第118話 再度の訪問
三つ子と連日会う約束をした、今日がその最後の一日だ。
リゼ、リタと連日一緒に外で過ごせてカサンドラはとても楽しかった。
三つ子と話をしていると気持ちが穏やかになる。他の生徒達と接する時のように気を張る必要を感じない。
それが逆にうっかり変な対応をしてしまっているのでは……と、昨日は少し不安になった。
『どうぞ』と眼前にクレープを差し出されたからには、それを遠慮することは失礼に当たると思って一口分けてもらったのだけど。
リタが物凄く慌てていたので、余程見てはいけない似合わない行動だったのだろうか。今思い出してもヒヤッとする。
お嬢様はそんなはしたない事はしないと言われればそれまでだ。
リタも勢いとノリでついついやってしまっただけで、本当にカサンドラが直接食べるとは思ってなかったのかも。
だとしたら心底恥ずかしい。
過ぎたことを思い出して、部屋の中でぐるぐる考え後悔しても良いことは何もない。
それに普通の学生生活を自分が送れているようで、今までにない気持ちでとても楽しかったことは確かだ。多少の恥などご愛敬、と自分に言い聞かせる。
また、彼女の反応から察するに一緒に避暑地に出かける目論見は上手く行きそうだということも朗報の一つだ。
涼しい高原の原っぱで、おっかなびっくり馬と戯れる三つ子の姿を想像すると今から楽しみで仕方ないカサンドラ。
今日はお昼からリナが遊びに来てくれるので、その時に三つ子の間でどんな話になったのか聞いてみるのも良いだろう。
そうだ。彼女が来るのだから少しだけフルートの練習でもしようかな、と視線を動かし――その途中で、机に積み上げた学園側からの課題をとらえた。
宿題だけではなくお茶会の時に王子に渡そうと思って書いた手紙も置いてある。
あのお見舞いの時手紙を受け取って以降、カサンドラは返礼の手紙を未だに渡せないまま今日に至る。
試験勉強で忙しかったなど理由はある。
生徒会も一学期はおしまいで、午前授業で昼休憩自体が存在しない。
王子が生徒会室に用事があって入室することもないだろう、こっそり置いても手に取ってくれることはないのかも。
そう思うと直接渡す必要があったが、教室にいる間は常に友人たちと共にいてガッチリガードされている。彼らの間を縫って手紙を渡すのは憚られた。
渡そうと意気込んで近寄ったカサンドラを王子の前で遮り、「そんなものを渡すな」とけんもほろろに手紙を突き返すような事はされないだろうが。
流石にジェイクもラルフもそんな鬼畜な行動をする非常識な人ではない。
これは王子に私的な手紙を渡すというところを奴らに見られるのは嫌だという個人的な羞恥の問題だ。
あからさまに生ぬるい目で見られるのは、カサンドラだって恥ずかしい。
手紙を落として王子に拾われる事故、あのアクシデントさえ衆人環視の中だったから取り繕うのが凄く恥ずかしかったのに。
注目を浴びる王子に直接手紙を渡すなど無理だ。
中身を検閲されたところで近況報告とお礼くらいしかない、我ながらどこに恥じらいの要素がある手紙なのかは分からないけれど。恥ずかしいものは恥ずかしい。
そんな風に封書から視線を外したタイミングだった。
カサンドラの私室の扉が、外側から叩かれコンコンと乾いた音を立てたのだ。
「お嬢様、お寛ぎのところ大変申し訳ございません。
お客様がお訪ねでいらっしゃいます」
「え? まさかリナさんですか?」
おかしい、お昼過ぎの約束のはず。
壁掛け時計を確認してもまだ十一時にさえなっておらず、彼女が勇んで訪ねてくるとは思えない。室内で小首を傾げる。
約束の時間の聞き間違い、勘違いということかも知れない。
それならそれで、リナも案外おっちょこちょいな性格なのだなぁと微笑ましく思うだけだ。
「……ロンバルドのお坊ちゃんです」
あれ?
つい最近、似たような状況に陥ったような気がするのだが?
あまりの既視感にタイムリープでもしている錯覚に陥ったが、そういう特殊な状態でもないらしい。
※
「お待たせいたしました、ジェイク様。
度重なるご訪問、歓迎いたします」
『度重なる』というところに若干の皮肉げなイントネーションを込め、カサンドラは赤髪の少年に一礼した。
今日は来客の予定があるおかげで、部屋着でもない普通のフレアワンピースで応接室に入る。
前回病み上がりで応対したことを嫌でも思い出してしまう。
「ほんっとうにな、俺も全く納得できてないんだが」
彼は憮然とした顔で言いきり、氷浮かぶグラスの中の水を一気に飲み干した。
「本日はどのようなご用向きでいらっしゃいますか?」
夏休みに入って尚、こんなに高頻度にジェイクと会うなんて聞いてない。
一昨日リゼと一緒に街で遊んでいた時にも会い、更には今日も。
予期せぬエンカウントをするなら王子が良い。何故王子に会えないのだ。
今のカサンドラは王子成分が不足してカラカラに乾ききっているというのに。
ジェイクの表情は快いものとは程遠く、どう見ても本意ではないことは明白だ。
それも前回の訪問と重なって見える。
「アーサーから茶会の招待状だ。
日程が決まったが急な話だからな、確認してくれ」
「……まあ」
剣呑とした雰囲気を纏っていただろうカサンドラも、用件が王子絡みとあっては警戒を解かざるを得ない。
ジェイクがテーブルの中央においた真っ白な封筒がお茶会の招待状なのだそうだ。
チラ、チラ、とジェイクの顔を伺う。
「失礼ですが、検めても宜しいでしょうか」
「勿論、日時に不都合があれば教えてくれ」
彼らの多忙さは良く知っているつもりだ、自分達にとって何よりも優先される用件である。
日程を知らされて「行けません」なんて返答をするつもりはないけれど。
バカンスの日程は別に定まっているわけではない、お茶会の予定が決まってから先方に連絡しようと思っていたところだ。
念のため、封蝋を開けた。
――八月二日!? 来週頭!?
「は、早いですね……」
八月中とは言ったが、早々の話でカサンドラも吃驚した。
これはリゼも洋服はどのみち間に合わなかっただろう、制服での参加も已む無しか。
「俺たちの予定がその日しか合わなくてな、急で悪いが来れるか?」
「わたくしは問題ありません」
「三つ子には寮監通して告知済みだ、あっちも問題ないってな」
「それは何よりです」、とカサンドラもホクホク顔。試験と違って楽しいことだ、早ければ早いほど嬉しいというものである。
「それにしても……ジェイク様」
招待状を丁寧に仕舞い直し、カサンドラは浮かない表情のジェイクを見つめた。
どう見てもお仕事中、騎士の略装に身を包む彼。一昨日バッタリ遭遇した時と変わらない姿なので仕事に駆り出されているのだろうと予想は着くのだけど。
「このような伝令まがいの事まで、お仕事の範疇なのですか?」
ロンバルド家の嫡男、更に一国の騎士ともあろう身分の彼が……前回はカサンドラの様子伺い、今回は茶会の招待状の運び屋。
そんなに騎士団の仕事は暇なのか?
「言うな……俺だって伝書鳩かよ! って納得できてないんだ。
しょうがないだろ、街に出る用が回ってきたついでだ、ついで」
彼はうんざりした様子でそう言い放ち、足を広げて座り直す。
完全に外向きモードを解除した彼の表情、立ち居振る舞いは年相応の少年のものだ。騎士の姿をして辛うじて僅かに感じられた高貴さがどこかに姿を隠してしまった。
「こっちは折角の内勤日だったのに、野犬狩りに駆り出されたんだぞ?」
やってられるか、と彼は低い声で呻った。
この王都に駆除しなければいけないような危険な犬が潜んでいるのかとカサンドラは驚いた。
それにジェイク程の立場の人が自ら……となると、相当な群れでも発見されたか、事件になったということだろうか。
治安が良いはずの王都で物々しい恰好をした騎士達が、魔物に対するように何十頭もの野犬の群れを掃討するシーンが脳裏に過ぎった。
若干背中がうすら寒くなったカサンドラの表情を察したジェイクは、緩慢な動作で横に手を振った。
「ああ、大したことはない。野犬って言っても野良が一匹。もう捕獲済みだ。
ラルフが騎士団通して依頼してきた以上、俺が出ないわけにはいかなかくてな。
話を聞いたアーサーにまで伝書鳩扱いだろ? こっちはうんざりしてるっての」
伝書鳩と言いながら、カサンドラの手元の封書を忌々しそうに凝視する。
「仕事がお早いですね」
「勘弁してくれよ、朝っぱらから街中の衛士総動員で駆けずりまわされたんだぞ…!?」
わなわなと憤りで指先を震わせていたジェイク。
怒りで表情が歪んでも、元は何処から見ても正統派に格好良い人なのは変わらない。
本当に表情豊かな人だな、と感心する。
とりあえずカサンドラも神妙な面持ちで同情したかのように頷く。
「ま、喉も乾いたし招待状だけ届けるのも癪だからな。
冷たい茶を馳走になりつつ、こうやって休憩させてもらってるってわけだ」
人の屋敷を休憩所に使うんじゃない。
そう突っ込みたいが、言われたことを生真面目にこなした後の彼には言えなかった。
「無事に依頼を完遂できたのでしたら、ラルフ様も安心なさるでしょう。
街の住人の一員としてお礼を申し上げます。
実働で一時間もかからなかったのでは? 衛士の皆さまも素晴らしい機動力ですね」
「まぁな。
……あいつもシリウスも、ホントに人遣い荒いよな」
何とも言えない乾いた虚無の表情で、ボソッと愚痴を吐く。
でもなんだかんだ、王子やラルフの言うことに不承不承でも応える彼もまた人が好いのか、それだけ仲が良い間柄なのかと思えて微笑ましい。
広い王都だ、野犬の一匹とは言え探し出し捕まえるのはさぞ面倒なことだっただろう。
騎士団の仕事に関しては本当に真面目な人だと言うのは良く分かった。
「長期休暇に入りましたが、ジェイク様もお変わりなさそうで安心いたしました。
……その……」
ジェイクが元気なのは知っている事だ。
彼が風邪でもひいて寝込むなんてことになったら、たとえ休暇中でも噂が街中を巡りかねない。
カサンドラははっきり言えなかったが、少し躊躇いがちに俯く。手許の招待状をチラチラ視界に入れ、直截に訊いてもいいものかどうか葛藤していた。
「ああ、なんだ。
アーサーが元気かって?」
こちらの様子に見当がついたらしい彼は不機嫌そうな表情を緩め、からかうように口元の形を歪める。
彼にからかわれることは大変不本意であるが、致し方ない。
実際に王子に会って話をしてきた彼だからこそ聞けるということもある。
「元気元気、今頃シリウスと一緒に会談の資料作りしてるんじゃないか?」
彼が元気なのは何よりだ。
だが「元気」の一言で簡単に済ませられ、カサンドラはかなり不服である。
じーーー、ともの言いたげにジェイクを視線で圧する。
もっと何か!
何でも良いから王子の近況を知りたいこの気持ちよ、ジェイクに伝われ…!
実際に伝わったら恥ずかしいので敢えて言わない。
にも関わらず、言わずとも気づいてこっちに情報を提供しろだなんてムシの良いことを考える自分。人間とは矛盾の塊だ。
ジェイクだって別にカサンドラの味方でも友達と言うわけでもない。
……今は”敵ではない”という微妙な関係に過ぎないのだ。
それに、だ。根掘り葉掘りカサンドラが王子のことを知りたがっているなんて王子に伝わったら彼も不快な想いをするかも知れない。
積極的に訊くことにためらいが生じるのは、ジェイクに過去、王子の『趣味』のことで痛い目に遭わせられたことを思い出すから――というのも正直なところである。
誰も悪意があったわけではない、悲しい玉突き事故のようなものだった。
王子が星を眺めるのが趣味ではなく、亡き家族を偲んでいただなんて……
教えてくれたジェイクに悪気があったわけではないと分かるし、自分だって悪意などさらさらなかったし、王子も出来れば知られたくないだろう。
いちいち誤情報を教えるな、なんてジェイクには言っていないけれど。
あんな気まずい顔面蒼白な想いはもうしたくない。
そんな風に考えていることなどジェイクは及びもつかないのだろう。カサンドラは王子のことを考えていると思い至ったらしい。
良い事だか悪いことだか、自然と王子の話になってしまった。
「いつも忙しそうにはしてるけどな……
本当あいつ、変わったなって思う」
少し穏やかな顔つきになったジェイクは、仄かな喜びを実感するかのようにそう呟いたのだ。
「変わられた……のですか?
生憎わたくしは王子の以前の姿を存じ上げませんので、何とも」
「いやぁ、見た目も性格も変わっちゃいないんだけどな。
なんか最近、やる気があるって言うか前向きっていうか。
……覇気がないのが欠点だ! なんてお前に言ったくらいだったのにな」
完璧で瑕のない王子様。
誰に対しても平等に優しく、紳士で温和な人柄である。
他人を否定することなどせず常に相手の立場を慮った立ち振る舞いを心掛ける王子の姿は、人格者過ぎてカサンドラには眩しい程だ。
「生誕祭の合奏だって、以前のあいつなら引っ込んでただろ。
お陰でラルフも楽しくやれてたみたいだけど」
確かに王子が生誕祭で合奏するなんて一度もなかったイベントだ。
彼は人前に目立つように出てくる人ではなかったはず。
役員会の最後に手を挙げて主張した彼の姿は、後方に控えてにっこり微笑む普段の彼とは違ったように思う。
そしてとても素晴らしい演奏を披露してくれ、ラルフとともに全校生徒を感動の渦に叩き込んだわけで。
カサンドラも感激に打ち震えていた、良い思い出になったものだ。
「学期末の試験だってそうだ」
シリウスが一位なのは当然として、王子も二位という素晴らしい成績を叩きだした。順位表に燦然と彼の名が刻まれていたのを見間違いようがない。
学業の成績において、王子がそこまで目立つ位置にいたことはゲーム内で無かった気がする。
そもそもゲーム内の王子の存在は薄いもので、常に攻略対象の”おまけ”でしかなかった。
ふとした時に姿を見せる賑やかし要員――が、まさかの黒幕。意外性があった事は確かだ。
二週目以降はその影の薄さとアルカイックスマイルがただただ不穏で恐ろしかった。
「あいつがあんなに根詰めて勉強してるの見たの、初めてだったしな。
入学前は試験勉強はほどほどにしようとか言ってた癖に」
ジェイクは何かを思い出したように、ニヤニヤ笑う。
「試験前の休み、寮の廊下をアーサーが歩いてたんだけどさぁ。
あいつ見るからにボーッとして柱にぶつかったんだよな。
なのに人とぶつかったと勘違いしてさ――いつもの調子で丁寧かつ真剣に謝ってたんだぞ? 柱に!
どうやったら見間違えるんだよ」
えええ!? 王子がそんなベタなドジを……!?
そういううっかりしたドジとは無縁に思える容姿で、そんな愉快な会話を柱としていたなんて!
「しかもさ、それが物言わぬ柱だってようやく気付いて、そのまま顔覆って蹲って震えてたからな。顔真っ赤にして。
何やってんだあいつって俺も見た瞬間笑いが止まらなかった」
柱の陰に蹲って恥ずかしさのあまり震える王子――?
全く想像できない光景に、カサンドラの脳内イメージは大変愉快なことになってしまった。
そんなの見たいに決まっている。
どうしてその場にいたのがジェイクなのだ、是非遠くから自分が目撃者になりたかった……!
「――。
王子でもそのように”うっかり”されることもあるのですね」
声が裏返らないよう抑える事に必死だ。
意外過ぎる姿が微笑ましいやら可愛らしいやら、学園では絶対に見ることの出来ない反応を心行くまでイメージする。
「アイツ昔は結構ぼんやりしてたしなぁ。
試験勉強のし過ぎで寝不足だったとか言ってたけど、相当根詰めて頑張ってたんだろ」
元々基礎スペックが高い人が人よりも努力を重ねれば、あの試験結果も当然のことだと得心がいく。
「王子は生徒会長としても一生徒としても、積極的に活動されているということですね。
素晴らしい事だと思います」
「まぁな。
これでアーサーの数少ない欠点が消えたわけだ」
彼は口角を上げ、不敵な笑みを浮かべる。
「――お前も精々、釣り合えるよう頑張れよ?」
それは最初の頃の、こちらを呑んでかかって軽く見るような言い方ではなかった。
どことなく激励の意を感じ取れるのは、互いの印象がそれぞれ変わった証左だろうか。
不思議と悪い気はしなかった。
臨むところだと思えるのは、高い壁に向かっているのは自分だけではないと知っているから。
彼女達の存在は、カサンドラの支えでもあるのだと思う。
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