第125話 失言でした。


 王子に先導され植物園に入った。

 思った以上に広く、区分け管理のなされた場所にカサンドラも目を瞠る。


 植物が密集しているがゆえの独特の匂いに鼻をハンカチで押さえたくなったが、思った以上にすぐに慣れてホッとする。

 獣の匂いよりも人間に馴染みやすい匂いなのだろう。


 植物園は王宮東区の一角、真四角の大きな建物を刳り貫いた中央部に存在する。

 奥の壁には緑色の蔦が一面にびっしりと伝っていた、どうやらその向こうが希少な薬草を栽培するハーブ園であるらしい。

 今回、あちらには用事はない。


 よくよく目を凝らせば、空から鳥が希少な実を啄みに来ないよう、高い箇所に網がかかっている事が確認できる。

 透明なテグスで張りめぐらされているから空の景色を妨げるものではない。

 そのせいだろうか、鳥が気づかずにその網に突進して絡まってしまい可哀そうな死骸と化したものがチラと視界の端に映った。見なかったことにした。


「通路の土が湿っている。足元に気を付けて」 


 王子に忠告された通り、カサンドラは滑らないように足先にぎゅっと力を込めた。

 ヒールの高い靴は歩きづらいだろうという理由で踵の低いパンプスを履いてきたものの、ワンピースに合わせて白い靴を選んだせいでどうしても側面が汚れてしまう。


 全員が列に並んで見学するわけではなく、建物の中なら自由に見て回って良いという王子の言葉に歓声を上げたリナの姿は別方向に消えた。

 普段控えめで目立たないように行動している彼女が、この場において前のめりで――それこそシリウスの存在さえ今は考えられないような状況であることに苦笑する。


「あら? シリウス様のお姿が見えませんね」


 シリウスはどうしているのだろうかと思い背後を振り返ったが、誰もいない。

 だがラルフやジェイク、リタらの声は微かに植物の向こう側、園内から漏れ聞こえる。

 入室する時正面の景色ばかり目を奪われていたが、そういえば彼の姿を見ていないような……


「ここに着いた時、呼び留められていたのは確認している。

 急ぎの用だったのではないかな。いつものことだよ」


「まぁ、気を休めることが出来ないのですね……

 お茶会の時間でなかったことは幸いでしょうか」


 カサンドラの感嘆の声は本音そのままだ。


 友達と皆で楽しく遊んでいるところでも遠慮なく呼び留められて仕事の話になってしまうのか。

 領地運営に携わる生徒は少なくないが、シリウスのように一つの町をそのまま丸投げされている生徒はいないはずだ。相当時間を割かれているに違いない。


 学園に通う齢は十五歳からだが、一人前と言われてもおかしくない歳である。


 所領運営に携わる後継ぎが多いことで、政治学や経済学などは既に現実の問題として差し迫った問題。

 学園の授業でも集中して学べるし、現実のトラブルを教師に相談している生徒もいるのだとか。

 何事も実地が大事と言う学園の理念には沿っているのかも知れない。


 ――学園生活に支障がない範囲での課外活動に留めるよう、という規則はシリウスやジェイクを見ていると形骸化しているような気がしてならない。

 この件でシリウスを労えば、「別に学業に支障を来してなどいない」と愛想もなく一刀両断されそうだけど。


 足元の泥濘ぬかるみに気を払いつつ、王子の背中を追う。

 彼はこちらの速度を気遣ってくれ、数歩歩くごとに肩越しに振り返ってくれた。

 今歩いている通路幅は狭く、並べば肩が触れるような幅しかない。カサンドラは彼の後ろをついていくしかなかった。


 突然歩みをピタリと止めた王子は、花が植えられている小山の一つを指差した。


「あれが黄色いネモフィラだよ」


 注視を促された場所には、可愛らしい沢山の黄色い花が寄せ合って咲き乱れていた。

 本来のネモフィラとは開花時期や群生地域が全く異なるということで、現在植物学者によって観察されているものらしい。

 カサンドラに向けられた手紙に添えてあった一輪の花はニ十センチ程度の長さだったが、比較的大きな株から切ってもらったのだとか。

 特別なものをわざわざカサンドラに贈ってくれたと思うと素直に嬉しい。


 他の花も、青から黄色へのグラデーションが美しい花弁の百合のような花に驚いて目を奪われたり。

 もっと先には食虫植物を管理している硝子ケースの箱があるだとか、植物に明るくないカサンドラも十分楽しめる時間であった。


 王子と一緒に見て回ることが出来て嬉しい。

 彼の笑顔を見、声を聴いていると心がポカポカ温かい。


 何より彼の端麗な容姿には花が良く似合った。

 華麗に咲き誇る花も静かに控えめに咲く花も、押しなべて。


 そんなカサンドラのほんわかとした時間を掻き消すような悲鳴が聞こえてきた。



「いやーーーー!」



 三つ子の誰かの声であることは間違いない。

 だが彼女達の声の質自体三つ子のために全く同じ。同じように話せば聞き分けることのできないものだ。

 普段の話し方、抑揚や言葉遣いで自然と誰が話し手か聞けるようになってきたというだけで。


 急に悲鳴を上げられると判別が非常に困難であった。


 王子と顔を見合わせ、しゃがんで花を眺めていた二人は立ち上がって周囲を確認する。

 別の花壇の並んだ通路に出てみると、誰かが真っ直ぐ走って去って行く後姿が見えた。

 リボンの色は赤。ということはあの制服姿の女子はリゼに違いない。


 そんなに急に走っては危ない、とカサンドラも自分が転んでしまわないよう注意を払って彼女の後を追いかけた。

 真剣な表情でリゼと距離を詰めようとするカサンドラと王子。

 ――だったのだが。





  …………。




 ようやく追いつき、視界の中に入ったリゼは――何故かジェイクに正面から抱き着いている。


 ???


 カサンドラも困惑し、姿を隠すようにリゼの様子を固唾を飲んで見守っていた。

 そして何事かやりとりがあった後。

 前触れもなくジェイクがひょいとリゼを抱きかかえて、そのまま出口の方向に向かってしっかりとした足取りでスタスタ歩いて行くではないか。


 後方から見ても完全に硬直しきったリゼを所謂お姫様抱っこ状態で抱えるジェイクの様子は、一切の躊躇もなかったように思える。

 俄かには信じがたい光景に、カサンドラはその場に口を開けて立ちすくむ他なかった。



 え?

 何……? 今の?



「リゼ君は足を痛めた素振りを見せていたね。

 怪我をしてしまったのかも知れない」


「そ、そうでしたか。気づきませんでした」


 王子は自分などより数倍冷静で、彼らの状況を的確に把握していた。

 カサンドラにしてみれば、リゼが彼に抱き着いているというだけで目玉がポーンと飛びそうになる情景だったのだ。

 とてもそこまで冷静に観察など出来はしなかった。


 足を怪我したから、抱えていった……か。



 カサンドラは喉を鳴らし、もう姿の見えなくなったジェイクの事を考える。




  これが乙女ゲーム攻略対象の底力……!




 呑んでかかっていたわけではない。


 攻略対象という存在もまた、この世界においてとても重要な存在だと改めて思い知る。


 こういうトキメキポイントを寸分たがわず撃ち抜いてくるとは、流石選ばれし者よ……

 ただ顔や地位が良いだけでは恋愛に発展するのは難しい、適切に乙女心を突いてくるとは油断がならない。

 リゼ大丈夫? 生きてる?



「リゼさんが怪我をされていたので、保護してくださったということでしょうか。

 ジェイク様は流石騎士でいらっしゃいますね、お優しい事」 


 内心の動揺を隠すように、カサンドラは何でもないことのように振る舞う。

 だが王子は少々困惑気味の様子で、うーん、と口元に手を当てて首を捻った。


「……。いや、どうだろう。

 あんな風に強引に連れていくような人間ではないはずなのだけど」


 王子に釈然としない顔をされると、こちらも戸惑う。


「勿論、困っている人がいたら誰であれ手助けをする性格だけどね。

 普段見ない光景だから、少し驚いてしまったよ」


 とりあえずここにいても仕方がない、リゼが怪我をしたのが事実であれば様子を見に行く必要があるだろう。

 カサンドラ達も彼らの向かう先の出口まで進むことにした。


 リゼが怪我……?

 歩けないほど重症だとすれば、かなり困ったことになりそうだ。病気と同じ扱いになるとすれば、予定にも狂いが生じる可能性もある。

 そのことでもカサンドラは狼狽えていたのだと思う。


「――アーサー」


 平静を取り戻しかけたカサンドラだったが、もう少しで出口の銀色の格子が見える……という距離まで迫った頃。


 用事を終えたのかシリウスが前方に立ち塞がった。

 まさしく正面に立つ彼とエンカウントしたとしか言えない状況である。


「リゼ・フォスターが足を挫いたそうだ。

 薬草園となりから効果のある薬を渡すように手配できるか?」


 彼は不機嫌な表情を隠さないまま、王子に平坦な声でそう頼む。

 お願いをするというには聊か横柄な言動であったが、王子も慣れているのか全く気にしていないようだ。

 幼馴染だからこの距離感でも許されるのだろうな、とカサンドラも納得する。


「そういう事情なら私が直接あちらに依頼するべきだね。

 カサンドラ嬢、申し訳ないけれどリゼ君の傍についていてもらってもいいだろうか?」 


「畏まりました、仰せのままに」


 折角王子と楽しい時間を過ごしていたのにという名残惜しい気持ちはある。

 だが怪我をしてしまったリゼのことを知っては、とても心安らかになどいられない。


 植物園に併設された管理人室。

 現在は無人の室内を借り、ソファで休んでいるという彼女の元へ足を速めた。

 果たして彼女の状態は、心身ともにいかほどのものなのか。




 ※



「――失礼いたします。

 リゼさん、大丈夫ですか? 足を痛めたとお聞きしました」


 管理人室と書かれたプレートの部屋は園を出てすぐに見つかった。隣の小部屋だから迷う方が難しい。

 狭い部屋の中もあらゆる植物が並べられ、まるで園内の一部のようだ。

 管理人は不在で、植物園内の見回りに出ている。来客が多いということで、不審なことをしないか水やりをしながら監視している最中だという。

 管理人にとってみれば我が子のように可愛い毎日世話をする植物たちだ、何かあってはと不安なのだろう。


「だ、大丈夫です。

 わざわざ来てくださって申し訳ありません……!」


 中央のソファに、小物を少し押しのけるような形で座るリゼの姿が目に入る。


「一応シリウスが応急処置してくれたからな、そう腫れてもいないし大丈夫だろ。

 じゃあな、後は宜しく」


 ジェイクはカサンドラの肩をポンと叩いて、管理人室を出ていく。

 何事もなかったかのような飄逸とした態度だが、ついさっきまでリゼを抱えていた姿を見てしまったカサンドラの方が何故かやたらと気恥ずかしい。

 多分、偶然でもなんでも直前に抱き合っているように見えたのが良くないのだと思う。


 自分と入れ違いに出て行ったジェイクの背中に向けて、リゼは動揺を一切隠せないような大声でお礼を言った。

 

 軽く手を振った彼が軋む扉をバタンと閉めると、沈黙の帳が狭い室内に落ちる。


 彼女はソファに座り、俯いて顔を覆ってた。

 そして声なき声で悶えるように足を居心地悪そうにもじもじと動かすが、痛む足首を床に当ててしまったようだ。

 肩をぷるぷると震わせ、上体を自身の両腕で抱きしめる。


「本当に大丈夫ですか?」


 足だけではなく、主に心が。


 カサンドラの神妙な声掛けに、ようやくリゼは我に返った様に顔から両手を離して悔しそうに歯噛みする。

 耳まで真っ赤になった顔は、夕焼け空の色にも負けてない。


「まさか……まさか、こんな……」


 リゼは己の身に起こったことを覚えている範囲でカサンドラに教えてくれた。

 彼女も混乱する情報を制御するため、何とか時系列順に起こったことを並べる。

 一度言葉にし始めると、それに集中することで落ち着いてきたのか――段々と普段の彼女の様子に近づいて行った。


 節足動物や爬虫類系が苦手なこと、蜘蛛が衣服の中に落ちてパニックになったこと。

 とにかく誰かに助けて欲しくてその場を駆けだしたら、泥濘に足をとられて転びそうになったこと。

 誰とも分からずしがみついたのがたまたまジェイクで、彼が蜘蛛を追い払ってくれたこと。

 更に足を捻ったことに気づいた彼がここまで運んでくれたこと。


 ……その途中シリウスとかち合い、冷却魔法で足首を冷やしてくれて痛みが随分引いたということ。



「成程……」 



 真剣な顔で頷きながら、うわぁ、と心の中で面食らったカサンドラである。


 一連の流れは王道と言えば王道の展開であるが、実際に目の前で繰り広げられると見ている方も思考が停止することが良く分かった。

 それだけでは飽き足らず、シリウスまで巻き込むという彼女の主人公力には目の前がクラクラする。


 まだ自覚をするには至っていないだろうが、気になる女生徒が友人に横抱きに抱えられて目の前に現れる……

 シリウスの心境を想像すると何とも言えない据わりの悪さを覚えてしまうのだ。

 ちゃんと怪我の手当のことまでフォローしてくれる彼は、やはり根は良い人なのだと思わずにはいられない。


 他人を寄せ付けない氷の貴公子だなんて揶揄されることも多いけれど、懐に入れた相手には情が厚い人間なのは知っている。

 まだ友人の範疇に入ってもないどころか、赤の他人状態のリゼにここまで親切にしているのは少々不思議なことだけど。


「ご迷惑をおかけしました……」


 はぁ、と片目を掌で覆うリゼは消え入りそうな謝罪を繰り返す。

 だが痛い想いをしたのは彼女で、助けてあげたのはジェイクとシリウスだ。

 自分は王子が薬を調達してきてくれるまで、傍で話し相手になっているだけ。


 とにかく彼女を宥めるため、ソファに近寄る。

 努めて静かな声で話しかけた。


「大事ないことが一番です、お気になさらず」


「本当に情けないです」


「ジェイク様も騎士なのですから、困っている方に手を差し伸べるのは当然のことかと思います。

 むしろ縋ったお相手がジェイク様だった偶然を喜んでも良いのではないでしょうか」


 すると彼女は、再びカアッと顔を赤らめた。

 随分落ち着きを取り戻したが、要らぬことを言ってしまったかと少しヒヤッとする。


「なんだか………その、自分が浅ましいなって、自己嫌悪で……」


「……?」


「物凄く混乱して、突然のことで驚いて……何も覚えていないはずなのに!」


 リゼは握り拳を作り、ドン、とソファの肘掛けにそれを沈める。

 やりきれない想いをぶつけるように。



「胸板がとても厚かった事だけは! 何故かしっかり覚えてて!

 人間の身体ってあんなに固くて厚みがあるものなんですか?」

 


 そりゃあ横抱きで運ばれたら嫌でも実感してしまうだろう。

 元々体格が良い精悍な人だ、それこそ女性と比べることなど出来るものではない。


 リゼが頭を抱えて懊悩する姿に、カサンドラは何とか平静を保って欲しくて言葉を探した。


「男の方は元々の身体の構造上、筋肉がつきやすいと聞いたことがあります。

 ええと、王子も見かけ以上にがっしりしていらっしゃいますし」


 だからそう殊更意識しなくても大丈夫、と言いたかった。


 思惑は大きく外れ、次の瞬間リゼはポカンと口を開けた。まさに愕然とした顔とは今の彼女をさすのだろう。

 そして震える身体をカサンドラから逸らすよう、必死で捩じった。



「す、すみません……わ、私――……下世話な事をカサンドラ様に言わせてしまったようで……

 そ……そうですよね、カサンドラ様は良くご存知? ですよね……」



 あからさまに動揺し、視線を逸らす。更に片手を突き出して振るリゼの姿にきょとんとした。


 だが今しがた己が言った言葉を良く考えてみれば……

 大変、妙な誤解を与えかねない発言ではなかっただろうか?


 カサンドラも慌て、顔が蒼くなったり赤くなったり。


「ち、違います。あの、わたくしは……」


 別に直に見たわけでも直接確認したわけでもない!

 舞踏会でダンスを踊ったり、彼女と同じく転びそうになったところを助けてもらったことで間接的に……!


「いえ、もう何も仰らないでください。

 そうですよね、恋人同士ですし……!」


 赤くなった顔を掌で隠すように覆い、腕は未だに突き出してカサンドラから距離をとるような仕草を崩さない。


 彼女の中で一体どんな想像が……!? と、カサンドラも絶句する。

   

 だが今更悔やんでも後の祭りだ。

 直前の自分の身に起こったことで半分正気を失っていた状態の彼女の思考は、カサンドラの思いもよらない方向に走り出してしまった。

 何を言っても彼女の耳には届くまい。


 というよりも逆に言い募ることで変な誤解を増長されても困る。




 身の置き場さえなく、カサンドラはその場に顔を真っ赤にして立ち尽していた。






 ※




「待たせてしまって申し訳ない。

 こちらが調薬してもらった塗り薬――……?」




 扉を開けて入室してきた王子。急いで来たためか、少し髪が乱れた姿である。


 彼はソファの背もたれに覆いかぶさるように身を捩るリゼの姿、そして彼女の傍で真っ赤な顔で項垂れるカサンドラの姿を目の当たりにすることになる。




「ええと……

 何かあったのかな?」 




 神ならぬ王子には、この場での会話など知る術はなかった。

 それは彼女達にとって幸いな事である。

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