第123話 善人とは?


 ふと、王子の顔を眺める。

 宝石そのもののように綺麗な蒼い瞳。邪魔にならない程度に煌めく金髪ブロンド


 彼はにこにこと嬉しそうに微笑みながら、楽しく話を進める友人らの様子を眺めている。

 カサンドラと違って会話に割り入るようなことはせず、敢えて自ら一歩後ろに立った位置でやりとりを見守っているのだ。


 こちらの視線に気づいた王子が、首を傾げて「どうしたのかな?」と静かに問う。

 彼の蒼い瞳から向けられる優しい眼差しにドキッとしてしまった。


「あの……王子はこのように、しばしばお茶会を開かれるのですか?」


 勿論そこにカサンドラが招待されたことはない。

 彼ら三人は慣れているようだが、一学期の間王子が誰かを個人的に招待したという話も聞かない。


 学園での様子を見た限り、来るもの拒まず去る人追わないという立ち回りのようだ。常にフラットな立ち位置を堅持している。

 彼を茶会やパーティに誘った生徒もいたそうだが、全てやんわりお断りされているというではないか。


 人と話をするのが好きなのか、それとも実は苦手なのかさえ彼を見ていると分からなくなった。


 本来話好きだけれど、あまり自分が前に出たら不都合なことが多いから話しかけられるのを待っている。

 もしくは苦手な事だが、立場上多くの人間と接する機会が多いので学園で話しかけられて仕方なく相手をしている…?


 カサンドラはそんなことさえ想像する他ない。

 彼のことについて知らないのだ。


 彼が善き人で、人に対する気遣いや思いやりを持ち尊重してくれることは十分わかる。


 だが肝心の、彼の好悪の情がどちらに傾いているのか判別することが限りなく困難だった。

 王子の友人として常に傍にいるジェイク達なら、その微細な変化や親しさゆえの本音を知ることは容易いのかもしれない。

 彼だって人間だ。

 好きな事もあればそうでないこともあるだろう。


 まともに出会って話す機会もごく限られている自分は不利だなぁと思う。


「そういえば、私が個人的に誘うことは初めてだね。

 シリウス達とは時間が合えば、お茶会という名目で寛ぐことはあるのだけど」


 少し思い出すように宙を見上げ、王子はそう答えた。

 そして王子がシリウス達をお茶会に招待する時には、彼らの親族や知己を王子に”紹介”するケースが多かったのだという。

 何の口実もなく王子と顔を合わせることもできないので、友人間のお茶会に随従する形で参加。

 そこから王子に面通しされ、後日パーティや夜会で顔を合わせた時に『あの時はどうも』と一端いっぱしの知己ぶりを周囲に喧伝することが出来るわけだ。

 王族と面識があるだけで社交界では十分なアピールポイントになるのだ、その機会を提供したラルフ達も当然感謝されるだろう。


 ラルフやジェイクの血縁者、また身分は劣るが紹介したい相手はお茶会の名を借りた目通りの場として利用していたそうだ。

 なので純粋にカサンドラと言う”貴族令嬢”を招待し、その友人たちも一緒に参加してもらうというのは初めての試みらしい。


 室内の様子、雰囲気などから察するに手慣れた印象を受けたのだけど。

 このような形で真っ当な交流をお茶会で行うのは初めてだと言われると少々意外だ。


 個人的に誘うのが初めてということは、会話をする機会をセッティングすることを嫌っていると考えていいのだろうか。


 ええい、正面に王子がいるのだ。

 直接聞かずに勝手に想像してもしょうがない。


「王子はあまり社交の機会がお好きではない……のでしょうか?」


 少し躊躇ったが、こういう場でもないと胸襟を開いた会話は出来ないだろう。


 互いに気心の知れた友人が同席している上、一々他人の視線を気にすることは無い状況なのだ。またとないチャンス。

 本音が少しは垣間見れるかと期待した。


「正直に言うと好きだとも嫌いだとも言い難いかな。

 前にも言った通り私はあまり会話が得手ではない。特に初対面の相手などいつも緊張してしまうから猶更だ。

 ……だけど殊更そういう機会を避けたいわけでもない、かな。

 人伝の話で相手に先入観を持ちたくない、それなら自ら話をしないと始まらないだろう?

 私はあまり勘が鋭い方でもない、何度か話をしないと為人ひととなりの判断も出来なくて」


 初対面の相手と緊張するという発言は、中々印象と一致しない。

 だが敢えてそう見えないように振る舞っているのなら素晴らしい対応力と言えるだろう。立場が人を作るというが、王族に産まれた以上人見知りなんて言っていられない。


 彼は緑色の両目をパチパチと目瞬かせるカサンドラに微笑みかける。


「――その積み重ねの結果好ましい相手だと思えた人と会話をすることは、勿論好きだよ。それは場所や状況に関係なく」


 そういう価値観はカサンドラも好ましいと思う。

 話をするのが苦手な人の気持ちも分かるが、敢えて人を遠ざけても理解は遠い。


 いっそ相手のことを分かるまでとことん話に付き合ってみて、自分に合う相手かそうでない相手かを知るべきだというのは彼の立場上理にかなっている。

 どのみち向こうの方から寄ってくるのだ、一々跳ねのけていてもしょうがない。


 生徒会室でジェイク達と普通に会話をしている王子は気負った風もなく自然体に見えるので、会話自体は嫌いではないと。

 それは予想していたが、本人からこんな返答を受け取るとカサンドラも息を呑む他ない。


 はぁぁ、とカサンドラも聞き入って頷いていた。

 だがそんなこちらの様子をまざまざと目の当たりにした王子は、困ったように形の良い整った眉尻を下げた。

 

 何か不興を買ったのかとカサンドラも一瞬焦る。


「改めて、王子は立派なお考えの下に行動されているのだと感じ入りました」


「別に私は善人でもなんでもない。

 こんな風に口では良いように言っているけれど、結局人から悪く思われることが怖いだけだ。

 ……彼らからも良く言われるけど」


 彼ら、と言いながら嬉々として会話に興ずる男性陣をチラリと一瞥した。


「八方美人も極めれば一つの才能らしいからね。

 嫌われるよりはいいだろうし、まぁ、要は自分のためだから。

 君にそんな顔をされると逆に罪悪感を覚えるよ。ああ、勘違いさせてしまったな、と」


 苦笑、いや自嘲のようでもあった。

 彼はカサンドラ以上に人からどう見られるのかを気にしなければいけない立場である。

 なまじ人がいから、身分や立場を利用した傍若無人な態度をとって己の欲を吐くことも出来ない。


 社会通念上、所謂常人としての感性を持っているからこそ彼は人一倍善い人であろうと戒めるしかないのだ。

 恥を知り、常識を知り、人の気持ちを知る人は”権力”を手に入れてもそれを持て余すものかもしれない。


「いかに自己保身と仰られましょうが、王子のお心遣いを頂戴すればわたくしに限らず嬉しいものです」


 ――狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。 


 前世の世界で幾度となく耳にしたことがある文言だ。

 この言葉の逆で、見よう見まねでも善行を施す人は他人にとって善人でしかないと思う。


 ましてや最初から善意から出る行動なら、それはもう疑いようもなく善人のそれだ。

 いくら自分のためだ偽善だなんて呟かれても、カサンドラは首を横に振るだろう。


 社交界に顔をひとたび出せば、そう振る舞うべきなのに全く出来ていない権力者など嫌と言う程目にしてきているもので。


 カサンドラだって、”前世の自分”という客観的視点で己の所業を自覚することで一般人の感覚を思い出し――黒歴史! と赤面することになったのだ。

 持て囃され驕り、恥を知らない人の勘違いぶりは手が付けられないと理解できるところである。


「そうだろうか」


「お恥ずかしい話になりますが、わたくしも学園に入学することで己を戒める機会が増えました。

 ……僅かばかりではありますが、お気持ちご拝察いたします。

 その、わたくしの入学前の風評など……王子のお耳に、もしかしたら届いているかもしれませんが、ええと」


 こんなところでカミングアウトしている場合か!

 と己を叱咤する。秒で後悔したが、リゼ達もジェイク達もこちらの会話に興味を示しているわけでもないのは幸いだ。

 カサンドラのように、自分の前のめりな気持ちで皆一杯一杯なのかも。


 勢いで彼の知りうるだろう自分の悪評について言及してしまった。

 こんな悪い評判を何とか巻き返せるように見える部分から頑張ってますなんて……何を言っているのだ。調子に乗り過ぎである。

 発言した以上取り消すことも出来ず恥じ入るばかりだった。


「ごめん、私は君の話を聞いたことがない。

 ……人伝の話では分からないことばかりだから、敢えて耳に入れないようにしていたこともあってね」


 それは僥倖! と、ガッツポーズを掲げたくなった。

 黒歴史が彼の耳に届いていないならそれに越したことは無い。


 入学式典の後教室で話しかけたあの時、カサンドラの存在を認知したということでいいのだろうか。

 彼は嘘をつけるような人には思えない。

 それを前提に当時のことを振り返ってみるならば…… 



 初対面の生徒と話をするのが苦手だけど、婚約者だし話をしないと相手の事が分からない。

 だから忙しい中でも時間を作り会ってくれていた、という判断で良いのだろうか。純粋な厚意なのは間違いなさそうだ。


 言葉に偽りがないとするならば、カサンドラは改めて困った事態に遭遇する。



「……皆、仲良くなれそうで良かった」


  

 他意のない、微笑ましい情景を見渡す王子の横顔を眺めて思うのだ。


 婚約者カサンドラを避けているわけでも逃げているわけでもない、嫌っているのでもないとするならば。



 ジェイク達にちゃんとした恋人、もしくは婚約者が出来るまでこの距離感は維持されたままなのではないだろうか。


 彼の友人に対する気遣いは、こういう場を設けたという時点で十分推し量れるものだ。

 少なくともカサンドラより、友人の感情や面子に天秤が傾くことは明白。自分が婚約者のことを気に掛ければ、彼らに申し訳ないなんて本気で思っていてもおかしくない……!


 彼女達の恋を応援する他ないことは最初から分かっていたが、本心からの台詞だとするとカサンドラも能面になる他ない。


「ええ、本当に」


 この場にいる六人の関係性を見ていると、少し胸が痛い。

 自分と三つ子の考える先は同じものだ。

 だが今、彼らの気持ちやそれを密かに応援しているのかも知れない王子を思うと複雑な想いだ。

 



 でも彼らが仮にくっついたとして、じゃあ王子と恋人のような関係になれますか? と聞けば多分そういうものでもないと思う。




 要するに現状自分は、友人の婚約者事情を盾に恋人らしい振る舞いをやんわりと拒まれているということなのだろう。


 そもそもカサンドラは恋をしているが王子はそうではない、という事実が改めて分かっただけのような気もする。




 恋――か。




 王子と話をしているとドキドキするが、不思議な事に安らぎも感じるのだ。

 本人は自分を八方美人だなんて評しているのかも知れないが、彼の言うことはカサンドラにとってすんなり受け入れられる言動だからだろう。

 相手を理解できないと歩み寄ることが難しいが、同感だと思う共通項を見つけると一層身近に感じられた。



「近頃カサンドラ嬢と話をする機会が増えたことで分かったのだけど。

 思いの外、私達は似た者同士かもしれないね」




 眩しい爽やかな微笑みの不意打ちに、ティーカップを指から滑らせそうになった。怖い。





 他意のない笑顔で正面から、導火線のない爆弾を投げつけるのは止めて欲しい。

 顔が赤くなってしまいそうだ。






  ※





 一時間は優に経過したであろうか。

 紅茶のお代わりももう十分だという頃合いを見計らい、王子が静かに立ち上がった。


「まだ時間は早いけれど管理人との約束の時間が迫っている。

 そろそろ植物園に案内したい、みなも構わないだろうか?」


 本日のメインイベントはお茶会ではない。

 それは理解していたけれど、こうも話が弾んで打ち解けている状況ですぐに移動というのも名残惜しい。

 そんな気持ちが伝わってくるけれど、


「ありがとうございます! 心から楽しみにしていました」


 本人の周囲に小さな花が飛び散る、そんな幻をも生じさせるリナの喜びの台詞が決め手であった。

  

 椅子から立ち上がり、三つ子は王子に深々と頭を下げる。

 そして同席してくれたジェイク達にも同様に感謝の言葉を続けた。


 打ち解け合った雰囲気であったのに、そこは貴族とそうでないものの関係性が如実に表れていると思う。


 それぞれ身分の違い、更に現状は特別だと理解した上で一時の夢のような時間を楽しんでいたわけだ。

 だが夢から覚めれば――本来は吹けば飛ばされ、相手の感情一つでぺしゃんこにされる。同じ人間とは思えない隔絶した差があることもちゃんとわかっている。


 リタ達に「お話をしてくれてありがとうございます」と頭を下げられ、ジェイクが物凄く厭そうに眉を顰めた瞬間を見てしまった。

 心の底から楽しいと思っても、目に見えない壁がある。


 気軽に接して欲しいと思ってもそれを許さない現実に一番ヤキモキしているのは三つ子ではなく、彼らの方だ。


「カサンドラ様、同席頂きありがとうございます」


 リナが浮き浮きと楽しそうにそわそわしている姿はとても可愛らしかった。

 この場を齎してくれたきっかけは彼女の何気ない一言だと思うと微笑ましい――と同時に多少の無茶ぶりは何でも叶えてくれそうな彼らとの今後にちょっとした戦慄を覚える。



 下手をしたら、同じような機会があったとしても事前に服とか渡しそうな意気込みを感じる。

 まぁ、三つ子は受け取るようなことはないだろうが。

 

「まぁ、リナさん。その言葉はまだ早いのでは?

 本当の目的地はこれから向かうのでしょう、わたくしもとても楽しみにしていました」



 リナが幸せそうに微笑んでカサンドラの隣に位置どって歩き始めると、背後にラルフの視線を感じる。

 そこを退けと睨まれていそうでほんのりと寒気が。



 ……振り返るのに勇気が出ず、気づかないふりで王子の後ろに着いていくカサンドラだった。


 

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