第127話 花冠


「――終わりました。他に痛いところはありませんか?」


 カサンドラがリゼの足首に塗り薬を塗布した直後のことだった。


 管理人室の扉が前触れなく開き、誰かが入室してきたと知る。

 この部屋の主がリゼの様子を心配して帰還したのだろう。


 不思議そうにこちらの様子を眺めていた王子の目が見れず気まずい想いをしていたカサンドラだが、他の人間が姿を現してくれたことで閉塞した空気が流れゆくのを感じる。


 ホッと胸を撫でおろし、王子に余った塗り薬を返却する。

 女性の足に使うということでカサンドラが役目を負ったが、シリウスの冷却魔法が十分効いているのか薬を塗布する前から腫れは引いていた。

 一時的な痛みだけで済んだのは幸いだ。


「本当にご迷惑をおかけしました。――ありがとうございます」


 リゼが深々と頭を下げる。

 彼女は恥じ入り、悔恨の表情でガックリ肩を落とした。


「大事にならなくて良かった、少し休んで様子を見よう」


 王子も入室した時の奇妙な空気感を疑問に思ったに違いないが、敢えて言及することはない。


 彼は根掘り葉掘り全てを把握しないと済まない気質の持ち主ではないようで、絶妙なスルー力を随所で発揮してくれる。

 その大らかな性格にも大変助かっているところだ。


「では後は、私がこちらのお嬢さんの傍にいましょう」


 ズイッと王子の背後から進み寄って来たのは体格の良い一人の青年だ。

 ゼスと名乗った王宮植物園の管理人である彼は、日に良く焼けた腕を晒しながら人好きのする笑顔で申し出てくれた。


「王子、折角レンドールのお嬢様が来て下さったんですから」


 管理人――というと。

 この空色の髪と赤い目を持つ精強な男性が、あの繊細で可愛らしい黄色いネモフィラをカサンドラにと選んでくれた人なのか。

 イメージにそぐわなかったけれど、庭仕事は体力を要する仕事の一つだ。

 勝手な想像でなよやかで線の細い青年だと思い込んでいた自分が悪い。


「良いのか?」


 王子はチラと管理人の顔を眺める。

 この植物園の責任者として、突然訪れた門外漢から見張っている必要があるのでは?


「問題ないでしょう。

 草木を乱暴に扱う方もおられませんし、それに――」


 ゼスは東の端の大きな円形の花壇のところに、花冠をいくつも作れるだけの花を用意したと話してくれた。


 用意した花はこの植物園のものではなく、王宮の庭園に植えられたもの。特別に多く余分に剪定したものを分けてもらったのだそうだ。

 当然のようにお城が抱える庭師達とも仲が良いのだと笑う彼は、わざわざお土産に出来るようにとあらかじめ場所を事前に用意してくれていた。

 園内の希少な花は使えないけれど、庭園の花も大層色づきが良く冠作りに持ってこいのものだと彼は片目を閉じて言い添える。


 そんな手間暇をかけてくれていたのかと、少々カサンドラも驚いたのだ。 


「お嬢様、どうか挑戦なさってください。

 既に皆様にもお声を掛けてありますよ」


 希少な草花を見て回れるだけでも十分価値のあることなのだが、まさかの土産付き。

 だが花冠など今まで作ったことがない。

 そんな乙女趣味な行動をする自分を想像したらあまりの似合わなさに背筋が震えた。


 こちらの心象を理解した管理人は安心させるように鷹揚に笑う。


「作るのが大変お上手な方がいらっしゃいますので、初めてでも問題はないでしょう」


 花冠を作れる人がいる……?

 ああ、とカサンドラは得心が入って頷いた。


 確かにリナはそのような花冠をせっせせっせと編んで作っているのだろうなと想像がつく。

 そして想像するだけでもなんと愛らしく、彼女に良く似合う光景ではないか……!

 三つ子の末娘は手先が器用だ。きっと素晴らしく完成度の高い花冠を作っていることだろう。


 でもいくら教え方が上手でも、器用とは言えない自分に花冠を作ることが出来るのか少々不安である。

 だが声を掛けてもらった以上、自分だけ見ているというわけにもいかないか。


 そして折角植物園に来たのに早々に怪我をしてしまい、ソファに縮こまるリゼ。彼女の様子をチラと伺った。

 彼女はまだ真っ赤な顔で、唇を噛み締めたまま俯いている。

 だがその表情は緩みそうになる表情を必死でこらえているようにも見え――彼女は幸せの海に溺れているのだと察する。

 打ち震える彼女の肩に、カサンドラはそっと指先を添えた。


「お大事になさって下さいね」 


 彼女は全身を跳ねさせ、真っ赤な顔で何度も頷いた。





 ※






 管理人に教えてもらった花壇に向かう。

 今までカサンドラが見学していた列とは全く逆方向。

 入り口から見て左の先にあった。

 開けた円形の花壇の隅に一枚の布が広がっていて、管理人が言う通り様々な色、種類の混じった花が並べられていた。

 花壇の縁である煉瓦の上に腰をかけ、スイスイと器用に花冠を作っているのは――


「シリウス様!?」


 余りにも想像外、似合わない光景にカサンドラはつい声を上げてしまう。

 花壇の淵に腰を掛け、布の上の長い茎つきの花を編んでいるのは二人の男女。


 ピンクや白などの淡い色の花冠を作成しているのがリナで、布の広がる場所の反対に腰を掛けスルスルと器用に花冠を編んでいる男性の姿。

 シリウスは黙々と真剣な表情で途中まで編み進めているではないか。


 この情景にカサンドラの脳が理解が拒んでいるのか、無意識に笑顔が引きつってしまう。


「凄いですよね、シリウス様お上手なんですよ…!」


 我が事のように嬉しそうに、はにかむリナが教えてくれる。

 座ったまま前傾姿勢で真剣に冠を作るシリウスの姿を是非全校生徒に見せてあげたい。

 多分皆、ひっくり返る。


「案外、覚えているものだな」


 こちらを一瞥した後、すぐに視線を手元に戻す。

 シリウスは特に恥じる様子も隠すこともなく、淡々と。それこそ何らかの道具を作成する技術者さながらの真剣な様子である。

 

「昔、知人に散々練習させられたからな。

 すっかり忘れていると思ったら……そうでもないな」


 独りちながら指を動かしていくシリウス。

 眼鏡の奥の黒曜石の双眸が己の指先を真っすぐ見つめ、きゅきゅっと緑色の茎を束ねていくのに目を奪われる。


 シリウスは黙々と、あっという間に冠を完成させてしまった。

 まさか自分の頭に飾るわけではあるまいな、とドキドキしたけれど。

 流石にそんな趣味は持ち合わせていないようだった。


「――リナ・フォスター」


 彼は出来上がった”それ”を手にしたまま、材料の花を並べるスペース分離れたところに座るリナに話しかけた。


「は、はい!」


 まさか自分の名を呼ばれるだなんて思ってもいなかったリナの声が上擦る。

 彼女は既に自分の選んだ淡い色の花冠を膝の上に乗せていた。手芸が得意という周囲の評判どおり彼女は器用で、お手本のように上手な冠を作成していたのだ。


 対するシリウスの編んだ花の冠はリナの編んだものと同じくらいの大きさであるが、色合いが全く違った。

 赤やオレンジなど、ハッキリとした色合いの花を選って作成したものだ。



「折角ここに来たというのに怪我をした上、手ぶらで帰るのも散々だろう。

 リゼ・フォスターに渡してやってくれ」



 しれっとした顔でなんということを!?



 それまでシリウスと二人で頬を染めながら幸せそうに花冠を作っていたリナの周囲の空気が一気に凍り付く。

 知らぬこととは言え凄いことをするものだ、この男は!

 リナの心象風景を想像すると、カサンドラは耐え切れず口元を掌を覆ってしまう。


 ”攻略対象”――即ち、攻略される側として存在するはずの彼ら。

 立場や周囲の目などもあり、積極的に主人公に働きかけることのないはずなのに……


 それもこれもカサンドラという本来彼らの仲の進展を妨げ邪魔をする役割の自分が、逆に彼らを引き合わせるお節介仲人オバさんみたいなことをしているせいではない?

 いや、どのみちカサンドラがいなくてもこの人たちは勝手にこんな複雑な人間模様を展開していたような気がする!



 主人公が三人同時で、しかも全く一方通行な想いのベクトルであることがここまで複雑な事態を生んでしまっている。

 三つ子はもとより、彼らもまた幼馴染で仲が良い関係だ。

 互いに思うことはあれども、それぞれ心の中に押しとどめて平常の生活を送っている。


 この恋愛ベクトルの一角が崩れたら……

 想像して、カサンドラは喉を鳴らす。

 皆が幸せになって欲しい、最終的には好きな人と一緒に過ごせる未来を夢見ている。

 だが現実問題として、そこに到達するまで幾度の紆余曲折を経なければいけないのだろう。


 アドバイスをし、見守ることしか出来ない自分が歯がゆかった。


 人の想いを変えられるのは言葉による説得なんかじゃない。

 より強い想い、それしかない。


 もはやカサンドラが何をしようと結局は彼女達の問題なのだ。

 最初に無理矢理三つ子を仲人してくっつけるなんて考えなくて良かった。もしもの時のために聖女イベントを起こすべし! 相性の良い相手同士をくっつけるぞなんて張り切っていたら……

 多分罪悪感で心が死んでいた。


「ありがとうございます、わざわざリゼのために」


 内心では相当ショックを受けているだろうに、リナはにっこりと微笑んで花冠を受け取った。

 その笑顔が引き攣らないリナを凄いと思っていたカサンドラの背後から更に人の声、そして気配が重なる。


 ゼスが言っていたように、声を掛けていた他の皆も一通り見学を終えて集ってきているところのようだ。


「もう作り終わっていたんだね」


 シリウスから花冠を受け取ったリナに、穏やかな声で話しかけるラルフ。

 彼の紅い瞳は極めて優しく、穏やかで凪いでいる。


 カサンドラに対して見せるものとは全く違う表情だ。

 まだ内に抱く感情に名前をつけていないとしても、この差を見れば一目瞭然だと思う。


「僕に作り方を教えてくれないだろうか」


 それまで彼に同行していたであろうリタが、今度は息を詰める番だ。

 なんだかんだと、彼女達の関係は複雑なものである。




「カサンドラ嬢は花冠は作れるのかな?」


 隣に立つ王子は、複雑怪奇な六人の内情を本当に把握しているのだろうか。

 流石にこの場で問いただすこともできないし、仮にそうだと言われたところでカサンドラも苦笑いを返すしかない。


「いえ、わたくしは作ったことがありません」



 攻略対象達はそれぞれ惹かれる要素を持つ男性だと思う。

 実際に接していてそれは感じる、自分は政治的にどうしても合わない陣営なので結構苦しい立場なのだけど。

 それでもちょっとした瞬間に目を瞠ることもあるのだ。



「では私達もリナ君に教えてもらうのはどうだろう。

 折角ゼスが用意してくれた花だし、残ってしまっては花が可哀想だからね」




 だけどそんな感情を全て吹き飛ばす王子の存在は、カサンドラにとっては誰にも替え難い唯一無二の人なのだ。


 大多数に向けるのではない、カサンドラ個人に向けられる言葉の一つ一つが――心を満たしてくれる。


 本当はこの世界のことを知ってしまって、未来を知って不安なのに。

 他ならぬ王子自身が最大にして唯一の不安材料であるというのに!


 彼に癒される自分がおかしくてしょうがない。





「ええと……こちらを持って、まとめて……」


「親指を少しずらして押さえた方が良い。そう、簡単だろう?」


 細かい作業は得意ではないが、意外とシリウスが教え上手で驚いた。



   ――作るのがお上手な方。



 ……あの時の管理人はシリウスのことを指して発言していたのかも知れない。






 その後リタとジェイクがどんなものかと花に手を伸ばしたが、二人とも一輪抓んだだけで花弁を握り散らすというパワー系マイナス成分を発揮。

 とてもまともに作れるわけがなく、結局リタはリナに好きな花を渡して代わりに作ってもらっていたようだ。



 どこまでパワフルなの?

 繊細な作業が苦手とかそういうレベルではないのでは?




 カサンドラも次第に花冠作りに没頭し、要領が分かってくると成程指を動かすのは楽しかった。






 ※





「この度は多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした!」



 足の痛みも引いたリゼが、土下座せんばかりの勢いで怒涛の謝罪を繰り広げる。


 念のためリタに肩を貸してもらいつつ、シリウスに作ってもらった花冠を渡され――信じられないものを見るかのような目で眺めてはいた。


 シリウスが花冠……。

 リゼでなくとも「???」と顔面が恐懼に満たされると思う。


 恐る恐るのリゼの礼の言葉に、シリウスは特に表情を変えることなく「ああ」と気にも留めない様子で頷いただけだ。








 屋敷に帰宅したカサンドラの手に、少々不格好な蒼い花で作った花輪が乗っている。

 シリウスやリナはとっても均一にしっかりと作れていたのに、どうにも花弁の位置が偏っていた。

 不器用な子供が作ったようなつたない花冠。




 こうやって形として手元に残るものを持ち帰っていいだなんて、王宮に勤める人は太っ腹だなぁと頷く。

 明日には枯れてしまうだろうが、今日一日の余韻に浸るには丁度いいお土産だ。




 管理人のゼスに見舞いの花を選んでくれてありがとうと言うと、彼は大変恐縮した様子だった。

 王子と親しそうな間柄を考えると、王子の周囲には目端が利いて親切で細やかな人間が多いのだろうなとよく分かる。

 王子に漂う清廉さは周囲の影響なのではないだろうか。恐らく周囲には心優しい人しかいないのだ。純粋培養系王子様とでも表現するべきか?

 

 そこに自分という異分子が混ざっても違和感がないように立ち振る舞うのは、大変なことのように思える。

 少なくとも慈愛に満ちた人格者の婚約者――だなんて印象は自分にはないだろうし。

 自分の持つイメージで彼の評判を損なうことがあっては一大事だ。




「……楽しかった」



 ぽつりと想いを零さずにはいられないくらい楽しい時間だった。

 最初に植物園に見学と言う一言が、半日かけてのイベント。


 ラルフの強引な提案には驚かされたが、彼らにとっても彼女達にとっても思い出に残る一日になったことだろう。



 何より、王子とずっと一緒にいられたのが一番幸せ。

 ジェイク達もこちらの様子に構っていられないという様子で、色々騒がしかったようであるし。

 誰にも憚ることなく王子と話が出来てまさに重畳。


 持参した手紙も遠慮なく渡すことが出来たし、カサンドラにとっては欠けることのない満ち足りた時間と言っても良いだろう。


 リゼに対してやってしまった失言で、多少王子と会話をするのが後ろめたくはあったけど。

 楽しく花冠を作れたから、あの微妙な空気は無かったことになっていると思いたい。

 妙に意識してしまうから、もう忘れよう。




「次に王子と会えるのは……」



 花冠をテーブルの上にそっと置いて、カサンドラは自室のカレンダーを指差した。

 八月が三十日しかないということに今更ながら違和感を覚えるが、この世界では一か月は三十日と決まっている。



 下旬に王子と一緒に観劇に行くまで、全く以て彼と会うことが出来ないという事実に気づいて愕然とした。

 ようやく王子との距離が縮まってきたような気がするのに、ここにきて二週間も会えないなんて……!



 今日一日で貯めた王子の思い出をよすがに乗り切るしかない。


 三つ子などはもっと大変だ、新学期まで好きな人の姿を見ることが出来ないのだから。



 でも彼女達は主人公。生まれながらに備わっている運命力を発揮し、夏休み中に何度か攻略対象に遭遇することになるのかもしれない。

 それは何とも羨ましい話だ。


 カサンドラにはそんな力は備わっていないから王子と偶然どこかでバッタリなんて奇跡は期待できないのに。






 今週末から三つ子と避暑地に旅行、それを心の糧にして残りの夏休みを乗り切ろう。



「………。」



 上手に作れなかった花冠をちょっとだけ頭の上に乗せてみた。



 自分の外見の印象と可愛らしい花の飾りはあまりにもチグハグだったが、一日限定のお姫様気分を味わってみる。







        ――今日は良い夢を見られそうだ。





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