第129話 バカンスにいこう
カサンドラ達を乗せた大きな二頭牽きの馬車が大通りを往く。
馬車は二台、前方のレンドール家の紋章入りの豪奢な馬車、そして後方の荷物を積むための馬車が続く。
たった三泊程度の旅行でも、現地で全てを揃えることは困難なので持って行く荷は膨大なものとなった。
更に侯爵家が雇った護衛が前後を固め、物々しい雰囲気を周囲に与える道中となる。
「わぁー!
すっっごい馬車……? ですね!」
室内から窓の外を覗き込み、感嘆の声を上げたのはリタだ。
普段学園に送り迎えで使用しているものより大きな馬車は車輪も六輪備わっており、箱状の部屋を支えている。
どこからどう見ても貴族様ご一行ですとしか思えない光景であろう。
三人を寮の前で回収し、彼女達の大きなバッグも荷馬車に積んでいる。
寮には誰もいないという言葉は正しく、女生徒が他にいるようには思えないガランとした寮内。
これで寮を一旦閉めることが出来ると女子寮監は大変晴れがましい笑顔で見送ってくれた。
男子寮も似たようなものだが、一部の素行が宜しくない生徒や特待生の何人かは実家に帰ることもなくずっと籠っているようだった。
三人とも意気揚々と馬車に乗り込んだものの、内装の豪華さに少々どころではない引っ掛かりを覚えたのか――すぐに真顔になった。
長距離を移動する馬車の室内は相応の快適さを求められるものである。
街中の送迎ならいざしらず、これから半日近くこの中で過ごすことになるのだから。今まで彼女達が利用したものとは違うのだろう。
ガタガタと微かに身体が揺すられるが、まぁ気にならない程度だろうか。
王都を出た後は幅広の街道、煉瓦道をパカパカと馬車で移動する。
この大通りは騎士団の監視範囲で、旅の人間や要人がならず者に襲撃されることのないよう安全を確保してくれていた。
何か事が起これば即座に対応要員が集結できるだけの連絡手段を持ち、鎮圧も非常に迅速。
騎士団が目を光らせている天下の街道で活動をする盗賊や夜盗などいるはずもなく、安全な街間移動が可能になっている。
特に理由が無ければ、誰もが王都から伸びる東西南北の赤街道を利用することになるだろう。
「少々時間がかかります、ゆっくり過ごしてくださいね」
カサンドラは柔らかいクッションに腰をあてたまま微笑んだ。
これから六時間は馬車の中だ、街道はかなりのスピードで進むことが出来るがしばらく退屈であることに違いはない。
まずはこれから向かうラズエナ高原という場所がどういう場所なのか、そもそもどのような経緯でカサンドラが向かうことになったのか。
詳細を話していなかったこともあり、皆で一堂に会した今改めて説明することにした。
王都から馬車で半日ほど離れた北の山間を抜けた先に広大な盆地が広がっているが、その盆地一帯をラズエナと呼ぶ。
地図上では王都から物凄く離れているわけでもないのだが、この盆地は真夏でも大変涼しいことで知られていた。
それこそ王家が最も景観のよい土地を保養地として所有している程だ。
ただし向かうまでの山間は隘路で周囲に大きな街がなく、住み続けるには不便な場所である。移動も大変だ。
爽やかな清涼溢れる高原、森の中では山菜が取り放題、点在する湖は清く美しく釣りにも適している。
周辺の野山は狩りに適しており、特に鷹狩や兎狩りなどの遊戯に興じる若者も多いと聞く。
別荘として素晴らしいロケーション、それがラズエナだ。
そのような素晴らしい場所を別荘地として持つカサンドラの親戚についても、少々説明することにした。
人間関係を把握していないと彼女達も不安だろう。
レンドール地方エルマー子爵家の令嬢が今から二十年程前、中央に住む高官の一人と結婚。
娘の結婚祝いとして子爵が所有していたラズエナの別荘を譲ったのだが、それがカサンドラ達の目的地となる。
エルマー子爵家とは二代前から姻戚関係である。結婚し家を出、良い歳の子供を持つ現王都在住の彼女との親交も未だに健在だった。
毎年のように今年はラズエナで過ごさないかという打診があったが、いくら素敵な場所だと言われてもレンドールからは遠すぎた。
機会があったら、という断りを続けていたのだが……カサンドラも王立学園に通う歳になってしまった。
王都からなら十分近く、やろうと思えば日帰りも出来る距離だ。
「ご夫妻は生憎王都でご用事があるとのことですが――
ご息女が現地で待機しておられるそうで、案内役を務めて下さいます」
夫人が結婚したのはカサンドラが産まれる前の話だが、実家が大好きな夫人は良くエルマー家に帰省していた。
幾度も会ったことがあり、その際に「是非ラズエナへ!」と声を掛けられていたのだ。
今回はその申し出を受けるどころか、友人を伴って良いかと訊いたわけだ。その段階で夫人は凄く驚いていた。
昨日、出立前の挨拶に向かい昼食会に参加したのだ。
招待した夫人は己が不在であることを残念がっていたが、友人と一緒なら逆に自分達がいない方がのびのびできますね、なんて言われてしまった。
和やかな雰囲気の昼食会は楽しかったのだけど。
――しかしまさかそのタイミングで王子が自分の屋敷を訪れていただなんて!
神様は本当に意地が悪いと思う。
メイドの話しぶりからすればどのみちカサンドラがいても会うことは出来なかっただろうが、あんまりだと思う。
静かに説明をするカサンドラの記憶に、フッと昨日のことが蘇る。
王子から受け取ることになった手紙は諳んじることが出来る程何度も読み返した。
そんな自分をちょっと気持ち悪いと思わないでもなかったが、仕方ない。
王子にはこれから一週間以上会うことが出来ないのだ。
カサンドラは彼のようにそうそう街中に用事があるわけでもなく、仮に出かけたとしても王宮の奥で活動する王子に手紙を渡す伝手もない。
返事を渡すことが出来ないということは、当然これ以上の返信を受け取ることが出来ないということを意味する。
文通の作法というわけではないが、彼はこちらが手紙を送ったことでわざわざ自らペンをとってカサンドラに返事を返してくれたのだ。
今受け取った手紙の返事を出さなければ返事は見込めない。
彼も続けてカサンドラに接触を図る必要がないのだし。
……ラズエナに避暑に行くという話はしていたが、王子も過去に滞在したことがあるそうだ。
王族の保養地があるのだから王子が幾度か利用したことがあるのは納得できる。
とても涼しく景観も良い素晴らしい土地だから楽しんできて欲しいと書いてあった。
いつか一緒に行きたいという言葉でも書いていないかと紙面を凝視したが、残念ながらそのような文言が浮かび上がってくることはなかった。
彼はお茶会、植物園のことを楽しかったと綴っていたし、カサンドラの手紙の内容にも言及してくれている。
でも、それだけだ。
カサンドラの重たい感情を隠しに隠し何度も書き直して、失礼にあたらない近況報告の手紙そのまま。王子の近況報告バージョンとなって返信されている。
しょうがない、自分がそういう他人行儀にさえ思える手紙しか書いていないのだから。
言いたいことや聞きたいことは星の数ほども思いつくのに、そこに書いてしまえば一気に恋する乙女な文面になりそうで自制している。
でも、自分のことは多少なりとも知って欲しいということで彼の負担にならない程度の文面を
彼も当然それと同じような淡々とした、一歩間違えば報告書のような文章を書く。
手紙が苦手だと言っていたが、存外それも謙遜ではなく事実苦手なのかもしれない。
――苦手なことをわざわざカサンドラのためにしてくれるというだけで十分嬉しかった。
例え、単なる義理だったとしても。
「貴族のお嬢様っていうのは、結婚のお祝いに別荘がついてくるんですか……?」
リタが若干引きつった表情で声を出し、脳裏に浮かんでいた王子の姿がフッと消えた。
「そのようなことはありません。
先代のエルマー子爵はお嬢さんをとても可愛がっておられたそうですし、特別ですよ」
別荘とまではいかないが、新しい屋敷を用意したり建物の修繕などを行う親はとても多い。
貴族と一口に言っても経済状況次第なのでカサンドラには何とも言えないし。
また、レンドールと中央の人間が結婚するのはもはや異国民同士の婚姻と言っても良いくらい習慣も違うものだ。
ケースバイケースとしか言いようがない。
「ええと、現地で案内してくれるというお嬢さんは、普段何をされている方なんですか?」
あの家にも色々な事情があるがそれは三つ子にもカサンドラにも直接は関係のないものだ。お家事情は置いておいて――分かりやすい身分を彼女に先んじて教えておいても良いだろう。
「貴族に連なる女生徒として王立学園をご卒業された後、今は官吏として王宮にお勤めです」
「……ええ! 凄い! 官吏なんですか!」
リゼは若干興奮気味に声を荒げた。
官吏は能力主義、厳しい試験を受けるために偉い人からの推薦も必要だ。
学園の特待生で良い成績なら自然と推薦を受けられるだろうが、そうでなければかなり狭き門だ。
「是非是非、話を聞かせてもらわないと……!」
珍しくリゼが他人に興味を持っている。
普段、身内やカサンドラ、そしてジェイク以外の事はあまり口にせず他人の存在を意識していない素振りのリゼなのに。
「……リゼさんは騎士団での補佐官試験をお考えなのでは?」
「それは第一志望ですけど、条件未達の場合は第二志望で官吏登用試験も検討しなきゃですし。
女性官吏なんて……! 凄い!」
一気に喜色になるリゼである。
こちらの事情を説明し終わった後、カサンドラは向かい合わせで正面に座るリゼににっこりと微笑みかけた。
「ところでリゼさん、足の怪我はもう良くなりましたか?」
「は、はい! その節はご迷惑をおかけしました。
結局その日の内に治って、昨日もフランツ教官の指導を仰いで来ました」
決まりが悪そうにリゼは発言し、前回挫いた足首を自らの意思でぐるぐると回して見せた。
素足にサンダルという姿のリゼだが、そこには赤みもなく腫れも見当たらない。
やはりすぐに冷却魔法で冷やしてもらったことが功を奏したのだろう。
「それならば良かったです。
馬の用意をお願いしておりますので、残念なことにならず安心しています」
『馬!?』
三人は弾かれたように顔を上げ、カサンドラを注視する。
もう慣れたとは言え、馬車の中という逃れようのない密室空間で同じ顔立ちの人間から三人同時に声をかけられるのは圧巻である。
「皆さまは乗馬の選択講義をまだ採られていなかったと思います。
これを足掛かりに、二学期からは挑戦されてみるのも良いのではないでしょうか。
リゼさん――」
悪戯っぽい表情になってしまうのはしょうがない。
この間の失言によって彼女に辱めを受けてしまった事に対する、可愛らしい意趣返しのようなものだから。
「最初に申し上げましたよね?
馬に乗れるようになればジェイク様と遠乗りにも行けますよ、と」
彼女はあからさまに動揺し視線を左右に忙しなく動かす。
急に名指しで言われれば、斯様に動揺することは分かり切ってきたことだ。
「わ、私は……ええと……」
どこにも逃げ場がないのはリゼも同じだ。
「足を怪我したままでは乗馬体験をお勧めできませんもの、楽しみですね?」
にこにこにこ。
カサンドラの笑顔の圧力で、段々そわそわしてきたリゼである。
別に彼女をからかって虐めてやろうだなんて思ってない。
あの時動揺するリゼを宥めるためとはいえ、不用意なことを言ってしまったのは自分なのだし。
でもリゼが変な誤解をしてしまったのでは……と思うと王子に申し訳ない気持ちになる。
何より僅かの時間とは言え、折角王子と一緒にいる時間が顔を見れないほど気恥ずかしく気まずかった想いは記憶に残っているのだ。
「後日ジェイク様に乗馬の手解きをお願しても宜しいのでは?」
「いえ、そんな、図々しいことは……」
ジェイクの話はちょっともうここまでにしてくれ――と、ギブアップの掌をスッと差し出してくる。
そんな彼女の腕を押さえつけるように、隣のリタがニヤニヤ笑って絡みつく。
「そういえばリゼ、ジェイク様に運ばれたとか聞いたけど。
あれってやっぱりお姫様抱っこなの!?」
丁度良いタイミングでリタの追撃。
「まぁ、リゼ。怪我をしたとは言っていたけど、ジェイク様に直接運んでいただいたの……?」
更に当時の怪我の状況をほぼ知らないであろうリナも怪訝そうな顔で乗っかってくる。
この三人は相変わらず『反省会』というものとは無縁のようで、情報の共有を一切していないようだった。
実際お互いにあったことを報告しあったら、それはそれでモヤモヤした感情が残りそうなので賢明な判断かもしれない。
特に、こうしてにこにこと微笑んでいるリナはいいことばかりではなかったはずだ。
シリウスに「リゼに花冠を渡してやってくれ」なんて言われたのだ、かなりのダメージを与えられてしまったと言って良い。
彼女の胸中を思うと居たたまれないが、妬みの感情を全く出さないのが彼女の強いところだと尊敬の念を抱く。
勿論その場面を直接見たわけではないリゼはリナの複雑な想いなど分かりはしないだろう。
三つ子の恋愛模様は本当に複雑怪奇だ。
「あああ! 私だけじゃないでしょ!?
そりゃ、物凄い偶然で幸せだったけど! 楽しい時間だったのは二人も一緒でしょ!」
「それはそうだけどー。
あ、そうだ! 思い出した!
私ジェイク様に体重聞かれたのよ!? リゼが軽すぎるとかなんとか……
三つ子だから体重も同じだろうなんて、全くもう、焦っちゃった!」
相変わらずデリカシーのない男だな、なんということを乙女に訊いているのだ。
以前の服のサイズを教えてくれと
カサンドラの顔も能面のように無表情になってしまう。
リタはリゼの腕に絡み付いたまま、上目遣いで姉を見た。
「……私の体重より一、二キロくらい軽いなって思っちゃってさ。
まぁ、ジェイク様も
四十五……?
本当のところどうなんですかね、リゼ……?
もしかして体重、減ったの……?」
「私が減ったんじゃなくて、リタが増えただけでしょ。
リナと私は同じ、入学時から変わってない! ジャスト! 正解よ。
……あああ、ジェイク様に体重バレたって事!?」
問題視するところはそこかな?
それ以前にもっとデリカシー的問題があることにお願い気づいて。
「そうね、入学時から変わってないわ。
リタは毎日食べ過ぎじゃないかしら。
――植物園でも何か口にしたとか言っていたわよね?」
「うっ……!」
この三つ子を見ていると面白い。
しかし思うところがあり、カサンドラはちょっとだけ視線を逸らして己の二の腕をぷにっと抓んだ。
体重計……最近乗ってないけど、この弛みはちょっとヤバいのでは。
彼女達のようにスレンダーとは言えないカサンドラは、体重の話題が己に降りかかって来ないように気配を消して俯いた。
舞踏会ではこんな自分を支えつつ、彼らに踊ってもらっていたのか。
当時の光景を思い出し、今になってサーっと蒼くなる。
ラズエナで――自分も運動しよう。動こう。減らそう。
遠い目をして決意したカサンドラだった。
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