺりっと剥がせば『ジェイクの家庭教師』という本当の役職が現れる。
「生徒会をそんな私情で動かして良いんですか?」
「駄目なら他の奴らが反対してる、問題ない」
その程度の事なら全く障害なくごり押せる……
これが御三家嫡男の底力か、とリゼは眩暈に襲われそうになるのを懸命に耐えた。
効率がいいとは思う。
どうせ男子寮に行くことは出来ないし、教室など以ての外。
わざわざ離れた施設まで通ったり、毎回カサンドラの家を借りることは非現実的だと思う。
なんだかんだ、ジェイクは忙しいのだ。
手近な場所で済むことならそれが一番いいという判断と言われれば、こちらに反論の術がないではないか。
ではこの話は取りやめに――なんて、それだけは嫌だ!
「……。
ご期待に添えるかはわかりませんが、精一杯頑張りますので!
宜しくお願い致します」
「いや、こっちが頼んだことだし。
面倒押し付けて悪いな、ホント」
まさか王子やシリウス達の手を煩わせていたとは知らなかったが。
結果的に彼らが合意してくれたのならリゼも罪悪感を抱く必要もないはずだ。
明日の役員会でリゼを一度紹介するからカサンドラと一緒に来てくれと言われ、一旦この話に区切りがついた。果たしてカサンドラはどんな反応をするのだろうと、今から少し怖い。
面倒だと疎まれることはない――と思いたいが。
さて、と。彼は時計を一瞥する。
本来は選択講義の時間だ、このような個人的な会話をするために設けられた場ではない。
だから彼はこのまま元の場所に帰るのだ。
……折角会えたのに、ものの十分かそこらでいなくなってしまう。
また勉強を教える時に会えるではないかと自分に言い聞かせても、今、凄く寂しいと思った。
そう思ってしまった。
誰に憚ることもなく、人の目を気にすることもなく、ジェイクのことを見ていても誰にも怒られない時間が もうちょっとだけ 欲しい
「あ、あの!」
「――ん?」
話は終わったとばかりにさっぱりした表情のジェイク。
物事が意の通り滞りなく進めば、それは清々しいだろう。何せ朝、彼は予期せぬ事態に巻き込まれて辟易としていたようだから。
あのドタバタ劇を経た今、きっと穏やかな気持ちで過ごせているに違いない。
「ジェイク様の意見をお聞きしたいのですが……!」
実際にリゼは悩んでいたし、出来る事なら一緒にフランツを説得して欲しいとも思った。
今後もジェイクの傍にいるためには、”強く”ならなければいけない。
そのために効率がいいと思うことに考え至ったなら、実行に移すべきだ。
背中を押して欲しかった。
なんだ? と彼は再び身体をこちらに向け直す。
燃えるような赤い髪、その毛の先が揺れていた。
「私は今、フランツさんに個人的に指導を受けています。
ですがフランツさんも、私はもう初心者ではないと言ってくれました。
なら、本来あるべき集団に混じって自分の腕を磨くべきなんじゃないでしょうか?
それに……剣術大会で対峙するかもしれない相手の事を何も知らないままなのはどうかと悩んでいて」
「………。」
フランツはそれを仏頂面で聞く。
彼は教官としての立場から良いとも言わず、駄目だとも言わなかった。
ただ苦々しい顔でリゼを見据えるだけ。
「それにフランツさんは当初予定ではなかった追加の教官ですし……
その、いつまでも私が手間をとらせるのは迷惑じゃないか、とか」
「おいフランツ、どうなんだ?
他の奴らに交じって活動できる程度にはなったのか?」
「………。
ああ、ああ。
言う通りだ、根気と成長ぶりには目を瞠るものがある、今のままで十分他のグループでもやっていけるだろうさ」
剣を振るうことも出来ず、持つことも難しかった初心者じゃない。
体力もそこそこついてきたし、手練れとは言えないがお遊びのお坊ちゃん連中には負けないだけの実力はついていると思う。
そうでなければ間に合わない! そう、焦る。
「なぁ、リゼ」
ジェイクが今までと打って変わって
「はい!」
リゼは己の希望が叶うに違いないと意気込み、ぐっと後ろ手で拳を作り握りしめる。
だが彼もまた難色を示しているように見えるのは何故だろう。
「フランツに鍛えてもらった方が絶対に得だ。
今のままで良いんじゃないか?」
「えっ……でも」
「こう見えてフランツの腕は確かだし、一対一で教えてもらえる機会なんかまずないだろ?
申し訳程度に剣が扱える、そんな適当な奴らと剣を合わせて得られるものなんか少ないぞ」
淡々と言葉を並べられると「そうなのかな?」と思いとどまってしまう。
「大会に出るために頑張るってのは良い事だ、でもそのために相手の剣筋を確かめるってことは、相手にもお前の実力や手の内を知られるってことだぞ?
それに、だ。
折角良い環境にいるのに勿体なくないか?」
「そうでしょうか、あの、フランツさん迷惑じゃないですか?」
「確かにお役御免っちゃお役御免なんだよな、お前はもう十分あいつらに交じって立ち回れる。
能力が備わった上、教える当人から補助は要らんって言われれば、俺は何も言えることはないからな。
――だが……」
フランツは一瞬躊躇したが、大きく頷いてリゼに向かって力説を始めた。
「俺は、前にも言ったがお前の才覚を買っているつもりだ!
出来ればこのまま、どこまで伸びるか見ていきたいと思っている。
普通の集団に混じってもそれなりには成果は出るだろうが……!
勿体ない!」
勿論リゼの意思を止める権利はないし、リゼの判断に任せる。
とは言え、喜んで背中を押してやるというわけにもいかない。
そういう感情が入り混じっての先ほどの煮え切らない態度だったのだという。
「そんなに他の奴と剣を合わせたいって思い詰めるくらいなら、ジェシカでも連れて来てやるさ。
夏の休みにまで指導したいってくらいお前に入れ込んでるんだからな、そんな事言われたらフランツもショックだろ」
本来なら周囲とレベルが合わせられるくらいまで指導してくれる、初級の初級講座としてフランツが呼ばれたわけだ。
少しずつ技量も自信もついて、集団の中で己の位置を知りたいと焦っていたけれど。
自分などより段違いの経験がある彼らがそれを勧めるのなら、きっと正しいのだろう。
いつまでもフランツに頼っているわけにもなぁ、というモヤモヤした気持ちが少し和らいだ気がする。
あまりにもリゼが出来ない子だから、特別講義をしてでも一刻も早く次の段階に押し上げて。フランツ本来の仕事であるロンバルドの修練場で兵士の指導をしたいのかも知れない……と、ちょっとだけ自分を卑下したこともある。
「はい、これからもよろしくお願いします、フランツさん!」
背中を押してもらうつもりが、逆にがっちりと足場を固められてしまった。
だがしっかりと確信を持っての助言なら、それに従わない方が意固地になり過ぎて良くないことだと思う。
それにそこまでフランツが肩入れしてくれているのだと、嬉しくてちょっと感動してしまった。
足手纏いで運動音痴で迷惑ばかりかけていたのに、ここまで根気強く付き合ってもらえるなど感謝の念しか湧いてこない。
「よーし、よし。
いやぁ、ジェイク助かったぜ。
折角の金の卵を兄貴だのルーカスだのに渡すのは癪だからなぁ!」
フランツは気分爽快といった様で笑い、ジェイクの肩をバシバシ叩いた。
こんな小娘一人のためにロンバルドにとって有能な人材を学園送りにされたわけだ。
厚意に触れる度に申し訳ないという想いもあったので、ちょっと胸のつかえがとれた気持ちだ。
「向上心があるのは良い事だけどな。
そこまで真面目に取り組んでない奴らの中にいきなり放り込まれても、混乱するだけだ。
俺だって最初はライナスにつきっきりで習ってたわけだし。
フランツなら信用出来る、学園側から指導が入ったならともかく勿体ないこと言うなよ」
――な?
そう笑って言われればコクコクと頷く他なかった。
何の損得もないから、ジェイクの言葉や表情は信頼できると強く思う。
「ありがとうございます、相談して良かったです!」
「そうか、なら良かった」
そう言って彼は軽く片手を挙げる。
右手をスッとリゼの顔の高さに掲げるジェイクの行動の意味が分からず首を捻る。
手、と言われて何だろうとリゼも恐々と己の右手を掲げたのだが。
すると彼はバシンとリゼの掌を一度だけ叩く。
「明日は面倒だけど生徒会に顔出しだけ頼む。
じゃあな――訓練、頑張れよ!」
彼はヒラヒラとその厚い手を振って踵を返す。
そのまま来た方向に駆け出し、本来いるべき集団の元へと向かって行ったのだ。
え? え?
今のは?
ハイタッチ? 激励ということだろうか。
それ以外に形容できる表現がなく、リゼは軽く叩かれた己の掌をまじまじと見つめる。
まだじんわりと痺れが残っている。
うわぁ。
……なんだ、これ。
この体の奥から湧き上がる、むず痒さ。
どう足掻いても顔が紅潮してしまう気恥ずかしさ。
「フランツさん! 私! 準備運動前ですし! ――走ってきます!」
「は? リゼ・フォスター!?
おい、またか――何なんだ!」
急に思い出したようにくるりと背中を向け、あらぬ方向に駆け出すリゼに彼は太い腕を伸ばす。
きっと彼も既視感に見舞われていたに違いない。
でもこんなの、素面で平然と立っていられるわけがない。
どうにもならないドギマギとした感情を覆い隠すように、リゼは駆けだした。
以前より遥かに軽快に、校舎の周囲を勢いよく走り続ける。
握りしめた手が熱い。
………。
やっぱり好きだ。
大好き。
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