第121話 お茶会に臨む
王子から声を掛けてもらったことで、カサンドラもお茶会に参加が決まった。
思っていたより随分早く開かれることに驚きを隠しきれない。
そもそも終業式の前まで存在しなかった予定である。まさか八月入って早々に時間を空けてもらえるなんて、と目が点だった。
王宮植物園の流れから、”行ってみたいなぁ”とリナが発した憧れの呟きがきっかけだった。
それを発端と言うなら王子が花を贈ってくれたのはカサンドラが風邪をひいてしまったから。
……原因はもしかしたらカサンドラかもしれない、と今気づいた。
リナの呟きを聞き逃さず、強引に実現しようとしたラルフ。そして置いて行かれないよう続々と話に乗ってきたリタ達。
王子も最初は困っていたが、植物園見学会という名のお茶会を開催しようなんて言ってくれたわけで。
あの場の奇跡のコンボが生じなければ実現しなった。
リナもそんなつもりじゃなかったと混乱していたが、王子が誘ってくれた以上今更『行きません!』なんて失礼にも程がある。
三つ子共お茶会に招待されたので、今頃王宮からの迎えの馬車に揺られている頃だろうと思われる。
カサンドラも正式に王子からの招待を受けた身、家の紋章が施された二頭牽きの馬車に乗って向かっている最中だ。
着ていく服には物凄く悩んだのだが、三つ子がリゼの言う通り制服で参上すると想定したら、カサンドラだけ気合を入れた格好で行くわけにもいかない。
白のシャツとスカートに赤と紺色の裾ラインが入った爽やかな制服の中でも目立たない服装……
背に腹は替えられない、と。
カサンドラは真っ白なフレアワンピースを着て向かうことにした。
膝下でヒラヒラ舞う裾、涙形の蒼いイヤリング、控えめな細いブレスレット。
――可憐で儚げ
少なくとも自分のイメージではないと固く封印していたものだ。
だがあまり着飾るのも三人の前で浮きそうだし出来る限り合わせようと思ったらこれくらいしか思いつかなかった。
一瞬自分も制服で参加することも考えたが、万が一三つ子が私服だった場合は目も当てられない惨状なので諦める。
曲がりなりにも王家の主催するお茶会なのだ。
部屋内の調度品、装飾、食器、服装。それらは全て見た目も楽しめるよう演出されているはずだった。
そこであからさまに女性陣で一人だけ見た目の印象を乱すような調和性のない恰好で現れることも失礼だ。
仕方ない……と思うものの、舞踏会のドレスを仄かながら髣髴とさせる白い服は少々きまりが悪かった。
王子の身である彼が、急に思い立ったかのようにお茶会を開くなど本来はありえないと思う。
勿論内輪で一緒に過ごすことなら儘あることかもしれないが、わざわざカサンドラに招待状を送るような正規の催しを開くのは手間暇もかかる話だ。
ラルフの強引さが原因とは言え、結局忙しい中三人とも早い日程で都合をつけるのだから凄いと思う。
普段忙しい忙しいと言っていても、本当に望む機会が得られるのならば意地でも日程を空けてやるという気概を感じる。
流石攻略対象、主人公達を特別な存在として気に掛けているだけのことはあった。
そんな彼らに付き合わされる王子も、本当に優しい人だなとしみじみ思う。
友人想いなのはもとより、リナが下心などではなく本心から花に興味があると思ったからこその提案だ。
図々しいと一蹴してもおかしくないのに、彼は一切動じることなく受け入れた。
海のように広い懐ではないか。
カサンドラとしては予期せぬ出来事、嬉しいけれど彼らのやりとりを平然とした様子で眺めることが出来るのか心配だ。
最後まで表情筋が制御出来ることを祈って、お城に馬車で乗り込んだのである。
王宮に到着後、侍女に案内され広い王宮の回廊を歩いていた。
全体的に真っ白で、まさに白亜の宮殿と呼ぶに相応しい建物に感嘆の吐息が落ちそうになる。
舞踏会の開催される広間とは全く方向が違う、城の内側に向かって進む道すがら――カサンドラは次第に緊張してきた。
自分は三つ子を正規に呼ぶための口実要員としておまけで招待されたと考えるべきだ。
出来るだけ出しゃばらず、彼女達をフォローするように気にかけるべき。
でも折角王子と一緒の空間にいられるのに、気が
カサンドラがもう一人いたら、彼女達のフォロー役と、王子と楽しく歓談する役に分けることが出来るのに。
そう思ったが、間違いなく王子と一緒にいる役を巡って争いが生じる。取っ組み合いの大喧嘩に発展する脳内に産まれたダブルカサンドラを放り投げ、無駄な願いをしてしまったと溜息を一つ。
つい無表情で俯いてしまったが、侍女が一礼して『カサンドラ・レンドール様。ご到着でございます』と厳かに告げる。
扉の前に立つ騎士の一人が腕を胸の前に掲げ、カサンドラに敬礼した。
騎士団に入団するには身分もそうだが、外見のスペックも重視されているのではないだろうか。
二十歳を過ぎた麗しい青年騎士に開けてもらった扉の向こうに、軽く喉を鳴らした後一歩踏み入る。
部屋の中で友人らと立ち話をしていた王子と、目が合った。
「良く来てくれたね、カサンドラ嬢。
あまりにも急な話だから既に予定があるのではないかと心配していたけれど、杞憂で良かった」
にこっと微笑む王子の姿に、カサンドラは膝を曲げ跪礼した。
そっと胸元に手を添え身体を前に傾けると、長い金の髪が一房ばかり肩から滑り落ちる。
「招待状を頂戴いたしましたこと、大変光栄に存じます。
王子もお変わりはございませんか?」
一週間ぶりの王子の姿に、カサンドラは想像以上に心が揺れ動いていた。
「ありがとう、ご覧の通りだよ」
普段教室内で話しかけることなどないが、学園生活を送る間は彼の存在は毎朝実感できるものだ。
多くの生徒と交流を重ねる王子の姿を垣間見、そこに立ち入ることのできない己の立場に一抹の寂しさを感じつつ。だがしかし、見目麗しい姿が視界に入るのは眼福であった。
教室で多くの生徒に囲まれる王子だが、自分が王子の傍に行けば皆道を開けてくれる。
命令などせずとも、勝手に二人きりにしてくれるだろう。
でも王子は学園の中では”皆の王子様”だ。
自分一人が勝手に婚約者という立場を振りかざして王子の隣に居座れば、間違いなく反感を買う。
カサンドラの権利だから非難されることはなくても、快く思われない。
自領主の貴族が民に偉そうな振る舞い、特権を振りかざす言動をしてもそれは表立って糾弾されるものではない。
だが確実に民の心象は悪くなる。一度悪化した心象が回復する可能性は極めて低く、自分の足を自分で引っ張っているようなものだ。
領民に嫌われることさえ喜ばしくないことなのに、王子に関わることで反感を買うのは領民ではなく貴族の子女。他の生徒達の心象を悪くするなど以ての外だ。
所詮カサンドラは親の権威によって守られた立場。自分自身の功績ではないチカラを振りかざし、他人を無理矢理頭を踏みつけて従えるなど外聞が悪すぎる。
博愛と慈愛、建前を必要とする王妃のすることではない。
人からどのように見られるのか――という自律が求められる立場だと理解している。
王子が学園に通う意味を考えれば、カサンドラは一歩退くべきだ。
常に婚約者を侍らせ何をしに通っているのだなんて、万が一王子が思われては彼の足を引っ張る事にもなる。
それに自分が近づくことでサーっと生徒が散る姿は強引に人払いしているようにも見え、シリウス達に悪印象でしかない。
同じ空間にいられるだけでカサンドラは嬉しかった。
入学するまでは舞踏会で垣間見た王子の姿を思い出してはニヤニヤしていたのだ、それが同じクラスだなんて。
でも人間は欲深い。刺激や環境に慣れてしまう生き物だ。
たった一週間、王子の姿を見なかっただけなのに! とても心苦しく寂しかった。
彼と目を合わせた瞬間、王子成分が胸中にドッと溢れて埋め尽くされていく。
濁流に口が突き、変な言動をしないようにカサンドラは心の中で必死に自分を律する。
ともすれば呆然と彼の姿を目に焼き付け、食い入るように見つめたくなる気持ちを抑える。
恰も滝壺で修行している僧であるかのように。心頭滅却すれば火もまた涼し……! と、緩みそうになる口元を引き締める。
「皆様もお揃いでいらっしゃるのですね」
何とか王子から自然に目と意識を逸らせようと、カサンドラは王子の傍で同じく立ち話に興じていた三人の男性に話しかけることにした。
勝手知ったるなんとやら、学園での態度と一切変わらない気楽そうな雰囲気でカサンドラは己の緊張を中和する。
彼らの”目当て”は自分ではない。
三つ子の到着を今か今かと待ち望んでいるはずで、きっと先に着いたのがカサンドラであることに不満を感じているのだと推測される。
「あら……」
だがカサンドラが覚えた違和感は、三人とも非常にシンプルな装いだったことだった。
王子からお茶会に招待されたとは思えないような、家で普段着として着ているような恰好ではないだろうか?
舞踏会で目が潰れるかと思った華やかな衣装との落差に一瞬目が曇る。
それでも身に纏うものなど、所詮は飾りだ、添え物だ。そんなものより本人を見ろ! と言わんばかりの顔の良さとスタイルの良さは健在だ。
四捨五入したら脚が本体じゃない? と思う長い脚。まぁ、その表現はやや大袈裟だが。
カサンドラも出来るだけ華美な装飾を避け、学生らしい清潔さを前面に押し出した似合わぬ恰好で来た。本来の茶会ならもっと気合を入れている。
だが――自分はともかく、男性陣も皆が色味を抑え地味とも言える装いなことに違和感を抱いてしまった。
カサンドラの怪訝そうな表情に気づいたのか、ジェイクは腕組みをして放言する。
「あいつらは王族の茶会に相応の格好なんか出来ないんじゃないか?
俺らも合わせた方が向こうも気楽だろう」
フフン、とジェイクは得意げだ。
「ははぁ……お気遣いだったのですね」
「何を偉そうに言っているんだ?
アーサーに言われて慌てて着替えに走っていたのは誰だったかな」
「俺よりお前の方が慌ててただろうが! その服、アーサーの借り物だろ?」
「僕はアーサーとサイズが同じだから問題はない、着れるものを着て何が悪いんだ」
「……二人とも少々声が大きい。
扉の外で何事かと思われるだろう、いい加減にしろ」
「ハッ。
庶民とのお茶会なんて何を着ていけばいいんだ――って昨日こっそりアーサーに相談出来たお前はいいよなぁ」
「仕方ないだろう、判断しかねる領分だ。
主催者に聞けば間違いがないからな」
「ラフな格好でいいなら最初から言えよな」
「お前の茶会用の服装など、言う程華美なものでもあるまい。
今のとそう変わらんだろう、一々着替えに戻る必要もなかったと思うが」
「ぜんっぜん違うわ!」
午前の間で王宮騎士団の職務を終え、お茶会用に持参した服に着替えようとしたジェイク。彼はアーサーとシリウスが普段着に近いカジュアルとも言える装いであることに首を傾げた。
別にジェイクも着飾るのは好きではないが、茶会と言えばこれ! と衣装係に渡されたものとは雰囲気が異なっている。
『フォスターの三つ子は生誕祭のことから予想するに、私たちが通常考える服飾ではないような気がする。
特に服装指定もしていないんだ、私とシリウスはこのまま出ようと思う』
王子にそう提案され、更に同室に控えていたシリウスまで非公式とはいえ王族の催す茶会に出るとは思えない――全身黒っぽい地味なザ・普段着。
そんなことなら俺だって! とジェイクがドタバタと一度家に戻ろうとした矢先、ばっちりお茶会用の服装を着込んだラルフとすれ違い、問答が繰り返された。
「それは困った」と渋面を作るラルフに体形が同じだからと王子が適当な服を貸してあげたそうだ。
流石に男性陣で一人だけ気合を入れた姿では据わりも悪い。有り難く借り受け、現在の白いズボンにこげ茶色のベストというシンプルな格好のラルフの完成。
急がないと遅刻する。
愛馬に跨り全力疾走、自宅に帰還し着替えてきたジェイク。
……そんなこんなで、直前までバタバタしていた男性陣。
「服装の事を全く考慮していなかったのが申し訳なかったね。
先日シリウスから相談を受けて気づいたんだ」
王子のフォローの声が彼らを宥める。
友人同士、身内のお茶会なんて大体こういう服装という暗黙の了解が働くので、何も勝手が分からないだろう庶民が参加するというだけで右往左往。
彼女達に気楽に接してもらえるのが一番だという彼らの思惑が一致したならそれは素晴らしい事だ。
カサンドラも手を叩いて称賛する。
「後ほど王宮植物園を案内下さるとのこと。
多少なりとも動きやすい服装の方が良いかと思います、ご英断ですね」
一応、本来の目的はそちらだ。
あくまでもお茶会は、彼女達を非公式ながら王宮に招待するための口実、婚約者のカサンドラとのお茶会に互いに友人を伴ってくるという体裁で行われるものだ。
彼女達が王侯貴族然たる華々しい空間で気後れしないようにとの心遣い、きっと彼女達も嬉しく思うことだろう。
「これなら多少あいつらが庶民的な私服で参加しても問題はないだろ。
むしろこっちの方が俺は気楽だしな!」
ジェイクからすれば当然の意見か。
畏まった服装は息が詰まると常に文句を言いたがる性質。
これ幸いとばかりにラフな姿で再登城した彼は年相応の男の子にしか見えず、貴族と紹介されても首を傾げることだろう。
「む……。
そろそろ定刻だな」
シリウスが呟くと、一斉に時計に目が向く。
少しばかり落ち着かない雰囲気なのは、やはり彼女達がどんな服で来るのかと気になっているからだろう。
その気持ちも分かる。
カサンドラだって、制服ではない王子の私服はとても貴重で場面場面に応じた装いに心がときめく。
今だって制服とあまり変わらない白シャツを羽織る王子は何の装飾も施されていない。
暑い日でも清涼感溢れる佇まい、飾り気のない装いは相手にプレッシャーも与えることなく心落ち着くものだ。
気になる相手が、普段見せない姿で登場する。
どんな装いだろう? 今まで見えない一面が?
そう思うのは当然の真理で、カサンドラも完全に同意する。
だが……
「――殿下、ご学友の皆さまがお見えでございます」
扉の向こうから恭しく声が響き、王子ではなく三人が一斉に扉に向かって視線を浴びせかけた。
カサンドラは知っていた。
「本日はお招き下さり、恐縮です」
各々が挨拶をし、頭を下げる三つ子のリゼ・リタ・リナ。
つい一分前まで服装の話題に浸っていた彼らは――
『 ――制服!? 』
その発想はなかった、と。
三人の驚愕の声が室内に交叉する。
その呆気にとられ愕然とする姿は中々お目にかかれるものではない。
期待を裏切らない予想通りの三人のリアクションに耐え切れず、カサンドラはスッと視線を逸らした。
……王子と目が合ったが、彼も口元を軽く握った拳で隠している。肩が僅かに震えているような……?
――あれ? もしかして、王子も笑って……?
初めて彼と考えている事が重なった気がして、嬉しかった。
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