第133話 <リゼ 1/2>



 昨日、国王陛下にあいさつに行く話の段階では避暑地にジェイクがいるだなんて全く想像もしていなかった。

 次に彼と会えるのは夏休み明けだろう。

 寂しいけれど、十分補充した思い出の数々で残りの休みも幸せな気持ちで過ごしていける。そう信じて疑っていなかった。


 だが更に過剰とも言える供給に、リゼは昨日息を継ぐのも困難な状態だったのだ。

 予期せぬ出来事に翻弄されるのは初めてではない。

 今まで何度不意打ちでジェイクと会って心を乱されてきたことか――!



 まさかカサンドラの厚意に甘えて一緒に着いてきた別荘地でまでジェイクと会うとは思わなかった。

 ここまでの奇跡が続くと流石に怖い。

 幸運のしっぺ返しがどこかで絶対に訪れる、その時自分は乗り切ることが出来るのだろうか。


 そんな風に、とっても幸せなのにどこか落ち着かない気持ちを抱えつつリゼは別荘のロビーを後にする。



 丁度出た先の玄関で話をしていたカサンドラの正面で、昨日見たばかりのジェイクが楽しそうに笑っている。

 あの時は国王陛下の前ということでまるで別人のような振る舞いの彼に動揺を隠すのに精いっぱいだった。ハッキリ言ってジェイクの姿を目に焼き付けるのに精いっぱいで王様の記憶が皆無である。


 今のジェイクは日常よく見かけるいつもの表情で心の底からホッとする。

 いくら普段気安い人間で口調が普通の少年そのものでも、時と場合によって使い分けることが出来る器用さに再度驚く。


 人間というのは第一印象がほぼ全てだ――とはよく言ったものだ。

 もしも最初に昨日のように行儀良くしているジェイクの姿が最初の印象ならば、彼に対してここまで想いを寄せるまでは無かったかもしれない。

 だが普段の様子を最初に見てしまった事で、本来の自分なら『所詮お貴族様ですものね』と思ってしまうシーンも見慣れない姿で素敵! となるのだから面白いものだ。


「おはようございます、ジェイク様」


「おう。

 ……昨日はお互い面倒だったな」


 学園内ではまず聞くことがないだろうカサンドラとのうすら寒い会話を思い出し苦笑いだ。  

 彼は昨日と同じ黒い皮の鎧を着ていたが少々印象が異なっている――ああ、マントが無いからか。


 馬上で翻る外套は、そりゃあもう格好良かった。

 外見が良いので何をしても様になるとは思うが、あまりにも衝撃的な光景に心臓が止まる寸前だ。


「いえ、ジェイク様こそ夏休みなのにお勤め大変ですね」


 果たして今日はどんな理由でここを訪れたのだろうか。

 やはり高位貴族同士の特殊な事情が絡んでいるのだろうか?


 凡そ自分には無関係だろうと思ったリゼは、せめて最後に顔を見て挨拶をしておこうと通りがかったフリをした。

 まだ、早々外に出る必要はない。

 だが別荘の外で待機していれば、戻ってくるジェイクともう一度話が出来るかもしれないという打算が働いたのだ。



「リゼさん。

 今日これから、ジェイク様が乗馬の練習にお付き合い下さるそうですよ。

 とてもありがたいことですね」



 カサンドラのニコニコ笑顔に、リゼは昨日の時と同じように心臓が止まりかけ――そして、冷静な顔をするのに全身全霊の気合を必要とした。


「そうなんですか、ありがとうございます。

 あの……私、食事が終わったので先に外で待機してます!」



 玄関ホールは広く、そそくさと端っこの方を通り扉から外に出た。

 一応頭を下げることは出来たが、一体どんな顔だったか。もはや自分の外見の状態さえはっきり自覚できないのはヤバいと思う。


 バタンと扉を後ろ手に閉めた後――その樫造りの硬質な扉に背を持たせる。

 思わず左の掌を左胸に当てたが、全力疾走をした後のようにドッドッドッと。

 けたたましい音を立てているのが嫌にリアルを感じさせる。

 夢ではないのだとしたたかに打ち付けてくる。


 柔らかな朝の陽ざしに包まれ、リゼは俯いたまま呼吸を整える。


 こんな事程度で動揺してどうする。


 何の話でかそうなっただけで、ジェイクの予定に関して自分は何一つ関係していない。

 彼が自分に会いに来てくれたというのなら動揺しても仕方ないが、自分はこの件に関しても全く無関係!


 ……あれ?


 そういえばジェイクと会う時には大体カサンドラが一緒にいる気がする。

 ハッと気づいて、少しだけ心がさざめいた。


 ジェイクに良く会うのはきっと偶然ではない。

 自分がたまたまカサンドラに良くしてもらって傍にいる機会が多いから、彼女と親交の深いジェイクと会うことが出来ているだけだ。

 運が良いということは確かだが、それ以上に彼女とジェイクに接点がある、何かしらの事情で共にいることが多いというだけなのではないだろうか。


 同性であるリゼの目から見てもカサンドラは魅力的な女性に映る。

 外見は美人ゆえにとっつきづらい印象がある、そこは彼女の第一印象で損をしている部分だ。

 だが一度話をすれば彼女の嫌味の無さや親切さにあっという間に傾倒してしまうことになるだろう。


 何もかも持っているお嬢様だというのに、彼女はとても世話焼きで真面目な人。

 貴族のお嬢様に対する偏見が根強いリゼをしても、とても嫌いになれない。


 ここまで人生のステージが違うと妬みや嫉みの感情さえ湧いてこない。

 王子と一緒にいる姿を稀に見かけると、「ありがたや」と拝みたくなるレベルだ。


 社会的地位もあり性格も良い、そんな彼女は確かにジェイクにとってみれば得難い存在なのかもしれない。

 もしかしてカサンドラのことが気にかかって、結構な確率で行動を共にしているのでは?

 背筋にぞわっと這いあがる悪寒に身を震わせた。


 だが、そんな考えをすぐに打ち消す。

 他ならぬ本人の口から、大人たちの事情はどうあれ王子の婚約者をどうこうするつもりは全くないと言っていたではないか。

 その言葉に嘘やごまかしがあったようには思えないし、舌の根も乾かぬうちに前言撤回する人ではない。


 偶然だ偶然。

 たまたま、そう感じる機会が多いだけで――



 そう結論付け己を鼓舞しようとしたリゼの目の前を、ここまで護衛として馬に乗って並走してくれていた兵士が横切った。

 兵士という職業で着込んだ鎧にそぐわぬ、両腕に一杯の人参を入れた籠を抱えていたのだ。


 「おはようございます」とその兵士は人好きのする笑顔を見せる。

 リゼよりも少し年上に見える筋肉質な青年だった。

 その筋肉というアドバンテージを存分に生かすべく、大人二人で運ぶ量の人参を一人で運んでいるのである。


「おはようございます、それ、ニンジンですか?」


「はい、牧場に運び入れるお手伝いです。

 人手は多い方が良いでしょう」


 成程、確かに馬と言えば人参。

 そしてこれから素人三人衆が揃って乗馬の訓練なのだ、美味しそうな人参を携えていくのは馬に対する礼儀かもしれない。

 

「あ、――少し待ってください」


 頭を下げて過ぎ去ろうとする青年兵士をつい呼び留めてしまった。

 早く運びきりたいはずの青年はちょっと困ったように再びリゼの方に向き直る。

 だが気づいてしまったのだから仕方ない。


「ここ、ボタン取れかけてますよ」


 リゼは己の右手首を反対側の手の指で指し示して教えてあげた。

 彼はよっこいしょ、と籠を一旦地面に降ろす。そして言われた通り鎧から伸びる長袖の手首位置を確認。

 リゼの見間違いというわけではなく、金色の半球型のボタンが今にも落ちそうな状態だ。辛うじて一本の細い糸にぶら下がっている。


「本当ですね、気づきませんでした」


「その程度ならそのまま付け直しますよ?」


 四穴のボタンは少々自信がないけれど、ボタン裏突起の穴に通すだけの簡素な飾りボタンだ。

 それくらいならリゼでも対応できる、護衛兵の青年も困ったような顔からパッと表情を明るくしたので――迷惑ではないかも知れない。


「良いのですか?」


「ちょっと待っててくださいね、道具を用意してもらわないと」


 リゼは己が表から背中で押しとどめていた玄関扉をもう一度開ける。

 更にエレナを交えてまだ会話を続けていた彼らの横を再びそーっと横切った。


 そして広いロビーでまだデザートを頬張っている二人に大声で呼びかけたのだ。

 正確には二人ではなく、一人か。

 


「リナー!

 ちょっと裁縫袋貸してーーーー! 持って来てるでしょ?」


「え? 勿論持ってるけど……

 ちょっと待って、部屋に置いてるから取って来るわね」


 突然呼びつけられたリナも、探し物が裁縫道具ということで深く事情を聞くことなくパタパタとそのまま二階の客室に上がって行った。用途など限られている道具だ。


 さて後は道具を貸してもらって作業をすればいい、数分もかかるまい。


 カサンドラ達の会話の邪魔をするのも迷惑だ。

 何より気恥ずかしいので腰を低く屈めて横切り、再び玄関の外で待つことにした。



「どうかしたのか?」


 だがその扉をくぐった人物は自分だけではなく、何故かジェイクも着いてきた。

 何か不測の事態が起こったと勘違いしたのかも知れない、若干険しい視線である。

 裁縫道具を用意しろと大々的に指示をしたのだ、そこで何らかのアクシデントを想像するのは仕方ない。


「いえ、あちらの方のボタンが取れかかってるので付け直してあげようかと」


 あちら、と言って山盛り人参の籠を足元に置いたままの護衛兵を指差す。

 彼はその瞬間、ビクッと肩を跳ね上げた。


「ふーん……。でも、必要ないだろ。

 こういう職に就いている奴は、自分の繕い物くらい自分で出来る器用な奴らばかりだし」


 戦いの最中に衣服が破れたりほつれたりすることは日常茶飯事の世界で、一々他人に繕いを任せるよりは自分でやった方が早い。

 必要な技術だと言われても、別に簡単なボタン付けくらい他人の手を借りても問題ないのではないだろうか。


 特に彼らはカサンドラだけではなく自分たちの事も気にして長時間護衛を務めてくれていたのだ。

 山道で蒼い顔で苦しみ始めたリタのために、速度を速めて別荘まで急いで来てくれた恩もある。

 第一、いくら器用でも着衣のまま自分の袖口のボタンを付け直せる人間などいないだろうに。



「……なぁお前、雇い主に手間かけるのか?」


 心底不思議そうな声でジェイクがそう問いただしたものだから、彼は完全に色を失くして「やっぱり良いです、申し訳ありません!」と籠を抱え直してその場を去って行ってしまった。


「えっ、ちょっと待って!」


 リゼが止めようとしても遅く、突き出した手が虚しく宙を掻く。

 そもそも彼を雇っているのはレンドール侯爵家であって、間違っても自分達ではない。


 馬車がならず者に襲われたら、彼らは自分達を囮にしてでもカサンドラを守らなければいけない立場の人たち。

 流石に囮に差し出すような鬼畜な事はしないだろうが、彼らはカサンドラのついでに自分達の面倒まで見ないといけないわけだ。

 ”おまけ”の身の上なので、仲良くなっておくに越した事はない存在なのだが……?


 だがジェイクは、ぽん、とリゼの肩に手を置いた。


「無理しなくていいんだぞ?」


「……はい?」


「頼まれた手前断りづらかったのは分かるが、上手く出来なかったら気まずいだろうし」


 なんでそっちの方向で気を遣われなければいけないのか。

 リゼは頭を抱えて蹲りたい衝動に必死で耐え、思わず彼に大声で話しかけてしまった。



「あれくらい出来ますよ!?

 無理なら最初からリナにやってもらってますから!」



 もしかしてジェイクは気を遣ってくれたつもりなのだろうか?

 そもそも繕いを言い出したのはこちらの方だが、その場を見ていない彼には分らなかったのかも知れない。


 つまり「ボタン付け直しましょうか」という女性なら普通に持ち合わせている気遣いさえできない人間だと言われたようなものだ。

 過去今まで抱いたことがないくらい、ショックを受けた。 



  

   ……彼の中で自分は、ボタンつけ一つ出来ない不器用人間判定なのか……。

 



 いくらなんでも決めつけが過ぎないだろうか。

 こちらとて貴族のお嬢様でもない一般市民だ、そこに関しては針孔に糸を通せないリタと一緒にしないで欲しいと心底思う。




 急いで裁縫袋を持って降りて来てくれたリナに「必要なくなった」と言うのが悔しくてしょうがなかった。





 ※

 




 気分が塞ぐことは只管ひたすら続いた。



 三つ子にとって、乗馬は初めての経験である。

 乗馬が趣味なんてブルジョワな家庭に生まれたわけではない庶民代表のリゼ達だ、馬や牛というものは荷駄というイメージでしかない。

 馬を乗りこなせる人は格好良くて憧れるが実家は畑仕事に精を出すただの農民だ。

 そもそも荷駄馬さえ実家にあるわけもなく、繁忙期の借り物に過ぎないものである。

 そんなわけで、畑仕事を厭うリゼは自分から好んで馬や牛に近づいたことは今まで一度もなかった。


 初めての体験だからこそワクワクドキドキ高揚したまま牧場に到着し、気性の穏やかな馬に乗る練習を始めることが出来たのだ。


 ジェイクのように自由自在に馬を操れたらどんなに爽快な事だろうかと思うし、リゼの志望する騎士団の参謀補佐官は乗馬技術が必須。

 実技に備えて卒業までにはマスターしておかなければならない、リゼにとっては実は喫緊の課題であった。


 しかも牧場にジェイクまで同行してくれ、自分達に教えてくれるというのだから否が応でも期待は高まる。



 だが現実はそう甘くなかった。



 だいたいリゼは剣術や体術の講義を続けているとは言え、運動神経が良いわけではない。

 要するにセンスというものに欠けている。

 乗馬は貴族の嗜みではあるが、並大抵の運動量ではないことは即座に察した。


 エレナに手解きを受けながら鞍に跨り手綱を握るものの、すぐに振り落とされそうになって腿に力を入れることになる。

 みっともなく振り落とされないように栗色の馬の首にしがみつき、エレナが必死で宥めてくれた隙に降りるを繰り返すのみだ。



 カサンドラに教えてもらっているリナ、ジェイクに教えてもらっているリタをチラっと横目で確認する。

 妹達のように、馬に乗ったままゆっくりと先導され牧場内を一周するということさえ儘ならないのだ。



 ――妹達が特殊部隊過ぎる。


 リナは動物が大好きだ。

 そして馬の方も一瞬でリナを気に入ってしまったのが一目瞭然。

 何もしていない段階からすりすりとリナの頬に顔を近づけ、リナも嬉しそうに馬のおとがいを撫でる。 


 さぁさぁ乗ってくれと言わんばかりに馬に急かされるように乗り上げた彼女を、その馬は優しくエスコートするように静かに歩き始めたのだ。

 これにはカサンドラも驚いていた。

 まるで大切な荷物を落とさないように振動少なくパカパカと歩く馬、そして馬上で楽しそうな笑顔のリナを見ていると微笑ましさしか感じない。


 きっと伝説の聖獣ユニコーンもリナを喜んで背に乗せて湖を一周し、その膝の上でスヤスヤと眠るに違いない。

 なんという動物に愛されし少女。



 対するリタも動物好きなこともあるが何より持ち前の運動神経がこの上なく光っている。

 最初は恐々と鞍に乗っていたリタも、ジェイクが少しばかり助言をしただけで、


「見て見てー!」


 と鐙の上にしっかと立って軽妙な手綱さばきまで披露出来るまでになった。

 その間は一時間もなかっただろう、コツを掴めばなんということは無いという様子で、リタは楽しそうに馬に跨っている。


 これがセンスの差か、と歯噛みしてしまうのは仕方ない。


 馬と心を通い合わせることのできるとしか思えないリナと、その運動神経という天賦の才で易々馬に乗れるようになったリタ。

 比べて自分は、どうやら馬に嫌われているとしか思えない上に運動のセンスはお察し。


 何とか穏便に乗せてもらおうと馬に話しかけようとしても、その瞬間プイっとそっぽを向かれて別方向の地面に生えている草をむしゃむしゃみ始める。

 無理に乗ってしまえば手酷く暴れて落馬し大怪我をしてしまいそうで、エレナも困った顔で馬を宥めるが一向に成果は出なかった。


 しかも「機嫌が悪いのかしら」とエレナが気を遣い別の馬を連れて来てくれたが、同じ結果だったのだから救えない。

 自分は余程馬に嫌われているんだな……と激しく落ち込むことになる。


「ねぇ、乗せてよ」


 媚びるように言っても、なだめすかしても、勿論高圧的になっても駄目だ。

 馬はツーンと自分を拒絶する。



 エレナに少し休憩しようと勧められ、牧場の片隅でぽつんと一人佇むのは屈辱であった。

 他の二人はあんなに楽しそうに馬に乗れたとはしゃいでいるのに、自分は満足に騎乗状態で歩くことさえままならない。

 無理にでも乗ったら身体ごと吹き飛ばされそうな拒絶が待っているのだ。


 本当に、自分は勉強以外何も出来ないんだなぁと呆れる。

 その勉強さえ学園で一番にはなれないのだから溜息しか出ない。


 ぼんやりと休憩をとるリゼの耳に、カサンドラとジェイクの会話が耳に入ってきた。


「このような僅かな時間で、斯様に上達するとは思いもよりませんでした」


「そうだなー、ここまで乗れるなら別の場所まで皆で出てもいいんじゃないか?

 柵の中だけって言うのも勿体ないだろ」


 無慈悲な会話に、リゼは気配を消すようにしゅんと縮こまった。


 空は蒼く澄み渡り、真夏だというのに秋のように心地よい涼しさで。

 綺麗に整地された牧場でリナやリタは楽しそうに馬に乗ってはしゃいでいる。


 中々に心の洗われる清涼な光景のはずなのに、今のリゼにはまさに目の毒だ。

 その眩しさが目と心に痛い。


「ですがリゼさんはまだその段階には至っておりません、今日は無理なのでは」


 カサンドラは困ったようにジェイクを制止する。

 庇ってもらっているのだろうが、余計に惨めだ。


 慌てて声を張り上げる。


「私はここで待ってますし、皆さんは出掛けて下さい!」


 足手纏いになるのは御免だ。

 皆に気を遣われた上、折角ここでしか出来ない”楽しみ”を奪うことになるくらいなら、ここで一人で馬に触る練習をしていた方が万倍マシである。


 アンディも言っていたではないか、この高原を馬で駆けるのは最高だと。

 二度と来ることのできないラズエナという高原で、支障なく馬に乗れる二人にその体験を躊躇させるなど耐えがたい。


「別に二人乗りで行けばいいんじゃないか?

 カサンドラ、お前なら出来るだろ」


 だがそれを制するのは牧場、つまり別荘主のエレナだ。


「二人乗りが出来る出来ない以前に、こちらの馬は見ての通り軍用に訓練されるような種ではありません。

 二人で乗れば消耗が激しく、すぐに潰れてしまいます」


 カサンドラに同意し、ジェイクの無謀な提案を穏便に引っ込めさせようとしているのが分かる。


 今日初めて馬に乗った人間とは誰も信じないような彼女達を眺めるジェイク。

 彼としても場所を変えてやりたいという想いが湧くのも分からなくはない。


 そして一人馬に触れることも出来ないまま柵に腰を持たせるリゼをチラっと一瞥。


「あいつ軽いからいけると思うけどなぁ」


「そもそも二人乗りはしたことがありません、何かあってはリゼさんが大怪我をしてしまいます」


 だから自分などここに置いて、皆で行ってくれればいい。

 卑屈ゆえではなく。


 自分のせいで出来ないことがある、そんな状態の方が責め苦に等しい。

 気を遣われる方が心苦しいことは世の中に沢山あるのだから。




「分かった、じゃあ二人乗り出来る馬がいればいいんだな」




 ジェイクはしばらく渋面で彼女らの話を聞いていたが、何かを思いついたようで楽しげな笑みを浮かべる。


 そして何をするつもりだと聞くいとまもなく、彼は丸めた指を咥えて指笛を鳴らす。

 風薫る草原に甲高い音が鳴り響き、それは涼やかな空気を裂いた。




 すると時を数拍置いた後、別荘の方角から何か黒い獣が信じられない速度で駆けてくるのが視界に入った。

 その巨躯の獣にぎょっと身を竦ませ、腰をもたせていた牧場の柵から身体を離し中に逃げ込もうとする。


 だがその大きな黒い影はリゼの腰より高い程度の高さの柵など全くものともせず、大きく地面を蹴って跳び越える。


 そして牧場内にドシンと重量感を伴う音を叩きつけるのだ。


 鼻息荒く興奮した様子のその黒馬は見たことがある。

 昨日ジェイクが乗っていた普通の馬より一回り以上は大きな体躯の馬。


 指笛に呼ばれて駆けてきた馬は、その前足でガッガッと平坦な牧場の土を穿つ。




「じゃあ俺がリゼを乗せて行けば問題ないな。

 ――景色が良い場所まで案内してもらおうぜ」





 ブルルルと鼻を鳴らす馬を間近にし、カサンドラとエレナは同時に顔を見合わせた。





 え? 今の話の流れ上、自分が一緒に乗るの? あれに? 

 あの馬に?

 誰と?





  ………え? いやいや、それは一生涯の幸運を使い切るような出来事でありまして。






   私、明日死ぬんじゃないの?


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