第119話 生誕祭後の裏側で
思いもよらないジェイクの訪問には驚いたが、お陰で王子の意外な一面があることを知ることが出来た。
普段の彼の姿からは俄かに信じられない話。ジェイクが作り話をする理由も思い至らないし真実なのだろう。
ただ――会話の最後の段になって、彼はカサンドラに残酷な真実を突きつけた。
思い返すとちょっとだけ胸が痛い。
『あいつってお前の事どう思ってるんだろうな?
会話に一切出てこないからサッパリだ』
彼自身も首を捻る、王子にとってのカサンドラの存在の薄さを思い知らされる。
果たして自分の事をどう思っているのか、ジェイクに探りを入れてもらえばわかるのだろうか。
だが、ジェイクの口ぶりから察するに幼馴染組でいる時にはカサンドラの「カ」の字もないわけで。
話題に上がることが無ければとっかかりもない、ジェイクも友人の政略結婚の内情など一切興味が無いので頼れない。
自分は王子の中で、有意な婚約者という立場をすっかり除いた後――果たしてどんなモノとして形が残っているのだろう。
他人の前で、カサンドラを貶すことも褒めることもない。
その上彼の言動全てが社交辞令の範疇に収まり得るものだ。
改めて言われると、結構心に来るものがあった。
そういう真実を遠慮なくカサンドラに言えるのは彼が彼たる由縁なのだろう。哀れまれて勝手にフォローを入れられるのも癪だから、それは良いのだけど。
王子の自分への無関心さが、ジェイクに首を傾げさせる……のだろうな。
――この夏休み、王子と会う機会がある。
二学期が始まる前に今よりも心理的距離が近づいていればい良いと思う。
……ああ、本当に政略結婚って難しい! そう頭を掻きむしりたくなる。
お見合いや政略結婚でどうやったらラブストーリーに発展するのだ?
相手の言動からどうやって真意を得ればいい?
自分のことをどう思ってるのかなんて聞いても無意味だ、だってどちらにせよ自分達は絶対に結婚するしかない。
王子は賢明な人間だ。
将来に渡っての関係性を損なうような、カサンドラを落胆させるような迂闊なことは言わないだろう。
カサンドラだって逆の立場だったら、敢えて相手の不興を買ったり苦手だけどしょうがない、親に決められたことだし! となんて思っていたとしても馬鹿正直に相手に言うわけがない。社交辞令でも褒める、肯定する。
生理的に無理な異性でもない限り、相手を尊重し円満な生活が送れるよう努力するべきだ。
その認識は王子と自分は似ていると思う、思うからこその現状。
結局のところ、相手に全てを打ち明けるだけの信用、信頼が足りない。
自分一人空回っている、と。カサンドラは腕を組んで呻るのだ。
ただ、先ほどの王子のドジっ子エピソードに触れた時、王子は――『人間』なんだと、正直ほっとしたけれど。
彼の完璧人間ぶりが実は悪魔に乗っ取られたことの副作用です、という事態ではなさそうだ。
しかし顔を真っ赤にして蹲る王子か……
見たかった……!
※
お昼過ぎ、約束の時間にやや緊張気味のリナが屋敷を訪れてくれた。
相変わらず彼女の私服はふんわりとしたフェミニンな格好。
フリルやレースをあしらったワンピースをこうも違和感なく可愛らしく着こなせるのは彼女だけだろう。
これ以上装飾が過ぎたらぶりっ子の範疇に入るという絶妙なラインを見極めているのが素晴らしいと思う。
リゼやリタが着る姿を想像したが何か違う。
顔も体型も同じはずなのに表情や雰囲気、仕草の印象は馬鹿に出来ないものだ。
「今日はお招き下さってありがとうございます」
リナは深々と頭を下げる。
三つ子の誰かが単身でこの別邸に来てくれたのはこれが初めてのことだ。
いつも三人一緒に玄関に臨んでいたリナにとって、行き慣れた場所でも一気に緊張が高まるのは仕方ない。
「お待ちしていました。
遠慮なさらず、お入りになって下さい」
正面に幅広の吹き抜け階段を有する玄関ホールに並んだ使用人がリナという来客を迎え、頭を下げる。
少し前にジェイクを迎えた時に漂っていたピリピリした緊張感が微塵もない。
あたたかい歓迎ムード一色で、こちらの姿をにこにこと眺めているのだ。
レンドールでは最も名誉ある屋敷の使用人として雇われている彼女達だが、ロンバルド侯爵家の後継ぎが気軽に敷居を跨ぐのは思うところがあるのだろうな。
旗色は明確ではないが、政敵のようなものだ。
地方と中央、それらは押しなべて仲が宜しくない。
合奏まで鬼のように練習していた日々を思い出す器楽室に向かう。
もう一度同じ集中力で合奏の練習に励めと言われても、再現する自信はなかった。
今にして思えば、アレクも本当に良く付き合ってくれたものだ。
実家でのびのびと羽を伸ばしているであろう義弟の姿を脳裏に呼び起した。
平日はあまり接触のないアレクだが、やはり長期間不在だとカサンドラも寂しく感じる。
器楽室の扉を開くと、リナは喜びの声をあげて真っ黒なピアノに近づいていく。
「どうぞ好きなだけお使いください。
そちらの棚に楽譜が置いてありますから、ご自由に」
「ありがとうございます!」
リナは人差し指、中指、親指、と。立ったまま、鍵盤に指の腹を載せて音を確かめる。
しっかり調律済みのピアノは伸びやかな部屋中に響かせた。
ピアノを習ったことのあるカサンドラは、自分にセンスがないことを自覚済みだ。
だがリナは幼い頃から教会のオルガンを弾いていた経験か、聖歌音楽隊の指導があってのことなのか。
とても庶民の家庭で過ごしていたとは思えない見事な指さばきで、目を閉じたまま彼女は曲を奏でるではないか。
適性や才能って凄い。
気品のパラメータが上がりやすいリナであるが、その中にはどうやら音楽関係も影響しているようだった。
明確に音楽という項目はないが、ラルフ自身が女性に求める値――と考えればそれも一緒くたに含むと考えてもおかしくない。
恵まれた才能に支えられ、一度練習をしただけで目覚ましい成長を遂げる。
僅かな指導しか受けたことがなくとも、一足飛びに飛躍的な成果を出せる。
故郷で流行った歌だというメロディを口ずさみ、まるで自身の一部のようにピアノを弾きこなすリナ。
その姿だけで十分絵になる光景だ。
本格的に音楽について学んだら、きっとその道の先は明るく開いているに違いない。
幸せそうな表情で鍵盤を弾くたび、栗色の柔らかい髪が僅かに揺れる。
黒いカーテンを全て開けた部屋に差し込む陽の光が彼女を包み、絵になる光景だなぁとカサンドラは感嘆の吐息をこぼした。
「あ、申し訳ありません!
私ばかり楽しんでしまって……!」
「いえ、ピアノの音を聴くことは好きですから。
リタさんは――わたくしと一緒に過ごす時間を、冗談でしょうが”ご褒美”と仰っていました。
冗談と言える言葉を今だけお借りしましょう、これはリナさんの試験の頑張りに対するご褒美です」
「……こんなに立派なピアノに触ったことが今までなくて……
以前お借りした時、本当に感動しました。図々しいお願いを叶えて下さってありがとうございます」
「ふふ、実は生徒会室に隣接したサロンにもピアノが設置されているのですよ」
「そうなのですか? 凄いですね」
彼女は完全に他人事の様子で相槌を打つ。彼女からしたら確かに他人事に違いない。
「もし生徒会に興味がおありなら、来年度学級委員に立候補するのも良いのではないですか?
学級委員は生徒会のメンバーです、役員ならばピアノをいつでも使用できますよ」
するとリナの両指が一気に鍵盤を押し不協和音を生じさせる。
驚きに目を見開く彼女は、首を左右に振って身体も同時に震わせる。
「とんでもないです、私が生徒会など考えたこともないです!」
「そうでしょうか。
生徒会の役員になれば、シリウス様と一層お近づきになれると思いますが」
すると彼女は、みるみる内にカーッと顔を紅潮させ、手をピアノから離して胸の前で忙しなく横に振り続ける。
「急に何を仰るのですか!」
普段リゼやリタの反応は良く見ているけれど、リナがこうして過剰な反応を示すのは初めてではないだろうか。
今まではシリウスの話になることもない、そもそもリナの口からシリウスのあれこれについて積極的に相談を受けたことはないのである。
カサンドラの珍しいものを見るかのような視線にリナも気づいたのだろう。
ゆでだこのように真っ赤になった頬を片手で隠すように覆い、視線を落とす。
「……いつもは、ええと……。
二人がいますので、私は聞いてるだけで……」
彼と何かあったとしても、それを殊更改めて言葉にすることで、一気に現実に引き戻されるようで嫌なのだと彼女は言った。
自分の現状を言語化することで心を落ち着けるリゼとは真逆だ。
言葉にすることによって、ふわふわと浮かれた”幸福感”が漏れていき、現実世界に引き戻されてしまう。
例えばシリウスと会って何らかの会話をしたことを改めて自分の言葉で再現する過程は、夢から覚めるようで嫌だという。
不思議な感覚だが、全く理解できないわけではない。
とても幸せで興奮せざるを得ない出来事があったとして。
でもそれを誰かに共有してもらうために言葉で説明すると、途端冷静になって醒めてしまう。
ならばそれを自分の記憶のイメージとして残しておいた方が、夢見心地のままでいられるわけだ。
自分一人だけの思い出、誰かに喧伝したいわけでもなく分かって欲しいわけでもなく。
夢のような出来事と現実をリンクさせたくなくて彼女は黙すのだ。
これはこれで、立派な乙女回路仕様では……?
一生懸命「こんなことがあってね!」と話しながら思い出して幸せな気持ちに浸る者もいれば、逆に人に言わずに自分の世界に大事に閉じ込めて夢の世界に浸る者もいる。
だからリナは一々自分の恋心をカサンドラや姉達に広げることなく、十分幸せを堪能しているわけだ。
結果、何がそんなに嬉しいことがあったのか、カサンドラにも詳しくは分からない。
リタのように何でも開けっ広げに何でも報告し、喜びを共有して欲しいというタイプとは違う。
昨日も散々ラルフの話を聞いたのだ、それはそれは楽しそうに。彼女とラルフの会話は全部カサンドラも把握しているのではないかとさえ思う。
「勿論困ったことがあったら、またカサンドラ様にご相談いたします!
そしてカサンドラ様が疑問に思われることがあればいつでも仰ってください」
彼女はそうはにかんで言葉を続ける。
キラキラと輝く、蒼い瞳で。
「私から申し上げることがないのです。今、凄く幸せですから」
相談……?
ああ、あのラルフに個人的に誘われていたということだろうか。
ちゃんとハッキリ断ることで、無理に声をかけられることもなくなったのは幸いだ。
他の人の手前、という言葉はラルフにはとても強力に作用する。
外聞を気にしなければいけない立場の辛いところだろう。
「シリウス様と同じクラスで、そして選択講義でも何度もお会い出来ました。
カサンドラ様やデイジーさん、シンシアさん達クラスの方とも仲良くしていただいて。
その上リタやリゼとも一緒なんですよ、毎日幸せだなって思います」
邪な心の一切感じられない、清らかな天使のような微笑みが眩しくてカサンドラは目を覆いたくなるのを我慢する。
実際、彼女にしてみればごく普通の『学園生活』を送っているだけだ。
勉強し、たまに運動をする。
苦手なことだが、学生の本分は勉強なので取り立てて「特別に必死に頑張ってる感」が薄いこともあるのだろう。
ごく普通に毎日勉強、課題をこなしていく。
その過程でシリウスと主人公の運命力でバッタリ出会ったり話をする機会があったり……
青春真っただ中の学園生活。
成程と感心したが、カサンドラは一応彼女達の恋愛進行具合を気にかけているわけで。
何も教えてもらえないのは困るなとも思ってしまう。
余程変な受け答えをしなければ、このままごく普通に恋愛フラグが立って……と順調にいくとは思うのだけど。
あの人は一定の期間で特定の場所でイベントをこなさないといけない、所謂時限式のイベントを抱えた攻略キャラだ。
一か所行き忘れててフラグ立ってない! 学年末試験後でパラメータも好感度も条件満たしているのにルートに入れなかった……リセット!
そんな記憶がザッと蘇ってしまう。
出来ればそんな迂闊な失敗は避けたいので、動向くらいは把握させて欲しいのだ。
だが意味もなく根掘り葉掘り聞くのではリナも重い口を開いてはくれないだろう。
要所要所、さりげなく聞き出さなくては。
「お気持ちは良くわかります、了承いたしました。
一つだけリナさんにお聞きしたいことがあります」
「はい、何でしょう……!」
リナは真剣な面持ちで、膝の上に手を添えて緊張した様子を隠さない。
別に彼との思い出を壊したいわけではない。
でも知らなければアドバイスしようにもできないこともあるのだ。
彼女をからかう目的でも、カサンドラの好奇心のために聞いているわけでもない、それを彼女にも認識していて欲しい。
「生誕祭でシリウス様と、飲み物を運ぶ以外に何かあったのですか?」
「え。ええと……」
「詳しくお聞きするのはリナさんも不快かもしれません。
ですがシリウス様は一角以上の感謝の念を貴女に抱いているように見受けられました。
何か特別なことがあったのなら、わたくしに教えていただけないでしょうか?
決して口外致しません」
リナはギクッと肩を揺らした。
だがしばし瞑目した後、カサンドラ様なら、と前置きした上であの日の事を話してくれた。
生誕祭当日、シリウスが冷却魔法を維持するために、小部屋にいたあの時。
リナは偶然役員の会話を聞き、シリウスが宮廷魔道士の代わりに魔法を制御しているのだと知った。
有能な魔道士とはいえ、急遽予定外に、大きな魔法を使うことになったシリウス。
彼一人で巨大な広間を魔力を調整しながら冷やすということは大変なことだろう。
この学園の選択講義で魔法の講座を受けたことのあるリナはそう考え至った。
だが他の役員達も他のことで忙しくフォローしているとは思い難い。
シリウスの傍に誰もいなかったら大変だと、様子見の口実にホールから飲み物の入ったグラスを持ち出して彼のいる部屋を探した。
その小部屋で彼女は一人汗を流しながら、小さなサファイヤのイヤリングを触媒に魔法を使っているシリウスを見た。
……飲み物を置き彼が”感謝する”と。呟き片手を伸ばした瞬間、シリウスは僅かの間魔法を制御できず、魔力を暴走一歩手前まで乱してしまったのだという。
確かに一瞬、広間で空気が揺れた気がする。
あれは彼の魔法の制御不全のせい……?
リナは反射的にイヤリングを握る彼の手をとり、その魔法を”抑える”ことを手伝った。
暴発しそうになる魔力を宥め、収縮させる。
それはカサンドラには到底及びもつかない魔法の世界の話だが、何せリナは聖女の資質を持つ生徒だ。
才能に溢れる彼女なら出来ないことはないのかも知れない。
すぐにシリウスも魔法を安定化させ、一息ついたのだというが……
何分触媒が精霊石でもなんでもない、小さなイヤリングについた宝石。
しかも暴発のせいで亀裂も入った。
広間の使用を終えるまで、リナはシリウスの傍で彼の魔法を支えてあげたのだという。
……想像以上だった。
「私が様子を伺いに行くなど余計な気を回さなければ……
シリウス様も集中して魔法を制御できたでしょう。
あの方は私にお礼を言ってくださいましたが、そんな立場ではないのです」
一時間もずっと、神経を集中するのは非常に難しい事だ。
しかも全く予期せぬアクシデント、彼も決して疲労がなかったわけではない。
どこで集中力が途切れてもおかしくない状況だったと思われる。
「僅かな気の緩みでそのような事態に見舞われる、大変難しいことをなさっていたのです。
リナさんの支援があって助かったとご本人が判断されているからこそ、改めてシリウス様はお礼の言葉をおかけになったのだと思います」
「ありがとうございます。
全てカサンドラ様が事前に魔法講座を選択するように指示をしてくれていたおかげです。
……事前に魔法の知識や使用経験がなければ、私はただ立ちすくむしか出来ませんでした」
彼女は照れ笑い、可愛らしく首を傾けた。
成程、それなら彼女があの時間中姿を現さなかったのも当然のことだ。
そしてシリウスがあの雁首揃えて集まることになった中庭でリナにお礼を言ったのも過剰なことではなかった。
シリウスもカサンドラに詳しく言わなかった、いや、言えなかったのもリナを極秘資料の文章中に名を入れて残しておきたくなかったという配慮か。
「教えて下さってありがとうございます。
……さぁ、約束です。
リナさんはどの曲がお好きですか? わたくしが演奏可能なものであれば、ご一緒させてください」
あまり長々と触れていい話題でもないと方向を変えると、彼女はホッとしたように胸を撫でおろした。
奇しくも、彼女が弾きたいと言った曲は嫌と言う程練習した合奏で弾いた曲だった。過酷な練習を思い出してビクッと指が震える。
ここにシリウスがいたら――一緒にヴィオラを弾いてくれただろうか。
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