第140話 優しいひと


 シャルローグ劇団に限らず、劇団や音楽隊などの団体が芸術分野のみで存続することは大変難しい。


 音楽、演劇、絵画、彫刻など、芸術に数えられる分野は多いけれど。

 それらは人に感動を与えることは出来るが、生活の役に立つものを生産するわけではない。

 民衆に夢や希望を齎すことが出来るが、餓えた人間の腹を満たすことは出来ない。


 基本的に芸術分野一本で生計を立てることは極めて困難な道である。

 芸術に携わる多くの人間は他にも別の働き口で生活を成り立たせる傍ら、己の芸に寝食を惜しんで励んでいるものだ。


 ――そんな彼らにとって、ヴァイル公爵家の後援は存続を可能にする大きな拠り所。

 王家とも繋がりが深く、王国内の主要な商会をその掌に乗せるヴァイル家は先祖代々芸術を愛する家系である。


 芸術分野の後援など本来金持ちの道楽、酔狂と呼ばれることを継続的に行っていた。

 芸術を過剰に持て囃してもしょうがないと思われることも多いそうだが、何事も分野の一人者になれば既得権益を手に入れることが出来るもの。


 特に社交界で流行、最先端という潮流を作ることが出来るのは強い。

 貴族社会においては高尚と呼ばれる嗜み事は、いくらでも需要があること。


 そのように王侯貴族を商売相手とした強力な人脈を構築している彼らの一族に、その道に携わり成功したい人間は従う他ない。


 彼らはシャルローグ劇団をはじめ数多くの芸術団体を長い年月をかけて育て上げてきた。

 才能ある演者が食い詰めることのないように、経営が行き詰まって空中分解することのないように。


 大衆向けの演劇とは全く趣を異にするシャルローグのような歴史のある劇団や有名な音楽隊を介し、己の抱える芸術という技術を上流階級に”高尚なもの”として提供する。

 それによって社交界での文化的潮流を抑えたいという彼らの思惑は十分に成功していると言って良い。


 それ自体は素晴らしいことで、芸術分野が揺らぐことなく国の一本の柱として影響力を持てるのは国が豊かである証拠だ。

 だがそういう高尚な趣味を楽しめるのも中央にいればこそ。


 地方へ巡業で訪れる劇団の迫力に、普段貧弱な娯楽施設しか持たない層が圧倒され、本拠を持つ王都への憧れを一層強める。

 有能で才能を見出された者は皆、王都に近いところで活躍することになるのだからますます文化的格差は広がる一方という面もあった。


 まぁ、芸術と言う技能がちゃんとした”糧”になるに越したことは無いだろうが。




 ※




 受付の係員に招待状を渡す。


 眼鏡を掛けた妙齢の女性は、その招待状を確認した後カサンドラと王子の顔を二度見した。

 涼やかな様子で来館する客人のチェックをしていた女性の、お手本のような綺麗な二度見。カサンドラは不意打ちを食らい、危うく吹き出しそうになる。

 腹筋に力を入れて何とか耐えた。


「アイリス様とレオンハルト様の代役として観覧に参りました」


「はい、……はい。

 ……殿下と――ええ、カサンドラ様でいらっしゃいますね。

 畏まりました、係の者がお席にご案内致しますので今しばらくお待ちください」



 今日の観劇は新しい演目のお披露目。

 初出の演技が楽しめる特別な一日となっている。


 演目が完成したのはヴァイル公爵家の支援あってのことと、まず最初に公爵家に近しい貴族や出資してくれた商会の縁者などを招待するのが慣例だという。


 新しい演目を最初に観ることが出来る、それもまた社交界でのステイタスでもあった。

 スケジュールを組まれたものをこちらが予定を調整しお金を払って観に行くのではなく、敢えて劇団から観て欲しいと頭を下げられるのだから。

 ただでさえ人気の劇団にそこまでの待遇でもてなしてもらうことは、十二分に自慢の種になる。

 

 カサンドラだって招待状を譲ってもらわなければ参加することは出来なかったはずだ。

 もしかしてアイリスではない格下の令嬢扱いされて自分だけ入館できないのではとちょっぴり心配だったけれど、幸い何の問題もなく通してもらえた。

 多分王子様パワーのお陰だ。


 王子に身分検めなんて不敬なことが出来るわけがない。

 カサンドラは彼の婚約者で今日は同伴しているのだ――と理解され、呼び留められる事態にはならなかった。

 もしかしたらアイリスが劇団長に事情を説明してくれていたかも知れないが、ヴァイル派閥に属さない自分がすんなり通過できたのだから凄い事だと思われる。


 特別に役職があると思われる黒い衣装を来た団員が席に案内してくれる。

 既に館内は薄暗く僅かな照明が足元を照らすだけだ。慎重に歩きながらも、カサンドラはきょろきょろと周囲を伺う。


 本来は何百人も収容できる大劇場。だが今日は席と席に座る人の間がまばらだと気づいた。選ばれた特別な人たち、か。

 ここにいる数十の観客は遍くヴァイル家に連なる豪華な肩書を持つ者ばかりなのだと思うと怖い。

 館内の空気がひんやりと涼しいという理由以外で、背筋がぞわっと寒気に襲われる。


 ヴァイル公爵家が関わることだからラルフがいてもおかしくない。

 嫌な予感を感じ周到に視線を巡らせるが、幸い彼の姿は見つけられなかった。

 あれだけ目立つ人だから同じ場所にいれば一瞬で発見できるだろうが見当たらない――きっと用事があるのだろう。少しだけ安堵する。



 

 黒服の案内人は今日これから演じる劇のあらすじをサラッとした口調で語った後、こちらです、と左右の掌で大きな座席を指し示す。



「本日はどうか心行くまで我らが新劇をお楽しみくださいますよう」



 黒いモーニングコートを纏う壮年男性は恭しく頭を下げ、薄暗さなど全く障害にせず颯爽と奥へ帰っていった。

 正面が舞台だ。しかも丁度視線に舞台が合致し、臨場感は渡せるような観やすい席で驚く。

 王子に促されて先に椅子に座ったが、カサンドラの身幅では横に鞄を置いてもまだスペースに余裕があった。

 これは貴賓席と一般に呼ばれる席だ、間違いない。

 本来アイリスが座るべき場所に自分が座っていることへの罪悪感が込み上げてきた。

  

 座席の幅も広く席同士の間隔も十分開いている。

 つまり王子が隣に座っても隙間分だけ距離が遠いということだ。

 窮屈だったら、きっと隣の王子の様子が気になって観劇どころではない。

 だが十分余裕のあるスペースは心寂しい。


 そんなどうしようもない己の我儘さに呆れていると、王子がこちらに話しかけてくれた。


「今日の演目はカサンドラ嬢も知っている話だろうか」


「そうですね。

 物語上でのニルヴェの大河はわたくしも読んだことがあります、悲劇と呼ぶに相応しい物語でした」


 戦争による悲劇、とりわけ戦争当事国の王族同士に生じる悲恋話は有名な逸話が多く残されている。

 今回は敵国の城に男装し、間諜として潜入した末っ子お姫様のお話。


 ニルヴェの大河という劇のタイトルは、良く知られた同題名の悲恋物語を想起させるものだ。


 最初は『悲恋……?』と、カサンドラも確認して躊躇ったものだ。

 王子との初めての観劇で恋愛をテーマにした劇であるのも少々据わりが悪いと思う。

 恋話は恋話でも、それがまさかの悲恋話とは……


 だが幸い完全なる恋愛話として作られたものではないと分かったのは幸いだと、ここにきてようやく肩の力が抜ける。

 見どころは戦争のシーンだというではないか。


 物語としてカサンドラが印象に残っているシーンは、月並みだが戦争により引き裂かれる恋人たちの最期だ。

 追い詰められた恋人である敵国の王を庇った末っ子お姫さまが、槍で貫かれ命を落としてしまう場面。


 対し、実際の剣を持って立ち回りつつ剣舞を披露する場面がクライマックス――と聞いて心底ホッとした。


 悲劇だ悲恋だというのも感情を揺さぶられるものであるが、この劇団はしっかりと過去の歴史を検証しつつ小道具にもとても拘っているという。

 普段正統派ラブロマンスや歴史劇でも英雄譚など明るい演目の多いシャルローグ劇団にしては珍しい試みだ。

 その試みに最初に触れることが出来ることは大変誉れ高いことである。


 歴史に興味のある王子は、実際に過去起こった大国同士の戦争も知っているはず。

 考証のしっかりした劇を観たいという王子の希望にも、きっと彼らは沿ってくれるだろう。 


 戦争の悲劇性を表現するスパイスに悲恋を添えて、というバランスなら目を覆いたくなるような気恥ずかしい恋愛話が繰り広げられることもないだろう。


「あの戦争をどのように劇として仕上げているのか楽しみだね」


「そうですね」


 歴史的出来事の戦争という出来事に、後世まで語り継がれる悲恋の末命を落とした姫君の逸話。

 今となっては双方ともに亡国と化し、クローレス王国の統治する領地の一部として過去併呑されている。

 だがニルヴェはまだ北方の地方に地名として残っているはず、一度訪れてみたいと思っている。

 学園が企図する見聞旅行の候補地の一つでもあったはずだ。


 しばらく小声で話をしていた。

 その内話は劇の事から離れ、ラズエナの別荘地で国王に会ったことに移っていく。


 何故王様がラズエナに急遽訪れたかの実情は伏せて、国王陛下に呼ばれて光栄だったという話をするカサンドラ。

 王子も自分が原因と知れば気まずい想いをするだろうから、アンディから聞いた内輪の話は聞かなかったことにしようと決めた。


「そういえばジェイクもいたんだったね?

 話は聞いたよ」


「大変驚きました」


 ほほほ、と口元を手の先で覆って笑ってみせる。

 まさかあんなところで邂逅するなど想像の範囲外、リゼの運命力に度肝を抜かれたカサンドラである。

 そうだ、自分には主人公力が存在しないからあの場面で王子に会えなかったのだと今更悔しい想いにかられた。


 まさしく今、追い求めた王子が隣にいるというのに。

 会えるチャンスを一つ逃してしまったようで口惜しくてしょうがない。


「ああ……それで思い出した。

 カサンドラ嬢」


 彼は何故か、言い淀むような素振りを見せた。

 不思議に思って顔だけではなく身体の向きごと彼の方に向けて、王子の表情を見つめるカサンドラ。

 だがあまり詳細な景色が分からない薄い暗がりの中では、彼が困ったような顔をしていることくらいしか分からず不安になるだけだ。


「王子、わたくしに何か?」


「実は君に相談があるんだ」


 王子がカサンドラに相談……!?


 ”相談”というワードにドクンと心臓が跳ねた。

 全く何一つ信用していない相手に相談を持ち掛けるような人間には思えない。

 心の内にある、何かしらの憂いをカサンドラなら何とかしてくれると判断したから声を掛けてくれたに違いない。


 こんな場所での相談だ。

 いきなり核心めいた単語が出てくるとは思わないけれど、目を大きく見開いて彼を正面からしっかり見据えた。


「わたくしで宜しければ何なりとお申し付けください」


 その勢いに、彼は少々焦ったように手を横に振った。

 そこまで大層な事ではないと。


 王子に相談されたのであれば、と目を爛々に輝かせていたのがいけなかったのだろうか。

 もしかしたらこちらの前のめりな態度に引いてしまった……?


「相談というのは私のことではなく、ジェイクのことでね」


「ジェイク様、ですか?」


 しゅるしゅる、と。

 見る間にカサンドラの気炎が萎えた。

 燃え盛る蝋燭に水を掛けた後のような沈火ぶりだ。


「ジェイクがラズエナでフォスターの三つ子と会ったことは聞いている。

 その中で、リゼ君に休みが終わるまでいずれかの日に宿題を見て欲しいという話を持ち掛けたそうでね」


「まぁ、そのようなことが」


 ちゃっかりと実利も取るとは、あの男も大変抜け目がない。

 だがそのようなことを正面から話せる程親しくなっていることだ、それはリゼにとっても喜ばしい事だろう。

 馬に乗っていた時だって、喜びのあまり落馬しなかったことに驚いた程だし。

 もしもカサンドラなら……


 ――想像さえできず、イメージは霞がかったまま停止する。


「だが問題がある。

 適切な場所がなくてね」


 はぁ、と彼は額を押さえて細い息を落とす。

 その伏せた瞳にバサッと覆いかぶさる睫毛の何と長い事か。

 頼りない照明の中でも分かるほど、睫毛の影が形作る陰影は濃かった。

 

 そしてカサンドラも考えてみる。


 リゼとジェイクの勉強会、それは大変すばらしい事だ。

 いくらでも好きなだけ一緒の時間を共有すればいいと思う。


 ……だが、確かにどこで、と言われれば言葉に詰まる。


「ジェイク様のお部屋などは……」


「……次の日からリゼ君がどういうことになるか、あまり考えたくはないかな。

 流石に周りの人間が黙ってはいないと思うよ」


 ですよね、と頷く他なかった。


 ロンバルドの本宅には、それこそ他の貴族のお嬢さんも行儀見習いという体でお屋敷勤めをしている者もいるのだ。

 とりわけそのような女性たちに知られれば問題にならないわけがない。

 そもそも、本邸に招待することが出来ないからジェイクも困って王子に相談したのだ。


 かと言って寮はもっと無理だ。

 噂にして下さいと言っているようなもの、軽率が過ぎる。


「シリウスに知られたくないというのが大変難しい注文でね。

 それがあるから、私は迂闊に動けないんだ」


「どういうことですか?」


「学期末試験の事を覚えているだろうか。

 ジェイクが特待生の手を煩わせたことを、シリウスが随分怒っていただろう?

 もしも宿題の指南や手伝いをリゼ君に頼むと知れたら、小言では終わらなくなる可能性が高い」


 それに間違いなくシリウスも参加するだろうし、とカサンドラは心の中で確信を持って頷いた。

 植物園に行きたいというリナの言葉を受けてラルフが強行させたように。

 リゼが来るというなら、シリウスもしれっと一緒に混じって座っていそう。


「私も動ける休みが無い。

 更にシリウスに気取られないように――という条件では難しい」



 宿題を見てもらいたくても、それを実現する場所がなくて困っているのは本当だろう。



「本人もリゼ君を頼りにしているようだから……このままでは進捗が危ういのだとか。

 二学期始まってすぐの生徒会でシリウスの説教が始まるのは、私も避けたいしね」


 二人の友人の間で悩む王子の心は何と優しいのだろうか。

 彼を必要もないのに悩ませるジェイクが憎い……!


 憎いとまではいかなくとも、これ以上王子の心理的負担を増やしてなるものか。



「わたくしの家をお貸しすることで解決できるご相談であれば、喜んでお引き受けします。

 幸い、リゼさんもジェイク様も幾度も来訪されたことがありますもの。

 ――王子のお役に立たせてください」



 恐らく王子もそれを見込んで、カサンドラに話を持ち掛けたのだ。


 大切な友人のことでカサンドラにご指名があったということは、少なくとも彼から全く信用されていないわけではない。

 今はそれで十分ではないか。


 

「ありがとうカサンドラ嬢。私も安心できるよ、迷惑をかけて申し訳ない。

 シリウスも時間と身を削って毎日忙しく過ごしているものだから……あまり刺激を与えたくないんだ」



 彼はニコッと微笑む。

 どこまでも博愛精神に満ち、個性ある三人の友人の間で舵取りを迫られて。

 怒るどころか、こうして何とかしようと奔走する王子が優し過ぎる。



 カサンドラは少々王子と立場が違う。

 この件を協力することがそのままリゼの幸せに直結するだろうと分かっているから、その程度の協力で済むなら惜しむことはない。


 好都合と言えば好都合なのだ。



 それに引き換え、王子は得をする事情なんて一つもないはず。

 ジェイクの相談事など知らないことと打ち捨てても、何も問題ないだろうに……!




 いつも他人のことばかり考えている彼が本当にいたわしくてしょうがない。

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