第146話 宿題の会


 先週の観劇は本当に素敵な思い出になった。


 王子に会えない一週間は長いと憂鬱な気持ちだったけれど、あの一日の事を思い出してはずっと幸せな気持ちで過ごすことが出来たのだ。

 逆に会えないからこそ、一日の出来事を何度も反芻して温めることが出来ているのかもしれない。

 会えない時間が想いを作るなんて詭弁だと思っていたが、存外そうでもないらしい。

 遠距離恋愛は出来る気がしないが、一週間くらいのインターバルはカサンドラにとって想いを募らせる時間に丁度良い。


 まさかラルフが招待客ではなくて演奏側の人間として参加しているとは夢にも思っていなかったけれど。

 彼の姿を見たのは最初の挨拶の時だけ、後は心行くまで王子と一緒に観劇に興じることが出来た。

 その上特別に自分を餐館レストハウスまで招待してくれ、夕食に同席させてくれたのだ。


 観劇の後の予定を全く想像していなかったカサンドラもどうかと自分で思うが、夕食に誘ってもらうという彼からのアクションがあったことが何より嬉しい。


 例えそれが公的なカップルなので当たり前のことだと言われても構わない。

 常識の範囲内でカサンドラに気を遣ってもらえたことは感謝している。


 真実カサンドラの事など歯牙にもかけていない、嫌で嫌でしょうがない相手ならまず一緒に観劇に行ってくれることは無かっただろう。

 忙しいスケジュールを調整してまで誘いに乗ってくれた。



 ……よし、きっと王子に嫌われているわけではない……はず!



 もしもここで相手の自分に対する好意が数値となって現れたらどれだけ目安になるだろうかとゲーム脳な自分はふと考えてしまう。

 現実の世界にそんな便利な尺度スケールはない、だからこそ皆相手のちょっとした言動に喜び、悲しみ、怒り、不安になったり。

 恋愛によって様々な感情を知ることになるのだ。


 ここがゲームを基にした世界だからというわけではないが、もしも数値が視えたら……


 ああ、それもちょっと怖いな。


 自分が何かを話した内容や、選んだ行動で相手の好意が目に見える数値としてガクンと下がるなんて。

 恐ろしくて何も話せなくなってしまいそうだ。

 ゲームのように王子に好感度があったとしたら……最初の中庭の会話で星空の話題を選択した時点でマイナス値を記録していただろう。


 多少意に染まない話題でも寛大に受け入れ、だがそれ以上言及されないように振る舞ってくれる王子のなんと優しいことか。


 ――でも王子は恋愛好感度が最底辺を這うような女性が相手でも、完璧に紳士として恥をかかせないように振る舞える人だとも思う。

 今まで彼と一緒に過ごした瞬間を思い返してみても、カサンドラでなくても別の女性にも同じように対応するだろう王子の幻影が見える。


 それは良い事だ。

 人によって態度をコロコロ変えたり、嫌いだからと大人げない態度に出られる方がどうかと思う。


 でもその分、結局カサンドラはその他大勢から脱却できないままなのだなぁ、と己の不安定な立場を突きつけられる。


 いっそ、”好きです”と言ってしまおうか。

 そうしたら彼に異性として意識してもらえるのか。


 いつだって行動選択肢に浮かんでくる告白の言葉を飲み込む。

 それは確かに自分達の関係に変化を齎すものかも知れないが――どう考えても博打が過ぎる。

 告白はカサンドラにとって彼の心に触れるための、最後の手段だ。


 相手がそれを受け入れるつもりがなく自覚さえない状態で打ち出してしまったら今後ずっと、ぎくしゃくした関係で過ごすことになる。


 彼は優しい人だから、好きだと言われればそれに応えないといけないと思うかも知れない。

 もしくは恋愛的な意味では見られないと、期待させないようにきっちり拒絶するかも知れない。


 ……自分達は、親同士の政略のため選ばれた婚約者同士。

 余程のことがなければ、書類上は結ばれる定め。


 想いを断っておしまい――という関係でいられないことが王子の心を見えなくさせる。



 カサンドラが勝手に想いを膨らませて、それを確信もないのにぶつけるのはただの自己満足だ。

 「これだけ好きなのだから、そっちも好きになって」というエゴにしか見えないかもしれない。


 彼は相手を選ぶことが出来ない。

 カサンドラしか、選べない。


 良好な関係を築こうとしてくれているのに、先走ったカサンドラの短慮が彼を困らせてしまうとしたら――それは却って彼の心を遠ざけることになる。

 これ以上踏み込むなと、壁を作られてしまっては元も子もないのだ。




 果たしてどのタイミングなら、彼は自分の想いを受け入れてくれるのだろうか。





 ※




 カサンドラの目の前に、そわそわと落ち着かない様子のリゼが立っている。


 玄関ホールの壁時計をじーっと眺めながら時折胸元を押さえるようにしてしゃがみこむ彼女の様子に、カサンドラも苦笑いしか浮かばない。


 今日は王子にお願いされた通り、カサンドラの別邸でジェイクの宿題をリゼが確認する――いや、殆ど手付かずなのだろう彼の宿題の面倒をリゼがみてあげる一日である。


 本来ならカサンドラが介入する余地のない、二人の約束。


 だが何処に行っても何をしても目立つ人が相手では、中々二人で一緒に長時間行動を共にすることは難しい。

 特にリゼの場合は、入学早々ミランダという上級生に目をつけられたという前科がある。

 ミランダ当人は思わぬ形で初恋が実って幸せ全開な学園生活を満喫中だが、その他の令嬢はそういうわけにもいかない。


 親の政治力が弱くロンバルド侯爵に声が届かないのであれば、まずはジェイク当人の目に留まって引き立てられる他ない。そもそも親からどうにか彼と近づきになれと強いられている令嬢だって少なくないだろう。


 虎視眈々と彼の嫁の座を狙っている女生徒も多く、鵜の目鷹の目でチャンスを伺っているのだ。


 そんな状態でクラスメイトとは言え、寮の談話室かどこかで二人きりで一緒に宿題などとんでもない話だ。

 仮に全く恋愛感情がなくてもその状況は危険だというのに、リゼはジェイクの事が好きなのだから。それはもう疑う余地もなく、彼を狙う女生徒達からの攻撃対象になりうるわけだ。


 王子が心配して手を差し伸べたくなる気持ちも分かるし、カサンドラだって協力することは一向に構わない。


「………。」 


 二人の予定を合わせるのは難しいことではなかった。

 リゼはアルバイトもしていないし、予定もほぼ空白のようなものだから。


 ジェイクが無理矢理丸一日の自由時間を作り出せたのは、しくも夏休みの最終日一日前のことだ。

 明後日から二学期が始まるというのに、本当に宿題が全部終わるのだろうか。


 カサンドラはリゼとの仲の進展も気になるが、進捗の方も気になって仕方がない。

 王子の言葉ではないが、二学期早々の生徒会でシリウスの説教を聞くのは堪えがたいものがある。


 勉強会は九時からの予定だったはずだが、どうにも落ち着かないという理由でリゼは一時間前にカサンドラの屋敷で待機している。


 もうすぐ壁時計は予定時刻を指す。

 ――リゼの緊張がこちらにまで伝わってくるかのようであった。


「カサンドラ様を巻き込んでしまってすみません」


 無言の時間に耐えられなくなったリゼは、大きな溜息とともにそう声を絞り出す。


「気になさないでください、リゼさん。折角ジェイク様と同席される機会ですもの。

 今日のような助力など、ものの内にも入りません」


 あの避暑地でのやりとりで、宿題を教えてあげるだなどと約束が出来ただけでも凄いと思う。ジェイク自身も随分リゼには気を許しているような気がする、大変喜ばしい事だ。


「ましてやジェイク様たってのお願いですもの」


 場所がなければ約束を実現することは出来ないというが、部屋の一つを貸すくらいどうということはない。


 カサンドラがモヤっとしたのは、ジェイクが王子を必要以上に悩ませたから。それだけの理由である。

 しかも王子が相談してきたタイミングが、折角の二人きりの貴重な時間の最中だったことも影響していたかもしれない。

 見えないジェイクにデートの邪魔をされた気がした――彼にしてみれば全く知ったことではない話だろうが。


 いざこうして二人の仲を応援できる機会を迎えると、協力できるのが嬉しいと思ってしまう。

 自分だって王子とのことで一杯一杯な現状なのは変わりがないが、リゼ達が順調に攻略対象と親しくなっていく様子は見ていて微笑ましい。

 特に彼女達はいつもひたむきだし、応援しがいがあった。


「う~ん……」


 彼女はしきりに自分の格好を気にしている様子だ。

 夏休みが始まってすぐカサンドラが見立てた服、それを今、彼女は身に纏っているわけだ。


 朝一番に彼女の姿を見て満面の笑みを浮かべたが、それも当然。

 高原で見た時と同じように、彼女に良く似合う可愛いスカートだ。


 だがリゼ本人は膝より上のスカートがどうにも落ち着かないのか、裾の辺りを事あるごとに引っ張って下に伸ばす。


 制服のスカートは膝が隠れる丈の長さでしっかりキープしているので、非常に違和感があるのだと彼女は言う。

 十分可愛らしいと思うのだが……


 貴族の令嬢にはまず出来ない姿だ。

 学園の制服でさえ丈を膝より長くしている生徒も多いのだ、膝上など論外。

 勿論カサンドラも、だ。


 庶民の女の子だからこそ許される私服!

 健康的な白い脚が大変に眩しく、我ながら良いセレクトだったと自画自賛したくなる。


 白地に赤のアーガイル柄のスカートは夏らしく爽やかだし、足元の涼し気なミュールに良く合っていた。


 こちらとしても準備は万端だとカサンドラが頷いた瞬間、玄関から使用人の一人がジェイクが到着したとの知らせを運んできてくれた。



 緊張のあまり喉を鳴らすリゼと一緒に、玄関の扉を開いて彼を迎えようとしたのだが。



「……ジェイク様!?」



「よう、カサンドラ。

 ――部屋を貸してくれて助かった」


 確かに彼は馬車は窮屈だから普段使わないと言っていた。

 多少遠くとも、きっと目立たないように徒歩で来るのだろうなと想像していたカサンドラだが……

 その予想を裏切るように、彼はごく普通に馬に乗ってここまでやってきたらしい。


「それは構わないのですけれど……」


 しかも軍馬!

 こんな目立つ大きな黒馬を駆ってここまで来たというのか、少々目立ちすぎではないか。

 素の外見だけで人より目立つのに、更にこの街中を馬を駆って訪ねてくるとは……


 ロンバルドの坊ちゃんがいつもカサンドラの屋敷を訪れる、なんて変な噂が立ったらどうしてくれる。まぁ王子たっての依頼だから誤解もないだろうが、外聞は良くないと思う。


 彼はずっしりと重たそうな荷物を肩に掛け、己が今乗って来たばかりの黒馬を使用人に預ける。

 馬の扱いに慣れているはずの厩舎の人間でも、普通の馬の二倍はあろうかという大きな馬を前に固まっている様子が見て取れた。

 鼻息荒い黒馬の顔を仰ぎ見、えっ、と絶句している。


 そういえば王子に招待されたお茶会の時にも、着替えに帰ると宣言し馬に乗って一度ロンバルドまで帰ったと聞いた。わざわざ着替えるためだけに。


 規格外に大きな軍馬で人を跳ね飛ばしていないだろうな、と今更表情が強張ってしまう。


「おはようございます」


 先程までの動揺はどこへやら。

 ジェイクが軽い足取りでこちらへ近づいてくると、リゼはまるで教室内ですれ違った時のような挨拶を一つ。

 内心の動揺など一切感じさせない普段通りの姿への変わり身に、彼女のプライドを垣間見る。

 相手を前にして舞い上がって訳の分からないことを口走るようなみっともない真似だけはすまい、という鋼の意思。


「無理言って悪いな。

 ――今日は宜しく」


 彼はそう言って軽くリゼの肩を叩いた。

 それにしても外見の良い人間は何を着ていても映えるから得だなぁ、と彼を見てしみじみと思う。

 ラルフや王子のような麗しさ、美しさとは趣が違う。

 身体が厚く精悍で、メイド長のナターシャが言う「見たこともないくらい男前」という表現は確かに的を射ているとも思う。


「以前ご案内したサロンを使用しましょう、既に準備を整えてあります」


 勉強をするということで、調度品の配置換えも終わらせてある。

 二人が並んで座れるように椅子を置いているし、今日一日勉強に追われることになるのだから過ごしやすい環境にしているつもりだ。

 別の机には軽食を抓めるよう持ってこさせる予定で、まさに缶詰状態。

 泊りではないが、勉強合宿と呼んでもいいくらいだ。


 カサンドラの屋敷は別邸にしては比較的大きな建物だが、彼らの普段住んでいる恐ろしく広い城のような建物とは全く違う。

 単純な構造、奇抜さとは縁遠い普通の屋敷だ。


 一度二度行ったことがある部屋なら特に迷うこともない、と。

 ジェイクは意気揚々とカサンドラ達より前に出て廊下を進んでいた。



「……や、やっぱりこの格好、変なんじゃ……?」

 

 リゼがぼそぼそと耳打ちをし、囁くようにカサンドラに泣き言を言う。

 ジェイクが彼女の姿を見ても何も言わなかったからだろうか。


 今までの彼女とは全くイメージの異なる私服である。

 あまり服装に気を遣っている様子のなかったリゼが、急に雰囲気をガラッと変えたのだ。彼女を知る人間に変化は明らかで、すぐに目についただろう。


 気が利く男性ならば間違いなく言及してくれるはずだ。

 王子やラルフがいたら、絶対に一言は服装について肯定的な意見を述べてくれるだろう。いつもと違って可愛いね、とか。とても似合うよ、とか。

 女性に対する気の使い方についてあの二人を基準に考えるなど過剰な期待だ、肩透かしを食らうのは当然と言えた。


 彼らの言動は相当な年季が入っているもので、挨拶の一部として自然と口から出ているだけだと思う。


「――大丈夫ですよ」


 彼女に心配など要らないとばかりに、意味深な笑顔を向けてみる。


 リゼなりに勇気を出して臨んだ最初の挨拶、そこで彼の反応がなく完全スルーされたことに落胆しているのなら……

 それは全くの杞憂だと言わざるを得ない。



 カサンドラはちゃんと見ていた。



 ジェイクの一挙手一投足を見逃すまいと凝視していたからわかる。

 目を皿のようにして彼の反応を追った。


 「おはようございます」と軽く頭を下げたリゼ。


 そんな彼女の全身を視界に入れたジェイクの橙色の双眸が僅かに瞠られ――

 視線が下の方に向けられた瞬間を見逃すはずもなかった。



 この反応が見たかったと、カサンドラが心の中でガッツポーズをとっていたことなど、しゅんとしょげ返ったままのリゼにはわかるはずもない。

 言葉にしなくても、十分感情を穿つインパクトはあったはず。

 まさしく、目は口ほどにモノを言う。



 第一、だ。

 リゼは忘れているのかも知れないが、早く思い出して欲しい。






   あの人、いちいち女性の服に言及コメントするような男じゃない。   

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