第122話 和気藹々
当然のように緊張した面持ちの三つ子、そして予想を越えた装いで現れた彼女達に動揺を隠せない攻略対象。
お茶会のために用意されたテーブルは楕円形の白く大きなものであった。
それぞれの席に名前を書いたプレートが設置されているが、恐らく三つ子たちが迷わずに座れるようにとの配慮だろう。
総勢八名、席順は男女交互に並んでいる。
パッと確認した限り、下座や上座などは無関係。
とりあえず男女の列に分かれるわけではなく互いに交互に席が用意されていた。
具体的に言うなら、カサンドラの正面には王子が座っている。
カサンドラの隣にはジェイク、リタ、ラルフと続く。
王子の隣にはリゼ、シリウス、リナ。
席を決めたのは王子だろうが、事情をある程度把握していないとこの並び順にはなるまい。案外王子は六人の関係性を全てわかっているのではないだろうかと思い至ってしまう。
カサンドラが席を決めろと言われてもこのような並び順にするだろうから。
学園の食堂の距離感を思い出す、ゆったりとした空間。
広いテーブルの上には、既にいくつもの焼き菓子や小さなケーキ、果物などが銀の皿に置かれている。
二、三段のケーキスタンドにはファンシーで可愛らしい飾りがあしらわれ、真っ白なテーブルクロスの上は色とりどりの花を活けた花瓶が置かれている。
煌びやかな装飾品の一切を排し、やわらかい雰囲気を重視したインテリアだと思った。
透明なグラスに張った水に花びらが浮かび、味覚に障らない程度の仄かな香り。
女性陣へのもてなしの心が伺える。
全員がネームプレートの置かれた席に座ると、部屋に入った来た給仕たちが眼前のティーカップに香り立つ紅茶を注いでいく。
繊細な指先で持ち上げるティーポッドの先から緩やかな弧を描き琥珀色の液体がカップを満たすのを、落ち着かない様子で凝視する三つ子達。
カフェで楽しくお喋りという雰囲気からはかけ離れた場所で、掌に汗を握らんばかりの表情にカサンドラも少し不安になった。
そんなにカチコチに固まる必要も畏まる必要も感じない。
終業式前、この面子で顔を合わせて楽しい時間を過ごした中庭と同じだと思えばいい。
堅苦しい作法を気にするような場ではないはずだ。
侍女が三つ子を『ご学友』と呼んでいたように、この場は学園生活の延長という意識でいてもらいたいものなのだけど。
全てのカップに紅茶が注がれたあと、給仕役はそのまま部屋の隅で畏まって待機する。
傍に銀色のワゴンを備え、何かあればすぐに用を成せるように真っ直ぐに姿勢を正した使用人たちが居並ぶ。
その様も彼女達にとってはプレッシャーかも知れない。
一瞬の無音の時間。
ふっと静まり返る、沈黙の帳が下りたかのよう。
だがその場に静かに立ち、ゆっくりとした口調で話し始めたのは――王子だった。
「私の呼びかけに応え集まってもらった事にまずは感謝の意を示したい」
いえいえ、そんな。
平然とした男性陣とは真逆に、とんでもないと肩を上下させる三つ子達。
「もしも学園が存在せず、互いに日常を送っているだけでは決して知り合うこともなかっただろう。私達の立場が分かたれていることは事実だ。
だけど今日はお互い同じ教室で学ぶクラスメイトとしてこの場を過ごして欲しい。
そもそも”特待生”は学園設立当初から存在していて、今でも当たり前に受け入れられている制度だからね。
私達のように狭い社会しか知らない――ともすれば勘違いをし、驕りがちな立場の人間だけがひとところに集まっても閉塞性が増すだけ。
貴族社会以外の視点からの価値観、ものの見方を教えてくれる生徒も必要だ。それはこの学園に携わる
君たちは努力を重ね、今こうして良きクラスメイトとして私達と同じ学び舎に通っている。
誤解を恐れずに言うのならば、君達は選ばれた人間だ。私達と共にいる正当な権利があるということを忘れてはいけない。
気後れする必要などないからね。
私達が普段気づけないこと、知らないことを遠慮なく話してくれることを望んでいる。
畏まらずに楽しい時間を過ごして欲しい、ここは教室の一部だと思ってくれればいいんだ。
まさしく今、君たちの格好の通りに振る舞って欲しい。
普段通りと言う意味において、最も適した装いで来てもらえて私も嬉しいよ」
彼は夏の暑さを吹き飛ばす爽やかな笑顔で、緊張する彼女達に大層友好的な言葉を向けた。
ジェイク達が彼女達の姿に「え? 制服?」という予想外だったようなリアクションをしたことに対するフォローまで。
もしかしたら気にしていたかもしれないリゼもホッとした顔になる。
ああ神様、なんということでしょう。
今日も私の婚約者は聖人です。
※
少し緊張が解けたのか、リナが紅茶を一口飲んで『美味しい』と表情を綻ばせた事を端緒に会話が始まる。
それは以前ベンチまで運んできて楽しく話し込んでいた中庭のあの時間の再現――いや、続きのような雰囲気だ。
そもそもラルフにせよ、ジェイクにせよ、シリウスにせよ。
”何故か気になる特待生”と話をしたくて、わざわざ王子のお茶会に参加しているわけだ。
本来なかったはずの予定。
それにも関わらず示し合わせたように他の雑事などを繰り上げ、早々に時間を調整するくらい気合に満ちているわけである。
とっかかりの一つでもあれば、話くらいいくらでも湧いてくる。
皆口下手というわけではなく、三つ子はもとより攻略対象だって会話が命の社交界を泳いで渡ってあしらってきた猛者たちだ。
自然と会話も弾むもの――まぁ、唯一シリウスに関しては少々苦手な分野かも知れない。
年嵩の偉い人の気分を良くさせるような会話は出来ても、女性の気を惹こうなんて会話は縁が無かったことだろうから。
そういう意味では友人感覚で自然と誰にでも話しかけられるジェイクの方が得をしている。
「……王子、ありがとうございます」
ふぅ、と一息ついてカサンドラは隣に座る王子に話しかけた。
この場に集合する前の気分は合コンの幹事だったが、彼らの楽しそうな話を聞いているとその健全な学生らしい明るさにこちらも楽しくなってくる。
何でお礼を言われるのだろうと首を傾げる王子。
あれを全くの即興で、場の雰囲気で言い出したのなら本当に気遣いの塊だと感心する。
ふふ、と微笑み。カサンドラも馨しい香りを漂わせる紅茶を一口頂く。
どうやら少々緊張していたらしい、その熱い飲み物を嚥下すると自分が喉が渇いていたことを初めて知った。
それは三つ子の事が心配だったからというより、すぐ傍に王子がいるせいだ。
以前カフェで二人きりの時間を楽しんだ時より距離も離れているし、周囲の光景も状況も全く違う。
あの時の方がもっと緊張して然るべきなのに。どうにも気恥ずかしくて王子の傍にいるとそわそわした。
王子の姿をチラっと盗み見る。
……カップを掴むその長く形の良い指、そして意外とがっしりした腕、直近でこの人と一緒に何曲か踊ったのだなぁ、と今更思い出してしまう。
態勢を崩して転びかけたところを助けてもらったことがあったが、一瞬だった。
それに比べ舞踏会で明るいシャンデリアの灯の下、互いに着飾って優雅に踊ったあの時間は記憶にまざまざと刻み付けられてしまった。
まぁ、踊ったのは王子だけではない。
ジェイクもラルフもシリウスも同じように一曲相手をしてもらった。だけど全く違う。
ただの義務感、仕事感覚でノルマをこなすようなダンスに何の感慨もわかないわけで。
ついつい記憶を鮮明に思い出して顔が赤く染まりそうで困った。
そんな己の記憶を断ち切るように、カサンドラは焼き菓子に手を伸ばすリゼに話しかけたのだ。
「王宮の馬車が寮に向かったのですよね、騒ぎになりませんでしたか?」
「大丈夫です、今、女子寮にいるの私達だけですから」
リゼはなんてことないようにそう言い放つ。
「……そうなのですか?」
「はい、皆帰省してます。
私達はまだ帰らないのかって寮監に心配されているくらいですよ」
「なんで実家に帰らないんだ? 折角の長い休みなのに」
カサンドラの隣に座るジェイクも不思議そうに首を傾げる。
まさか他の女子が全員帰省済みとは思わなかった。
止む無く寮を利用していた貴族の令嬢が全員実家に帰ることは分かりきっていたけれど。
何せ社交の季節なのだ、これからあちこちで盛大に誘い誘われが繰り広げられる夏休みにのうのうと寮で過ごす余裕がある女子生徒なら――最初から寮住まいなんて立場ではあるまい。
社交の場に出るにはそれなりに前準備がいる、寮にずっと待機したままなんてお嬢様はいない。
「折角王都に滞在出来る機会ですから。
わざわざ帰省してまでやりたいこともないですし」
リゼのハッキリさっぱりした物言いに、リタが可笑しそうに茶々を入れる。
「帰ったら農作業の手伝いさせられるもんね、嫌なんでしょ?」
「うっ……それも、あるけど……」
「リゼはすぐ音を上げて怒られたもんね。
でも流石の母さんも天下の特待生様が嫌がるなら、手伝いなんかさせないんじゃない?」
「あの人はそんなこと関係なく鍬を手渡してくると思う」
リゼは真顔のまま、額を抑えて前傾姿勢。
前から話は聞いていたものの、リゼにとっては実家でのお手伝いは大変な苦行だったようだ。
「そうだねぇ」と納得するリタは、お皿に並ぶ苺をパクっと一つ口に頬張った。
甘酸っぱくて美味しい、とその後もいくつか指で抓む。
「でもお前、体力もついただろ?
家の手伝いくらい平気で出来そうじゃないか」
「……ええ、体力はつきましたよ、前よりは。
ジェイク様、フランツ教官は鬼ですか? 私、もしかして騙されてましたか?」
「フランツはまだ気楽、ライナスやケインの方が当たりキツいからな。
あいつは世話好きだし部下には慕われてる方だ」
「そうなんですか、あれで気楽な方……」
「何かあったのか? この前、一度来たんだったか?」
「まさかジェイク様のお屋敷から走って帰れと言われるとは思いませんでしたよ、何キロあると思ってんですかあの人!」
「リゼ、貴女が寮の前で倒れていた理由、まさか走り疲れたから!?
通いの庭師さんにお部屋まで担ぎ込まれたって後で聞いて、吃驚したのよ」
少し離れたところからリナが悲鳴を抑えるように顔を青ざめる。
「……っ……ゴールが見えてつい気が抜けて……!
体力が増えたなんて己を過信したらあのざまよ」
「ちょっと待て」
カップをソーサーに静かに置いた後、シリウスはスッと眼鏡のブリッジに指を添え位置を調整する。
眼鏡を掛けている人の所作とはいえ、彼の落ち着かない感情が伝わってくるようであった。
「何故君がロンバルドに?」
「正確には兵舎です。
剣術指南の担当教官が普段はそちらにお勤めで、ご厚意で指導くださると。
願ってもないお話でしたが――はぁぁ……次回は走って向かわないと……」
ロンバルドの邸宅から学園の寮までを走れと言われたらカサンドラなら卒倒するかも知れない。
中々無茶な事を言う人だなとフランツの姿を思い浮かべてぞっとした。
リゼの事を殊更気に入っていると聞いたが、これが愛の鞭というものならやはり遠慮したいものだ。
「そもそも君は一体どこに向かおうとしている? 一介の女子生徒が剣術など習って何がしたいのだ」
シリウスの険しい直球な質問に、リゼは喉に焼き菓子を詰まらせる直前。
ケホケホ、と咳をしながら一瞬チラっとカサンドラの方に視線を遣った。
ジェイク攻略のためです、なんてこの場で言えるはずもない。
だが彼女はすぐに動揺を鎮め、彼女の隣に座るシリウスの顔を見やった。
「折角の選択講義、色々試してみようという軽い気持ちですよ。
――まさか自分一人のために新たに教官が増員されるとは思わなくて。
流石に一回二回で止めるのは申し訳ないと選んでいる内に、段々楽しくなってきたんですよねぇ」
「そうそう、フランツも最初は頭抱えて困り果ててたけどな。
なんだかんだ真面目なところが随分気に入ってるぞ。”あいつを夏休みに連れて来い”って毎日毎日背後霊のように鬱陶しかったからな」
「…………。本当に変わり者だな、君は」
剣呑としたシリウスの雰囲気は変わらなかったが、これ以上相手のしていることを否定することもまた無意味である。
引き際を悟ったシリウスは溜息とともに再び黙しティーカップに指を添えた。
「君達も帰省の予定はあるのかい?」
ラルフが正面に座るリナに問う。
「はい、八月の中旬に数日間帰省する予定です」
「君達の故郷は――」
「セスカです」
「随分遠いところだね、数日程度では少々割に合わない距離のような気もするけれど」
ラルフは少し驚き、首を傾げる。
確かに一週間かそこらでは往復の馬車で過ごす時間の方が長くなりそうだ。
「リゼがあまり乗り気ではないこともあります。
カサンドラ様が避暑地に招待して下さったこともあり、帰省は出来るだけ短くということに決めたのです」
それは初耳だ。
カサンドラも驚愕のあまり、ぎょっとして三人の顔をそれぞれ見渡して慌ててしまった。
「わたくしのせいで……!?
申し訳ありません、帰省の方を優先してください!」
バカンスをしたら諸々のパラメータが上がるということに気を取られ、まさか彼女達の私生活に悪影響を与えていただなんて思わなかった。
自分の都合ばかり押し付けていたことが恥ずかしい。
「いいんです! 私は本当に助かるんです! 実家でこき使われるより万倍楽しみですから!」
迫真の表情のリゼ。
「そうです、実家で畑耕すより高原の避暑地で遊びたいに決まってるじゃないですか!」
グッと拳を固めて期待に目を輝かせるリタ。
「――ということで、帰省が短期間になりました。
私も両親の姿を見て安心したいから帰省しますけれど、王都での今の生活がとても楽しいので。
早く戻りたいと思うのではないかと思い、賛成しました」
「いいよなー、カサンドラ」
ジェイクはムッとした表情。
どこか拗ねたような物言いでカサンドラに難癖をつけようとするから、つい身構えてしまう。
「俺だってバカンスに行けるものなら行きたいわ」
苦虫を噛みつぶしたような顔。
実際、色々正規の仕事として予定が埋まっているというのなら……
丸々お休みでバカンスを楽しめるカサンドラが怨嗟の対象になるのも致し方あるまい。
しかも三つ子を侍らせて行くのだから、なおさら。
侍らせるつもりは毛頭ないが、ジェイクから見たらそう思ってもおかしくない。
「諦めろ、お前の予定は既に埋まっている」
シリウスは容赦ない。
「でもジェイクも休み中、遠出する予定があっただろう?
いいじゃないか、存分に楽しんでくれば」
ラルフもからかうように頬杖をついて声だけで突っつく。
ジェイクは反応がとても素直で分かりやすいので、結構茶化されることが多そうだな、と会話を聞いているとよくわかる。
「あれは護衛兼接待。完全な仕事だ。楽しめるわけないだろ!?」
地方田舎出身の庶民と、中央大貴族の御曹司達と。
王子はああ言ってくれたものの、果たして話が合うのかとやはり心配していたところはある。
だが彼らは自分の立場を利用して自慢するわけでも偉ぶるわけでもない、逆に普段自分達の日常にありえない話題を面白そうに聞き入ったり割り込んだりする。
気になる相手に幻滅されるようなことを言いたくない、そんな特異な事情もあるのだろう。
相性の高低はあるものの、本来攻略の手順によっては誰と誰が恋人同士になってもおかしくない妙な関係性。
主人公が三人同時に存在するとこんな楽しいことになるのかと頷かざるを得ない。
――その輪の中に、ゲーム内では悪役であるはずの自分と王子が加わっている事が不思議だった。
卒業パーティで彼らに断罪される悪役令嬢、聖剣で倒されるラスボス王子。
そんな未来、このほのぼのとした平穏な空間に欠片も見出すことはできない。
このまま皆と一緒に、楽しい時間を過ごしたい。
それだけが願いだ。
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