第141話 No Way!


 開演時刻が訪れた。


 舞台上に劇団長と思わしきタキシードを着こんだ年配の男性が現れ、舞台中央に向けられた照明が切り取る丸い円の中に立ち止まる。

 彼はコホンと一つ大きな咳払いをした後、頭に乗せたシルクハットをサッと取って仰々しく一礼した。


「えー、本日は我らが劇場まで遥々ご足労頂戴し、誠に光栄の至りでございます」


 この劇場内で観覧する客は、自分と王子を除いて皆劇団のパトロンのようなものだ。

 団長はまさに伏して礼をすると言わんばかりに口上を述べ、今後も変わらぬ高配を望む旨を添えて結ぶ。


 彼らに見放されれば、今までのような潤沢な資金を抱えての興行など成り立たない。

 そこは彼らも心得たもので、平身低頭客席の反応をよく伺い言葉を選ぶ。


 正直カサンドラにとってはこの前置きは関係のないことで、据わりが悪い部外者感覚に落ち着かない気持ちだ。


 団長が改めて頭を下げ挨拶を終えた後、ようやく劇が始まるのかとドキドキと胸を高鳴らせて正面の舞台を見つめた。


「さて、本日の劇中演奏を担当して下さる演者を皆様にご紹介させていただきます」


 ――ん?


 この時点で、嫌な予感が再びカサンドラの頭の横を掠めて行った。


 前世の世界と違い、この国は録音機能などというものが高度に発達しているわけではなかった。

 録画や録音といった機械に頼る力が存在せず、紙精製や製本技術に比べてあからさまに低水準と言わざるを得ない。

 撮影機能がある道具が売られたら、カサンドラは是が非でも手に入れ王子を隠し撮りしたい。いや、隠れる必要はないかもしれないが。


 ……まぁ、文明文化科学技術にはこう発展するべきと言う明確な可視化された順番があるわけでもない。文明圏によって発展の模様はそれぞれだ。

 カサンドラも既に十五年生きていた世界なので、もうこの生活に馴染んでしまった。


 音楽を録音して好きなタイミングで再生する道具はない。

 このように舞踏会や劇で音楽を利用する際、音楽隊を伴って二階の専用フロアで演奏させることが常である。


 シャルローグ劇団の抱える音楽隊の紹介でも始まるのかなと気を逸らしていたカサンドラだが、舞台袖から颯爽と現れた青年の姿に思わず悲鳴が出かかった。



「このニルヴェの大河公演の切欠になりました主音楽メインテーマ、そちらを作曲して下さったご本人。

 ヴァイル公爵家ご令息たる、ラルフ公子にご協力いただく運びとなり――」



 舞台の中央に彼が立つと、丁度真正面にカサンドラと王子が並んで座っているのが見て取れるはずだ。

 逃げることも隠れることも出来ず、声にならない叫びを上げ愕然とするカサンドラをラルフはチラリと一瞥した。

 心許ない灯りだけなら、もしかしたら薄暗がりに紛れることが出来たかも知れない。


 だが、中央の舞台を照明が照らせばあちらからも客席の様子も見やすくなるわけで。

 当然ラルフ側からも自分達の顔はしっかりと把握できたことだろう。


 一瞬視線が噛み合った気がしたが、すぐにふいっと逸らされた。

 ……気まずい……


 光石の灯りに照らされるラルフのモーニングコート姿は、以前の生誕祭の姿と同じように息を呑む程美しいものだ。

 他の観客たちの暖かい視線、喜色に溢れ時折歓声さえ聞こえる劇場内。


 その空気に応えるべく、彼は静かに軽い辞儀をする。

 金色の髪は男性のものにしては長いものだ。首の後ろで一つに纏めているその煌めく髪が上体を傾けることによって揺れ、キラキラ眩しい。


 何もこんなところでまで彼の姿を見る必要はないのではないだろうか。

 カサンドラは己の不運に頭を抱えたくなった。


 ジェイクにせよラルフにせよ、個人単体として考えるなら――

 自分は好悪の情なく、フラットに接することが出来ると思う。


 でも彼らは王子の親友であり間違いなく自分よりも信頼され、長い時間幼馴染として過ごしてきた過去を共有する人たち。

 王子と共にいる時に一緒にいることばかりだし、仲の良さにどうしようもないと分かっていても嫉妬する。


 こうして王子との観劇機会でさえ、彼の姿を見てしまった事で「二人だけの思い出」という幸せ成分がジュワッと音を立てて蒸発したようない気がしてならないのだ。


 彼らの事は別に嫌いでもないし彼らが悪いわけではないのに、邪魔された気持ちになる。

 複雑な感情が綯い交ぜになったカサンドラは心の中で手足をバタバタと暴れさせて悶えるだけだ。


 顔を見せ、早々に舞台袖の奥に引っ込んでいくラルフ。

 劇場二階にあたる高さに一部出っ張った床部分がある。

 そこには他の音楽隊の面々が既に待機中だ。

 劇の進行に合わせて音楽を奏で盛り上げる、もう一つの舞台とも呼べる場所に上がるのだと思われた。


 ヴァイル公爵家に関わるどころか、ばっちりヴァイル家御曹司のラルフがここにいないわけがない。

 そう理解していても、納得しがたいものがある。


 幕が上がる直前、カサンドラは魂が抜けたような表情で王子に小声で話しかけていた。


「王子……あの、ご存知でしたか? ラルフ様が……」


「私も知らなかったから少し驚いたよ。

 ラルフはここだけではない他の劇団や楽団に顔を出しているし、彼の予定の全てを把握しているわけではないからね」


 ラルフは王宮楽士隊にも声を掛けられ参加することもあるという。


 本当にあの人、何なの……?


 地位も名誉も美貌も備える癖に才能まで完備しているとかどこのヒーロー属性だと思ったが――そうだった。

 そういえば彼はこの世界のヒーローの一人だ。


 創造神に愛されし男だからしょうがないのか。


 無意識に溜息を落としたくなった。

 だがそのような些細なことで、折角王子と一緒に過ごせる時間を鬱々とした気持ちで過ごすわけには行かない。


 そもそも観劇というものは、誰かとグループになって和気藹々と雑談を交わすものでもない。

 同じ劇場内に知人が居ようがどうだろうが、今こうして王子の隣で同じ劇を楽しもうとしていることに何の差異もない。

 こちらをじろじろ観察されていたら話は別だが、ラルフはこちらの行動を監視するためにこの場所にいるわけではないのだ。


 彼は己の仕事の一環、劇で流れる音楽を担う楽隊の一人として初めて披露する観劇に参加している。

 むしろ向こうの方が何故カサンドラがいるのかと訝しく思っているに違いない。


 考えようによっては幸運なのではないか。


 ラルフは今回ピアノ奏者らしい。

 今までヴァイオリンを弾くラルフは見たことがあったけれど、ピアノを演奏する姿を見ることは滅多になかった。それが今日はしっかりと耳に出来るチャンスだ。

 合奏の時の戯れに何曲か弾いてもらった程度で、そしてどの曲も当然美しく聞き惚れるメロディがまた聴けることは役得ではないか。


 王子と一緒に観る演劇、それを彩る音楽が素晴らしいものであることが約束されているのだ。

 安心して物語の世界に没頭すればいい。


 よし、と頷いて姿勢を正す。カサンドラは幕が上がる舞台を、正面からしっかり見つめたのである。





 ※





 三百年前に遡る、当時は異国なる地での物語。


 この大陸北方勢力を二分し睨み合っていた二つの王国で本当にあった戦争の悲劇を描く。

 西のファルゴットと東のシグリアは隆盛を誇る王国同士、互いに国境線で頻繁に小競り合い衝突を繰り返していた。


 当代のファルゴット王は優しく聡明な国王であった。

 同程度の国力、兵力を持つ国が延々と終わりなき小競り合いを続けても埒が明かぬと不毛な現状を憂いていた。

 どちらも押しも押されぬ、小国を属国として従える大国同士であるならば――いずれは滅ぼし合うことになるか、共倒れを避け強固な同盟を結ぶかの二つに一つ。


 混沌時代はどの国も野心に満ち、我こそがこの大陸を平定するのだとどこを見ても争いが繰り広げられる戦争の歴史が折り重なった時代であった。


 二国を分かつ国境線は東西で何もないただの平野であったが、南部には両国を連ねるように大河が流れていた。

 大河は広く流れも速く、軍隊を従えて行軍することが困難。


 ニルヴェの大河は両国にとって、南方大国からの侵攻を妨げる障壁そのものだ。


 南から来る危機が無いからこそ、両国はお互いに唯一無二の宿敵として長い間睨み合っていた。

 もしも大河が他国の侵攻を阻まなければ、ファルゴットもシグリアも早い段階で利害を一致させ南の大国に対抗すべく同盟を結ぶ道を模索していただろう。


 そのような差し迫った他の危機がなかったせいで時間はかかったが、ファルゴット王の決断により双方が同盟を結ぶ日が訪れた。



 王は己の妹をシグリアの王太子に嫁がせ同盟を結ぶ道を選んだ。


 互いに国力を削ぐように摩耗し合う関係に辟易としていた者は多かった。

 どちらかが小国であれば大国が呑んで終わるが、どちらも変わらぬ国力であれば泥沼の関係であることに違いはない。


 ――宿命の敵国に嫁ぐということは、人質として送られるも同じこと。


 それでも互いに束の間の安寧が訪れるのであればと受け入れた王妹の決意は悲愴なものであっただろう。

 その願いも虚しく、彼女は国境線を越えてすぐに嫁入り装束に身を包んだまま一行諸共惨殺される。


 同盟が結ばれるはずだったのだ。

 だが王妹の一行は、その死体から流れる夥しい血で大地を赤く染め――惨たらしく全滅した。


 互いに納得し合い決めた約束が一方的に反故にされ、その同盟の証ごと殲滅させられれば王も開戦を宣言を躊躇うわけにもいかない。

 明日は同盟国のはずが、一夜明ければ真逆の結末に。



 シグリアの王宮も揺れた。


 ……約束の地で待てども待てども花嫁一行を迎えることが出来ない。

 それどころか全く離れた南方の村がファルゴットの騎馬隊の大軍に圧し潰されたというではないか。


 本来迎え入れるはずの花嫁はいつまで経っても訪れず、代わりに大挙したのはファルゴットの軍隊。

 まさか花嫁一行が不意を突かれて何者かに襲われていたなど与り知らぬこと。


 連絡伝達手段は今より乏しく、両陣営共に混乱に陥る。 


 互いに不測の事態に動揺する両国、その中で真実を暴くべく敵国に間諜として侵入するのがシグリアの末姫、物語ではヒロインでもある。

 彼女は長く豊かな金の髪をバッサリと切り落とし、兄達よりも高い身体能力を活かしてファルゴットの王宮に兵士として潜り込むことに成功した。


 敵国にて、何が起こり誰が花嫁を殺し両国の戦端を開かせたのかを調べていくことになる。

 だが真実はどうあれ、一度始まってしまった戦を簡単には止めることは出来ない。


 事実として花嫁は殺され、そして河傍の村は騎馬隊によって蹂躙されてしまったのだから互いに一歩も退けない。

 今までの小競り合いとは全く規模を変え、属国も参戦する強国同士の大戦争。


 その間に敵国の王と出会って女性と知られ捕まったり、のっぴきならぬ状態で過酷な愛憎劇を繰り広げるのがニルヴェの大河の物語。


 幸いその愛憎劇に関してはサラッとした感じで流される。


 果たしてこの戦の仕掛け人は――という答えは知っているのにも拘わらず、物語の中で暗躍する影を負うのはドキドキする。




 何せ音楽がとても素晴らしい。

 期待通り、いやそれ以上にそれぞれのシーンの背後で流れる音楽が悉く場面に応じたものなのだ。


 陰謀渦巻くシーンでは緊迫感溢れ手に汗握るが、王と姫君との戦中の束の間の一時はロマンチックで柔らかいメロディ。

 そして戦争を描くシーンでは激情に駆られ猛り狂う人間の残忍な一面を表し、そして狂気の中にも葛藤と苦悩を。

   


 最期のシーンの音楽が胸を詰まらせる程泣けるものだった。

 物語の悲愴さ、悲劇性を一層高める物悲しく儚くも、どうにも止まらぬ嘆きを連ねる曲の旋律にカサンドラはぞわっと全身の毛が逆立つのを感じた。




 何者かの策略があったのか、いつしか王の軍は中央部より離れ孤立していく。

 気づけば大河を背に追い詰められたファルゴットの王の傍にいたのは、側近であり王の弟。

 そして追い詰められた際の心許ない切り札、人質として連れられていたシグリアの姫君。


 畳みかけるように、誰よりも信頼していた弟が同盟の調整役として日付も場所も騙り戦争を起こしていた――祖国を滅ぼす目的を持つ『裏切者』と知らされる絶望のシーンが訪れる。




 死の間際まで王を守るはずだった王弟の槍の切っ先が、当の王自身に向かう。

 だが命を散らしたのは、愛した王を庇って背中から槍で貫かれるシグリアの末姫。 




 ……両軍勢が総力を以て戦う様を表現する剣舞のシーンも素晴らしかったが、やはりクライマックスの王女の死は心にグサグサと突き刺さるものがある。


 史実として知られていることを上手く一つの劇に纏めていると驚いた。

 勿論ニルヴェの大河という物語自体かなり脚色が入ったものだろうが、押し付けがましくない良い按配だ。




 クライマックスで王の慟哭に添えられる、ピアノの音の真に迫ったものと言ったらない。

 演者も上手く亡骸を掻き抱き嘆く様は芝居と分かっていても心が揺さぶられる。



 更に今まで多くの楽器で奏でていた音楽が――急にピアノのメロディだけになり、その指先一つで「絶望」を表せるのは凄いと素直に尊敬してしまった。



 幕が下りた時には、知らずの内に万感の思いで両手を叩いていたのである。




 最初は何でこんなところに来てまでラルフの姿を見ないといけないのだと思ったけれど。


 いや、これは彼の演奏で大正解だ。

 今日が特別待遇で彼が弾く日だというのなら、その他の公演日で観劇することになる人に申し訳ないレベルである。

 


 劇も最初の内こそ王子の反応が気になりチラチラ横目で伺ってしまったけれど、すっかりのめりこんでしまった。

 プロの演者の本気を見て、飽きさせない工夫や細部にまでこだわった背景など見所満載の二時間だ。


 途中の主人公達の恋愛シーンはやはりどうしても気恥ずかしく、何となく王子の横顔を見てしまったのだけど。


 彼は全く表情を変えることも、眉一つ動かすことも視線を外すこともなく、物凄く普通だった。

 最初から最後まで同じ姿勢、表情だった気がする。

 ああ、剣舞のシーンは若干楽しそうに目を輝かせていたような気もするが、それ以外は同じ状態で観劇を続けていた。



「とても良い劇でしたね」



 はぁ、と吐息を落としながらカサンドラは王子に話しかけた。

 彼も満足そうに微笑み、こちらの言葉に頷いてくれる。



 ああ、でも観劇が終わったからここで王子とはお別れか。

 観劇というものは基本無言で同じ芝居を観ることだから、お互いに一緒に過ごしたという時間にカウントしていいものか難しい。

 勿論演劇は楽しく娯楽心は満たされているものの、肝心の王子とは話が殆ど出来なかったわけだ。


 最初から分かり切っていたこと。だけどこうして過ぎてみると物足りない想いになってしまう。


 王子は席から立ち上がる。


「カサンドラ嬢、これから何か予定はあるかな?」


「いえ、特にございません」


 王子との観劇に行く日に、他に予定など入れるわけがない。

 完全に今日一日これがために空けていたと言っても良いくらいだ。


 一緒の空間に二時間も一緒に座っていられた。

 同じものを一緒に楽しむということが出来た、それだけで十分ではないか。


 未練がましい自分に内心で自嘲した。欲深いな、自分は。


「これから夕食ディナーに向かうのだけど、カサンドラ嬢も一緒にどうだろうかと……」



  え? と、呼吸と思考が一旦停止する。自分も立ち上がろうとひざ掛けに手を添え腰を浮かしたまま、カサンドラの動きは静止した。



「ディナー……」



 自分は今、王子に食事に誘われているという認識で良いのだろうか。

 予定になかったはずの申し出。

 死角から急所を狙い打たれて息も絶え絶えだ。


「折角同じ劇を観たのだし、私は君の感想も聞いてみたいと思う」


 ――!!

 

「是非ご一緒させてください……!」 




 心の中でクラッカーを鳴らし、カサンドラは予期せぬ喜びに打ち震えていた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る