第130話 まさかの呼び出し
早朝王都を発った一行の馬車。
途中で休憩のため何度か町に立ち寄った以外、表向きは何事もなく先へ進むことが出来た。
順調に行けば六時間程度の旅程と言いながら、恐らくその通りに到着することはないだろうと思っていた。
このような移動の際には何かしらの不運に巻き込まれることもありそうだ、と。
覚悟して向かっていたのだ。
だが馬車はあっさりとラズエナに到着した。
午後二時前には現地に無事辿り着くことが出来た……のだが。
確かに馬車は順調に進み、自分達を目的地まで正しく、何の不備もなく送ってくれたのだ。
長丁場、馬の手綱を牽き前方の席で操舵していた御者も大層疲れた事だろう。
内的に問題が発生してしまった事を除けば――確かに順調だった。
「ようこそカサンドラ様! わざわざ王都からのお越し誠に光栄の至り……です?」
馬車を降りてすぐのカサンドラ達を出迎えてくれたショートヘアのお姉さん。
薄っすらと化粧を施しているが、健康的に陽に焼けた素肌を晒しカサンドラより背の高い女性は頭を下げようとしてそれを留める。
知的な雰囲気を感じさせる女性はこちらの様子を一望し怪訝そうな表情に変わった。
「そちらのお嬢さん……大丈夫ですか?」
彼女がそう問いただしたくなるのも無理はない。
「大変不躾なお願いを申し上げて宜しいでしょうか。
姉が馬車に酔ってしまいまして。
先に寝所をお貸し願えないでしょうか、申し訳ありません……」
リナが恥じ入りながらもぺこぺこと頭を下げていた。
うんざりとした様子のリゼに肩を借り、顔面蒼白のリタは口元を手で押さえて背中を丸め苦悶の表情を浮かべる。
気持ちが悪く、更に食べ過ぎでお腹がキリキリ痛いというのだ。
「だからあんなに食べるなって言ったのに……」
冷ややか極まりない視線をリタに向けるリゼは、大仰に吐息の塊を地面に落とした。
彼女から立ち昇る怒りのオーラが、隣に立っているカサンドラの目に可視化されたかのような錯覚に陥る。
「うーー……だって……」
「エレナさん、到着早々申し訳ありません」
カサンドラもまさかこんなことになるとは思わず、困惑気味の表情で彼女にお願いする他ない。
「何を他人行儀におっしゃいます、構いませんよ。カサンドラ様のご学友の皆様ですね――ああ、三つ子とすぐにわかります。
聞き間違いではないかと半信半疑でした。
長く馬車に揺られていたのです、気分も悪くなる方もいらっしゃるでしょう。
中へお入りください、部屋までご案内します」
「うー……ごめん……なさい……」
途中で立ち寄った町では、次期王妃の旅程とあって是非とも歓待するから領主館に寄ってくれという申し出も受けた。それはしつこいと言えるほど執拗に。
だが気を遣うのも嫌だ、早く目的地に着きたいと、食事は馬車の中で頂きながら移動することにしたわけだ。
これは正解だったと思う。
良く分からないお偉いさんに囲まれて昼食をとるより、手で抓める軽い食事を馬車の中で和気藹々と食べるのは大変楽しかった。
何がいけなかったのだろうか。
――せめて馬車の中で食べてくれと、町のお偉いさんが特産の木の実をふんだんに使用した焼き菓子を手渡してくれたことか。
山盛りの焼き菓子を見、カサンドラは今朝話題に上がっていた体重の話を思い出して意味深な笑顔を浮かべ、手をつけなかった。
車内で手に取った水差しから冷たい水をそそぎながら焼き菓子の行方を見守っていたのだ。
リゼもリナもとりあえず一つ、と拳半分の大きさの焼き菓子を美味しそうに
その後リタが会話をしながらも一つ、二つ、と美味しそうに山を崩して行ったのは覚えている。
全て食べきるという暴挙は起こさなかったものの、カサンドラの分までしっかりお腹におさめただろう。
――この上なく満腹になった上、馬車は曲がりくねる山中に突入した。
普段馬車に酔ったことのないリタだが「あれ? 気持ち悪い?」と思った時には遅かったのだという。
完全に青い顔のリタはぐったりとした状態で馬車に揺られることになった。
彼女の様子が落ち着くまで馬車を停めて待とうかと提案はした。
でも一刻も早く部屋の中で落ち着いて横になりたいという本人の必死の願いでここまで到達できたのだ。
順調な旅程であったが、最後はリタのために急いで着かなければという事態に陥ったので予定より少々早い到着になったとも言える。
まさか内的要因で早く着くとは思わなかった。
カサンドラも苦笑いだ。
護衛の兵達が荷物を屋内に運び込んでいる間、カサンドラは玄関前でエレナが戻ってくるのを静かに待っていた。
リタは学園に入るまでは食いしん坊な性質ではなかったという。
ごく普通の平均的な女子だったはずだが、何分それまで田舎で育ってきた身の上だ。
王都の日々の食事の美味しさに何かのスイッチが入ってしまったらしい。
親の作る料理は薄味、種類も少ない。煮込んだだけ、素材の味をそのままに。
そんな食生活を送っていた彼女が貴族の子女たちと同じメニューをお腹いっぱい食べる毎日は、まさに夢の中の話だった事は想像に
そして来週、数日とはいえ実家に帰るのだ。
王都にいる間は美味しいものを食べておきたいという想いがあったのかも知れない、リナはそうフォローしていた。
……これに懲りたら食への認識も元に戻るでしょ。
馬車の中で溜息交じりにそう言うリゼに膝枕をされていたリタは、顔面蒼白のままコクコクと何度も頷いていたのである。
なんだかんだと、気持ち悪さに耐えきれないリタを自分の膝の上にぐっと押しつけ横臥させたリゼも世話焼きさんだと思う。
だが――冷たい水を飲ませたり、カサンドラが貸した扇でパタパタとリタの顔を仰ぎつつ説教をするのはどうかと思った。
優しさ成分が、説教で完全に相殺されていた。
ふと、先を急ぐ中の馬車内でのやりとりの記憶が脳裏を過ぎる。
『リゼ、お願い……』
『何よ』
『私、膝枕ならリナがいい……!』
ぎゅっと、リゼの腕を掴んで力の入らない上体を無理矢理起こそうとする。
必死の形相とはこのことをさすのか。
蒼褪めたリタの魂の叫びだった。
『――重みでリナが疲れるでしょうが!
単なる食べ過ぎのあんたには、私の膝枕で十分よ!』
なんであの人たちの会話は、こうも勢いに富んでいるのだろうか。
「全くもう、あの子は……!」
身内の恥と言う程ではないだろうが、原因が忠告したにも拘わらずの食べ過ぎではリゼの呆れた表情も仕方ない。
エレナと一緒に二階から降りてきたリゼを見て、ふと気づく。
「リナさんは……もしかしてリタさんのところに?」
うーうーと苦しそうに唸るリタを放って置いていける性格ではない。
恐らく彼女の傍で看ているのではないかと思ったが、そのカサンドラの想像は間違っていなかったようだ。
「放っておけと言ったんですけどね、心細いだろうからと」
「とても仲の良い姉妹ですね。
同じ容姿であっても全く混同しませんし、個性的で驚きます」
エレナは特に気分を害した様子もなく、ニコッと微笑みかけてくれた。
茶色の髪は三つ子と同じだが、彼女達より僅かに濃い茶色でショートカットの彼女は印象が全く違う。
別荘に招待したお客が気分が悪くて来しなに伏せる――まぁ、そう無くはないシチュエーションなのだろう。
案外、このような事態には慣れているのかも。
「しかし少々困った事になりました。
カサンドラ様、お伝えしなければいけないことがあるのです。
お耳を拝借しても?」
形の良い細い眉を顰め、エレナはカサンドラとリゼを玄関入ってすぐのロビーに案内してくれる。
そこは一階のほぼ半分の面積を占めるワンフロアのホールで、待合室のように何組もテーブルやソファ、腰掛けやサイドテーブルが配置されていた。
流石別荘、観光のために人が集うことを想定された造りになっている。
聞けば二階は全て客室で、その数二十部屋以上。
エルマー子爵が結婚祝いに譲ったこの別荘は別荘と言う名のお屋敷に等しかった。
「まぁ、一体何があったのでしょう。宜しければお聞かせください」
中央の一番大きなソファを勧められ、ゆっくりと身を沈める。
リゼもカサンドラの隣にちょこんと座り少しばかり緊張した面持ちであった。
三つ子の妹がいきなりホストの手を煩わせた上、その上困った事態ということで落ち着かなくなる気持ちはよくわかる。
「はい。
突然ですが、カサンドラ様はこの別荘の近くが王家の保養地とご存知でいらっしゃいますか」
「そのように伺っております。
風光明媚な良い土地である、と」
「さようです」、そう頷きエレナは肩を落とした。
彼女も内心では納得していないような気持ちが随所に垣間見える。
「先日国王陛下の使者がこの館をお訪ねになられたのです。
――隣の別荘地で国王陛下がごく近しい随従のみを伴い保養にいらしているとの連絡だったのですが」
「………陛下が?」
コクリ、とエレナは無表情で頷いた。
国王陛下と言えばこの国には一人しかいない。
クローレス王国で最も偉い人、王子の父親である王様しかありえない。
えええ?
なんだってこんな広い王国内、避暑地が被るのだろう。
カサンドラも流石に、日常生活圏外の存在を知らされ喉を鳴らした。
「別の避暑地でお過ごしになる予定が、急遽こちらに変更になったそうです。
私もとても驚きました。
……城の雑務からしばらく解放されて楽しむはずが、まさか国王陛下というプレッシャーの塊が自ら近寄ってくるなんて…!」
最後の台詞は少し視線を外し、ぼそっと微かに呟いたボヤキである。
完全オフのはずが国政の中枢部が何の前触れもなく隣に「やぁ」とやってくれば――
確かに解放感どころか妙な圧迫感を感じてしまうものかもしれない。
公私を分けたくても相手が国王陛下では……。
「その際、今日のお昼にカサンドラ様と学園のご友人が訪ねて来られることを話してしまったんですよね」
この時点で大変嫌な予感がした。
「仕方のないことです。
王宮側にも不審な人間がいないか、近隣の住民を検め把握する必要があったでしょうから。
事前に報告して下さって助かりました」
仮にも国王陛下の慰安旅行。
周辺に変な人間が滞在していないか確認し、不穏の芽を摘む必要があったはずだ。
「ご理解感謝します。
カサンドラ様の事を黙し、万が一散策中にあちらと接触があっては揉め事の元ですから」
浮かない表情のエレナは、更に言葉を続ける。
「先程再びあちらから使者がいらしたんですよ。
……国王陛下がカサンドラ様とそのご学友との面会を御所望らしく、こちらに着いたら顔を見せに来て欲しいと」
え?
「あの、わたくし達はこちらに到着したばかりなのですが……」
笑顔が凍り付いてしまった。
一応抵抗らしいことをしてみるが、一国の王様が自分達に会いたいと言っているのにそれを無視するような真似は出来ない。
「夕方まで近くの狩場で兎狩りに興じておられるとのこと。
ご挨拶だけでも、カサンドラ様! お願いしても宜しいですか?」
そんな無体な。
……まぁ、基本偉い人は他人に無茶ぶりを平気でしてくるものだ。
陛下も久しぶりの旅行で気分が良いのだろう、普段言わないような我儘を言って側近たちを困らせている可能性が頭をよぎった。
「リゼさん、早々にお手間をおかけします。
わたくしと一緒に来ていただいても宜しいですか?」
「――?
私達が……国王陛下と……?」
話の流れを彼女も理解していたはずだが、肝心要の「三つ子も一緒に」という部分だけはどうにも聞こえないふりをしていたい、気づかなかったことにしたい――
うん、気持ちは分かる。
いくら非公式で戯れの声掛けとは言え、庶民が普通に生活していて国王陛下に目通りが適うなどありえないことだ。
カサンドラも国王陛下に実際に会い、私的な話をしたことは一度しかない。
先月の舞踏会で初めて声を掛けられ、カサンドラも緊張の極みにいたわけだ。
侯爵令嬢のカサンドラをしてもそうそう気軽に会える人物ではない。
遠くから眺めている分には、厳めしい面をして真摯に公務に携わっているように見える人。
尤も、会話をした限りでは近寄りがたいという雰囲気はなかった。
あの王子の父親なのだから外見もそっくりな美形、ナイスミドル。
普通にしていては和やかな雰囲気しか出せないので、公務時はわざと難しい表情をしているのではという疑惑が発生している。
重々しい身分の割に人好きのする良い笑顔を見せてくれ、悪い人ではないとカサンドラは感じた。
案外好奇心が旺盛な人なのだろうということも。
「恐らく国王陛下はリゼさん達が世に珍しい三つ子ということで興味を示されたのではないでしょうか」
「はぁ……なら三人揃っての方が?
でも今の状態のリタを引き摺って行くわけにも」
問題はリタが体調を崩し寝込んでいることだ。
そのうち回復すると言っても、遅くなりすぎては予定も立たないし先方にも迷惑である。
この事情を踏まえた上で、エレナは『困った』と表現したのだ。
王子の婚約者であるカサンドラはともかく、その友人に会いたいなどというのは三つ子を見てみたいという好奇心ゆえだろうし。
明日なら挨拶に行くことも吝かではないと妥協案を提案しかけたが、一瞬で思いとどまる。
折角貴重な一日を、例え一二時間とはいえ王様への目通りで潰してしまうのは勿体ない。
どうせ名指しで呼ばれているのだ、挨拶に行かないという選択肢がない現状。
今なら王都から来たばかり、その上リタの調子が良くないということですぐに別荘に帰還する理由もある。
下手に明日自由時間の一部を拘束されるより、今用事を済ませてしまった方が良いのでは?
あまり気乗りしない。
エレナの言う通り、避暑地にバカンスに来てまでお偉いさんの機嫌伺のために顔を出すのは本意ではないわけで。
そういうしがらみから解放されるための旅行なのに本末転倒だ、いくら王子の父君とはいえ。
「リタさんは体調不良ですし、無理にお連れできません。
後は……リナさんにお声がけをして、一緒に来ていただければいいのですけど」
「そうですね」
「エレナさん。
念のためにお聞きしますが、避暑地にいらっしゃるのは陛下だけで……その、王子は」
彼女は苦笑いをして立ち上がる。
「勿論、おられません。
陛下と殿下が揃って私用の外出などありえませんよ、カサンドラ様」
ですよね!
聞いてみただけだが、あからさまにカサンドラはガッカリし気力をなくす。
もしも国王ではなく王子が保養に来ていたのなら……!
その奇跡を存分に楽しみ、ずっと一緒に過ごしたいと思うだろうに。
叶わぬ願いに、カサンドラは沈鬱な溜息を床に落としたのだった。
なんで避暑地に陛下が……。
本来の意味での雲上人に
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