第132話 親子の喧嘩
言葉に
カサンドラの「ありがとうございます」というお礼の声は若干上擦っていたかも知れないが、国王陛下が直々に下さったものを無下には出来ない。
幸い、獲物を入れた白い麻袋を持っているのは自分ではない。
改めて別荘まで送ってくれるアンディが血抜きを終え解体済のそれらを担いで運んでいる。
リナを連れてこなくて本当に良かった。
結局兎狩りの時間が終わるまで留まることとなり、途中で馬に乗って兎を狩る王様に称賛の言葉を送ったりと大変気を遣う時間を過ごすことに。
意外にも陛下の弓の腕前は素晴らしかったのだが、状況と合わせて疲労感が増すばかりだ。
それにしても、と。
チラっとアンディの姿を目で追う。
この綺麗な青年は出世頭で、より高い職位を得るためにミランダと結婚することになったと聞く。
ジェイクは例外としても、二十歳そこそこの男性が国王のプライベートな旅行に随行しているのだ。
相当信頼されているはず。他の騎士は彼よりも年上に見える男性ばかりだった。
長年騎士団に籍を置いて上から信頼を勝ち得たものばかりの面々の中で、アンディは異端な存在である。
きっと仕事が出来る人なのだろう。だからこそジェイクも将来の側近候補として色々便宜を図っているものと思われる。
この細い腕で、どんな剣捌きを見せてくれるのだろう。
ナイフやフォークよりも重たいものは持ったことがありませんという顔で。
「どうかしましたか、カサンドラ様」
じーっとその綺麗な横顔を眺めていたら、彼も視線に気づく。
苦笑いを浮かべて首を傾げるアンディがこちらに話を振ってくる。
林道を越え、あと五分も歩けば別荘に着くだろう頃合いだった。
王様たちの寝泊まりする建物は何キロも東に向かった先とのこと。
狩場と別荘が隣接しているだけで、明日以降は国王に会うこともないだろうと言われて心底ほっとした。
「あ、いえ……
一体、何故急に陛下がラズエナにいらしたのかと。
別の場所にご旅行の予定だったのですよね? エレナさんにお話を伺って驚いてしまいました」
お茶会の時、ジェイクが『接待だ』と気乗りしない様子で言っていたのはこの旅行をさしていたに違いない。
成程、ロンバルドの嫡男が接待しないといけない人なんて限られているのだ、国王に随行しているのは不自然ではない。
だが王子もジェイクもカサンドラ達がラズエナにバカンスに行く話を聞いてなお、全く陛下の話が無かったのはおかしい。
直前まで予定が別の場所で急に変わったのだと聞いて得心が入ったが、でも一体何があったのか気になるのは人の
カサンドラの誤魔化し混じりの質問にアンディは「うーん」と少しばかり考え込んだ。
「あまり外聞が良い話ではないのです、が……
カサンドラ様たってのご質問ですので、私の知っている範囲で宜しければ。
出来れば、吹聴しないでくださいね?」
もしかしてリゼが聞いてはいけない話なのだろうか。
そう思って後ろに着いてくる彼女の姿を肩越しに確認したら、彼女は完全に心ここに在らずと言った様子だった。
予想はしていたが、こちらの会話が一切耳に入っていない。
「……要は親子喧嘩です」
彼はほとほと困り果てたという様子で肩を竦める。
担いだ麻袋がユラユラ揺れた。
傾いた夕陽がアンディの白い肌と肩まで掛かる銀髪を照らしてオレンジ色に染める。
「親子喧嘩?」
こんなところで出てくるべき単語とは思えず、カサンドラは鸚鵡返しに口にする。
親子って、まさか国王陛下と王子の喧嘩?
一切想像できない状況にカサンドラの思考回路がフリーズした。
「正確には国王陛下と先代の国王陛下の、ですね。
ここまで拗れると、随行する方も大変なんですよ?」
彼は困ったように眉を顰める。
一体何がどうなったら? と説明を求めた。もう少しで別荘に辿り着いてしまう、出来ればその前に思わせぶりな言葉を回収して欲しい。
「先代の国王陛下は玉座を陛下にお譲りし、今は静かに過ごされているとお聞きしていますが」
「ええ、北の静養地でのんびり趣味の釣りに興じておられるそうです」
王様というのは思った以上に過酷な職業なのか、先代の国王様はあっさりと現在の陛下に王冠を譲り渡して隠居の身。
権力から遠ざかって久しく、第一線を退いた後は国王の邪魔になってはいけないからと滅多に王宮に近寄ろうとしないのだとか。
楽隠居の身で趣味に興じて余生を過ごすなんて素晴らしい人生ではないか! と関係ない事を考えてしまう。
「この夏、何年かぶりに先代様が王宮を訪問されましてね。
陛下の本来のご予定は、先代様がお住まいの北方にお戻りになるのと同行し――北に持つ保養地で親子水入らずでお過ごしになるというものだったのです」
「大層微笑ましいお話ですね」
年老いた元王様が、政務に疲れた息子を労うために王宮に顔を出して親子で旅行。
それは普段プライベートなんてあったものではない王様にも素敵な時間になるはずだ。
「ところがいざという出立間際、険悪な雰囲気になってしまいましてね。
……主に王子のことで」
「???」
実は先代陛下は唯一の孫である王子のことが可愛くて仕方がないそうで。
普段王宮に近寄らなかった先代が今夏わざわざ訪問したのも、王子に何年も会っていなくて顔を見たいと切望したからだという。こちらに来れないなら自分から会いに行く、と。
その結果、あまりにも今の陛下は王子に厳しすぎる、親としての情が見えないとそのことで大喧嘩を繰り広げてしまうことに。
若い身空の王子が、旅行で不在の国王の名代として責任を押し付けられ留守番など看過しがたいと言い募る。
『そんなものは宰相にでも任せれば宜しい』と憚らぬ祖父。
『今の内からの経験が重要、重責を実感できるまたとない良い機会』と譲らぬ父。
子供の教育方針で仲違い……!
カサンドラの表情はどういう形にしたらいいのか分からず、きっと引きつっていたことだろう。
孫に甘いお爺ちゃん、息子に厳しいお父さん。どこのご家庭でも勃発する問題に二の句が継げない。
「その事に始まり、他の事でも言い争いが……。
結局こんな空気のままで先代様と過ごすのは休養にならぬと北方行きは取りやめに。
しかし難航しながら調整した休養期間、せめて近場のラズエナで過ごすと仰られて。
私達もてんてこ舞いだったのですよ」
やれやれと肩を落とすアンディに、それは愚痴の一つも零したくなるだろうと納得だ。
無礼を承知で言って良いのなら、カサンドラはお爺様に全力同意をしたい気持ちだ。
王子は一学期あんなに忙しく過ごしているのに休みと言う休みがなく働き詰め……!
しかも先ほどの口ぶりからすると、それでもまだ納得してない節が見え隠れしていた。
これ以上の完成度を今の王子に求めたら人間でなくなってしまう……
「このような醜聞をお聞かせした上で難ですが――カサンドラ様。
誤解なさらないでくださいね、普段はこのような無理を通される方ではないのですよ。
私達騎士団に所属する者は皆陛下を慕っています、そうでなければこんな無茶を実現するために粉骨砕身出来ません。
ダグラス将軍が難渋を示していたのを説得してお連れしたのですから」
どこも家族関係は大変なのだろうな。
カサンドラの家は比較的波風の立たない穏やかな情勢だが、貴族の家庭事情程ややこしいものはない。
それが王族ともなれば何をか
きっと下々の者には理解できない様々な事情があるのだろうが……
それでもカサンドラは先代様に会って「そうですよね! 私もそう思います!」とがっしり握手したい気持ちだった。
話し込んでしまったが、丁度彼が誤解しないで欲しいと言った後に別荘に到着する。
「今日は私共の無茶な要望に付き合ってくれてありがとうございます、カサンドラ様。
今更ですが、これから何かご予定が?
遅くまで拘束してしまったので影響が出ては大変申し訳ないです」
「いえ、今日は一日ゆっくり過ごす予定でしたので問題はありません。
畏れ多くも陛下に目通りがかない、わたくし達は幸運でした」
「明日は何をしてお過ごしですか?」
「エレナさんが馬を貸して下さるので、皆で練習しようと考えています」
「ああ、それはいいですね。
是非ともこの高原を馬で駆る爽快感を皆さんに味わって欲しいものです」
「僅かな時間で馬を乗りこなすなど難しいと思います。
これをきっかけに学園の乗馬講義を選択するのも良いのではないかと」
「成程、それは素晴らしいお考えです。
馬はとても良いものですよ」
アンディは爽やかに笑った。
白い歯が煌めく好青年は、別荘の使用人に麻袋を渡しに行く。
夕食は兎肉のステーキと鳥肉で作った肉団子のスープが追加で並んだ。
すっかり調子のよくなったリタは喜んで手を伸ばそうとしたが、リゼの刺すような視線に遠慮して比較的慎ましやかな量で収まったようだ。
また満腹になって腹を壊されてはカサンドラもフォロー出来ない。
至って賢明な判断と言えるだろう。
※
翌日は天気にも恵まれ、快晴。
もしも王都に滞在していたら
まるでこの広大な盆地の上に透明な屋根が張ってあって、古代遺跡から永続冷却魔法でも吹き上げているのではないかと思う程。
皆で楽しく朝食を摂り終えた後のことだ。
「カサンドラ様。
…………少々宜しいですか、来客です」
デザートのブルーベリーを抓み終え口元を白い布で拭いていたカサンドラ。
エレナが辟易とした表情でこちらに話しかけてきたものだから、また七面倒くさいことが起こったのかとカサンドラも眉を顰める。
「ジェイク様がお訪ねです」
だから、何で?
何度目の確認か忘れたが、カサンドラとジェイクは別に親しいわけではない。
無論嫌いなわけでもない。
時折覗かせるデリカシー皆無の発言に苛立つことはあるけれど。
敵意も害意もなく、根は素直な男性だということを理解した上ではっきり思う。
ただのクラスメイト。
婚約者の親友。
カサンドラにとってジェイクはそのような位置づけの少年だった。
ジェイクが訪ねて来たという一報を隣の席で聞いてしまったリゼが、飲んでいたジュースを堪えきれず噴き出した。
一晩経ってようやく気持ちが落ち着いてきたところにこの不意打ちである。
彼女はエレナに涙目になって謝罪しながら点々と散ってしまったオレンジジュースをナフキンで拭きあげていた。
――名前だけでリゼをここまで動揺させるとは。
これから皆で牧場に向かって移動しようかと話をしていた矢先の訪問だ。
また国王が会いたいと言っているだなどと言い出したら、それは呑めないと平身低頭でお帰り頂く。
楽しいバカンスを国王陛下の御機嫌伺にこれ以上費やしたくはない!
「……ジェイク様、本日は一体なんでしょう。
既に陛下にご挨拶は終えたと思うのですが?」
カサンドラの笑顔はもしかしたら笑顔ではなかったかも知れない。
正面に立つジェイクが鼻白んだ素振りを見せ、こちらの意気込みにおおっと背を仰け反らせた。
着ている服は先日見たものと同じ黒い皮鎧だが、おや、と思ったのはマントがなかったことか。
マントがないということは、肩口に留める騎士団特製の金飾りもない。
黒一色の鎧に金の飾りが良く目立っていたので、少々違和感を覚えた。騎士団での仕事中はどこかに騎士団の印を象った飾りをつけているはずでは?
「はーーーー、全く、陛下にも参るよな」
彼は前髪を掻き上げ、クシャッと指を動かす。
昨日見たジェイクは幻だったのだろうか。
彼は完全に素の状態で、うんざりしきった顔のまま初っ端から愚痴攻勢。
お行儀の良い騎士様の姿はどこにも見当たらなかった。
「それがな、急に今朝になって――お前は今日一日休みだ! とか陛下が言い出してさ。
思い付きで話進める癖、マジでどうにかして欲しい」
ジェイクの顔に暗い影が落ちる。
「……? ジェイク様は護衛のお仕事中では……?」
「俺もそのつもりだったんだけどな。
どうも昨日お前と話してるのを聞いて俺に同情したらしくってさ。
クラスメイトが隣で楽しく遊んでるのに、夏休みも欠かさず職務なのは問題だとか何とか」
「今更ですよね」
「……お前に良い顔したくて俺を使ったとしか思えなくて釈然としない。
学生の事情に理解がある人間
彼の苛立ちを孕んだ声に、完全同意せざるを得ない。
ジェイクにそんな温情をかけるのであれば、出来れば王子にもっと優しくしてあげていただけないだろうか。
親子関係の事まで口を出す権利はないと分かっていても、カサンドラは大層複雑な気持ちになった。
――クラスメイト達がいるのだから一日くらい一緒に遊んで来たらどうだね?
そこだけを切り取れば、話が分かる優しい王様だ。
今まで自分達が休みの間中、入学したての学生を扱き使っていたと自覚できた、それを反省したということなのだから。
でも何分王子に対するものと態度が違い過ぎるような気がして、逆にモヤモヤとした思いが重なるだけだ。
「経緯はどうあれ、陛下に言われたからには俺は今日非番なわけだ。
このまま一緒にいた
今日は乗馬の練習するんだろ? それなら暇つぶしに手伝ってもいいぞ」
アンディとジェイクが仲が良いということは確かな事のようだ。
気心の知れた同年代が少ない環境、自然と一緒にいることが多いのだろう。
こちらの表情が喜びとも嫌悪とも判断しきれない唖然とした顔に、ジェイクはパタパタと手を横に振った。
若干気まずそうに。
「邪魔ならここで休ませてくれれば助かる。
誰にも文句言われず昼までゴロゴロするとか一回やってみたかったんだよな!」
橙色の細い目を純粋な子供のように輝かせる彼を前に――息を呑み憐憫の情が発した。
そんな程度のささやかな幸せも知らないのか、この人……
王様直々にクラスメイトと一緒に遊んで来いなんて無茶ぶりをされ、苦虫を噛みつぶすような状態でも唯々諾々と従うジェイクが少し不憫だった。
唐突にもらった予定外の非番なのだから、ここの一室を借りて思う存分ゴロゴロすればいいのではないか?
そんな考えに一瞬支配されたが、すぐに思い直す。
リゼに対し、冗談でジェイクに乗馬を教えてもらえばいいと言ったカサンドラである。これはまたとないチャンスだ。
夏休みで外野の視線の存在しない解放感の中で、少しでも距離を縮める好機と言わずなんと言う。
「事情は把握いたしました。
邪魔だなどとんでもないです、先日のご雄姿を拝見しておりますもの。
ご指導頂きたいと頭を下げるのはこちらの方です、是非ともお願いします」
意外にもカサンドラがあっさり笑顔で受け入れたものだから、彼も虚を突かれたようだった。
そもそも彼が能動的にこちらに迷惑をかけようとしたわけではない。
全てが陛下の気まぐれの産物だとしたら確かに振り回される一方で可哀そうだ。
そしてバカンスなんか行く暇ない、と最初から諦めていた彼である。
この避暑地で少しでも楽しむことが出来れば一緒に過ごせる間、リゼも嬉しいはずだ。
そんなリゼを見ていればカサンドラも嬉しい。
良いことづくめで断る必要がどこにもない。
「本当か? アンディは乗馬体験なら手伝えるだろうとか言ってたけど、邪魔だろ?」
「そんなことはありません、経験者が一人でも多ければ助かります。
わたくしも乗馬は初心者のようなものですし」
乗馬の特訓に来たわけではないから、専門の講師などがいるはずもない。
カサンドラも教養の一つとして乗れないことは無い……という程度。
エレナが乗馬好きとは言え、もう一人誰か乗馬に長けた人を貸してもらおうかと思っていた。
彼が来てくれるなら全く文句などない。
「そうか、ありがとな」
年相応の少年の顔で破顔するジェイク。
昨日の彼よりは、いつもの口調の彼の方がやはり彼らしいと思って安心する。
だが冷静に考えて――異性の同級生の友人グループに一人突っ込んで「遊んで来い」なんて普通言うものだろうか。
国王陛下は鬼かもしれないと、ちょっとだけ思った。
外見は王子に瓜二つなのに、中身はまるで別人のようだ。
親子なんて往々にしてそんなものかも知れないけれど。
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