第135話 エレナの本音
――ジェイクとリゼを傍から見ているだけで、一日が終わってしまった。
どうにも二人の様子が気になって仕方なく、チラチラ横目で伺って過ごしてしまったカサンドラ。
リタもリナも敢えて彼女のことを一切気にしないで乗馬をエンジョイしていたけれど、どうにも気になって仕方ない。
自分は出歯亀根性なんて持ち合わせていないと思っていたのに、不覚である。
大体、彼女達が現在どのくらい仲が良いのか気になるのはカサンドラの立場上仕方のない事だ。
一応恋愛が成就するように応援しているし、それに向けての助言は欠かさず行ってきたつもりである。
それにしたって今日の二人はカサンドラが若干目を逸らしてしまったくらいには普通に仲が良かった……と、思う。
ただの友人の範疇と言われればそういうものかも知れないが、やはりそれだけには見えないような気もするし。
そもそも普段、ジェイクは女生徒と距離を取って接している。
所謂勘違いさせるような態度は取らない。
これは徹底している、仲良く話すことはあっても事情が無い限り接触しない人だ。
誤解されたら滅茶苦茶面倒くさいという想いがあるのだろう。
ラルフのように、勘違いさせがちな紳士的な態度をとってた結果の告白やアプローチを軽やかな笑顔で躱せるわけでもない。
かといってシリウスのように最初から相手をシャットアウトして勘違いの余地もない冷酷な態度をとるのも性格上難しいのだろう。
そのあたりの女生徒との応対は、若干王子と通じるところがあるかもしれない。
……リゼは貴族の令嬢ではないし、別に気にしなくても良いかというガードの甘さが露呈している可能性も否めない。
元々”普通の少年”として接してくれる相手に胸襟を開くタイプだ。
リゼがそのセンサーに引っ掛かって、普段より友好的な態度に出ているとも考えられた。
彼はつくづく、
何にせよ、親しくなっているのならそれに越したことはない。
後は二学期の剣術大会でリゼが上位に入れば、ジェイクルートに入る。そうすれば彼も恋愛感情を抱き始めるはず。
果たしてリゼがどこまで頑張れるのか、それがカサンドラは少々不安である。
パラメータが目に見えない。
ゲームの中なら目安の値が設定されているから、それを達成していれば大上段で構えてイベントを流し見ることが出来るというのに。
これはハラハラドキドキしつつ見守ることになりそうである。
心臓に悪い、カサンドラも今から多少の事では動じない鋼の心を育てておかなくては。
ここまで親密になっておきつつ、恋愛ルートに入れずただの友達というだけで学園生活が終わるのは是が非でも避けたい。
誰にとっても悲劇でしかないので勘弁して欲しいものだ。
そんな風に今日の出来事を振り返っているカサンドラ。
別荘の一階、広いロビーに立てかけてある時計の針は夜の九時を回っていた。
夕方にはジェイクも王族保養地の建物まで帰還しているし、食事も勿論済ませている。
今何をしているのかと言うと――三つ子が温泉から上がるのを待っている。
寮の浴場ではゆっくり入れないという彼女達は、三人がそれぞれ自由に泳げる程広い温泉にすっかり歓喜してしまった。
揃って感動に打ち震えていたのは知っている。
昨日もかなりの長風呂だったが、今日は乗馬の練習を長時間続けていたこともある。
その疲労を癒すためにのんびり浸かっているわけで、果たしてどれくらい時間がかかるのだろうと苦笑している。
三人揃って温泉とは相変わらず仲の良い姉妹だ。
カサンドラは既に湯浴みをすませ、金色の長い髪をタオルで巻いてバスローブ姿で寛いでいる。
やるべきことのない、静かな夜。
湯上りで火照る全身をゆっくりと涼しい空気に馴染ませ、解放感に包まれる。
淹れたての紅茶に蜂蜜を垂らし、甘い香りを心行くまで楽しんでいたのだが……
「カサンドラ様、今日も一日お疲れさまでした。
……こちら、宜しいですか?」
ショートカットの美人なお姉さん。
この別荘地を所有し、毎年のように夏は避暑に来ているのだというエレナはカサンドラの正面の椅子を指差した。
「勿論、どうぞおかけになって?」
ニコッとカサンドラが微笑みかけると、少しばかりエレナは瞳を光らせる。
そしてコーヒーの入ったカップを手に持ったまま、カサンドラの正面に腰を下ろしたのである。
「エレナさんには本当にご面倒をおかけしていますね。
わたくし共の来訪を快く承諾していただき、感謝しております」
「――いえ、それは構わないのです。
ですがカサンドラ様、貴女は随分変わられましたね。勿論、良い方に……ですが」
急に正面から仕事ができる女性の眼光を浴びせられカサンドラは驚いた。
こちらを見透かすような、値踏みするかのような視線だ。
すぐに姿勢を正す。
どこに行っても誰に会っても、過去の自分の呪縛からは逃れられないのだろうかと溜息をつきたくもなる。
だが、これは十五年間かけて積み上げてきたカルマだ。
前世の記憶を思い出し、過去の愚かな言動に気づけたところで帳消しにはならないのである。
「ありがとうございます。
エレナさんにそう評していただけるのであれば、わたくしも自信が持てるというものです」
「正直に言いますと、私は貴女を喜んでお迎えしたわけではありません」
エレナは肩を竦め、一口コーヒーを飲み下す。
その飄々とした言いっぷりは、カサンドラを唖然とさせた。
「両親は、レンドール家との縁は大事なものだからと毎年声をかけていましたけれどね。
私は貴族の血が流れているとは言え、もはや一般人と変わるものではありませんし。
レンドールだろうが次期王妃様だろうが、普通に国に雇われた官吏の末席には関係のないことです。
……母にどうしても、と請われて貴女達をお迎えしました」
彼女の言い分も分かる。
エレナは貴族令嬢だった母を持つが、父親は爵位を持たないただの官吏に過ぎない。
今はまだエレナも先代エルマー子爵の”孫”という肩書で、貴族に連なるものとしての待遇を受けているけれど。
身分としては平民と言った方がより正しい。
ここで彼女が普通の平民と結婚すれば、完全に市井の人間と見做される。
リゼ達と同じ、一般人。
「結婚相手も決まらない私に、貴女を迎え友誼を育み、学園や親類から良縁を見繕って紹介してもらえだなどと……
とても気の進まない話でしょう?
しかも私は、我儘で高飛車なレンドール侯爵令嬢が好きではありませんでしたから」
あっけらかんと隠し立てすることもなく言われると、こちらとしても大変反応に困る。
そうでしたの、と聞き入って頷くくらいしか出来やしない。
言葉で
嘘偽りない、正直な彼女の反応を逆に好ましく思ったほどだ。
「どうして、わたくし達を受け入れて下さったのですか?
いくら夫人のお願いとはいえ、断りようはいくらでもあったと思うのですが」
カサンドラは彼女に良く思われていなかった。
それであれば、日程が合わないと言えば良いだろう。家主はいないが、カサンドラに別荘を使用してもらう――という方法もとれなくなかったはずでは?
「己の進退をかけてでも、忠告したかったからです」
彼女はソーサーもないマグカップを、ダンッとサイドテーブルに音を立てて置く。
その勢いで黒い液体が飛び散ってしまったが、彼女はそんなことなど意に介さない。
「両親の思惑に全く反し、レンドールとの誼が無くなろうとも。
……私は、貴女に王子との結婚話を考え直して欲しかった。
貴女自ら辞退して欲しい、と。この三日間、延々と説得する心積もりでおりました」
思わずカサンドラの顔もサーっと蒼く染まる。
彼女はお酒を飲んでいないはずなのに、素面でこんなとんでもないことを言っている。
もしも本当にそんなことになってカサンドラが激怒してしまったら、彼女の両親に累が及ぶどころかエルマー子爵家にも影響が出たかもしれないというのに。
とんでもない事を言う人だなぁ、とカサンドラは開いた口がふさがらなかった。
「勿論、怒らせないよう婉曲的にアプローチするつもりでしたけれどね。
本当にこちらは決死の覚悟だというのに、貴女は事もあろうに平民の友人を連れてくるとか言い出しますし……
学園で奴隷扱いできる生徒をゲットして、バカンスにまで随行させて女王様気取りなのか? と。
知らせを聞いて私も震えあがったものです。
こちらの勘違いでホッとしましたよ」
はぁ、と頬に掌を当てて溜息を吐く彼女の何も隠さずに、ありのままをさらす言動に目を白黒させてしまう。
にこやかな笑顔で出迎えてくれたエレナが、まさかそのような目で対応していたとは。
……本当に自分に対する風評被害が過ぎる。
奴隷って……
「私は、王子に幸せになっていただきたいのです」
エレナは急に真顔になって、正面からカサンドラをしっかと見据える。
その眼力に気圧されないよう表情を引き締めた。
「あの方は本当にお優しく、それがゆえに並々ならぬ気苦労を抱えておられます。
官吏としてまだ経験もない私にも優しく声を掛けてくださいますし。
……板挟み、儘ならないお立場でいらっしゃることが可哀そうで」
普段王宮にいる王子が何をしているのかと言うことは全く知る余地のないことだ。
王宮で政務の一端を担う官吏である彼女は、頻繁に出入りする王子と顔を合わせることも多かったのだろう。
「王子には貴女のようなしっかりとした後ろ盾を持った女性が必要かも知れません。
ですが肝心の貴女の数々の評判を鑑みますと……
王子が得られるものより、失われるものの方が多いと思いました。
隙を見せれば足を掬われます。それどころか、隙を作り出そうと種々の誘惑も多いもの。
王妃の醜聞悪評はそのまま王家のそれに繋がることですし、リスクは少ない方が良いでしょう。
何より人間的に尊敬できない女性に、彼の伴侶は到底務まりません」
ズバッズバッと、カサンドラの急所目掛けて固い石を豪速で投げつけてくるエレナを前に、クラクラと眩暈がしそうだった。
「この国の未来を憂うのなら、婚約の件を何とか思いとどまっていただけないかと平身低頭、五体投地で直訴しよう……と。
覚悟を以てカサンドラ様をお迎えしたわけです」
ふふっ、と彼女は視線を伏せて自嘲した。
……彼女は過去、カサンドラがどんな人間だったか見たことがある。
風評に加え、実態を目にしたことがあればカサンドラが敵を作りやすい性格だと思っても当然だろう。
エレナが危機感を抱き、王妃などとんでもない! と思うのも無理なからぬことか。
「まぁ、そんな覚悟も昨日今日で吹き飛びましたけどね。
……今はね、逆です。
こうしてカサンドラ様にお願いしますのは――」
エレナはその場にすっくと立ち上がり、カサンドラに向かって深々と頭を下げた。
「王子のこと、どうか宜しくお願いします。」
「……え?」
余りに動揺したものだから、髪を押さえ巻いているタオルが解けて落ちてしまうかと思った。
これほど無遠慮に言いたい放題言われたのだ、さぞかしもっと文句や不満が出るのではないかと覚悟していたカサンドラは翡翠色の目を瞠る。
「末席の官吏が畏れ多い事ですけれど。
あの方は本当に、真面目過ぎるがゆえに見えない敵も多くて……
日夜神経を擦り減らすようなことばかり、それなのに愚痴一つ零す事無く励まれているのです。報われて欲しいと思います。
私の管轄の官吏達にとっても弟のようと言いますか……
カサンドラ様。どうかどうか、王子を支えて頂けませんか」
悪口陰口のようなものを一気呵成に聞かされたかと思えば、今度は恭しく頭を下げられてカサンドラとしても何が何だかよくわからない。
「わたくし、こちらにお邪魔になって何もしておりませんが……?」
彼女の考えを変えるような出来事など何一つなかったはずだ。
いきなり掌をくるっと返されたのだと言われても困惑する。
「以前の貴女とは全然違います。
前回お会いした時には私など眼中にもないという振る舞いでしたが、このように丁寧に応対してくださり驚いています。
三つ子ちゃんたちに対してもあたかも姉であるかのような懐の広い態度。
あの子達は素直に貴女に好感を抱いていますしね、平民からああも損得なしで慕われる事は難しい事ですよ」
庶民からも支持を受けるだけの外面は必須だ! と、彼女は真面目な顔をして言い募る。
別に支持を受けたいから親しくしているわけではないが、彼女に気圧されてコクコクと頷くだけにとどまってしまう。
「更にはあのジェイク様とも対等にお話が出来ているのは大変素晴らしい事です。
お伺いしましたよ、ジェイク様だけではなくラルフ様、シリウス様ともご懇意にされているのですね?
あの三人と親しくされている方など男女問わず聞いたことがありません。間違いなく今後に有利な人脈です。
現段階でカサンドラ様以上に王妃適性のある方など、国のどこを見渡してもおりませんよ。
――ああ、良かった。最初に罵倒から入らなくて」
心底ホッと胸を撫でおろすエレナに対し、大変複雑な想いになるカサンドラ。
「ええと……エレナさんのお眼鏡に適ったということでしたら、わたくしも安心できます」
「無礼な発言を数多く申し上げて大変申し訳ありません。
……このような挑発的な言動においても、一切揺らぐことなく泰然と構える事が出来るその余裕には感服いたします」
カチンと来たからといって、その都度怒っていても仕方のない事だ。
こちらを怒らせよう、冷静でいさせまいとする相手はこれからも沢山現れるのだろうし。
丁度、三つ子達も温泉から上がってきたようだ。
ぞろぞろと寝間着姿のまま、髪の毛にタオルを当てて仄かに白い煙を立ち昇らせる。
その弛緩した心の底からリラックスしている表情に、カサンドラもエレナも顔を見合わせ小さく笑う。
ふにゃっと擬音が聴こえるような蕩けた顔。
「ふー、良いお湯だった」
「やっぱり温泉って最っ高♪」
「長湯し過ぎて顔が熱いわ……」
「皆様、今日一日お疲れさまでした。
明日は最後の一日となりますが、自慢のラベンダー畑までご案内しますね。
さぁ、お疲れでしょう。ゆっくりお休みになって下さい」
『はーい!』
そうか、もう明日王都に帰るのか。
最初は自分を憎らしい敵のような扱いで迎え入れたはずのエレナが、こうして本音で話をしてくれた事は本当に意外だ。
そこまで自分に対する信用が皆無なのだと改めて突きつけられると、ショックではないと言えばウソになる。
だが――彼女にそうさせるだけの人徳が、王子にあるということも分かった。
王子は彼女のような実際に官吏として働く者から好かれ、心配までしてもらっているのだ。
もしかしたら不興をかって不利になるかもしれない、でも王子のために行動を起こそうと思うだけ慕われているのだという事実に、心がポカポカと温かくなる。
報われて欲しい、か。
………カサンドラもそうあって欲しいと心から願う。
その結末は幸せなものであってほしいと、彼を知るたびに強く思うから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます